二人の光
一般に「王城」と言うと城そのものを指すことが多いが、敷地内には城以外の施設もたくさん存在する。城ももちろん大きいが、敷地はその何十倍もの広さがあるのだ。ここでは、敷地全体を指して「王城」と呼ぶことにする。
王城は、首都フォードの北西にある高台に建てられている。城下町とは標高差があり、文字通り民草を見下ろす構図だ。背には万年雪を被った急峻な連峰を侍らせていて、城下町から見上げるフォルディア城はどんな名画にも勝ると言われているらしい。山に見劣りしないほど城が荘厳だ、と称える話でもある。
さて、王城内はと言えば――。
南東に向かってどでんと構えた大正門の内側は、まるで一つの街である。
高台に沿って第二牆壁がぐるりと張り巡らされ、石造りの建物が間隔をあけて立ち並ぶ。地面は魔術で切り出された石畳で舗装され、彩りの草花も数多く植えられている。
そこにある建物のほとんどは、城で働く者たちのための施設だ。兵士や労働者が利用する食堂、洗い場、郵便局など、必要な設備は大抵揃っている。街からは少し離れているが、軍事基地や訓練所、寄宿舎に厩舎もある。もちろん俺は見たことも歩いたこともなく、話に聞いただけだ。
それらの区画とフォルディア城を仕切る第一牆壁は、第二牆壁より更に堅固で魔術による警備も万全だ。どこぞの女盗賊でもなければ、猫の子一匹通さぬ構えと言えよう。
そして、第一牆壁をくぐった先に聳え立つのが、王族の住まいでもあるフォルディア城。王城で最もデカい建築物だ。魔術の研究機関は、全てフォルディア城に収まっている。
海に浮かぶクジラのようにどっしりと横たわった姿は、まさに威風堂々。何棟もの尖塔を空に向けて突き出した様は、いっそ攻撃的にさえ思える。小尖塔の先端には国旗が掲げられており、上空の風を受けてひととき足りとも沈むことはない。文句なしに国の象徴と言えるだろう。
フォルディア城より北は、まあ言ってしまえば広大な庭だ。菜園や果樹園、温室。牧場や、家畜から採れたミルクを加工する施設などがある。昔の国王が大層な演劇好きで、彼が造らせた青空劇場なるものも完璧な姿で残っている。
俺が暮らしている離宮やこれから行く大魔術師の塔も、王城の北寄りに位置している。距離的には、両者は近い。と言っても歩いて三十分はかかるだろうか。普通は王城の敷地内であっても馬車を使うが、侵入まがいのことをしている俺たちにそんな便利な交通手段が取れるはずもなく。
俺は数歩前を歩く女盗賊の後に続きながら、一人胸のモヤモヤと戦っていた。
憧れの大魔術師。その住まいだった塔には、もちろん興味がある。入るのは無理でも、遠くから眺めるくらいは――と思ったこともある。
だけど、どうしてもできなかった。見えない力に後ろ首を掴まれたみたいに、あと一歩が踏み出せなかった。
たぶん、自分で無意識に歯止めをかけてしまっていたのだろうと思う。
俺には魔力がない。魔術を使えない。ベルフォードでは老人から赤子に至るまでほとんどの人間が魔力をもち、最低でも簡単な魔術紋なら問題なく組めるというのに。
魔力をもたない。ただそれだけで、魔力なしは人の道から外れた外道扱いだ。他国であれば「へー」「ふーん」で済むんだろうが、ここは実力主義、血統主義の魔術大国ベルフォード。魔力なしに対する嘲笑は当たり前で、特に理不尽な仕打ちでもない。
そんな土地の気質は俺にもしっかりと根づいていて、どうしようもない劣等感というものは常に付き纏っていた。もしかしたらいつか見返せるかも、なんて夢は見ていない。魔力が芽生えないと断定されてから九年間、悪意と嘲笑に晒されてきたのだ。俺にだって現実は見えている。
だけど、やっぱり憧れは捨てきれない。俺も魔術を使ってみたい。古の神秘に触れてみたい。ベルフォードの王族に生まれたからには……。
彼はいいな。生まれつき、誰もが羨むほどの膨大な魔力をもち、頭も良く、才能もあって、次期国王にも選ばれていた。不治の病という不運さえなければ、彼の血を引く者が今も続いていたに違いない。
反対に、俺なんか、誰からも望まれない。俺がいること、誰も見向きもしない。いくら魔術の勉強をしたって、誰も褒めてなんかくれない……。
考えれば考えるほど沼に嵌まって動けなくなりそうで、怖くなる。そんな自分が情けない。
だから塔には行きたくなかったんだ。
例えるなら、生身で太陽に近付くようなもの。当然、体は焼け落ちて死んでしまう。
心が重くなるにつれて、次第に足の動きも鈍くなって、先導する女盗賊が立ち止まりこちらを見ていることも最初は気付けなかった。
「どうした? 眠いのか?」
俺はハッとして呼吸を止めた。
数歩先に立つ女盗賊の全身が、満月の下静かに照らされている。
黒いな、といつもと同じく俺は思った。
口元を隠すように巻いたマフラー、護身用にしては大振りな短剣の鞘、頑丈なブーツ。背中に流れる真っ直ぐな髪や、何を考えているのか読めない瞳まで真っ黒だ。王城を堂々と出歩いていい格好じゃないと、つくづく思う。
しかし……そうだ。彼女もまた、"異端"だ。俺とは全く異なる種ではあるけれど。彼女も孤独を感じたりするのだろうか?
するのかもしれない。だって、俺と話す時のこいつはいつも楽しそうだから。楽しいと、思ってくれていたらいいな。
――一人じゃないなら、大丈夫かな。
俺が憧れを口にしても馬鹿にしないコイツが一緒なら、心の奥底に刻まれた深い傷さえなかったことにして、少しだけ前に進めるかもしれない。
俺はカンテラの茫々とした光を見下ろした。周りに人がいないので、夜道を照らすために点けたのだ。原始的な火には、心を落ち着かせる何かがあるらしい。きっと今も役に立ってくれている。俺は女盗賊の目を見つめて、薄っすらと笑った。
「眠くなんかないよ。行こう」
塔の周りを森が囲っていることは、先述した通りだ。誰かが塔を建てたのが先か、森を造ったのが先かは知らないが、塔と森は二つで一つの側面がある。大魔術師が森全体に魔術をかけて入れないようにしたのも、塔に近付いてほしくないというよりは、森に入ってほしくなかったのではないかと思う。どう考えたって、広い森より塔の方が魔術をかけやすいからな。
肝心の魔術だが、森の周囲をぐるぐると歩かせるというものらしい。具体的に言うと、視界に映るのは森の中の景色なのだが、実際には森の外を延々と歩き続けているのだそうだ。嵌った本人が自力で幻覚に気付くか、誰かに声を掛けられるまで魔術は解けない。
「つまり、二人とも幻惑にかかったらそこでアウトってことだよな……?」
紛うことなき不法侵入者である女盗賊はもちろんとして、俺だって正気でないところを誰かに見られたくはない。
森の入口に辿り着いた俺は、ぽっかりと口を開けた真っ暗闇に恐れ入りながら、今更真実に気付いたかのように呟いたのだった。
いや、知ってたよ……? 本当だよ?
ただな、相方がな、歩くの止めねぇんだよな!
スタスタと森の入り口に向かって行く女盗賊にヒヤヒヤしながら、俺は声を掛けるかどうか迷っていた。ちなみにカンテラを持っているのは俺だけで、女盗賊は無手だ。月明かりがあるとは言え、精神強すぎではないだろうか?
いや、迷っている場合じゃない。今止めないと手遅れになるぞ。
「お、おい、お前!」
「なんだ? 行かないのか?」
「危ないだろ! お前、捕まるかもしれないんだぞ?」
「それがどうした?」
なんでもないことのように言われ、俺は言葉に詰まる。
女盗賊は挑発的な笑みを俺に向けた。それはそれは美しい顔で。
「ここまで来てためらうのか? お前、大魔術師と同じ名前を持ってるんだろ? 度胸を見せろ」
そういう問題じゃないんだが。
ないんだが、こんなあからさまな挑発を無視したら、後々弱虫だ臆病者だといじられる気がする。確実だな。
……ええい、こうなったら死なば諸共だ!
もしお前が捕まったら、助け出して一生恩に着せてやるっ!
半ば自棄っぱちに、大股で女盗賊の後を追う。なんでこんなことになったんだろう。そう心の中で毒づきながら。
――そして、数十分後。
「なんで、こんなことになったんだ?」
俺は目の前に聳えるモノを見上げて、呆然と立ち尽くす。
「塔に、着いちゃったんだけど……」
「よかったな」
呆然とする俺の隣で、女盗賊は腰に手を当て平然と言い放つのだった。