追憶のオルゴール
「うわああっ、すっげぇ! これ全部本物!?」
二階に上がり目の前の扉を開けるなり、俺は大きな歓声を上げた。なんだか生暖かい視線が背中に纏わりついてる気がする。だがそんなことも気にならないくらい、俺は盛大に興奮していた。
なんたって、幼い頃からずっとずーっと見たくて触りたくて仕方なかった大魔術師の魔術道具が、部屋に所狭しと並べられているのだ。部屋は決して狭くないはずだが、四辺の壁は棚で埃の入り込む隙間もないほどみっちりと埋め尽くされており、高さも天井近くまであるので圧迫感が半端じゃない。並べたというより押し込んだといった方がしっくりくる辺りに、生の空気を感じられて余計にオタク心が擽られる。
「"本物"の定義が理解不能。使用されているのは同じ言語体系か?」
「興奮してるんだ。大目に見てやってくれ」
「了解しました」
メイドもどきが俺の言葉の微妙なニュアンスを聞き取って尋ねてくるが、返答したのは上から目線の女盗賊。なぜかメイドもどきが女盗賊の使用人みたいな立ち位置になってる。別にいいんだけど。
「な、なあ、これ、触っていい? 壊しちゃうかな?」
俺は背後を振り返りつつ、棚に居並ぶ道具群を指さして、震えそうになる声で尋ねた。なんだか変態チックな挙動になってしまったが、抑えた結果がこれなのだから仕方がない。
「旧き主はそこまで狭量ではありません。触る程度では壊れないと保証」
メイドもどき――リオの答えは至って素っ気ないが、つまり「いいよ」ってことだろう。
"旧き主"は大魔術師のことかな? 大層な言い回しだけど、新しい主もいるのだろうか。
俺の中で、メイドもどきは既に「人間じゃないよく分からないもの」という認識だ。人間じゃないなら三百年生きてても問題ないよな、うん。
ともあれ、魔術道具に触れる許可を得た俺は、いそいそと棚に向き合った。棚は壁に沿う形で隙間なく設置されているし、上は天井に届くくらい高い。なので、視界の右から左、下から上まで、どこを見ればいいのか分からなくなるくらい、本当にたくさんの道具が並んでいる。棚には鍵付きのガラス戸もついていないので、手を伸ばせば触りたい放題だ。もちろん、そんな不躾なことはしない。高貴な女性を相手にするかのごとく、丁寧に接するつもりだ。まあ、女の子と話す機会なんてないんだけど。
俺の非モテ具合は置いておいて。
うおぉ~。お宝の山!
飛び込んじゃいたいくらいだな!
魔術道具はよく、魔術師の技術の結晶なんて言われる。あまり知らない人からすると、単に物に術紋を刻んでるだけじゃないかと思っちゃうらしいんだが、そういう人は術紋自体よく分かっていない。
魔術紋には表と裏があり、それぞれ表ノード、裏ノードと呼ばれたりする。表ノードには属性や発現する効果の内容を書き記し、裏ノードは発動条件の承認や魔力値の細かな変動などの制御部分を司っている。簡単な魔術だと裏ノードは無意識に行えてしまうため、先述のような"よく分かっていない人"も出てくるのだ。
魔術道具に刻まれる魔術紋にも、当然表ノードと裏ノードがある。裏ノードは目に見える形では記されていないが、そこにこそ技術の粋が詰まっていると言える。
つまり、大魔術師の粋が、今ここに。
俺、泣きそう。
触れる許可は得たものの、恐れ多くてなかなか手が出せない。もし俺なんかが大魔術師の遺産に触れたなんて知られたら、全国津々浦々の魔術道具マニアから刺されるんじゃないかと思うと、別の意味でも恐怖が湧いてくる。
だが、そんな緊張感も長くは続かない。
陳列棚の前で懊悩する俺を、リオがじろじろと無遠慮に凝視してくるせいだった。
いや、目は仮面の下なんだけど。もし視線を具現化できたなら、リオの仮面から極太のロープが俺に絡んでると思うってくらいビシバシ感じる。しかもあいつ意識してか、俺の視界の隅に入るよう巧みに移動してる……。いったい俺に何の怨みがあるって言うんだ。
って、あっ。すげぇ。これオリジナル? 自動悪夢退散機能付きの夢見占い枕じゃん。領分を侵されたって占い師組合がブチ切れたやつ。どっちかっつーとオマケ機能の方が凄くて、今や小さな子供をもつお母様方の心強い味方なんだよな~。って聞いたな。
…………。
……………………。
うーん。視線がうるさい。これじゃあ鑑賞に集中できない。
女盗賊、どうにかしてリオの注意を逸らしてくんないかな。なんて、例え真正面から頼んだところで、笑いながら断られるのは目に見えているけど。面白がるからな、あいつは。悔しいから絶対に助けなど求めない。不躾メイドの凝視攻撃にも耐えるのだ。
「ん?」
視線を気にしてウロウロしているうちに、俺は作業台と思しき簡素な木のテーブルに辿り着いた。部屋の一番奥にあったはずだが、いつの間にかぐるりと巡っていたらしい。
部屋全体の雑多な印象とは対象的に、机の上はよく片付けられている。いくつかの箱に工具類が行儀よく収まっていて、一つ一つが取り出しやすい形だ。たぶん、こっちの几帳面さが大魔術師本来の性質なのだろう。俺もこまめに整理整頓する派なので、親近感が湧く。棚の中身がおもちゃ箱状態なのは、作った物が多すぎて分類が追いつかなかったんじゃないかな。
机の上部に設置された本棚には、資料と思しき書物が数冊立て掛けられている。その背表紙に聞いたことのない著者の名前を見つけた俺は、思わず手を伸ばした。
――それがいけなかった。
「あっ」
と、気付いた時にはもう遅い。手の甲に硬いものが触れ、なんだと思う暇もなく、ガタンっと硬い音を響かせて何かが床に激突した。
やばい!
書物か、工具か分からないが、今の衝撃で破損したかもしれない!
俺は顔が真っ青になるのを感じた。
異変を察知した二人も、こちらへやってくる。
「どうした?」
女盗賊の問いかけに答えず――答える余裕もなく――俺はその場に屈み込むと、机の下の奥へ向けてカンテラをサッと翳した。
ぼんやりとした光の中に浮かび上がったのは、飴色よりも濃い色をした長方形の箱。蓋は閉まったまま。装飾は控えめだが、蓋の左上と右下に施された歯車のような彫刻が凝っている。側面に回せる乙型のハンドルが飛び出しており、それゆえにオルゴールだと分かった。
俺は空いている左手で慎重にオルゴールを持ち上げ、祈るような気持ちで全体を見回した。
「傷がついてる……」
箱の上部と前面の角に、V字の傷ができていた。
きっと、ぶつけた衝撃でへこんだんだ。俺が不注意で落としてしまった時に。
大魔術師の遺産を損なったという大それたしでかしに、鼓動が速くなる。吐く息と吸う空気がぶつかり合って、窒息しそうだ。
どうしよう。こんなの、百回謝ったって償えるものじゃない。馬鹿だ馬鹿だ馬鹿だ、なんでこうなることを想像できなかったんだろう。なんで本なんかに気を取られたんだろう。せめて手を伸ばす前に、もっと周りに気をつけていれば……。
一生分の後悔が、もの凄い速さで目の前を駆け抜ける。
横から伸びた手が、さっとオルゴールを奪っていったことにも気付けなかった。
「安心しろ、これは今ついた傷じゃない。よく見てみろ。傷口にヤスリをかけた跡があるだろ。おそらくこれ以上修復するつもりもなく、そのままにしていたんだ。大した衝撃でもなかったし、きっと中身は無事だろうさ」
こちらを安心させるような、いつになく柔らかい女盗賊の声が、断崖絶壁にあった俺の正気を取り戻させた。
俺は未だに不安な眼差しで、彼女の手にあるオルゴールにそっと意識を向ける。
女盗賊は口元にほのかな微笑みを浮かべたまま、華奢な金のハンドルをゆっくりと回し始めた。
ポロン――――
オルゴール特有の、美しく愛らしいのに、どこか物寂しい音色が、小さな箱から流れ出す。
ポロンポロン、ポロン……ポロロン――――
ゆったりと。
流れる川、あるいは風が梢を揺らす山のように。
その音楽は塔の静けさと調和し、響き合って、見たことのない景色を目の前に映し出した。
遠くに町が見えた。夕焼けに染まる、見慣れない形の屋根がいくつも立ち並び、後ろ姿の少女がそれをどこかの丘の上から見下ろしている。
黒髪を二つに括って、黒と白の異郷の衣装に身を包んだ少女だった。
背丈からすると、まだ子供だ。俺より少し下くらいだろうか。
一人ぼっちで。
なのに、寂しそうには見えない。
俺とは違うんだと、直感で分かった。
胸が、軋む。
これは、この情景は、俺じゃない誰かの記憶だ。
おそらく、あのオルゴールの能力。
じゃあ、この感情も?
この無限にも思える切なさと郷愁の念も、過去にいた誰かのものなのか?
だとしたら、なんて――なんて、切ない。
俺は無意識に、右掌を額に押し付けた。
光が目の奥で瞬いている。カチカチと、秒針が時を刻む音がする。足元がぐらぐらと揺れる。何かが俺の魂と躰とを二つに引き裂こうとしている。すごく痛い気もするし、とても心地よい気もする。
どうやら俺は泣いているらしい。温かい腕が、俺の頭と肩とを包み込んでいる。背中を優しくぽんぽんと叩かれた。まるで幼子みたいに。
なんだ、なんなんだ、この気持ち。
崩れそうで、壊れそうで、はち切れそうだ。
体の奥底から、何かが空気を求めるように溢れ出した。
俺もまたそれに向かって手を伸ばす。
どうしようもなく謝りたくなった。
果たさなければならない約束があった。
だけど、俺は果たせなかった。
最後まで見届けることができなかった。
だから――――"彼女"に。
思考が闇に飲まれていく。宙に浮いているような、あるいは水の中を揺蕩っているような、ふわふわとした浮遊感に俺は身を委ねる。
このまま眠ってしまいたい。
なのに、最後の最後で、俺を引き止めるものがある。
薄っすらと目を開けたまま漂っていると、暗闇の中にぼんやりと靄のような影が浮かびあがった。
靄は次第に輪郭を帯びていき、やがて、どこか見覚えのある男の姿となる。
白っぽい銀色の髪に、夏空を思わせる青い瞳。
彼の背後には無数の星が瞬いている。夜空のど真ん中に放り出されたみたいで、ちょっと怖い。
男はにこりともせず、眉間に目いっぱいの皺を寄せたまま、睨むように俺を見ていた。
「ようやく来たか、馬鹿者め」
形のよい、しかし不機嫌な唇から紡がれた声は、頭の中に低く響いた。
直後、目の前が真っ白に弾ける。黒から白へ、光の奔流。それが俺の中に一気に雪崩込んでくる。俺は両腕で顔を庇ったが、当然のごとく光に飲み込まれた。
旅の始まり、あるいは終わりが近づいていた。