不良品王子と女盗賊
夜だ。雨と冬以外、常に全開の窓の外には、黒い夜空に穴が空いたがごとく白い月が、ぽっかりと浮かんでいる。
月と星、そしてサイドテーブルに置かれた瀟洒なカンテラ。それら以外、光を映し出す要素はない。
無駄に広いベッドには、主である俺と女が一人。と言っても、俺たちは大人な展開とは無縁の関係である。清いかどうかはまた別だが。
「黒い鍵を探している」
「またそれかよ」
今日も、わざわざ俺が就寝しようとした頃合いを見計らって忍び込んできた女盗賊は、開口一番いつものセリフを言い放つ。
俺はのそのそと起き上がって、少し乱れた髪を整えつつ、気怠げに記憶をまさぐった。
「宝物庫、ギャラリー、ヘクスター・コートの噴水口と第一王妃サマお気に入りのオレンジ温室に……あとなんだ?」
「屋根窓の埃が積もった桟の上、門衛小屋の兵士が隠している金壺の底、ムカつく侍女頭のクローゼットの中」
「そう、クローゼット。どう見てもあいつのじゃない男物のハンカチが隠してあった。へっ、あれ絶対ちょろまかしたやつだよ。あいつが男にモテるわけねーもん。しかも洗ってなくてさ…………じゃなくて」
俺は逸れそうになった愉快な思想をむんと掴んで、無理やり本題に戻した。偉そうに腕組みなんぞしてみる。
「結構色んなところ探したけど、黒い鍵なんてないじゃねぇか」
言外に、黒い鍵なんてどこにもないんじゃねぇのと意味を込めて睨むが、女盗賊は黒衣に包んだ腕をこれまた偉そうに組み、
「真面目に考えろ」
と、斜め上からザックリ一撃。
俺は思わず「うん……」と頷きそうになって、いやいやっと首を思い切り振った。
「なんで泥棒がそんな態度でかいんだよ。おかしいだろ、普通に考えて」
「その泥棒に協力している王子が言えた口か」
「俺は、だって暇だし」
「もうちょっと警戒しろと、私でさえ不安になるぞ……?」
警戒?
一体何に対して警戒しろと言うのか。
物を盗る様子もなければ、俺を襲うつもりもない女盗賊をか。
それとも、悪党に王城を案内して回っている事実がバレることか。
確かに、バレたら追放ものかもな。無能ではあるが無害であることを理由に今日まで生かされてきたが、越えてはならない一線を越えたと知られたなら、もともと脆い縁は何の躊躇もなくちょん切られることだろう。
だが生憎と、そんなことを恐れる気分ではなかった。
俺はもっと冒険がしたい。
このクソくだらない人生を変える何かが欲しいのだ。
初めて女盗賊が俺の前に現れたのは、前回の満月の夜だった。
寝る前の習慣にしている読書に切をつけ、俺はベッドに入った。ガラス越しでない月の光が暖かかったのをよく覚えている。
俺の周りには人がいない。寄せ付けないと言った方が、より正解に近いだろうか。別に隔離されているわけでも、他者との接触を禁じられているわけでもない。ただ、誰かと面と向かえば必ず嫌な思いをするので、自然と自ら奥に引っ込むようになっただけだ。
今は俺以外誰も住んでいない離宮で生活している。警護もない。俺に関わろうなんて物好きはいない。だから、窓はいつも開け放つ。当然鍵もかけない。出ようと思えば、いつでもここから出て行けるのだ。そういうおまじないみたいなものだった。それにまさか、四六時中厳しく警備されている王城に忍び込むバカがいるなんて、露にも思わなかったのもある。
枕元に立つ――比喩ではなく本当に立っていた――黒衣の女を見た時、正直魂が抜けるかと思った。しかもひどく美しい女だったので、精霊かさもなくばゴーストの類に違いないと確信したものだ。
もっとも――。
「黒い鍵を探している。在り処を知っているだろう。包み隠さず吐け」
この言葉を聞いた瞬間、驚愕も高揚も地に落ちたのだが。
――なんだ、泥棒かよ。
俺が住んでいる離宮には、オカルトめいた曰くが山ほどある。ひとりでに歩き出す甲冑や、満月の夜に血で満たされる古代のゴブレットが、とうとう現実になったのかと期待したのに。
明らかにテンションは下がったが、泥棒も非日常であることは間違いない。命を取られないのであれば、少しは楽しめるだろうか。
そう思ったから、俺は女盗賊の言葉に乗ったのだ。もちろん、全く後悔していない。
「つーか、鍵って大体責任者が管理してるはずだよな。俺は歴代王族の中でもぶっちぎりで落ちこぼれ、魔力なしの不良品王子だぜ。俺なんかが重要物を任されるわけないじゃん。俺が持ってるのと言ったらせいぜい、門外不出、十代オトコノコなら垂涎必至の図絵を収めた、引き出しの鍵くらいなものだよ」
俺の言い方に女盗賊がジト目を向けてくるけど、無視。男がオトコノコ向けの本を持っていて何が悪いんだ。古今東西の魔術道具を緻密な図で解説した、貴重な図集だぞ。自分で作った魔術道具の解説を公開する奴なんかまずいないから、作者は相当な知識と熱量をもった魔術道具マニアだ。しかしマニア魂が災いし、発刊された直後に各派閥から苦情が殺到してしまい、わずか数日で発禁になったという伝説がある。
本当に、とても、とても貴重なお宝なのだ。だがそれを言ってしまうと女盗賊が欲しがるかもしれないので、絶対匂わせないよう気をつけている。俺が魔術道具マニアだということは、既にバレてるような気もするが……。女盗賊、めちゃくちゃ珍しい魔術道具を持ってるんだよな……。
そ、それはともかく。
「せめて、何の鍵かくらい教えてくれよ。形は? 大きさは? 今気付いたけど、黒いってこと以外情報ないじゃん。協力してんのにおかしいだろ」
「私が求めているのは、この世で最も価値ある人間が遺した、唯一無二の宝だ」
「価値ある人間、ねぇ……」
いや具体的なことは何一つ言わないな、こいつ。形は大きさはって聞いてんのに。そんなんで本当に探しものが見つかると思ってるのか。
まあいいけど、別に。
俺が欲しいのは刺激であって、答えじゃないからな。
「俺にとって価値あるって言ったら、やっぱ大魔術師だな」
「聞いたことはある。三百年ほど前の人物だったか」
「そうそう。すげぇんだ。後にも先にも、あの人以上の魔術師はいない。それくらい偉大なんだよ」
魔術大国ベルフォードは、建国以来ずっと魔術によって栄えてきた。その礎にあるのは、古代人が遺した数々の魔術紋――術紋とも呼ばれる――だ。
魔術は魔術紋を魔力で描くことによって発動する。地面や巻物に魔術紋を描くのは、頭の中だけでイメージするよりも目の前に完成図がある方が楽だからだ。
それを応用したのが魔術道具。対象に魔術紋を刻み、魔力を通しやすい鉱石を細かく砕いて装着する。すると、必要分の魔力を流すだけで魔術が発動する。本当はもっと複雑な過程を経るのだが、ものすごく端折って説明するとこうだ。
ここまで言えば、勘の良い人なら気付くだろうか。
そう、魔術道具というものを初めて発明したのが、俺の敬愛する大魔術師なのである。
「当たり前だが、魔術ってのは勉強しなきゃ始まらない。術紋学ってのがあって、どの意匠にどんな意味が込められているのか、それが魔術として発動した時どうなるのかってのを細かく分析し、なおかつ――」
「ああ、分かった分かった。いきなり早口になるのやめろ。全く、オタクというのはどこも変わらんな」
女盗賊は胡乱げに瞼を落とし、呆れたように頭を振った。どうでもいいけど、こいつの髪と瞳はどちらも混じり気のない漆黒で、そこそこ綺麗だ。顔を出して表を歩けば、ひっきりなしに男から声が掛かるだろう。お天道様の下を歩ければ、だけどな。
魔術道具以外にも、大魔術師は革新的な術紋をいくつも生み出した。先程も言ったように、魔術とはまず学ばなければ始まらない。俺みたいな魔力なしは、学ぶ前から終わっているわけだが。
だが、学んだからと言って誰しも新たな魔術を発見できるわけではない。大魔術師以前の魔術師は、既に存在する魔術の研鑽が主な活動で、あとは伝承に残る古代魔術を復活させようとする者が僅かにいただけだったという。
そんな状況が大魔術師の台頭によって一変した。新たな魔術の開発や、古代魔術の復活を目標に掲げる魔術師が増えたのだ。
大魔術師はたった一人で次々と成果を上げた。
その内の一つ、国を丸ごと覆う大規模多重防御結界装置は、彼の偉業の代名詞でもある魔術道具だ。異なる種類の防御魔術を何重にも連結させて、どこか一部分が破られたとしても、すぐに別の結界が塞ぎ、壊れた部分を自動で修復するというもの。起動者は何も操作する必要がなく、魔力さえ供給していれば結界が勝手に働いてくれる。王城のどこかに安置されているというが、国の最重要機密であるため、正確な場所は限られた人間しか知らない。
彼がそのような道具を作ったのは、何度も隣国に攻められてきた歴史があるからだ。
ベルフォードは魔術大国と呼ばれるくらい、魔術に突出した国。周囲を高い山々に囲まれた地形もあって、魔術の知識はあまり国外へは流れなかった。だが、唯一平野で繋がっている隣国だけはそうも行かず、長い歴史の中で幾度となく戦を仕掛けられてきた。時には領土の一部を失い、魔術師が捕虜となったこともある。
大魔術師はそうした事態を憂い、結界装置を作ったと云われる。あくまで、伝わっている話だが。
「すげぇよなぁ」
「大魔術師に憧れが?」
「当たり前だろ。あの人に憧れないベルフォード国民はいないって」
なんたって国の英雄だ。戦で名を挙げたってわけじゃないけど、誰にも到達できない魔術師というだけで、どんな名将より人気が出るのがベルフォードだ。
「彼は確か王族だったな。お前のご先祖様か?」
「直系ではないな。あの人は結婚どころか、王位を継ぐ前に亡くなってしまったんだよ。突然の病だったって。当時は国を挙げて葬式をしたらしい。墓は一つだけど、慰霊塔は国中にある。それだけ慕われてたってことだ」
「それにしては、暗い顔だが?」
「……別に。関係ねぇよ」
目敏い女盗賊に辟易しながら、小さく吐き捨てる。
――ベルフォード王家には、とある慣わしがある。
国王の子供は、生まれた順番で付けられる名前が決まっているのだ。例えば長男はアルノル、次男はテオノア、長女はナーヴェ……という風に。王位を継ぐ前に子供ができた場合は、星や花の名を仮名としてつける。
魂は循環するという、古代から続く思想に依るものだ。
俺は五男で、奇しくも大魔術師の後輩である。しかも髪と目の色も全く同じらしく、魔力発現の最終期限である七歳くらいまでは、すわ大魔術師の再来かと大層期待されていた。ところが、大魔術師どころかベルフォードでは非魔術師でさえ有している魔力を欠片も受け継いでいなかったので、皆あっさりと掌を返した。
無能だと。
王族のくせに不良品だと。
仕方のないことだ。
この国で尊ばれるのは魔術の才能、そして血筋。身分を持たない平民も、より良い血筋を求めて婚姻をするのが当たり前。魔力のない俺にあるのは血筋だけだが、その血筋も良すぎると害となる。俺は七歳を過ぎた辺りから、家族からも国民からも居ない者として扱われるようになっていった。
死んで三百年経った後も大勢から偲ばれる大魔術師とは正反対。
悔しいとか妬ましいとかじゃないけど――少し虚しい。