素晴らしき温泉
「宮本君のお陰でいい施設が完成したわ」
「いや。ミルクの努力の賜物だよ」
「本当に謙虚な人ね」
「愛する人のためなら何でするって言っただろ?」
「ホント?」
「ああ、本当さ!」
「じゃあ、キスして」
二人の顔が急接近し、ミルクは瞳を閉じた。
そして……。
「三次、そろそろ行くよ。いい加減に起きて」
額をビシッと叩かれて目が覚めた。
タ、タイミングが。あと1分だけでいいから寝かせてくれ!
夜の18時過ぎ。ラムの暴君に不満タラタラで現地へ向かった。
ミルクさんとは19時待ち合わせで本来なら瞬間移動であっという間だ。しかし俺はバカ以外の特殊能力を持っていないため時間を要する。
「なんで瞬間移動出来ないのよ」
「俺はチージョ星人じゃねぇんだ!」
「クルマイスで移動するのは時間がかかって面倒なのよ」
「それしか方法がないんだからしょうがないだろ」
「まったく。地球人って役に立たないわね」
「じゃかましい!」
言い分は分からなくもない。僅か0.1秒で現地に到着出来る者からすれば、1時間以上かかる道のりをチンタラ走るのは気が滅入るだろう。
彼女らにとって移動時間は無駄でしかない。移動に労力を費やす事自体が意味不明の行為である。その時間を別の事にさけば有意義に過ごせるだろう。二足歩行しか出来ない地球人を連れて行くのは厄介以外の何ものでもない。
「おいラム。そんなに飛ばすな。夜道で危ないから」
「のんびり走ってたら時間に間に合わないでしょ」
安全ベルトが付いているので飛ばしても問題はないのだが、辺りは真っ暗である。この辺は住宅もなくだだっ広い草原だ。人が外を歩くという前提で作られていないため、薄明りどころか街頭すらない。
さらに、チージョ星には月がない。地球では天気の良い日は月明りが煌びやかに輝き、幻想的な夜を演出してくれる。夜道でも頭上のお月様が照らしてくれるので割と安心感がある。
ところが、この星は夜になると漆黒の闇と化す。何かの口の中なのか?と思うほど何も見えない。
唯一の明かりは満点の星空。無数の星々がライトの様に煌びやかに輝いている。周りが暗いから特に綺麗に見えるのだろう。
「手が届きそうなくらい近いなぁ~」
無数に輝く星の1つ1つに生命があり、みんなが仲良く暮らしている。今頃夕飯の時間かもしれない。朝起きて文句を言いながら学校へ行ってる奴もいるだろう。恋人とチュッチュしている者もいるかもしれない。そう考えると自分が如何にちっぽけな人間であるか実感する。
宇宙って本当に偉大だ……。
それにしてもよく飛ばす。風景が見えないのでどれ位のスピード感か分からない。ただ、スタート時よりも風圧が大きく、肌を突き刺す風がビシバシ痛い。
「おい。何キロくらい出てるんだ?」
「さあ、450キロくらいじゃない?」
「よ、450キロぉぉ!?」
「まだ遅いわよ」
新幹線より速いスピードである。しかも生身の乗車だ。例えて言うなら、先頭の鼻先に括り付けられてトンネルの中を走行しているようなものである。
「遅くねぇよ。もっとスピード……」
ガサッ。ズサササッ。
俺の太ももに何かが触れた。
「何かに当たったぞ」
「森だからじゃない?」
「も、森ぃぃ~。今、森の中を走ってるのか!?」
「そうよ」
「ってか、見えるのかよ」
「見えるわよ」
「マジで?」
俺の目には闇しか見えない。チージョ星人は夜目が利くのだろうか。猫のように目玉がシュインと大きくなり、昼間のように明るく見えるのだろうか。もしくは目に暗視カメラが装着されているとか。
俺の不安をよそにイライラが蓄積するラム。
「おい。落ち着け」
「もう我慢できない。もっと飛ばすわよ」
「ち、ちょっと待て」
「待てないわよ!」
そう言うと更にスピードを上げた。
ガスッ。バスッ。ザザッ、ザザザッーー。
「ひぃぃぃぃーーー」
葉の擦れる音が鼓膜を刺激し、太ももをガサガサと掠める得体のしれない何か。目隠しプレイされてるようでめちゃめちゃ怖い。
あっ、イテェー。いま何かに当たったぞ。
と、止めろ。妖怪猫娘!
いやぁぁぁーーー。せ、精神が崩壊するぅぅ。
時速500キロ超で爆走し、闇の戦慄に口から泡をふいて白目をむいた頃、暗闇から眩しいくらいの明かりが見えた。
「ああぁ、光が……」
いままで明かりがこんなにも素晴らしいと思った事はなかった。
闇は精神を崩壊させ心と体に恐怖を植え付ける。光は人の心を温める最強のアイテムである。
心の底から安堵し、生きている喜びをかみしめていると。
クルマイスは何の予告もなくビタッと急停車した。ベルトのお陰で飛び出す事はなかったが、停車の衝撃で体が前方へ持って行かれ、腹に安全バーがめり込んだと同時にラムの後頭部に頭突きをした。
「痛ったぁぁーーい。何すんのよっ!」
後ろ頭を押さえて怒り出したラムは、俺を和太鼓のように乱打した。
もうどうでもいい。
しばらくこのまま放っておいてくれ!
後部座席で生ける屍になっていた俺の元へミルクさんが声をかけてきた。
「お久しぶり、宮本君」
「あっ、ミルクさん。お久しぶりです」
「わざわざ来てくれてありがとう」
「いえいえ。ミルクさんのためなら地獄の底でも行きますよ」
恋人の顔を見るだけで力がみなぎり背筋がシャキッとする。光と愛は人を癒す万能選手だ。
隣で死神が未だに頭を押さえてふてくされていたが、そんな奴に構っている暇などない。俺はこれから天使としっぽり戯れるのだよ。
「チージョ初の温泉はどう?」
自慢気な表情で施設を指した。
ついこの間まで瓦礫の山だった場所が整地され、球体の大型ドームが2つ建ち並んでいた。
全体的に薄透明な肌色を基調としていて、所々に緑の波打った模様がアクセントとして描かれていた。ミルクさん曰く、人と水のコミュニケーションをイメージしたという。チージョ星の海は緑なので波打つ模様も緑である。
施設の周りを取り囲むように色とりどりの草花や木々が植えられていた。近くには川が流れていて、温泉らしい湯けむりが立ち込めていた。これは地球の温泉街を参考にして作り上げたらしい。
それらをライトアップする事で幻想的な雰囲気を演出していた。
看板や装飾類は一切なく、ツルンとした無機質で質素な外装。そこに川や森など人工的な自然を作り上げ、「山奥にひっそり佇む温泉」そんなコンセプト目指した。
「素晴らしいですね」
「本当に?」
「はい……」
瓦礫の山に川や森を作り出すのは容易ではなかったと思う。長い時間と沢山の人々の支えがあっての賜物である。ミルクさんの情熱も伝わる。人が一所懸命に精魂込めて作り上げた物にケチをつけたくはないけど。
三百歩譲ったとしても俺の目には巨大なおっぱいにしか見えなかった。しかも最上部に煙突みたいのが飛び出していて、そこから湯けむりが……。
10万光年の差が美的センスまで変えてしまうのだろうか。ここに来る途中、森の中から突如現れた物体を見て「おっぱい!」って思ったもの。
俺は紳士なのでそういう事は言わないけどね。
「さっそく中へ入ってみましょ」
「俺は同化出来ないので中に入れないのですが」
「大丈夫。非常用の入口があるから」
裏手に回り、ボイラーが設置された非常用入口から内部へ案内された。
室内は地球の温泉そのものだった。岩風呂あり、タイル風呂あり、木材で出来たヒノキ風呂的なモノあり、サウナあり。もちろん露天風呂も。俺がよく目にする温泉施設そのものが広がっていた。
「よくここまで完成させましたね」
「情報が少なくて大変だったけど、ようやくって感じね」
「一から作り上げるなんて凄いですよ」
「グランドリバー・ミヤモトを参考にしたの」
「あんなボロ温泉なんか比べ物になりませんよ。こちらの方が数倍いいです」
「本場の人に言われると自信持っちゃうなぁ~」
「胸を張っていいと思いますよ」
「宮本君って褒め上手ね」
嬉しそうな、しかも安心した表情でホッと一息つくミルクさん。各所を回りながら「これが岩風呂で、これがジェットバス、これが……」と、1つ1つを丁寧に説明してくれた。
「そしてこれが自慢のサウナよ!」
木材で出来た扉を開けるとムワァ~とした灼熱の空気が流れた。板張りの壁面に段差になったイス。中央に設置された大型ストーブ。パパとラムが本気で挑んだ傑作品が狂おしいくらいの熱を発していた。
炎天下にストーブを小脇に抱え、人々の冷たい視線を浴びた。ラムが火傷を負い、慌てふためいてチージョ星へ駆けつけた。バカ2人に捕まってメントール刑に服されそうになった。
サウナを見ているだけで、そんな心温まる思い出が蘇った。
ちょっと手伝っただけの俺でも感無量で涙が出そうなのに、作った本人からしたら言葉に出来ないくらいの気持ちであろう。
ここまでの道のりは本当に大変だったと思う。何もない所から説明し、人々を納得させる事から始めるのだから想像を絶する苦悩である。
未知なるモノを理解させるのが一番難しい。もちろん反対意見もあっただろう。否定的な意見も浴びせられただろう。それでも諦めなかった結果、いまこうして成果が出たのだと思う。
目の前の温泉には多数の人が笑顔で浸かっていて、みなリラックスしている。
岩風呂でくつろぐ者。サウナで汗を流す者。露天で星を眺める者。それぞれが思いのままに温泉を満喫していた。
行列とまではいかないが、外は順番を待つ人で溢れかえっている。老若男女が生まれて初めて経験する「待ち時間」を暴れることなく静かに楽しんでいた。
チージョ星初の試みは大成功だった。
ミルクさん。あなたの根性に脱帽です!
「ところで、みんな水着を着用してますが」
「そうなのよ」
こればかりは反対意見が多く、裸での入浴は取りやめになったらしい。
人前で裸になるという習慣がないチージョ星人は、たとえ温泉であっても裸体を晒すのは抵抗がある。なので水着着用がルールになったんだとか。
「本当は裸の方が気持ちいいのにねぇ~」
「そうですね」
「こればっかりは経験しないと分からないわね」
2人でしんみりしていると、ラムが俺の肩をポンポンと叩き、厭味ったらしい視線を送ってきた。
「残念だったわね」
「何がだよ」
「期待してたんでしょ?」
「だから何をだよ!」
「裸の混浴」
「なっ……」
お前には夢とか憧れとか、そういうロマン満ち溢れる感情はないのか。
ま、あるわけないか。なにせ暗闇でも見える特殊な目を持っているんだからな。
チージョ星人と妖怪のハーフめ!
「でもね」
ミルクさんがニヤッとしながら俺を見た。
「大浴場は水着着用だけど、家族風呂だけは裸でもOKにしたの」
「か、家族風呂ですか」
「そう。家族で入るなら問題はないでしょ?」
「そ、そうですね」
「裸の付き合いっていうのをみんなに知って欲しくて」
「そ、そうですね」
「宮本君が「何も持たない隠さない。ありのままの自分が一番」って言ってたでしょ? その言葉、凄く心に響いたの。それって本来のあるべき姿なんだなって」
「い、いや」
「まさに哲学よね」
「あっ、いや、そのう……」
裸が見たいが為の口から出任せとは言えず……。
「折角だから一緒に入る?」
「そ、そんな。彼氏に申し訳が……」
「恋人はいないから大丈夫よ」
「で、でもぉ」
「なに遠慮してるのよ。宮本君らしくないわよ」
何だ。この積極的なアプローチは。
もしかして、これが大人のプロポーズというやつなのかっ!
ミルクさんの後を追って家族風呂へ行くと……。
グランドリバー・ミヤモトをそのまま移築したような作りだった。
露天から見える風景は、人工的に植えられた木々がライトアップされ、その向こうに瓦礫の山だった痕跡が伺える自然そのものの岩石群。そして上を向くと辺り一面に広がる無数の星空。非の打ち所がない最高の景色がそこにはあった。
「すげぇー!」
柄にもなく見とれてしまった。
「でしょ? これが私の自慢のお風呂よ」
「一度見たら忘れられませんね。この景色」
「良かった。褒めてもらえて」
「何度でも来たくなりますよ。これ!」
渾身の力作を褒めてもらったミルクさんは満足げな笑みを浮かべ、
「よし。早速入ろう!」
そう言って全てを脱ぎ捨てた。
ガハッ。全部丸見え! いくらドスケベな俺でも心の準備ってものが……。
ミルクさんって意外と大胆なのですね。
既に脳内が革命を起こしていたが俺も男である。向こうがその気ならこっちだって負けちゃいられない。全裸に関しては一日の長がある。日頃から鍛え慣れている。
ミルクさんに続きありのままの姿になると、「ひゃっほー!」と叫びながら湯船へ飛び込んだ。
「ああー気持ちいい~」
「本当ね」
「このお湯、少し濁ってますね」
「そうなの。ここだけ乳白色なのよ」
「ここだけ?」
「他の所は透明なんだけど、ここだけは濁り湯なの」
1つの地質から2種類の温泉が湧き出る事は滅多にない。チージョ星の学者も研究者も細部まで調べたが原因は分からなかった。この不可思議な現象に首をひねっていたそうだ。
なぜここだけ泉質が違うのか。
俺は分かっている。それはミルクさんの情熱なのだ。
例え家族であっても裸で入るのは気恥ずかしい。だが乳白色なら肌が見える事も少なく、恥ずかしさも多少は薄れるであろう。
裸の付き合いが素晴らしい事を教えようとしたミルクさんの気迫が泉質を変えたに違いない。
科学じゃ解明できない事が世の中にはいっぱいある。
ミルクさんは科学を超えるのだ。精神的にも肉体的にもぉぉぉ。
ところで君。さっきから脱いだり着たり、鬱陶しいから入るかどうか早く決めてくれるかな。体に自信がないのは分かるが、誰もそんなに気にしちゃいないよ。
君はそのままが一番素敵だよ、ペッタンコちゃん。いや、猫娘ちゃん!




