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フィロソフィー

 鈴木先輩、相変わらずほんと不思議なもの持ってるんだな。

 ちょっとその紺色の箱、見せてもらいたい。


「この箱、えらく立派なもんですね。もしかして、これデニム素材ですか」


 間近で見ると、よりその質感が良いのが伝わる。

 面の継ぎ目、留め具の細かな意匠――見事に手が込んだ逸品。


 先輩も良いもの見つけてくるもんだ。

 壁に掛かる般若の面、窓際にうねる盆栽、古代中国製の香炉――どこから仕入れてくるんだか。


「そう、栄養ドリンクのケースなんです。あ、ぼくの許可なしにそれ触らないでください」


「おおっと、すみません」


 どこで逆鱗に触れるかわからない。危ない橋、渡るべからず。


「エンケルって、やっぱり栄養ドリンクだったんですか。でも、この金色のケース、箱に並べたらピッタリ入るんですね」


「専用のケースなんです。この容器に合うように作ってもらったんです」


「えー!? 作ってもらったんですか!?」


「これ一点物ですよ。特注です。ほら、ここに“す”って書いてるんです」


 なんと、仕入れるばかりに飽き足らず――自分で作るまでになっていたか。

 この人のこだわりと言ったら……


「でもケース無くたって中身変わらないじゃないですか。なぜわざわざ」


「こだわりなんです、そこは。これが揃ってアートなんです、ぼくにとって」


 ……やっぱり先輩の頭のなかは宇宙だ。

 世の中には理解しようとしたって出来ない話もある。見切りは素早くつけること、そして深入りしない判断の塩梅は、鈴木先輩が教えてくれた。


 それにしても、たかが栄養ドリンクのためにこんな専用ケースまで特注して持ち運ぶなんて……体に入れるものにこだわる人は野球部に限らずどこでもいるアスリートだけど、さすがに度が過ぎる。口に入るものじゃない部分の方がこだわりの比重が大きいなんて。なるほど、目に映るものや触るものまで“体に入れるもの”として判定してきそうで怖い。ここまでくれば変態の域だ。


 エンケルのメーカー、鈴木先輩が若いうちにツバつけといた方が得策だろう。先輩、プロ入り決まってるし、根拠はないけどプロのなかでも大物になる気がする――あ、オレがメーカーに先輩を紹介したらマージン取れたりしないかな。


 ――すると、引きつっていただろうオレの顔を見てか、話しはじめてくれる先輩。


「そういえば尾坂君、点呼のとき青筋立ってましたよ?」


 思い出す――あの脂肪で潰れた目、肉厚の頬、満足そうに引っ張り上げる両の口角。

 頭に浮かぶだけでまた腹が立ってくる。


「本当に堪えられなかったんですよ! あんなの完全に後輩イビリじゃないですか!」


 ――いかん。ふと我に戻る。怒りモードに一度入ると、饒舌に連られて怒気も昂るのは何故なんだ。オレもだいぶ理性が利きだして客観出来るからいいがな……ウチの先輩方には制御できない人が多すぎる。自分の感情くらい、自分でどうにかしてほしいもんだ。


「オレ、先輩が小突いてくれるまでボコる寸前でしたからね。理不尽が許せないタチなんで」


「はは、気持ちはわかりますよ。でも、あなた次に手を出したら強制退寮なんですよね? じゃあ我慢しないとダメでしょ」


 そりゃその通りではあるんだけど――実際に生きたことは無いが、昔のようなコブシで語り合える時代が羨ましい。あのブタをボコれたなら、どれだけ気持ちいいだろうか。これは革命を起こすときなのかもしれない。


「そういえば先輩、オレそろそろ鉄平先輩と外にあそびに行くんですけど、来ますか? 他に一人、オレの同級生も来ます」


「また麻雀やるんですか? よく飽きないもんですね。知ってました? 鉄平くんって学費にしなきゃいけない奨学金で賭け事やってるんですよ? 尾坂くんも付き合う人間は考えた方がいいんじゃないですか?」


 うん、ごもっとも。あの人、やっぱりそうなのか。いつも負けまくってるくせに、やけにベットしてくる額がデカいとは思っていたが。同級生の鈴木先輩が言うんだから間違いない。


 大体、競馬みたいに胴元がいるならまだしも、学生のなかで大金賭けたとしても倍にして払い返す金がオレらにあるわけ無いのに――鉄平先輩、まだ麻雀で勝ったことないから罰符支払うばっかりで、そんな単純なことにすら気付いていない。

 まあ、打つたび目ギラギラさせてるわりにルールわかってなくて特大チョンボかます、そういうぶっ飛んでるところが好きなんだけど。


 よく……考えなくても、生粋のギャンブル狂なんだろうよ。ただデカい金が動くことに快感覚えるタイプだ。


「それと、ぼく人間が関わるものに対してはお金を賭けたくないんです。その人に対してモヤモヤが残っちゃうじゃないですか。しかも生き物ってだけで変数が多くなりすぎて計算が出来ませんし。そういうのに賭けるって、ぼくのポリシーに反するんです。だから競馬とか競艇も嫌ですね。それより、株とかスロットとか、純粋な理論を当てはめやすい機械のほうが期待値の計算できて良いですよ」


 なかなか合理的な考え方。さすが鈴木先輩、株長者の名も伊達じゃない。あれだけの蒐集家にもなれるはずだ。


「いえ、オレら毎日麻雀やってるわけじゃないですよ。今日も違いますし。ただ、先輩もいたら楽しいかなと思いまして」


「そうですか。まぁどっちでもいいですけど。……ン、ンン。それより、株を見ないといけないので」


 そう言うと、鍵のついた引き出しの鍵を開け、 “ニッケイ新聞”を取り出して読み始める。

 この時間のいつも通り、デスクライトで照らすのは紙面だ。


 経済人のたしなみ――といったところだろう。


 しかし、このネット全盛の時代に新聞の情報だけでよく株で勝てるもんだ。でも、あれってそんなに凄い新聞なのか? 新聞と名乗ってるくせして、それって月刊だって聞いたことがある。なんでリアルタイムじゃない情報で勝てるんだろうな?


 オレが眠ったあとまで熱心に読み続けているみたいだ。しかし、読むときは小ぢんまり体をかがめて壁の方を向いたままのこともあるし、読んでいるところに近づこうとするとブチギレられる。聞いても中身を教えてくれないが、おそらく、これはさぞ貴重な情報が載ってるってことだ。


 書いてあることについて掴めている情報はといえば――以前先輩がいつものように引き出しから取り出す瞬間。見えたのは、フルカラー写真で肌色多めのお姉さん。そして、“肉茎新聞”のピンクか紫かの文字だったな――いつかその全貌を暴いて、オレも億万長者になって……やる……




 ――ハッ!


 今は何時だ! もう消灯してるじゃないか! いかん、目を閉じていたらいつのまにか眠っていたか。


 ……やばい! そうだ、鉄平先輩が待ってるんだった!


 時計についている明かりで文字盤を照らす――10時半前か。


 はあ、よかった。意外と寝てなかった。

 そろそろ皆寝た頃だし、鉄平先輩の部屋に行かないと。


 せめて部屋の電気くらいは自由にさせてほしいが、点くのは壁の足元灯のみ。あとは各自で点けられるところではあるが……この部屋は先輩の壁付デスクライトの暖かい光くらい。


 仕方ない、暗いなかでも準備しなければ。


 いつもの服は、懐中電灯を点けて探そうか。


 じゃあ、その懐中電灯は――デスクライトでぼんやり照らされるなか、棚の上にいつもどおりにあった。


 ――カチッ。


 いきなりLEDの白い光が強く、まぶしい。


 先輩がこちらを無言で睨むが、直接先輩に光を向けたわけじゃない。

 怒られる一線は超えていないもんね。怒ったら先輩の落ち度ですよ。


 軽く会釈だけして、自分でベッドのすぐそばに積みあがっている洗濯済みの洋服の塊を探る。


 ……どこだ。


 ……ない。


 ……おいオレ、こうなるから、日頃から整理整頓しとけって言ってるだろ。


 ダボダボの黒い無地Tシャツ……それと厚手の靴下は……あったあった、ここか。

 分からなくなると思って一緒のところに置いてたのか。意外と賢いぞ、オレ。


 見つかったなら、着替えてすぐに行くだけ。そろそろ部屋を出ないと。もし遅刻でもしようもんなら、鉄平先輩へ日頃の思いを“感謝感激雨あられ”で表現しないといけない。


 今まで来ていた上の服を着替え、靴下も履き、いざ“夜のユニフォーム”に成り代わる。


「先輩、行ってきますね。鍵は開けといてくださいよ!」


 先輩は壁に向いて新聞を読んでいたが、返事は返ってこない。

 ま、そのままにしとけば鍵閉めることもないか。

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