退院おめでとう
ミルクさんに別れを告げ、モジャチンカ山を後にした俺はラム家に戻った。
クルマイスから降りる際、細心の注意を払って優しく叩いた。予告もなく急停車して脱出装置のように飛び出し、目の前にある木に激突した。
地面に落ちた拍子に泥だらけになったため、俺専用の風呂である外水道で体を洗い流し、洗濯物を干してMy倉庫へ。
着替えた後、パパママの3人で食事をし、しばらく星を眺めて就寝した。
その日、ミルクさんのおっぱいに追いかけられる夢を見た。
朝起きると、ママが倉庫へやってきた。
「三次君。今日大丈夫?」
「何がですか?」
「昨日も少し話をしたけど、ラムを迎えに行こうかと思って」
「ああ、そういえば今日退院でしたね」
「ちょっとお願いがあるんだけど」
「何でしょうか?」
「このクルマイスを運んでくれない?」
「なるほど。帰りにラムを乗せるためですね」
「そう。私は運転出来ないから」
「いいですよ」
本来は1週間の入院予定だったが、そこは14歳の若さである。術後の経過も良好で直りも早いという事で、少し予定を繰り上げて退院する手筈になったらしい。
これからリハビリもあり完璧な状態ではないため、医者から「瞬間移動は使ってはいけない」との指示を受けている。瞬間移動は体の負担が大きく治りが遅くなるんだとか。
そのため、移動できないラムをクルマイスで自宅まで運ぶ事にした。
ママは運転をした事がないので操作方法が分からない。ラムは瞬間移動を使えない。そこで俺が病院まで運転しラムを乗せて帰ってくる。という段取りである。
ママは瞬間で病院に辿り着き、俺は少し遅れて病院を訪れた。
病院に着くと1階の廊下の窓を開けて待っていてくれた。院内に入れない俺に気を使って受付に説明してくれたらしい。
普段は呑気だが配慮と気遣いは、まさに主婦の鏡である。パパが惚れる理由が何となく分かる気がする。
ママのお陰で何事もなく病室へ向かていると。
「この間、病院に変質者が出たらしいわね」
唐突にそんな事を言われた。ドキッとしたが「なぜ分かるんですか?」と質問すると、「だって張り紙に書いてあるから」と答えた。
そういえばあちこちに張り紙があったような。
ママが読んでくれた内容は……。
先日、院内のトイレに覗き魔が出没しました。
もし見つけても決して逆らわず抵抗しないようにして下さい。犯人が暴れだす可能性があります。
また、犯人は究極の変態です。用を足している姿に興奮を覚えるという、我々の想像を遥かに超えた異常者です。自己満足のために動画を撮っている可能性もあります。現在、トイレ内を隅々まで捜査し、カメラ等の有無を確認しております。
皆様、くれぐれもお気を付けください。
見つけた際の連絡先は。
XXX-XXX まで
完全に異常性愛者にされていた。
暴力を振るった覚えはない。動画を撮った記憶もない。ココと一緒に女子トイレへ入っただけだ。まして、用を足す姿に興奮など覚えるかぁぁーー!
犯罪のないチージョ星では、ちょっとの悪さも極悪非道、残忍無比になってしまうのか。もしこの星で地球と同じような振る舞いをしたとしたら……。
スカートめくり、抱きつき、制服試着、ロッカー侵入、etc。
死刑だな。
張り紙に写真が掲載されていないのがせめてもの救いである。シレっとした顔で通り過ぎた。
病室に着くと、ラムは既に私服に着替えていて準備万端整えていた。
「どう? 痛みはある?」
「うん。大丈夫」
「そう、良かったわね」
「もう病院は飽き飽き。早くお家へ帰りたい」
「慌てたらまたケガするわよ」
「もうそんなヘマはしないもん!」
ママはパジャマやタオルや何やらを鞄へ詰め込み、俺は松葉づえのラムを支えて外へ出た。
「ああっ、太陽って、本当に気持ちがいい!」
ラムは大きく息を吸った。地球人から見たらたった4~5日だが、チージョ星人には相当長い入院生活だったのだろう。
刑期を終えてシャバに出た人みたいに清々しい表情をしていた。
「ママ。私、まだ移動できないけど、どうやって帰ったらいい?」
「パパがクルマイスを作ってくれたからそれを使うといいわ」
「クルマイス?」
「三次君が命名したの」
「ダサッ!」
ダサいか。ロリスぺの方が良かったか?
「これ?」
「そうよ」
「へぇ~、さすがパパね」
「この間、三次君がテストを兼ねて試乗してくれたから安心だって」
「ふーん。三次がねぇ~」
何だ、その疑いの眼差しは。お前のために源泉に突っ込み、木に激突しながらテストしたんだぞ。感謝ぐらいしろや!
「ねえ三次、どうやって動かすの?」
「右ひじ掛けの前の部分を叩くとスタート。止まる時は左」
「なるほど」
ラムはイスに座りいとも簡単に動かした。
「これは便利ね」
「そ、そうね」
しばらく病院内の庭先をクルクル回って練習した。
何故こんなに簡単に操作出来るのか。運動神経のいい俺でも10分はかかった。それより何より問題は停止である。
少し慣れたラムは自在に操り俺の前へ。そして左ひじ掛けを叩いた。クルマイスは足元で何事もなくピタッと止まった。ラムの体もそのままだった。
……物凄く納得できない俺がいるんだが?
「じゃ、ラムはそれに乗って帰ってきてね」
「ママはどうするの?」
「私はスーパーで買い物してから帰るわ」
「分かった。じゃ、お家で」
ママはスーパーへ飛んで行った。
「じゃ三次、私これに乗って帰るね」
「おい、ちょっと待て。俺はどうするんだよ」
「歩いたら?」
「何言ってるんだ。お前んちまで距離あるだろうが」
「だってこれ、1人乗りでしょ? 2人は無理だもの」
「ふざけんな。俺が運んできたんだぞ」
「私は病人なの!」
「病人だからと言ってわがままが通るとでも思っているか」
「病気の人には優しくするのが常識でしょ!」
「だったら俺の膝の上に座れよ。それなら2人で乗れるだろ」
「いやよ。そんなの恥ずかしい」
「この場合はしょうがないだろう」
「友達に見られたら学校に行けなくなっちゃうでしょ!」
「わがまま言うんじゃねぇよ」
「膝の上なんてイヤ! 絶対に変な事するもん」
絶対って何だ。絶対という事は必ずって言う事で、決定事項って事なんだぞ?
ケガ人相手にそこまで畜生じゃねぇよ、いくら俺だって。
話し合いの結果、ラムがイスに座った。俺はステップ台に足を乗せ、背もたれに掴まり後ろ向きのままスタートする事になった。
「おい、飛ばすんじゃねぇぞ。後ろ向きは怖いんだから」
「分かったわよ。ゆっくり行けばいいんでしょ」
そうしてゆっくり自宅へ向かった。
しかしスピード狂の女である。しばらくすると……。
「ちょっと遅すぎ」
「これぐらいが丁度いいんだって」
「30キロくらいしか出てないでしょ」
「上等じゃねぇか。そんなに急いでも到着時間5分も変わらねぇよ」
「もう耐えられない」
ラムはひじ掛けを一気に4回叩いた。
途端にドギューンとスピードが4段階UPし、周りの景色がスピードに流れて見えないくらい超高速になった。
ステップが丸っこいので力が入りづらく、後ろ向きのためさらに恐怖が増す。
「おい、スピード落とせ」
「イヤよ」
「足の置き場が不安定なんだよ。ふくらはぎがギンギン唸ってるんだよ」
「じゃ、降りて歩きなさいよ」
「き、貴様ぁ~」
スピード狂はさらに血をたぎらせ、もう1段階UPした。
ドギャァァーーン!という音と共に風圧が俺の背中をガンガン押し、圧力に耐えきれずラムの体へのしかかった。
「ち、ちょっと離れてよ」
「ふざけんな。この状況じゃ無理に決まってるだろぉぉ」
「む、胸に顔をくっつけないでよ。変態ドスケベ!」
「それどころじゃぁぁ、ねぇんだぁぁーーー」
ふくらはぎを痙攣させ、ラムに首筋を散々チョップされ、失神寸前で自宅へ辿り着いた。止まったと同時に後ろ向きのまま飛ばされ、木に背中をしこたま強打した。
そしてそのまま地面に倒れ込んだ。
もうイヤです。僕は地球へ帰ります。
次の日。
ラムの退院を聞きつけたココとミルクさんが祝いに駆けつけるという事で、ママは朝から自慢の料理に腕を振るっていた。
ラムは動けないので「三次。掃除を手伝って」と、半ば強引に呼ばれて執事のように働かされた。
「そこにゴミ落ちてる」
「え? どこ?」
「そこよ。見えないの?」
「見えませんが」
「目、悪いんじゃない?」
「うるせぇな。だったら自分でやれよ」
「私はケガ人よ」
「……」
隅々まで掃除させられた。「厄払いの気分転換だ」と言って部屋の模様替えを手伝わされた。「喉が乾いた」と頻りにアピールするので冷蔵庫から飲み物を持ってくる。「花を飾りたいので庭へ連れていけ」と命令口調で言われ、クルマイスを押して庭へ。
「モレチンコとクッソババを摘んで」
「これ?」
「違う。それはヒヒジジーノでしょ」
「わからねぇよ。日本語で言え、日本語で!」
「ここはチージョ星」
「……」
「まったく。花の名前くらい覚えなさいよ」
このアマぁ~。ケガ人だと思って調子に乗りやがって。
俺は「箪笥の引き出しを隈なく漁る」という得意技を持っているんだぞ。後悔する前に謝った方がいいぞ。
ほぼ手下のように働かされ、精も魂も尽き果てた頃に2人がやってきた。
ラムの部屋に現れたミルクさんは申し訳なさそうにケーキを差し出した。
「本当にごめんなさい。私の仕事を手伝わせたばっかりに」
「大丈夫です。気にしないでください」
「ケガは痛む?」
「寝る時少し違和感がありますけど、痛みはほとんどないですね」
「私が無理させたばっかりに……」
「本当に気にしないでください。自分が悪いんですから」
「そう言ってくれるとホッとするわ」
責任感の強いミルクさんである。自分のせいでラムにケガさせてしまった。不慮の事故とはいえ、申し訳ない気持ちでいっぱいなのだろう。何度も頭を下げ心から謝罪していた。
いい女が頭を下げている姿を見ているのは辛い。彼女を気遣い、気持ちを和らげてあげるのも男の仕事だ。それが愛情だ。
「ミルクさんのせいじゃないですよ。悪いのはこいつですから」
俺はラムの頭をポンポン叩きながらミルクさんをフォローした。
「何で私が悪いのよ」
「瞬間移動を使える奴が逃げ遅れるのか?」
「一瞬だったから焦ったのよ」
「俺だったら軽く避けるけどな」
「うるさい!」
「お前、運動神経わるっ」
「何よ。運動以外に取柄がないクセに!」
「じゃかましいわ」
思ったより元気な姿を見て安心したのだろう。俺とラムの痴話ケンカに安堵の表情を浮かべるミルク&ココだった。
その後、ママが持ってきたハーブティーとミルクさんの持ってきたケーキで退院祝いをした。
黄緑と真っ赤と紺色の三段層でミルフィーユ仕立て。色的には南国の気持ち悪い爬虫類だが、味は甘味を抑えた上品な味だった。
「ミルクさん。これ美味しいですね」
俺が褒めると、ちょっと自慢げにほほ笑んだ。
「これ、最近できた新しいお店なの」
「そうなんですか」
「私、趣味が食べ歩きだから」
「食べるのが好きなんですか?」
「そう。美味しい物を探して歩くのが好きなの」
「食べるのが趣味なのに、そんなにスタイルがいいなんて凄いですね」
「スタイルがいいだなんて照れるな」
「いやいや抜群ですよ。俺は一発で虜です」
「宮本君って褒め上手ね。だから女の子にモテるんだ」
君たちの冷ややかな視線は何? もしかして焼きもち?
ペッタンコ&オタク娘ちゃん。
「あのう三次さん。これも食してくださいぃ」
ココはそう言ってテーブルに何かを置いた。
形はバナナみたいな棒状で色はスカイブルーだった。
「これは何?」
「ババノトレックです。私の大好物ですぅ」
「ど、どうやって食べるの?」
「皮をむいて中身だけを食べます」
言われた通り皮をむくと……。
蛍光ピンクとエメラルドグルーンのマーブル模様で、所々に真っ黒な種みたいなのが天然痘のように張り付いていた。
好き嫌いのない俺だが、さすがにこれは勇気がいる。
せっかくだし、ココの好物だし、断る理由が見つからないし。思い切って口に運んでみた。
甘いと酸っぱいが同時に口の中に広がり、後から苦いが2つを追い越して駆け抜ける。
言葉で表現するのが難しいが、甘いと酸っぱいと苦いが同時に脳へ伝わり、不味い!という指令を下す。そんな感じである。
「みんなもこれが好きなの?」と聞くと、2人共「あんまり食べない」と言っていたので、たぶん俺の味覚は正しいと思われる。
ココ。お前は味覚までマニアックなんだな。
まあ、俺はそんなお前、嫌いじゃないがな。
ミルクさんはミルクさんで失敗を反省しながら相手を気遣い、ココはココで自分なりの誠意ってやつを見せているのだろう。
そんな2人の優しさを知っているラムは、いつも以上にはしゃいでいた。
チージョ星人も地球人も人に対する優しさは変わらなかった。
「さて、ラムの元気な顔も見れたし、俺はそろそろ帰るよ」
「もうご帰還ですかぁ?」
「学校も始まってるしね」
「な、名残惜しいですね」
「大丈夫だよ。またいつでも会えるさ」
ココに別れを告げた。
「宮本君。今回は本当に助かったわ」
「いえ、こちらこそ」
「温泉が完成したら呼びに行くから待っててね」
「楽しみにしてます」
「家族風呂が出来たら、また一緒に入ろうね」
「そ、そんな。本気にしますよ?」
「ウフッ!」
ミルクさん。あなたは僕の天使です。いや、女神です。
いや、皮を被った悪魔ですぅぅ。
「じゃあなラム。お前はどんくさいんだから気を付けろよ」
「う、うるさいわよ!」
「またヘマをして入院するなよ」
「何よ。覗き魔!」
「いっ……」
言いたい事いいやがって。俺を本気にさせると後悔するって何度も言っているはずだが?
ま、今回は何事もなく無事済んだので良しとしよう。
3人に別れを告げ、俺は地球へ戻った。




