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最高の一日ですね

「はい」


すっかり暗くなった江ノ島、来た道を戻る。

つかず離れずの距離感で歩く。

「寒いですね」

「寒いですね」

だけど、このまま今日という日が続いて欲しい。


「毎年秋にやることはないんですか?」

「その人」にけしかける。

「秋かー、うーん、秋は何やってもいいですもんね」

「読書でもしますか」

「いいですね」


「その人」は口元に手を当てはあと暖を取る。

「かなり冷えますね」

「ですね」

俺も思わずぶるると震える。

寒さを強調するように夜空は澄んでいて、ちらちらと星が瞬いている。


「新宿の地下にある喫茶店行ったことありますか」

そんな気はなかったのに気づいたら口から質問が出ていた。内心なぜ急に訊いてしまったのか分からず同様したが、なるべく真面目そうな顔をしておいた。

横を見ると「その人」は目を丸くしていた。

「やっぱり」

ああ、やっぱりそうだったんだ。あの時会った人はこの人で、俺は間違ってなかった。俺は正しくこの人を追いかけたんだ。

「その人」はいくつかの感情を顔に出し、いつものニヤニヤを少し緩めたような表情で改めて口を開く。

「なんでお互い聞かなかったんでしょうね、新宿でも会いましたよねって」

「タイミング逃して言えなくて」

「え、彼女といましたよね」

「ああ、あの時はそうですね、当時の。そっちも」

「はい。ええと、はい。今の人。」

だよな。全然嬉しくない答え合わせをしてしまった。

「俺…」

あの後通い詰めて、と言いかけてやめた。こんなことは伝える必要はない。

「俺、あそこ好きで」

嘘をついた。


これで、俺が好きで通い詰めていた喫茶店に「その人」がたまたま来て、一度会ったというシナリオになる。そもそも、その後俺は通い詰めたのに「その人」と再会することはなかった。「その人」の馴染みの店ではなかったということだ。そこそこで諦めれば良かったのに、行かなかった日に「その人」が来たらと思うと悔しくて、行ける日は毎日行った。それも全部無駄だったわけだが、今こうして江ノ島を歩いているのは何かの縁だ。良縁か悪縁か。


いや、何もこれ以上を期待しなければいいんだ。俺は「その人」に会いたかったが、それ以上の何かになりたかったわけではないじゃないか。


ふと「その人」の横顔を覗き見る。この人がより幸せな人生を歩むために俺の人生を少し使おう。俺といるのがこの人にとってマイナスならその時はその時だ。

少なくとも今日はこの人も楽しそうだった。ならそれでいい。


恋人がいることを聞いてから自然に振る舞えずぎこちなかった自分が嫌になる。


ほとんど会話をしないまま駅に辿り着き、今日という日の終わりを感じる。

「コンビニで温かい飲み物買いましょうか」

「はい、そうします」

「その人」はミルクティーを、俺はブラックコーヒーを買い、電車に乗る。


煌々とホームで光る小田急線。


「あったかい」

心底落ち着いた様子で「その人」はミルクティーを胸元で抱きしめる。

「夏の思い出というにはちょっと寒かったですね」

「でも楽しかったです。ありがとうございました」

「俺も楽しかったです。疲れましたね、結構歩いたし」

「はい、へとへとです」

床に足を投げ出した「その人」はハッとした表情でこちらを見て、俺を叩きながら笑いはじめた。

「どうしたんですか」

「やばい!降りましょう!」

腕を引かれて出発待ちの電車から降りる。


「靴!」

降りるや否や「その人」が言う。

「あ!」

波に攫われた靴がフラッシュバックする。

いまだに浜辺に鎮座しているであろう2足の靴を想像して笑う。

「やば」

2人で腹を抱えて笑う。


「最高の一日ですね」

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