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エキストラ  作者: KuKu
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第1話 軍人の話

名もなき軍人と眠れないジョン・ワトソンの小噺

アンタ、死んだ人間を見たことあるか。俺はあるぜ。そりゃもう数えきれねえほどな。てめえで拵えたこともある。それも数えきれんほどだ。俺あ、軍人だからな。軍人の仕事がなにか知ってるか? 瓶詰め工場で働く連中と同じさ。起きてクソしてただ作るんだ。死体をな。

 俺が所属していたのは第五ノーサンバーランド・フュージリア部隊だった。いくつかの旅団を経験し、最終的には六十六バークシャー連隊に落ち着いた。とはいえ、どこに居ようとやることは変わらねえ。俺は射撃の腕がすこぶる良かったから、いつも肩にライフルを担いでた。前線で走りまわり無駄死にしてゆく連中より幾分かマシな待遇だったつうことだ。おかげで今もこうして五体満足のまま、カムデン・タウンの寂れた埠頭でエールを啜ることができているというわけだ。まわりを見りゃがらんどうの倉庫だらけで人間の気配なんざこれっぽっちもねえ。こういうとこが落ち着くのよ。ひとが多けりゃどうにも警戒しちまうからな。俺を殺そうとするやつが混じっているんじゃねえかって。


 人員不足だか、作戦上の理由だかで隊を移るやつはたびたび居た。中でも俺は多いほうだったんだろうが、やれどの隊から来ただのあの隊の飯はマズいだの言っている連中の話を聞くとさほどめずらしいことでもなかったんじゃねえかと思うね。その証拠に、俺が六十六バークシャー連隊に転属となったときも異動したのは俺だけじゃなかった。俺含めて兵士が数人、それと軍医がひとり居た。仲間内じゃ「ドク」って呼ばれててよ。名前はたしか、あー、いや、すまねえ。おぼえてねえな。ドクはドクだ。なんせまともな医者―もちろんこれは大学で博士課程まで修めて軍に来た気狂いって意味だぜ―はそいつひとりだったから、あえて名前で呼び分ける必要もなかったんだよ。

 ドクは人好きのする男だった。いつもまわりに誰かしら居た。仕事中はまあ部下やら患者やらナースに囲まれていて当然だろうが、一日を終えた夜さえもやつの隣には誰かが座った。どこからかくすねた酒瓶を振って『ちょっと飲みましょうぜ、ドク』なんて言う輩が大勢居たのさ。俺か? 俺はそんなことしてねえよ。医者には縁がなかったし、軍人を名乗る民間人ほど腹立たしいものもねえ。だが、やつの姿は嫌でも目につくからな。話したことがなくともやつのことは誰でも知っていた。その理由は隊唯一の医者だったから、というだけではなかっただろうな。

 俺がやつと初めてまともに会話したのはいつだったか。あー、日付まではおぼえちゃいねえが、夜だったのはたしかだ。俺は酒を飲んでいて、真っ暗の空を雲が隠して星どころか月さえなんも見えやしなかった日だよ。ジンのボトルを半分ほど空けたときに、たまたま「お医者さま」が野営テントからふらふらと出てきた。中からはまだ若い衆のどんちゃん騒ぎが聞こえていたから、ちょっとばかし風に当たりに来たというところだろう。

 ドクは俺の姿を見つけると俺の名前を呼んだ。そりゃ驚いたよ。ひと言も話したことがねえのにあの先生ときたら、全員の名前をおぼえてやがったんだぜ。

「おや、きみは酒宴には加わらないんだね」

 ドクは俺の都合もかまわずずかずかと軍靴を踏み鳴らしてこっちに歩いてきた。ブーツのソウルで荒らされた場所から砂が舞って、風下に立っていた俺の口ん中を不快にジャリジャリさせた。俺は人付き合いの好きなほうじゃねえし、気の長いほうでもなかったから、黙って思いきり睨みつけてやったよ。だが、やつは欠片も怯まなかった。それどころか当たり前のように隣に来て「ひと口くれないか?」なんて俺を見上げてくる始末だ。さっきまで飲んでたんだろ、だとか返したらなにがおかしかったのか口元に手を当てて笑っていやがったよ。

 しばらくのあいだ、俺たちはなにも喋らずただ交互にジンを傾けた。腐っても「お医者さま」だ、負傷やら病気やらで死にかけたらやつを頼るしか選択肢はねえ。だから俺はやつに酒を寄越せと言われて無碍に断るなんてことはできなかった。まあ、そんな口実で俺は横に他人が居ることを許すことにしてやったというわけだ。

 どれくらい時間が経ったか。アルコールを一気に煽ったドクが、ボトルを俺に手渡しながらぽつりと言った。まさか傍らの男が喋るとは思っていなかった俺は聞き取れずに聞き返した。やつは大したことじゃない、みたいなことを言った。そこで、ひさしぶりに目があった。それこそやつが俺に酒を所望したとき以来のことだった。

「この場所で飲むのがあまりに心地良かったから、思わず口からこぼれただけだよ。今夜はどうにも酔えなくてね。せっかく貴重な酒なのに損している気がする。なんていう、ただの愚痴さ」

「なにかあったのか」

「別になにも。今朝、南でゲリラ兵との小競り合いがあっただろう。十六人負傷者が運ばれてきて、そのうち一人はテントに辿り着く前に死んだ。それから、治療中にまた二人が追加で死んだ。いや、ぼくが初診で助かる見込みはないと見限った。野営病院の限られた設備で治療するには彼らの傷はあまりに深く、出血量も多すぎた。ベッドに寝かされてから一時間半もたなかったよ。彼らとは何度も一緒に酒を飲んだ。ふたりとも、良い兵士だった」

「いつものことじゃねえか」

「ああ、そうさ。だから最初に『別になにも』と前置きしただろう。そう考えると、もしかしたらこのぼくは、この地に来てからどれだけ飲もうと酔えていないのかもしれないね」

 ドクが笑った。さっきのアレとは違う、自分自身を自嘲するような笑い方だ。やつは言うだけ言って去っていった。出てきた酒盛りテントではなく、自分の寝室へと帰っていった。

 やっぱり弱いやつだった。俺はつぶやいた。軍人を名乗る臆病で覚悟のない民間人ほど腹立たしいものはねえ。ボトルを煽ったらすでに空っぽで、俺はさらにあの男が嫌いになった。


 生憎俺は左利きだったから、刺されたのが左腕だとわかったときは正直この世の終わりだとさえ思ったね。両手じゃなきゃライフルは撃てねえ。利き腕じゃなきゃ銃は撃てねえ。訓練するには時間が足りねえ。ならば、前線に出てぶざまに走りまわるしかねえ。犬死なんて絶対ゴメンだね。このまま死んじまったほうがいい。そうとさえ考えた。幸い傷は浅かった。どれもこれもただの杞憂に終わったつうことだ。

 目覚めたらやたら白いテントの天井が見えた。背中を預けていたのは俺がいつも転がってる薄汚いそれじゃなく、野営病院に設えられた簡易ベッドの上だった。外の光がこっちまで届いて暑い。俺が潜伏していた卑怯者に刺されたのは夜戦のときだったから、少なくとも六時間以上は眠っていたことになる。軍服は脱がされ、左腕にはきつく包帯が巻かれていた。血の滲む布地の向こうでじくじくという痛みだけが残っていた。

 言うこと聞かねえ身体をなんとか首だけ動かして周囲を見まわした。痛みに呻いているのは俺だけじゃなかった。昨夜はこっぴどく仕返しにあったようで、ベッドに寝かされ息をしている兵士の他にも床で事切れている連中が数人居た。そいつらの担架には布がかけられ、仲間の手で運ばれる順番を待っていた。朝になっても作業が終わってねえことはまあ、結構な人数死んだんだろうな。

 俺は右腕を伸ばし、通り過ぎようとしていた白い布を掴んだ。そいつは驚いた顔で数秒固まり、それからだらしのない顔で笑った。

「今夜は酔えねえな、ドク」

「ああ。いつものことさ」

 そういや、俺があいつのことを「ドク」と呼んだのはその朝が始めてだったかもな。


 そのあとは特になにもねえ。二週間もすれば俺は戦線に復帰して、またライフルを握る日々に戻った。二日に一度は野営病院のテントに通わなきゃならなかったのは面倒だったな。ためしに一日すっぽかしてみたらもっと面倒なことになった。それ以来、律儀に通ってたぜ。

 ドクも相変わらずだ。人好きのする男で、いつもまわりに誰かしら居た。仕事中は部下やら患者やらナースに囲まれていて、一日を終えた夜さえもやつの隣には誰かが座った。どこからくすねた酒瓶を振って『ちょっと飲みましょうぜ、ドク』なんて言う輩が大勢居たのさ。やつは誘いに全部乗っていた。よくやるぜ。酔えねえくせに。酔うつもりもなかったくせによ。

 俺か? 俺はそんなことしてねえよ。医者には縁がなかったし、軍人を名乗る民間人ほど腹立たしいものもねえ。だが、勝手に居るぶんには許してやった。俺のジンを勝手に飲むのも、まあ、許してやらんこともなかった。




 世間ではあの出来事を「マイワンドの戦い」なんて呼んでいるそうだな。偉い連中はむやみやたらとたいそうな名前を付けたがる。きっと名前をつけてファイルにでも綴じたら全部過去のモンになると思ってやがるのさ。まったく、おめでたいやつらだねえ。自分らの失態に蓋をすることにかけちゃ一級の職人だよ。

 多くの敗北がそうであるように、あれは「戦い」なんていう高潔な文字じゃなかった。虐殺、悲劇、あるいは地獄絵図。色々な言いまわしを使ったが、要はほとんど死んだっつうことだ。

 俺は目をやられてな。左は完全に潰されて、右は砂ぼこりでほとんど見えなかった。地べたへぶざまに転がって、結局コレかよと思ったね。銃はどっかに行っちまったし、ナイフもさっき最後の一本を敵兵にプレゼントしちまった。これでも結構がんばったほうだと思ったんだがな。あっちのほうが圧倒的に数も統率力も上だった。おかげさまで兵はちりじり、野営地まで攻めこまれて、戦場ほっぽり出して逃げたやつらも追いかけられて殺された。俺のまわりにも大勢血まみれの英国兵が転がってたね。いつだかの野営テントを思い出した。だが今回は、顔に布をかけてやるやつはひとりも生きちゃいなかった。

 なあアンタ、死を前にしたとき人間はいったいなにを考えると思う? 神に祈るか。まあそうだ。死にたくないと足掻くか。あるだろうな。もしくは、ようやく迎えが来たと安堵するか。それもまた一興だろうよ。愛する者の顔。幸せだったころの思い出。未来への展望。綺麗事だねえ。この世への呪詛。俺は好きだがな。なにも考えない。ああそうだ。ひとそれぞれあるだろうよ。

 俺はな、世界一どうでもいいことを考えた。乾いた異郷の地で、砂のジャリジャリした感覚を舌で味わいながら、昨日食った干し肉がやたら美味かったことを思い出した。鉄臭い血のにおいと炎天下で焼かれる仲間の死体と、猿めいた勝利の雄叫びを聴きながら昨晩くすねて飲み損ねたボトルを悔やんだ。治ったはずの傷がまたぱっくり開いていて「あのヤブ医者め」と思った。それから俺は首だけまわして、辛うじて見えているほうの目玉で周囲の様子をうかがった。その日俺が配置されていたのは限りなく作戦基地に近い後方部隊で、俺たちの後ろには野営テントしかなかった。ははーん、どおりで赤い服を着てねえ死体が多かったわけだ。俺は納得した。スッキリした。

 さて、死ぬか。そう思ってまた目を閉じた。犬死はゴメンだと思っていたが、実際こうしてぶち当たってみると悪くねえ。空も青かったしな。俺はロンドン生まれだから貴重だよ。


 一分、いんや、二十秒くらいだったかな。俺の耳がなにかを拾った。物音だ。砂利道を這いずるヘビみてえな、風に持っていかれるタンブルウィードみてえな、小さいが異質な音だ。

 俺はどうにか片目をこじ開けて、音のする方向を見た。数ヤード先に紺色の軍服が転がっていた。肩から背中にかけて血まみれで、風穴の空いた腿から下が今にも身体から引きちぎれそうにねじ曲がっていた。だが、生きていた。生きて、動こうという意思があった。そりゃ驚いたよ。半径十ヤード以内で自分以外にまだ息があるやつがいるとは思わなかったからな。しかも俺の見知った顔ときた。さっき頭ん中で濡れ衣を着せたのを後悔したね。この痛みは傷が開いたわけじゃねえ。さっきおんなじところを刺されただけだ。

「       」

 俺は叫ぼうとして、声が枯れちまってることに呻いた。なんとか腕を伸ばそうとして、身体が言うことを聞かなくなっちまっていることに腹が立った。腹ばいに横たわったドクの後ろには英国兵をひとり残らず根絶やしにしてやろうという輩がまだうろついていて、やつらがドクに気付くのも時間の問題だった。

 今思うとよ、俺はなんであんなことしたのかね。たった数回酒を飲んで、たった一回手当てをしてもらっただけの相手になのによ。俺のほうが何人も敵を撃ち殺していたし、戦場で華を持つのは兵士であり、そうやって手柄を立てた連中こそ生き残ってしかるべきだろ? だが、やっちまったモンはしょうがねえ。後悔が追い縋ってくるころにはもう俺は反射的に起きあがっちまっていたし、起きあがっちまったら動くしかなかった。

 俺はなるべく姿勢を低くして近くの死体に這いずり寄った。懐とズボンをあさってハズレを引いて、また別の死体まで這いずった。ようやくリヴォルバーを手にしたときにはもう、ゲリラ兵がドクのすぐそばまで迫っていた。弾は五発。敵は五人。というかこいつ、一発も撃たずに死にやがったのか。俺のためにご苦労さん。

「     」

 俺は叫んだ。次はちゃんと声になった。やつらが俺に気付いて、各々流行乗り遅れの武器をかまえて襲いかかってきた。俺は射撃の腕がすこぶる良かったから、五発もありゃ充分だった。


 視界の端でひとりの看護兵がドクのもとに駆け寄ってきた。そのままドクを担ぎあげると、銃を握る俺にぺこりと頭を下げて、彼方へと走っていった。

 そこで俺の役目は終わった。さて、死ぬか。なんてことをまた思ったね。不運にもこうして生き残っちまったわけだが。まあ、悪くねえよ。帰ってきて思ったが、やっぱり俺にとっちゃロンドンの曇り空が格別だ。は、おもしろくもねえ話だったろ。



 …………なあおい、アンタの持ってるそれ、もしかしてドクの書いた本か?

 俺は字がからきしでね、話の礼に読み聞かせてくれねえか。ちっとは楽しく酔えるようになったのか、それだけが気がかりだったんだ。


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