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 その執念は湧く。オレが世の厳しさを感じ入る間もなく、ふたたび布団たたきを振り上げるマザー。


 ……あ、ちょっとお兄さん、ステーキをノソノソ運んでいると絶妙に見えない。というか、まだ運んでいるのか。肉が落ちないよう集中して大事件に気づいていない。


「ヒィッコーシッ!! ヒィッコーシッ!! ……」


 ――ブギッ! ゴベッ! ドガッ!

 ――ベチッ! ボゴッ! バドッ!


 倒れこむガテン系の背中、腰、脚、全身を打ちつけるマザー。

 死体を尚打ち続け、ひたすら呪文を唱え続けている。執念と狂気。


 ――マザーがずっと言ってるのって……“ヒッコーシ”。

 ステーキになるために牛舎から連れ出して“引く子牛”? んなわけあるかってな。


 ヒッコーシ、ヒッコーシ……もしかして――“引っ越し”?


「んだんだ、ユタカ、向こうになんかあるべか? ずぅっと向こう見よるでねぇか。さっきから何か騒ぎよるけんど」


 とすると、この店が出来たことに不満持ってるのか? 慶太郎と同じ……?


「ああ、先輩、何でもないですよ。肉まだかなぁって見てただけです。」


 危ない危ない。先輩があれ見たらますますカオスになって……


「さっさとヒッコーシ、しばくぞッッ!!!!!」


 バボッ! ブリュッ! ボベッ! ペブッ! ドボッ! グべッ!


 綺麗な三三七拍子に合わせ、最後は見事に尻を叩き上げた。


 ――叩かれているケツからやけにねちっこい音がした気が……


 目を手前に戻すと、プレート上の肉のバランスを取りながら、ゆっくり一歩一歩こっちに来ているお兄さん。ようやくこっちへ着きそうだが、もう蒸気は肉から出ていない。初めてここまでのデカ盛りステーキを運ぶんだろう、プレートからはみ出して不安定な塊を落とさないよう、丁寧に、そろり、そろり、一歩踏み出すときも意識して……山〇太郎もびっくりの牛歩。足許には、ツバを吐くのはやめたもののジーっと肉を見上げて付きまとう肉まんキッズ。――あ、急に走り出してマザーのもとに帰っていった。


 このテーブルにようやく着き、丁寧に確認したあと、先輩の前にステーキを置いた。セットのご飯とスープも優しく置いてくれる。嬉しいことに、ご飯の丼がデカい。


 ガキの方を見たあと、ガキの走った方を見やるお兄さん。意外にも冷静に――というよりは冷酷に――その事件現場を目に入れる。マザーは、いまだガテン系を見下ろしたままじっとしている。


「これはねぇ、やっぱり狂ってますよ、あの人は。顔見てご覧なさい。目はつり上がってるしね、顔がぼうっと浮いているでしょ。あれ、キ〇ガイの顔ですわ。これやっぱり処理しなきゃならんでしょうね」


「お、おお……」


 せめて子供の諸悪は親の教育の責任として、本人を責めない優しさよ。お兄さん、あんたわかってるんだな。ああいうマザーみたいなのは、差別とか抜きにしてヤバい人種なんだ。罰すべきは罰す。より良く生きることのできるようになるといいんだが、それにしてもこっちに来るのは遠慮してほしいところ……とにかく、人が飯を食うときに邪魔するやつはみんな悪だってこと!


「はっはっは、あんちゃん、なんか面白いこと言う奴だべな!」


「よっぽどストレス溜まっちょるっぺか! んにゃー、またこりゃデッケェ肉だべな。ゴッツイ塊でねか! けんど、牛の肉っちゅうてもひと塊のこのデカさは見たことねぇ。珍しいし、かっこいい見える肉の塊じゃべ。……おお、閃いた! 名づけて“ドラゴンボール”なんてどうだべ! これ頬張れる思ったら……おらワクワクすっぞ!」


 一礼して他の仕事に戻るお兄さん。本当に災難なお仕事を選ばれたこととお察しします。


 先輩は、肉の匂いを深呼吸したあと、ステーキにソースを掛けるわけでもなく、フォークも使わず手掴みでむしゃぶりついた。


「ンガ……アグ……んーめぇなあ!」


 顔は油でぐちゃぐちゃ。これも平常運転なので特に言うことはない。


「鉄平さん、これソース使うといいっすよ。ほら、胡椒とかもあるっす」


 テーブルにある小皿に、備え付けのソースや調味料を取り先輩のもとへと渡す慶太郎。


 肉、肉、飯、肉、時々スープ――なんちゅう食い散らかし方。


「おお、ケェタロ、おめぇ気が利くべな」


 ああ、慶太郎が別々の皿に取った調味料を一気に肉にかけてしまった。あんなにごちゃ混ぜにして。味もぐちゃぐちゃだろうに、むしゃむしゃ食い続ける先輩。


 とはいえ規格外にデカい塊なもんで、これだけ食べてもなかなか減らない肉。おかずの食べる量を制限される寮のメシを考えると、たまらない贅沢だろう。早くオレも食いたい。


「――うわわぁぁ! な、なんだお前は! せっ、先輩、大丈夫ですか!」


 呑気に考えていたところ、テーブルから食器を下げて厨房に入ろうとしたスタッフが事件現場を見て叫んでいるんだ。そうか、一般ピーポーにとっちゃ、米粒まみれでぶちのめされた人を見たらびっくりもするか。


「て、てて、店長、来てください! せ、先輩が、ヤられました! 救急車! 誰か、救急車!」


 あれならたかが気絶。なに騒いでんだ。放っとくか水に顔突っ込んどけば目も覚めるだろうよ。


 ――タンッ!


 すると、襖の閉まる音がかすかに聞こえた。店の奥だ。個室でもあるのか。


「あんだあんだ、なぁに喚いてんだ! 大事な会食ってわかってんかワラァ!」


 こんな客層だ。“お偉方”のお気に召さなかったか?


 ん-、どんな顔してんだ。衝立の向こうで顔は見えないが、チョンマゲが浮き沈みしながら現場に近づいてきた。


 お、あんな顔してんのか、優しそうじゃんか。


 衝立の影から、マゲから下が全部現れた。

 真ん丸に肥えた顔、細い目、背は低い、小太りでずんぐりむっくり――あれは外壁のガンマンだ! ほんとにステーキをドカ食いしそうだな。笑ったら腹と頬の肉を揺らしてめちゃくちゃ優しそう。この人の作るメシは当たりに違いない。あの絵、店長の特徴つかんでて上手かったんだ。


 ――あれ、よく考えたら、さっきの口ぶりで店長やってんのか? 客も……満席レベルでいるのに。


 先輩は……目の前の肉に夢中で何も聞こえなくなってるな。


「なあ慶太郎、あれがここの店長らしいぞ。見てみろよ」


「……ああ、知ってるよ。実はさ、彼、父さんの会社の部下だったんだよ」


「え、そうだったのか!」


 あれが、和瀬本に勤めていたのか。


「じゃあ、この店もお前のところなのか?」


「いいや、彼が会社辞めて独立して、この店を開いたんだよ。だから、ウチとは関係ないね」


「関係ないって言ったって、自分で店開くなんて、さぞ優秀なんだろ?」


「優秀というより強欲極まりないのさ。父さんが嘆いてたよ。まあビジネスマン同士、利害関係が合わないことも多くなるから仕方無いことも多いんだけど」


「え、そうなのか。なんでチョンマゲは会社辞めちゃったんだ?」


「ユタカ、そういう細かい話、こういうところで言うもんじゃないんだぞ?」


 おっと、つい調子が良くなってしまった。


「おい、おばさん! なんか言ったらどうだ! またしょうもないイチャモン付けに来ただけだろうが! 金は要らねぇ、はやく帰れ! お縄になりてぇのか!」


 スタッフや店の雰囲気はこのチョンマゲ由来なのか。


 ――あー、またマザーが顔紅くして震え上がってきた。だめだこりゃ。


「フンッッ!!」


 マザーが突然に、布団たたきを頭上に振り上げる。そして……また停止した。


「あんたが何と言おうとウチは動かねぇんだからな? ふざけた真似はよして引き下がれっ」


 ああ、その布団たたきに手を伸ばしたら……


「ヒィッコーシッ!!」


 ――べチッ! ボゴッ! ブグッ!


「おわッ、てめッ、この野郎ッ、何やってくれてんだ!!」


 お、スタッフと違って反応いいね。さすがマゲを結うだけある、毎日無刀取りでもしてるんだろ。でもマザーも素早い。丁髷に布団たたきをつかませない。なかなか強者同士。


 休む間もなくマザーが振り下ろ……あ、フェイントして筋を変えた!


「ヒィッコーシッ!!」


 ――バゴッ!ゴゲッ!ビジッ!


 すげぇ、腕をへし折ってしまいそうだ!


「いでッ、やめッ……うわーッ!」


 肥満特有のわちゃわちゃした腕の動き。あーあ、殉死したスタッフの残骸に足ひっかけてコケちゃってるじゃないか。足許の確認だけは怠っちゃだめだよ。対人接近戦の基本もなってない。これは勝負ありだな。


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