ご挨拶
「まあ、女で困ってることないっすけどね。それと鉄平さん、お言葉っすけど、あの人はババアじゃないっすよ、お姉さんっす! 穴持ってる方にそんな物言いは無いっすから!」
おまえ……。ま、そんなムキになることないだろう。穴持ってりゃ誰でもイケる口――いや、誰でもイケる棒か。……ウゥ、まさかオレもカマ掘られるんじゃないかって身震いしてしまう。さすがにやめてくれよ。
「お?その消毒液、ウチの“クマ”が使いよるんと同じだべ」
……え? 急に消毒液を睨み付けて、どうしたんだ。
「これがどうかしましたか?」
取りあげて先輩に見せる。
「おめぇここの店、“クマ”の消毒液を人間に使いよるでねぇか! なんちゅう店じゃ! 建物もそうじゃけんど、ほんとここの店主の頭おかしいべ! ユタカ、おめぇの好きなヒューマングレードってやつだべな!」
……なんだろう、液を取ってしまった手前もう後戻りできない。
「え、これ先輩の家で使ってるやつと同じなんですか?」
「おん、“クマ”を家んなか上げて遊びよったら、あの野郎、小便することがあってよ。そんときの臭い消しに使いよるべ。このパッケージんやつだべ。間違いねぇ、一緒のやつだ」
勘違い……じゃなさそうだ、この人が言うなら。
「ええ! 鉄平さん、“クマ”飼ってるっすか!?」
「おうよ! “クマ“はウチにおっど! お前にもまた会わせちゃる! まぁ初めて見るやつは噛み殺されるかも知れんけど、そうなったら葬式に電報くらいは入れちゃるからな!」
「すげぇ! “クマ”飼い馴らすってマジかっけぇっすね! さすが鉄平さんだわ」
目キラキラさせちゃって。
「ちょっと先輩、ちゃんと説明してあげないとダメじゃないですか! 慶太郎、“クマ“ってのは先輩が飼ってる紀州犬の名前のことな。図体デカくて気性が荒いから、ほんとに熊みたいなんだよ」
それにしても犬の小便の臭い消しが、人間の消毒液に使われてるなんて……きっと逆だ、先輩が人間用のを犬に使っているに違いない!
「なぁんだ、犬の名前がクマなんっすか。ややこしっ! でも、鉄平さんマジで熊飼えちゃいそうっすよね! 僕お金出して檻とか買いますから、本物の熊手なづけてくださいよ!」
「おお、それいいべな! おめぇ金出すなら、俺が手なづけるべ。熊だけじゃ物足りねぇ、いっそのこと猛獣だらけの動物園つくれるべ! 日本で俺しか手なづけられねぇ動物を集めりゃ、いくらでも人が来てウハウハじゃけぇ!」
先輩なら、ワニ、コモドドラゴン、カンガルー、シャチ、人食い亀――陸に海に、生きとし生けるものどんな動物だろうと手なづけられる。ただし、先輩の指示でオレが猛獣たちの世話役になるのが関の山だ。
――ウィーン。
「オキャクサマノゴライテンデス! イラッシャイ!」
「「「いらっしゃい!!!」」」
こんな夜中に、賑やかな店だ。なるほど、客の入店で機械の自動呼びかけに合わせれば店員も一斉に掛け声出来るシステムか。客に気づかないことも無くなる。画期的だ。
向こうで厨房からプレートを出す料理人。それを受け取るホールスタッフ。
「こちらぁITTERAステーキィ! トッピングはぁ、エッグゥ! 5番テーブルまでぇ――ITTERASSHAI!」
「「「いってらっしゃい!!!」」」
野太い若人の声が店内に響く。スタッフさんたち、腹から声が出てるな。そこのテーブルに潰れているリーマンもびっくりして目が覚めた。
皆で掛け声して雰囲気つくっているんだろうが、裏返しにブラック臭もひどい。ステーキを運ぶスタッフだけじゃなくて周りまで毎度掛け声しないといけない。なかなかハードだぞ。
「ご来店、ありがとうございます! お客様、何名様で」
オレらを見つけた途端にズンズンと足どりよく近づいてくるガテン系スタッフ。無言のまま、親指、人差し指、中指のスカした“3”を示す慶太郎。
「3名様ですね。こちらへどうぞ!」
ガテン系、慶太郎、先輩に続いてオレも歩いていく。西海岸風味の案内されたのは、ペラペラの衝立で区切られた半個室のテーブル席。結構広い。慶太郎が奥に座ったら、鉄平先輩は向かいの席に入る。それならオレは慶太郎の側に入った。
「腹減ったぁ。やっと食える」
「なんだか疲れたね。鉄平さんも好きに頼んじゃってください。ほらユタカも。ぼくが注文は入力するっすよ」
「おう、オレも遠慮する質じゃねぇべ。いちばんデカいステーキ頼んどけ! メシもいちばん大盛り!」
「了解っす……あ、500グラムまで書いてるっすけど、そこから料金払えば自由に増量できるっぽいっすね。――お! メシとスープ勝手についてきて、しかもおかわり自由だよ。先輩、ラッキーじゃないっすか!」
「ようわかっちょるな! さすがオレの目利きで選んだ店よ……んだ、増量して2キロ食うべ!」
「肉だけで2キロ!? そんな食えるんですか!? 米もスープも食えるんですよ?」
「寮じゃ米ばっかりで腹膨らまして紛らわしてんだべ。たまの贅沢、肉で腹いっぱい食いまくるべ!」
「ん、了解っす。焼き加減ミディアムでいいっすね?」
「……っす。ユタカは?」
「オレもステーキ食いたい。遠慮なく……1キロで! それと、トッピングにチーズ載せたいけど出来るか? ドロッドロにして肉に掛けたら、絶対に美味いぞ!」
「んー……ステーキには無いっぽいね。ぼくが頼んだハンバーグにはトッピングでチーズがあったんだけどね。ぼく炙りチーズにしたし」
「炙りチーズ美味そうだべな!」
「……やっぱりステーキのトッピングにはないんだよね。でもチーズ載せるって特別な準備とかいるわけじゃないだろうしさ、ステーキでも出来るんじゃないかな? 店員さんに聞いてみようよ」
「そうだな、聞いてみるか」
でも、なんでわざわざトッピングに違いつけてるんだろうな。添えるだけなんだから、何に何を付けたって自由にできそうなもんだけど。
――先輩って、こうやって正面から座って見てみると、背は低いけど筋肉結構あるんだな。あ、へへぇ。目が合うの気まずい。
お、水が来た。
「失礼します、こちらお冷とおしぼりです」
特に年上ってわけじゃないお兄さんだ。まだちぐはぐな手つき、新人さんかな。
「ITTERASSHAI!」
「「「いってらっしゃい!!!」」」
「あ、いってらっしゃい!」
ああ気まずい、タイミング悪くて遅れちゃってるじゃんか。声も小さくなっちゃってるし。
でも、それにしても大変だな。接客してるときでも言わないといけない決まりなのか。
「おい兄ちゃん、おめぇもっと、こう、声張らねぇとダメでねぇか!」
「先輩、そんな言わなくても。新人さんなんだから」
しかも、自分より年上でしょうに。
「ほら、手本見ちょけ。こんげして言うとべ!――ハッ」
しまった、そう来たか! 単独犯のテロは防げない――!!
「イィッテラッシャイィィ!!!!!!」
「「「――!!」」」
厨房から肉が出るタイミングでもないところ、桁違いの張り声が轟く。
猛獣が目の前に現れたような緊張感。全身が硬くなり、目が四方八方に動いて情報を得て、耳がよく聞こえるようになる。わやわやと歓談に満ちていた店内から一転聞こえてくる、むなしく肉の焼ける音。隣のテーブルのお客さん、右前のテーブルのお客さん、向こうで食器を下げるスタッフ、凍り付いた。たぶん、衝立の向こうのお客さんも同じだろう――お兄さんも顔が引きつってる。
「お、おお……すごい。参考に、なります……」
またも防げなかった大失態。先輩を引き連れてきた以上、これもオレの責任。
お兄さん、ほんと申し訳ないです。
そして、体感数秒つづいた氷河期の後、今は地球温暖化の時代、凍り付いた空気も解けるまで早く、すぐさま皆それぞれの食事や仕事に戻る。まるで、誰も何も見ていなかった、何も聞いていなかったかのよう。空間に穴が空いたのか、狐にでも化かされたのか……いや、先輩がニンマリ、満足気に頷いている。やっぱり現実だ。
「あ、ちょっとお兄さん、お尋ねなんですけどいいですか? このパネルで注文したらチーズのトッピングがハンバーグにしか無くてですね。ぼくステーキ頼みたいんですけど、チーズってトッピング出来ませんかね?」
「チーズのトッピングを……ステーキにですか?」
あれ、そんな不思議なことか? ステーキにチーズを掛けるって、少数派なのか。
「ちょっと確認してきますね」