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ひとつ屋根の下

 むわっと暑い空気。にじむ汗。蚊に喰われて脚もかゆい。


 せっかく風呂入ったのに。


 昼間は球拾いと走り込み、夜は先輩の分まで食器洗いにユニフォーム洗濯、最後は点呼待ちで無言で直立不動って……オレは野球をやるために来たんだぞ!


 中学までレギュラーを張ってきて、野球には自信があった。4番を打っていたし、ピッチャーだって出来る。それなのに、高校に入った途端に、実力を見られる機会も無く「1年生はそういうもんだから」と雑用に回される――屈辱この上ない。オレはこんなもんじゃないのに!!


 ああ、考えるだけでイライラする。

 身体中がムズがゆく、熱くなる。


 ふと鈴木先輩の方を見ると……真っすぐ前を向いている。微動だにしない。

 すごい目つき。何が見えているんだ?


「先輩、暑くないですか?」


「……」


 そんなに見たって、壁しかないのに。


 それと、この人だけスポーツ刈りなのズルい。左に顔を向けたらコケシが並んでいるのに、右を見たらただの高校生の兄ちゃんがいる。頭がわさわさなのはこの人だけ。なんで許されるんだろうな。オレなんて、ちょっと横を薄く刈っただけでボコられたのに。野球が上手すぎると何かと免除されるの不平等だと思います。


 ブタ野郎は……まだあんなところか。相変わらずノソノソやりやがって。

 ウチの部屋まで、まだまだ遠い。


「はぁ」


 どれだけ待てばいいんだ。もう結構な時間になるだろ。今日は特に遅い。


 向こうのほうは、点呼の早い部屋から順に、部員が自分の部屋に戻っていく。

 あいつらも待たされていたとはいえ、羨ましいもんだ。もうエアコンをガンガン効かせた部屋でゴロゴロしているんだろう。オレも早く部屋に入りたい。ひとまずゆっくりしたい。




 しばらく待って、ようやくウチの角部屋までブタが向かってくる。


「ふー。えーっと……最後だな」


 来た――!

 こいつにイライラしちゃいけない、イライラしたら負けだ。


「はい、最後の30号室はっと……えー、鈴木さんっ、本日もっ、お疲れ様でございますぅ」


「うっす。お疲れ」


 これ完全にナメてるでしょ。

 ほんと鈴木先輩、なんでそんな真顔して答えられるんですか。


 ブタは脂いっぱいのほっぺたで会釈し返す。


「それと……尾坂だな」


 なんだ、その目使いは? 散々人を待たせて楽しむ、この畜生めが!

 顔つきを見ただけでわかる、こいつと関わる誰もが幸せにならないだろう性格の悪さ。この若さのうちからそんな顔つきになるって……不幸なやつだな。


「うっす」


 耳をピクつかせ、ジロリとこちらを見上げるブタ。オレの生返事が癪に障ったか。


 ニヤリ、右の口角が歪む。


「あれ?尾坂くん、どうかしたかな?返事は“はい”じゃなかったかな?」


 再び手もとのリストに目を戻し、丸を一列につけはじめる。

 もちろん、こいつがまじめに項目ごとに検査するわけがない。


 何を考えているのか、口角が上がり出すブタ。書き込んだまま話しかけてくる。


「まさか、ねえ。ストレス溜まってるからって、大先輩に八つ当たりする……わけないよな?なあ?」


 大先輩? おまえが? 何を調子に乗ってんだ?

 どこまでもオレで面白がるこいつ。


「鈴木さんは、さすがイチ流の態度でお待ちあそばすというのにねぇ……」


 こいつの横柄な態度にはうんざりしてきたけど、今回もやっぱり腹が立つ。


「君も後輩らしく、素直に見習おうな、尾坂くん」


 脂ぎった顔をまたこっちに向ける。


 こんなやつでも、監督と仲がいいってだけで優遇される村社会。どれだけ歪んだところなんだ、この野球部は。大会で勝ち上がれるのも、鈴木先輩とかほんの数人の力のおかげじゃねえか。実態は腐っている。


「はあ、君の体調の欄、“精神不安定”って書いといてあげるから。安心してくれていいからな。俺も先輩としての“オヤゴコロ”ってやつで言ってるんだ。愛なんだわ。だからねぇ、そうカッカするなぁ……な?」


 こいつ、本当に書き始めやがった。


 マジマジと見るほど、破裂するまで締め上げたくなる顔つき。性格の悪さがそのまま脂肪になったような肉のつき方だ。その膨れ上がった顔、真っ平になるまで踏み潰してやろうか?


 ――ん?


 急に、右の脇腹を小突かれる感覚――鈴木先輩だ。


「…………」


 お、おう……何かをオレに伝えようとしてるのはわかる。えらく並々ならぬ思いのようだ。その目線、レーザービームみたいにまっすぐだもん。でも目線だけじゃ何を言ってるかわかりませんよ――いや、だから先輩、頷かれてもわからないですって。


 鈴木先輩の顔を見るといつも思う。この人、少し“そっちの気“があるだろ。言葉で表現しにくいけど、口回りと目元の筋肉見てると、やっぱりそうなんだと思う。ま、だから狂ったように練習できるのかもしれんが。


 ……ふっ、鈴木先輩にはにらめっこで勝てない。

 いかんいかん、この人こそ偉大な先輩、数少ない良心……まだマシな人だな。一度自分のなかでイメージが汚れると二度と戻らないからな。

 んん、この人の顔を見ていたら怒る気も抜けてしまった。


「尾坂くーん、いいね? 鈴木先輩のほう見て、何かあったかな?」


 いかんいかん、こいつをイナすのが先だ。

 結局何を伝えたいのかわからないまま鈴木先輩に頷き返し、ブタに向き直る。


「い、いえ。何でもないです。点呼、お疲れ様です。おやすみなさい」


 ……オレを見下して満足したか?

 視線を切る表情も気持ち悪いこと。やっぱり腹が立ってきた。


 パンパンに張った腹回りの肉を揺らし、右脚左脚、ズンズンと動かし歩いていく背中。

 ロクに筋トレもしないくせして「食トレだ」とか言って蓄えまくったその贅肉、後輩に示しがつかんことに気づかんのかな。野球人として、さすが“大先輩”だ。


 ふと、改めて思い返す。一日の終わりにまで気分の悪くなるこの点呼といい、腐れた先輩といい、そろそろ我慢ならんな。オレはこんなチンパンジーを相手してやるためにここに入ったわけじゃない。ここに入ってきたのは野球やるためなんだぞ!


 不満は高まるばかりだ。




 ――はあぁぁぁ、やっと部屋でゆっくりできる。

 ずっと直立してたから伸びると気持ちいい。


 やっと涼しい部屋で美味い水を飲めるんだ! 本当はアベシコーラを飲みたいけど。


 ガチャリ――振り返って、部屋の重い扉を押し開く。

 ふっと涼しい空気が漏れ出て、中に入るまま体を包まれた。他の部屋より室温が高めとはいえ、エアコンもない廊下から来ると生き返るもんだ。


「ふーっ」


 今日も一日終わった。


 扇風機も点けて、壁にもたれかかって足も伸ばして、最高に気持ちいい定位置に座る。

 あー、なんも考えたくない。でも後があるから、眠らないようにだけはしないと。

 ケツが筋肉痛だと座るのもしんどい。こりゃ明日は脚まで筋肉痛になるな。だいぶ疲れがたまってる。


 あ、米粒がカーペットにこびりついてる。


 ……うわ、点呼だけで30分も経ってるじゃねえか。

 時間が溶けるのがいやで、時計を見るのが怖くなる。


 ん? ふと鈴木先輩の様子を見ると荷物置き場をガサゴソ探っている。

 あ、もしかしてさっき届いた段ボールを開けてるのか? 段ボールが来たときすごく大切そうにしてたし、そういえば、届く前からずっとソワソワしていたな。何がそんなに楽しみなんだろうか。親御さんが送ってくれたのかな。


 ベッドと壁の間に上体を入れ込んで、先輩の脂肪の無いケツがこちらに向く。さすが先輩、高校生でこのケツはなかなかいない。引き締まった筋肉、アスリートの手本だ。そりゃプロの目にも留まるわな。


「先輩、何を探してるんですか?」


「……うっし」


 探し物が見つかったのか。ベッドから四つん這いの足を下ろし、肘で上体を戻しながら体を起こし、左回りにこちらを向く――


 その両手で丁寧に持っているのは……深い紺色の、箱だった。


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