ミルクさんからの伝言
「またこんなの見てるの? 相変わらずドスケベね」
「ふんぎゃぁぁーー」
予告もなしに現れ、机の上に放置された愛読書を軽蔑の眼差しで一瞥するラム。
「何を見ようと俺の勝手だろ」
「こんなの見て何が楽しいの?」
「人にはそれぞれ趣味があるんだよ」
「下品にも程があるわね」
「やかましい!」
ここは俺の部屋で何をしようと自由なんだよ。
例えば、ラムが着ているTシャツ。色んな箇所が薄っすら透けて見えてるが、それを元ネタに妄想しても誰にも文句は言われないのだよ。それが自分の部屋なのだよ。勝手に入ってきて勝手に人を蔑むのはやめろ。
「何しに来たんだよ」
「ミルクさんからの伝言を伝えに来たの」
「ミルクさんから!?」
「うん。温泉施設が完成したって」
「マジか。そりゃ良かった」
「ぜひ三次に見て欲しいって」
「もちろん喜んで」
「案内がてらアドバイスも欲しいって」
「よし。今すぐ行こう!」
ミルクさんの頼みとあらば、何はさておき行かねばなるまい。
明日は体育祭で中学生にとって一大イベントである。誰もが楽しみにしている大会だ。無論、俺らにとっても心躍るスペシャルイベントである。
我が校では部活対抗リレーというのがある。各部の代表がそれぞれのユニフォームで走るのだが、その際、体操着からユニフォームへ……。
もうやめよう。洒落じゃ済まなくなりそうだ。
心が三段跳びのような躍動感に包まれ、スキップしながら宇宙船へ向かった。
途中、鮮やかな夕焼けに足を止めるラム。
「地球の夕焼けも素敵ねぇ~」
「どうでもいいから、早く行こうよ」
「この景色、いつまでも眺めていたいわ」
「うんもぉー。そんなのどうでもいいってばさ」
夕焼けを眺めて動かないラムの手を強引に引っ張り、大好きなミルクさんの姿を想像しながら宇宙船へ乗り込んだ。
フィーーン、フィーーン。
シュパッ!と希望の星へ移動する音が聞こえた。
「ラムはもう行ったの?」
「うん。オープンの時に入ったわ」
「どうだった?」
「地球と同じで凄く気持ちよかった」
「露天とかもあるの?」
「あるよ。特に夜が人気みたい」
「チージョ星の星空はサイコーだからなぁ~」
「星を眺めながらお風呂に入るのは初めてだから、クラスでも話題になってる」
温泉を知らないチージョ星人からしたら、満点の星空を眺めつつ湯船に浸かるのは新鮮であろう。熱く火照った体を夜風が優しく冷やしてくれる。普段とはかけ離れた別世界の気分が味わえるのだから人気なのも頷ける。
「家族風呂は?」
「もちろんあるわよ」
「おおっ、いいね」
「これまた人気みたい。友達や家族と一緒にお風呂に入る機会なんて滅多にないから」
「ラムも入ったの?」
「うん。ココちゃんとミルクさんと一緒に」
ガハッ! ひ、貧血が……。
ちょっとの間だけ向こうを見ててくれるかな?
大丈夫。すぐに終らせちゃうから。
ラムの話では、今や老若男女の娯楽スポットとして超絶人気なんだとか。
初めは物珍しさで訪れた人たちも温泉の気持ちよさに心を奪われリーピーターになる。その人たちが隣近所で体験談を語ると、噂が噂を呼び、チージョ星全体に広まった。惑星のあらゆる地域から人が押し寄せ常に満員御礼なんだとか。
なにせ、チージョ星初の「待ち時間」が生まれたらしい。
「凄いな。待ち時間なんて」
「そうなの。みんなビックリしてるよ」
「行列になってるの?」
「そんなに列をなしている訳ではないけど、それでも少しは並ぶわ」
「チージョ星に行列かぁ~」
「基本的には予約制だけどね」
「なるほど」
「予約を取ってその時間に来る、みたいな感じね」
「そうか。瞬間で移動出来るんだったな」
便利な能力である。
例えば14時に予約を取ったとしよう。それまで自宅でのんびりしている。時間になったら温泉へ瞬間移動。お風呂で心身ともにリラックスして自宅へ帰る。移動にかかる時間は0分である。
それでも行列が出来るのだから人気ぶりは凄まじい。
ただ、待つ事を知らないチージョ星人が大人しく待っていられるのだろうか。地球では1分でもこの星では1時間の感覚だろうから、待ちきれずにクレームを言って暴れ出す輩が出てきそうな気がする。
ラムが1秒を惜しんですっ飛ばすように、人を押しのけて横入りする害虫がいなければいいが。まあ、地球ではないから大丈夫だと思う。
2時間後。
ミーーン、 ミーーン。
セミの鳴き声がした。
ドアを開けると辺りは暗くなっていた。
地球を出発したのが夕方の17時頃で、そこから2時間弱の移動をして着いたら暗くなっている。地球とチージョ星の時間は繋がっているのだろうか。
あまり難しい事を考えると頭が焼き切れるから、その辺りは放置しておこう。
そんな事より、命に係わる重大なお願いが……。
一目散に宇宙船を飛び降りた俺は、そのままパパの研究室へ向かった。
「こんばんは」
「あれ三次君。どうしたの?」
「パパさんにお願いがありまして」
「なに?」
「クルマイスの後部座席にシートベルトを付けて欲しいのですが」
「シートベルト? 何それ?」
車のない世界でシートベルトと言われても理解不能だと思う。分かりやすく端的に説明すると、お宅のスピード狂が暴走行為を繰り返すため危険極まりない。ご先祖様に何回会いに行った事か。たぶん、明日も温泉までの道のりを狂った笑顔で激走するだろう。俺の大切な命を狂気な死神に預けたくない。そこで安全ベルトを装着して欲しい。
「イスに固定ベルトを付けるだけです」
「そんな簡単な事でいいの?」
「はい。お願いします」
「それじゃ、明日の朝までに付けておくよ」
「ありがとうございます」
これでもう三途の川を渡る心配はなくなった。イスから飛び出して宙を舞うこともない。命の安全は確保された。
胸を撫でおろした俺は、My倉庫で心安らかに眠った。




