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兎にも角にも

「ええ゛ッ、ステーキに、チィズゥ⁉」


 なんだ? 声のする厨房は衝立の向こうに見える。さっきのお兄さんがガラの悪い中年とカウンター越しに話している。オーダーを伝えているんだろうから、あれはきっと料理人だ。


「誰が頼んだ? あのガキ? あーあ、めんどくせぇなァ゛!」


 あれ、わざと聞こえるように言ってんな。チラリと向こうを見る客もいる。


「――んだ? やかましいな」


 鉄平先輩もさすがに向こうを振り返る。だめだ、この人が状況を理解したら……


「客の前でなんで態度あんな取るもんだ? あいつのおまんま代、誰が払ってやっちょると思ってんだ」




 ゾワッ――左肩に感じる、衝撃と重み。反射的に左半身を持ち上げ、衝撃を相殺するよう体勢を保つ。


 重みを感じた方を向くと、オレに前のめりの慶太郎。その四角くてごつい顔が迫る。手と目に漲る必死。目が合い、オレの意識が向こうの意識に繋がると、瞬時に普段のふざけた目つきと頬のゆるみに戻る。


「なあ、ユタカさ、そんなにチーズにこだわらなくてもいいんじゃんよ。な? オレのハンバーグに載ってくるやつ取っていいからさ」


 深淵を見た気がした。もはや別人の“あいつ”。はじめて見た顔。これが“秘めるもうひとつの顔”ってやつ……何か慶太郎の癪に障ったか、あのヤカラに突き刺さるはずだった怒りも拍子抜けした。


「お、おう」


 そういえばこいつ、この店に来る前から、乗り気じゃなかったような。


 店員に嫌な思いでもさせられたのか? ああ、あのヤカラなら普段温和な慶太郎にさえイチャモンを付けて来そうな気はする。でも、ここって出来たばっかりだろ?


 しかも、こいつはこんな庶民的な、まして飲み屋街にある店に来るようなやつじゃない。あれだけ学校で貴族趣味をひけらかす態度だ。その虚栄心を受け容れてやれるオレら以外に友達らしい友達もいない。やっぱり、この店にこいつが来るとも思えない。


 ――もしかして、何か別の因縁でもあるんだろうか。


 いや、でもあの人格を見た手前、今すぐには詳細を聞きにくい。


「んだべ、ユタカ、ケェタロの言う通りだべ。おめぇもチーズなんぞでゴタゴタ言うなべ、ちんこめーやっちゃの。んな腰抜けだがいつまでも彼女できんっぺよ」


 先輩、やかましいです。





「……4番テーブルまで、ITTERASSHAI!」


「「「いってらっしゃい!!!」」」


 ――ジューッ――パチパチパチパチ


 4番、ウチのテーブルだ。やっと肉を食える。


 近づく肉の焼ける音の方へ顔を上げると、さっきのお兄さんが両手でひとつのプレートを大事そうに持ち、こちらへ歩いてくる。


 その上に載っているのは……盛り上がる、巨大な黒い塊。

 もしかしてあれが肉!? なんてデカさ。周りのお客さんも見入っちゃってるじゃんか。


 すると、呆気にとられていたところで、まさかの光景に絶句する。


「あ!」


 お兄さんの後ろから手にお椀を持ったまま足元に寄ったデブガキが、そのまま先輩の肉にツバを飛ばしやがったのだ!


 なんてことを。ツバ本体はステーキに届いていないものの、あれじゃあ分散したしぶきは付いている。お兄さんも、ガキに死角から来られては、ましてステーキを運んでいたのだから避けようがない。幸いにも運ぶのに集中しすぎてツバをかけられたことに動揺すらしていない。


「なんだユタカ、いきなり大声出すでねぇど! びっくりするでねぇか!」


 お兄さんの靴にベチッと湿っぽい音が落ちる。お兄さんも運ぶのに慣れていないから避けられなかった。


 まったく、親はどんなツラしてるんだ? こういう子供を放っておくと周りに迷惑がかかるってわからないのか。不適切にもほどがある……うげ、あれだ。あのメシを掬っている肉塊、絶対に肉まんのマザーじゃねぇか。なんでこういうクソガキの親は揃いも揃って醜い見た目してんのか。醜悪がツラに表れてる。子供の非行を止めるどころか、指示して自分の代わりにやらせるタイプだ。


 ……あれ? あのマザーが釜に突っ込んでメシ掬ってるのは、しゃもじ……じゃないよな? 形状は似てる。だが、その“手の平”の部分に大きな穴がいくつか空いて、先がケツあごみたいにちょっぴり二股……あ、あれ全体が木の根みたいな茶色の太い筋で編んで出来てるのか。それにしてもマザーの主婦姿にやけに馴染んで見えるもんだが――ああっ!!


「あれ、布団たたきだ!」


 やっぱりそうだ! あの、布団たたきだ!


「んだべ、どうかしたべか」


「先輩、あっちにだいぶイカれた迷惑客がいるんです! 布団たたきであれは成敗しなきゃいけませんよ。スタッフさーん! ごはん釜のところに困ってるお客さんがいます!」


 厨房のなかから若いガテン系スタッフが簾を上げて出て来た。そのままそばにある釜のなかを覗くと……気づいたのだろう、目を見開く。少し間を置いて理解したのか、マザーの手を押さえつけ、その顔を睨みつけた。


「お客さん、これウチのしゃもじじゃないですよね? 何でこんなものでご飯を掬っているんです? ここのご飯はあなただけが食べるものじゃないんですよ! その布団たたき、こちらへ渡してください」


 見た目に反して、なかなか大人の対応ができるスタッフだ。

 マザーの手首を何度もがっしりと握り込み、圧を掛けている。


 マザーの方はといえば……スタッフと目を合わせず、ただ固まって釜のなかを見つめたまま。全身で力んでいるのか、顔が紅くなり、口をぐっと噤んで震えてきた。


「お客さん、何もしゃべらないんですね? このまま何も言わないでもいいですけど、まあ、どのみちあなたもう出禁ですから。早く食事代払ったら出て行ってください。警察に突き出さないだけ、情けですよ」


 マザーの額に青筋が浮き立っている。どんどん顔に赤味も増して、目が血走ってきた。


 ――やばい、やばいぞ。

 次に起こることが必ずしも良いことではないことを直感で察したときだった。



「フンッッ!!」


 ――ッ!?


 マザーが突然にスタッフの手を振り切り、釜の中の米粒を振りこぼしながら布団たたきを頭上に揚げる。そして……停止した。このままだと爆発するんじゃないか――


 何やってんだよマザー。その年して肩を上げ続けるのも疲れるだろうよ。もう無駄な抵抗をやめて潔くしてくれないか。せっかくオレもステーキ楽しみに来たのに。そろそろゆっくり飯を食いたい。般若みたいに歪めた顔、醜悪の極みだ。更年期に入って我を忘れるほど醜いものもない。


「じょ、冗談はよしてくださいね、お客さん。は、早くそれを渡してください」


 さすがのガテン系スタッフでも、ドン腹抱えた巨体のおばさんに気の触れた動きをされれば慌てはじめた。鬼の顔も間近で見るとなかなか迫力がありそうだ。


 ガテン系が半ば顔を引きつらせ、マザーの持つ布団たたきへと手を伸ばしたときだった。


「ヒィッコーシッ――!!」


 ――バチッ! ボゴッ! ブグッ!


 自身の声とともにその血管の浮き出た隆々の腕を振り下ろすマザー。

 目の前の獲物へ、ターゲットオン。ガテン系が伸ばした腕の内側を沿うよう布団たたきを振り下ろし、首と頭を計3度打ち叩く。


 うお、マザーがやりやがった! また面倒事だ――なあ、オレらはいつになったら飯をゆっくり食えるんだろうな?


 ガテン系が耐え切れず倒れこんだ! いかつい見た目のわりに弱い。ちょっとは根性出して立ち上がらんかい!


 けたたましいマザーの声、肉を打つ凄まじい音、ガテン系の呻き声。

 幸いにも店内にざわざわ響きつづける歓談、そして全席についた衝立に隠れるおかげで、奇行に気づいている客はオレひとり。


 顔周りを米粒まみれにして倒れ込むガテン系。それを見下ろすマザー。

 勝者と敗者。弱肉強食。自然界で勝つのは正義ではない、強者なのだと知らしめる。


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