少女レイ
初めての投稿なので拙い部分の多々ありますが、多めにみてくれると助かります。
第一章 呪い
あの夏から一度目の夏がきた。
うだる様な暑さが彼女を思い出させ、私を苦しめる。
切り裂く様な蝉の声に彼女の悲鳴が重なる。耳を塞いでも消える事はない。消す事なんて彼女は許してはくれない。
頭痛がする。きっと彼女に、いや夏に呪われてしまったからだろう。これから、このまま夏の呪いに苦しみ続けるのだろうか。
「もういっそ呪い殺してくれたらいいのに」
そう言いつつ、向こうで彼女にあわせる顔など無い事ぐらい分かっていた。
アヤメは、頭痛と彼女の悲鳴に悶えながら身体を起こし、おぼつかない足で洗面所に向かった。途中、何度か床のゴミにつまずきながらも洗面所に着き、そして鏡を覗きこんだ。
相変わらず酷い顔している。
手に水を溜めて顔にかぶると、やっと、その丸い顔に、初対面の人に威圧感を与える目つきをした顔が戻ってきた。
「こんな顔じゃやっぱり、恐いよね」
と拭き終えた顔を見て呟きながら髪を整え始めた。しばらくして、髪を整えた後のアヤメの顔は、少しだけ優しげな、外行きの顔になっていた。威圧感のあった目は、どこか虚ろな目になっていた。
部屋に戻り、洋服の殆どかかってないクローゼットの中からセーラー服を取り出して、着替えた。相変わらず、長身のアヤメが着ても、やはりその姿は女子高生のコスプレをした大人にしかみえなかった。
それから鞄を手に取り、台所へ向かい、そこで冷蔵庫から麦茶を取り出して、一口飲んだ。シンクには何日の前の食器が溢れかえっていた。
「ふぅ、」
カラカラだった喉を潤したアヤメは、玄関に向かい慣れた手つきで、女性の物としては、少し大きめ靴を履き、
「それじゃ、いってくるね。レイ」
と、彼女に向かって言った。しかし、今日も返事が、返ってくる事は無かった。
「たまには返してくれてもいいのに」
そう呟くと、アヤメは玄関に置いてあるマリーゴールドに手を振り、学校に向かった。
外に出ると、より一層強くなった夏の呪いに苦しめられ、意識が朦朧とした。
「くっ、、」
思わず、情けない声が漏れるほど強烈だった。あまりの苦しさに、時々、アヤメはかべに手をついて休んだ。
途中、何度か、うずくまりながらも、なんとか気力を振り絞り、学校に着いた。しかし、今日も校門を跨いだ瞬間、アヤメの目には涙が溢れた。ポツリ、ポツリと涙が零れる。すると、それと同時に、アヤメの脳裏に刻みこまれた事実が涙と一緒に抜け落ちていった。そして、流れた涙の代わりに、彼女への強い願望が湧き出してきた。彼女は今日も生きている。今日も教室に入ると彼女がいる。アヤメにとっての「普通」の生活が今日も繰り返される。そんな非現実な願望が頭の中を支配していった。
アヤメは、おぼろげな意識と虚ろな目をしながら教室の扉を開けた。扉を開ける時にアヤメは自分の席の隣の写真に向かって目を合わせながら挨拶しをして教室に入っていった。
「おはよう」
教室に何人か人がいたような気がしたが、誰一人としてアヤメに返事しなかった。
誰とも目が合う事無くにアヤメは自分の席に着いて荷物を下し、隣の席を眺めた。隣の机には皮肉にも、笑顔の写真と、アカシアの花が置かれていた。
しばらく隣の席を眺めていると、まばらだった教室にも、だんだん人が増えてきて、いくつかのグループになった。グループになった人達が楽しそうにおしゃべりをしていたが、アヤメの周りには隣の席の写真以外に誰一人としてアヤメに声をかける者などいなかった。
「やっぱり、レイぐらいだよ。私に声をかけてくれる人なんて」
隣の席の写真と会話していると、教室にだんだん人が集まりだしてきた。アヤメが増えた人気を少し気にし始めると、そんなアヤメの気を引き戻すように、窓の外で五月蝿く蝉が鳴き、アヤメは写真の方を向き直す、しかし、そんなアヤメと写真を気にする事無く教室に人が増えていく、そんな事が何度かくり返された。
そのうち遂にアヤメの前の席でも人が集まりだし、しかも彼氏の話で盛り上がりはじめた。
「最近、彼氏とデートしたんだけどさー、やっぱり水族館がさ、めっちゃ気分が上がるわけよww」
「あーね。でもさ、海沿いを歩いたりするのも中々上がるよ」
「なにそれ、めっちゃ良いじゃん!今度やってみよーかなww」
他愛もない話だったがアヤメの心を深く抉った。アヤメにとって、この手の話題は、自分の生き方を否定され、嘲笑われているように感じるからだ。
「ごめんレイ、ちょっと気分がよくないから、休んでもいい?」
彼女がアヤメにだめと言ったのは、あの時だけだった。
そして、アヤメは、目の前の話から逃げるように耳を塞いで、顔を伏せた。
「今日も、これに耐えないとな・・・」
アヤメは顔を伏せたまま、そう呟いた。
アヤメがそうして、少しの間顔を伏せているとしばらくして、チャイムが鳴り、朝のHRが始まった。チャイムが鳴って少し経ってか、汗を拭きながら先生が入って来た。
「今日はほんと暑いな・・・。皆も熱中症には気をつけてこまめに水分をとるようにしろよ。それから今日の放課後・・・」
前に立った先生が何か話ているが、アヤメにとってはどうでもよかった。むしろ隣の席の写真と話してる方がアヤメにとって大事だった。他の人の声などきこえなかった。
「今日も黒木は、あの調子か・・・」
話の終わり際に、先生はそう呟いたがもちろんアヤメの耳になど届いていなかった。しかし、アヤメと写真以外にはしっかり聴こえていた。アヤメはそんな事よりも不思議でたまらなない事があった。なぜ今日も皆には自分の隣にいるはずの彼女の声が聞こえないのか。姿が見えないのか。アヤメにとっては不思議でたまらなかった。
「大丈夫。私はずっとレイの側にいるからね」
隣に居るはずの彼女にアヤメはそういった。
そうして、朝のHRが終わると、いよいよ学校での一日が始まったが、それは、アヤメにとっては彼女への償いの時間だった。
償いと言っても、彼女へのした仕打ちの何万分の一にも満たない罰をうけるだけの事だ。しかし、これから、一生掛ってもアヤメの償いは終わることは、無いだろう。夏が来れば、呪いに苦しめられながら、償いおえる事のない罪を償い続ける、そんな生活をこれから送り続ける事が、彼女への罪を、唯一償う方法なのかもしれない。少なからず、それが、アヤメに出来る、背一杯の償いだったからだ。
アヤメが今から受ける罰というのは、誰からも認知されない罰である。
認知されないと言うのは、そのまま、通りの事で、例えば、廊下で誰かとぶつかっても、相手からは、アヤメはあたかもぶつかってないように振舞われたり、誰もアヤメの呼びかけに答えてくれないなどのイジメのような内容である。罰と言っても単に、彼女がいなくなってしまった事で、クラスに居場所がなくなったアヤメに、皆で無視を決め込んでいるだけだが、アヤメはそれに気付かず、彼女からの罰だと思っている。しかも、周りが無視を決め込んでいるのは、もう一つ、理由があった。
「今日もみんなには、レイの事がみえてないみたい。どうにかして気付いて貰わないとね」
そう意気込み、彼女を気付かせるために、みんなに聞こえる声で彼女と話すも、いつもそれは逆効果に終わってしまう。
「今日もアヤメ一人で喋ってるよ」
「やば、ほんとイカレてるわ、あいつww」
見えない、ましては、死んでいる人と話してるいなんて、周りからみたら、ヤバい奴以外、何者でもない。しかし、彼女に話かける事が徒労の繰り返しだという事に、アヤメは気付けなくなってしまっていた。
こうして、彼女への罪を償いつつ、周りに彼女の存在を気付かせる作業が今日も始まった。廊下で誰かに聞こえるような声で彼女と喋ったり、授業中も喋ったりした。彼女と手を繋いだりもした。
しかし、今日も気付いて貰う事なく時間だけが過ぎていった。
「今日も気付いて貰えなかった・・・」
今日もまた、僅かな希望が打ち砕かれた。
「大丈夫、絶対に気付かせるからね」
無視されているやつが気付かせるなんて不可能である。
今日の作業を終えアヤメは校門でレイと別れると、朝程ほどではないものの、やはり夏の呪いに苦しめられた。より一層悲しくなった彼女の悲鳴に、アヤメの意識は、朦朧とした。アヤメは、朦朧とした意識の中、本能のまま踵を返したが、アヤメの足は無意識にあの場所に向かっていた。少し遠回りなあの場所に。
朦朧とした意識が晴れると、アヤメは踏切の上に立っていた。どうやら、夏の呪いがアヤメをここまで連れてきたみたいだ。そして、この場所に立ち、思い出した。彼女がいなくなってしまった事と、自分がまだ彼女への未練を捨て切れていないと言う事を。
「やっぱりまだ諦めきれないや、ほんとにごめん。」
そう言ったアヤメの顔には、一つ、また一つ、と涙が零れていた。驚いた、まだ流れる涙が残っていたのか。あの時、彼女がいなくなってしまった記憶と共に流しきったと、思っていたのに。
「わたしってまだこの世界に居てもいいのかな?」
彼女に問い掛けるが、彼女は答えない。
「もういっそレイの手で私を連れていってよ」
彼女は答えない。
「レイがいないと私の居場所なんて無いからさ」
彼女は答えない。
「もう一回そっちでやり直すチャンスを頂戴よ!」
彼女は答えない。
「お願い!今度はちゃんと振り向かせるから!」
彼女は答えた。透明な指をアヤメに指差しながら。
「君は友達」
そう答えた彼女に、アヤメは追いつめられたハツカネズミの様に手を伸ばした。
第二章 初恋
アヤメの初恋は、一人の女の子だった。そう、アヤメはレズなのだ。異性である男の子では無く、同性である女の子を好きになる、そういった子だった。しかし、それと、身長以外は、至って普通の、女子高校生だった。
アヤメが初めて好きになった女の子は、白草レイという女の子だった。レイと初めて出逢ったのは、一年前の五月、丁度、ゴールデンウィークが開けた日だった。その日は、快晴の青空に、初夏の心地よい風が吹いていた。
白草レイと運命の出会いを果たしたその日は、すこしアヤメにとって不調の日だった。しかも、アヤメは久し振りの学校で気が滅入っていた。
「学校の野郎、また始まりやがって」
アヤメは久し振りの学校に愚痴を溢しながら、身体を起こし、洗面所に向かった。寝起きは良い方だったので、アヤメはテキパキと、洗面所に向かった。アヤメは、洗面所に着いて、鏡を覗き込んだ。相変わらず、整った顔つきをしている。目こそは、少し高圧的な印象を与えてるが、逆説的にその他のパーツに、優しい印象を与えていた。
洗面所で顔を整えたアヤメは、朝ご飯を食べにリビングへ向かった。
しかし、リビングには、今日も両親の姿はなく、起き手紙が机の上に置いてあった。起き手紙には「今日も遅くなります」とだけ書かれていた。しかし、アヤメは、起き手紙を見る事なく丸めてから、ゴミ箱めがけて、投げ入れた。ゴミが、小さく放物線を描きながら、ゴミ箱に入ると、アヤメは、ウシッ、と小さくガッツポーズをした。
それから、朝ご飯の準備にとりかかった。まず、冷蔵庫に向かい、牛乳のパックを取り出し一口飲んだ。その後、卵を手に取り、冷蔵庫を閉めた。そして、コップに牛乳を注いでから、近くに置いてあった食パンのバック・クローザを外して、中からパンを二枚取り出し、トースターにいれた。アヤメは、これらの準備にアヤメは、少しも手間取る事なく、手際よく進めた。不器用なアヤメだが、いつもやっているうちに、朝の準備だけは、早くできるようになっていた。
パンが焼けるのを待っている間、アヤメは今朝見た夢を思いだしていた。その夢は、何か詩的で、しかも、アヤメの心をうばっていった。
白い光の中に、アヤメは寝ていた。体を起して周りを見渡したが、周りには何もなく、ただ白い空間が続いていた。暫く周りをウロウロしていると、突然、女の子の声が聞こえてきた。アヤメは、声のする方へ歩いていると、白い服をきた女の子の姿が見えた。その女の子は、白い肌に、長くてサラサラの髪、小さくて丸い顔をしていた。アヤメは思わず、その美しさに見とれてしまった。
しかし、その女の子は、アヤメの気配を察し、アヤメの方を向いて微笑むと、何処かに歩きだしてしまった。アヤメは、その子に触れようと思い追いかけたが、どれだけ追いかけても、決して追いつく事はなく、追いかけ続ける、そんな夢だった。アヤメは、その時の女の子の事を忘れられずにいた。
アヤメは、女の子の事で頭が一杯になりながら、ダラダラと、朝ご飯を食べた。そんなこんなでアヤメは、夢の女の子を思い出して、終始ぼーっとしてしまったので、珍しく準備に手間取ってしまい、いつもより、家をでるのが遅くなってしまった。
「ヤバい、ヤバい、遅刻だ!」
遅刻慣れなどしていないアヤメは、初めての遅刻という緊急事態にあせり、朝の準備だけは手際のよいアヤメだが、いつも通りの不器用なアヤメに戻ってしまい準備に余計手間取ってしまった。
アヤメは、急いで、ゴミ一つ落ちてない廊下を通って、綺麗に整理整頓され、意外と女の子らしい家具が置いてある自分の部屋へ行き、急いで似会わない制服をクローゼットから取り出し、鏡の前に立って合わせる事も無く、身にまとった。制服を着たアヤメは、そのまま、特に身だしなみを整える事無く玄関に向かった。もちろん、ゴミ一つ落ちてない廊下を、通って。
アヤメは玄関に付くと、扱けそうになりながら、靴を履き、
「バイバイ」
と、玄関の鍵の横に置いてある花にむかって言うと、アヤメは急いで玄関をでた。
「あぁ、もう」
最後の戸締りで、焦りから手元が上手く動かず、カギが上手く玄関の鍵穴に差す事ができなかった。かぎをさせないことにさらにあせった。ガチャガチャと鍵が音を立て、アヤメの手の中で、アヤメを弄んでいた。
「よし!」
何とか戸締りに成功したアヤメだったが、出発時刻はとうに過ぎていた。
「はぁ、はぁ、まにあえーーー!」
アヤメは、初めての遅刻を避けるために、学校目掛けて走り始めた。
まぁしかし、アヤメは学校までそう遠くない距離に住んでいたため、走れば十分、間に合う時間だが、今日のアヤメの足取りは重く、進むのにいつもより体力を、必要とした。身体中の酸素を使い、肺が新しい空気を求めて必死に息を吸うが、アヤメはどんどん息苦しくなっていった。鼓動が速くなり、胸が締め付けられた。さらに途中、今朝の夢に出てきた女の子の事が頭を過り、余計に苦しくなった。
「セ、セーフ」
アヤメは、死に物狂いで走り続け、何とか遅刻は免れた。ヘロヘロになりながらも、アヤメは、走ったせいでボサボサになった髪と、疲れてだらしない服装で教室のドアを開けた。
「おはよう」
「おはよう、アヤメ。酷い髪じゃんどうしたの?」
「ちょっと、遅刻、しそうになって」
アヤメは、まだ肩で息をしながらそう答えた。
何人か、仲の良いクラスの人達と似たような会話をしながら、アヤメは自分の席に、ドサッ、と座り込んだ。
アヤメは暫く、疲れを癒すため、机の上に突っ伏していた。だいぶ呼吸も楽になってくると、先生が入ってきて、HRがはじまった。しかし、アヤメは、身体に残った疲労から、身体を起こさずに、先生の話を聞いていた。
「えー、突然だが、今日は皆に新しい仲間を紹介するぞ」
それを聞いたアヤメは、転校生を一目見ようと顔だけ起こし、先生の方をみた。
軽い紹介を終えると、先生は、教室の外にいた転校生の子に、右手で手招きすると、転校生の子が入ってきた。
アヤメは、転校生の姿に目を疑った。
「東京からきました、白草レイです。これから・・・」
白い肌に、長くてサラサラの髪、それに、小さくて丸い顔。緊張からか、目からは少し、恐怖の色が見受けられたが、目はアヤメのやつとは違い、優しい目をしていた。
「え?え?えぇぇぇー!」
アヤメは驚きのあまり思わず、身体を起こすどころか、立ちあがってしまった。
「どうした黒木?大人しくしとかんか!」
「す、すみません」
それもそのはず、なぜならレイと名乗るその少女は、今朝、夢で見た女の子そのものだったのだ。
「え?嘘?そんなことってあるの?」
何度見返しても、遅刻の元凶となったあの少女と、レイは瓜二つだった。信じられない、まさか本当にそんな事が、起きるなんて。アヤメは、この時、運命と神様の二つの存在に感謝した。
「ちょっとアヤメ、いきなり立ちあがってどうしたの?」
「う、うんん。ちょっとビックリしちゃっただけ・・・」
驚きすぎて、目の皿が割れそうなアヤメをよそに、先生はレイの紹介を続けた。
「この子はまだここに来てから日が浅い。なので、分からない事が沢山あると思われる。そこで、皆の力を貸してやってくれ。特に、移動教室の時なんかは積極的に声を掛けて教えてやって欲しい。それから・・・」
先生は教室を見渡すと、アヤメの隣りを指差した。
「席はあそこが良い。丁度、黒木の隣の所だ」
アヤメは、今日ばっかりは神様に心から感謝した。あの子と、出会えた事さえ奇跡なのに、しかも、同じクラスになり、そして、隣の席に来るなんて、誰が予想できただろう。神様と筆者以外で。
「う、嘘でしょ!?」
アヤメがまた驚きのあまり立ちあがった。
「どうした、黒木?なにかマズイ事でもあるのか?」
「い、いえ、そういうわけじゃ・・・」
「なら大人しくしておけ!まったく」
アヤメは状況を理解できず、何度も目をパチクリさせながら、席に着いた。鼓動が高まっている。トン、トンと、乾いた音を立てている。まるで、心臓に釘を刺されているようだ。胸が締め付けられ、呼吸が速くなる。これが恋という事にまだアヤメは気付いていなかった。
「なにこれ、まるで私、本の主人公みたい。ほんとにこんな事があるなんて」
アヤメは、口から心臓が飛び出ないように口元を手で覆いながらそう呟いた。この先の物語を知らずに。
アヤメは、自分がもしかしたら、まだ寝ぼけているのかもしれないと思い、
「ね、ねぇ」
「どうしたの?」
「私のほっぺた、おもいっきり抓ってくれない?」
と、前の席の子に頼んだ。
「え、え?どうしたの?いきなり?」
「いいから早く!」
「もしかしてアヤメ、学校来る途中で頭打った?ほんとに大丈夫?」
「いいから、いいから」
「まさかアヤメにソ―ユー趣味があったなんて・・・」
と言い、嫌な顔をしながらも、前の席の子はしぶしぶつねってくれた。頬にチクッと鋭い痛みが奔った。
「痛い・・・。ということは・・・」
「これって現実!?」
アヤメの脳は完全に混乱していた。何度も言うが、今朝夢で見た、しかもメチャメチャ可愛い女の子が自分の隣に来るなんて!
「これが運命の出会いってやつなのね」
アヤメの脳は、もう出会いについて深く考えるのをやめた。初めからこういう運命だったのだ、とアヤメの混乱した脳ではそう考える事で精一杯だった。アヤメは深く感動して息を飲んだ。
運命の出会いに感激しているアヤメを他所に、時間はどんどん進んでいっていた。
「はっ!」
アヤメが何とか時間に追いた頃にはもう、気付けば女の子は隣に座っていた。
「あ、あぁ」
アヤメは、何とか目の前の美少女に話しかけようとしたが、どもってしまって上手く声がだせなかった。息が上手く吸えず、肺に空気が足りない。胸が苦しい。
「あ、あぁ、えぇっと」
相変わらずしどろもどろしているアヤメに気を使って、女の子の方から話しかけてきた。
「どうも、私、白草レイって言います。貴方のお名前は?」
「え!わ、私!?私は黒木アヤメだけど」
「フ、フフ」
レイが突如笑いだした。アヤメは自分が何かおかしなことを言ってしまった、と思い恥ずかしくなった。恥ずかしさで、顔がどんどん赤く染まっていった。
「な、なによ、私何かおかしな事でもいった?」
「し、失礼。いや、黒木さんがあまりにも面白い人だったのでつい」
「んな!?お、面白いだなんてそんな・・・」
「ほらまた!どうしてそんなに面白いのですか?」
アヤメは自分が煽られてるいと思い、恥ずかしさと、悔しさでさらに顔を真っ赤に染めた。
「もしかしてあんた、私の事馬鹿にしてる?」
「い、いえ、そういう訳じゃなくて」
「なら、どういう訳よ」
アヤメは恥ずかしさから、目に少し涙を浮かべながら、レイに問いただした。
「その、反応がいちいち大げさで、しかも、話しかけた時のリアクションが可愛くて、まるで小学生みたいでその、面白かっただけで」
アヤメはドキン、とした。可愛いだって?そんなこと、人生で一度も言われた事ない!しかも、こんな可愛い子から!アヤメは嬉しさでまた頬を赤く染めた。
「な、なんだ、そんなことか」
アヤメは、言われ慣れてない事を隠すために、強がってみせた。
「そういうことなら、もっと早く言ってよね」
「す、すみません。ですが、いきなりそんな事を言うのは少し失礼かと」
「む、むぅ、それもそうか」
「はい」
アヤメは、自分のミスで笑われているのではないと分かって少し気が楽になり、レイに普通に話しかけられるようになった。
「それなら私も言わせて貰うけど、その敬語止めた方がいいよ」
「どうしてですか?」
「ほらまた!あのね、敬語だと距離を感じるわけ。それに、私達友達でしょう?なら、距離は近くないといけないと」
アヤメは自分でもびっくりするぐらい大胆な発言をした。(私とレイはもう友達?!たしかにそうなりたいと思っていたが、まさか自分の口からこんな早くに伝える事になるとは・・・。しかも、何でそんなに上から目線なの!?もっと素直になれ、私のバカ!)と、アヤメは自分の発言に後悔した。
「と、友達だなんて・・・。あ、ありがとうございます。えへへ。」
レイは驚いた表情を浮かべ、その後、照れくさそうに視線を逸らした。アヤメは彼女のそんな表情を見て、ドキッ、とした。夢でみたレイも可愛かったけど、実際に見るともっと可愛いや!アヤメは夢では感じる事の出来なかった、彼女の質量を感じていた。
アヤメが彼女に見惚れていると、レイは、ハッとしてこちらを向き直した。
「はっ!ご、ごめんなさい。お、お見苦しい所を見せちゃいましたね」
「ううん。全然そんな事ないよ。」(レイは可愛いもん!)
危うく本音が飛び出る所だった。アヤメはレイに見惚れて、もうレイ以外の事を考えられなくなっていた。あぁ、こんな可愛い子が私の友達だなんて!
それから、レイは小さく深呼吸し、畏まった様子で、アヤメの方を向き直した。
「それじゃ、改めて」
「改めてなによ?」
「よろしくね。アヤメちゃん」
と、言って右手を差し出してきた。
「なんだそんな事か。別にそんな畏まらなくてもいいのに」
そう言うと、レイは恥ずかしがって、目線をそらしながら、答えた。
「ほ、ほら、礼儀は重んじた方がいいでしょ?そ、それに記念すべき一人目の」
レイが顔を上げ、アヤメの方を見つめた。
「お友達なんだから」
「お、おう」(ヤバい!ヤバい!可愛いし、嬉しすぎるし、もう最高!!)
アヤメは危うく、嬉しすぎて、叫びそうになったが、理性がなんとか食い止めてくれた。
「ある意味レイらしい答えだね。まぁいいわ」
アヤメは、レイに色々悟られないよう気取って答えた。
「よろしくね。レイ」
そう言って、アヤメは彼女の手を取った。彼女が手を伸ばしたのも、彼女の手を取ったのも、最初で最後だった。
アヤメは彼女の手のぬくもりを直に感じた。アヤメの少し大きな手と違って小さくて可愛い手をしている。まるで小動物のようだった。
それからアヤメは、彼女にこのあたりの事を教えた。近くに海があって、海岸沿いには鉄道が走っていて、そこには全国でも珍しく海の見える踏切があるとか、少し田舎っぽいがそう遠くない所にショッピングモールがあるとか、その中には映画館もあることなどだ。
「へー!私都会から来たから全然知らないや!」
レイは自分の住んでいた場所と違う、新しい生活の舞台となる場所の話を、目をキラキラさせながら聞いていた。
「あ、でも踏切は知ってるよ。家がその近くにあって、学校に来るときに渡って来たからね」
「へー、レイの家って、あっちの方なんだ。あんな所から毎日こないといけないなんて大変だねー」
「うん。でもね、家の窓から海が見えたりして、とっても気にいってるの。なんせ、都会からきたもんで、海なんてテレビでしか見た事なかったもん。それからね・・・」
アヤメは、窓から身を乗り出し、海を目の前にはしゃぐレイの姿を想像して、完全にレイの話しなど上の空だった。
「・・・ちゃん?アヤメちゃん?」
「ッハ!ごめんごめん、何の話してくれてたんだっけ?」
「アハハ、アヤメちゃんはホント面白いなぁ。また今度一緒に海に行こうって話」
「う、海!?」(レイの水着!?しかもそれを生で見るなんてソンナ事、心臓が幾つあってもたりないよ!)
アヤメはいきなりの誘いに興奮し、一人で舞い上がっていた。
「ま、まぁ良いけどレイ、あんた泳げんの?」
「別に得意って訳じゃないけどそれなりにね」
「ふ、ふーん」
アヤメは動揺を隠そうと必死だったがレイにはバレバレだった。いまさらだが、アヤメは顔にでるタイプだからだ。
しかし、そんな楽しい時間も、もうすぐ、一段落しようとしていた。
「あ、そろそろ授業始まっちゃうよ」
「ほんとだ、それじゃあ話はまたあとでね」
「うん。ありがと、色々教えてくれて」
そう告げると、二人とも前を向いて、授業に参加した。
これが、アヤメとレイの、運命の出会いだった。
そこから、俗にいう「親友」になるには、時間は掛らなかった。
それから毎日、アヤメとレイは一緒に過ごした。朝、登校する時から、学校の中はもちろん、家に帰る時も一緒に。
レイと過ごす毎日はアヤメにとって幸せでしかなかった。まず、朝起きたらいつも通り準備するのだが、毎回レイの事を考えてしまい、レイとの約束の時間に遅刻しそうになりながら、集合場所にダッシュする。その途中ももちろんレイの事を考えている。
そして、息を切らしながら走ってくるアヤメと、そのアヤメの事を待っているレイが、集合場所の踏切で落ちあわせると、不揃いのスカートを風で揺らしながら、二人で並んで学校に向かって歩き出す。歩きながら、二人は仲よく喋っているが、アヤメは、レイの事を眺めている時間の方が多かった。学校について、席についてからも二人は仲よく喋っていた。休み時間になると、アヤメがレイの机に座りながら、喋っていた。そして、放課後になると、また二人で帰って、踏切で別れる。そんな日が続いた。
たまに、休みの日は二人で出掛けたりもした。二人は、映画を見に行ったり、ゲームセンターに行ったりもした。そこで、プリクラを撮ったり、御揃いのキーホルダーを買って鞄に付けたりもした。しかし、どれだけ仲好くなっても、お互いの家に行く事はなかった。なぜなら、アヤメは、レイと一線を越えるのが、恐かったのだ。なので、二人はどれだけ仲が良くても、手を繋いだり、増しては、二人で踏切の先に進んだ事などなかった。
そんな日常が一カ月ほどつづいたある日、ついにアヤメはレイに想いを伝える事にした。結構時刻と場所は、いつも通り放課後、一緒に帰っている時であの踏切で思いを伝える事にした。
そして、その日もいつもと変わらない日だった。いつもと変わらず、待ち合わせに遅刻しそうになりながらダッシュし、二人で学校にいき、休み時間には二人で他愛のない話をして、そして、二人で帰る。そんないつも通り日だった。違う事は、その日は午後からにわか雨がふる予報だったことだけだ。
こうして、いつも通りの日常が過ぎ、やがて運命の時がやって来た。相変わらずレイは、アヤメの気持ちなど知らないまま、仲好く二人で帰っていていた。刻一刻と時間が迫っていき、アヤメの緊張も高まっていた。
やがて、その時がおとずれた。
「それじゃまた明日ね」
いつも通り、レイが手を振りアヤメと別れようとするがアヤメはそれを阻止し、レイを呼びとめた。
「ちょっとまって!」
「どうしたの?」
レイは、また「この後何処かに遊びにいこう!」などの軽い呼びとめだと思った。しかし、そんな事なら、別に歩ている時でもよかったし、わざわざ、呼び止めるなんて変だな、と思った。
アヤメは、緊張しながらレイに話しかけた。
「ね、ねぇ、お願いがあるんだけど」
そう言うと、アヤメは勇気を振り絞って、立ち止まった。
「ん、何?どしたの?わざわざ立ち止まって」
いきなりの出来事で驚いたが、珍しく真剣な雰囲気のアヤメに、レイも立ち止まってアヤメの方を向いた。
「その・・・」
「何?珍しく真剣なご様子だけど」
「ふぅ」
アヤメは深呼吸をして、自分の心を落ち着かせた。(後は気持ちを伝えるだけ。大丈夫、レイならきっと、私の気持ちに答えてくれる。二人でこの踏切を渡るんだ!)
夕焼けで空が赤く染まっていった。
それから、アヤメはレイに気持ちを伝えた
「あのね、レイ。実は私・・・」
「何?いまさらカミングアウトするような事なんてあるの?」
世界が無音になり、アヤメの言葉と鼓動しか、音を立てている物はなかった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
レイの表情が固まった。珍しく動揺しているようだ。それもそのはず、普通、友達から向けられることのない言葉向けられたのだ。レイの優しい目に、戸惑いの色が見える。
「ありがとう」
そう言ってレイは黙り込んでしまった。レイが黙りこんでしまった事でアヤメは急に不安と後悔に襲われた。アヤメは次の言葉を聞くのが怖かった。「ありがとう、でも・・・」あるいは「ありがとう、気持ちは・・・」なのか。アヤメはいたたまれなくなって口を開いた。
「そ、そのありがとうっていうのは・・・そのつまり、の、NOってこと・・・?」
その言葉を言ってしまうと、また二人の間に沈黙が流れた。沈黙が長引けば、長引くほど、アヤメの鼓動が釘を打つような音を立て、アヤメを苦しめた。二酸化炭素の濃度が上がる。
無限に等しい時間が流れた後、レイの頬には一筋の涙が流れた。彼女が泣いたのを見たのは、後にも先にもこれが初めてだった。
「き、気持ちは嬉しいのだけど」
結果はNO。そう、フられたのだ。結果は初めから分かっていたはずだ。でも、どこかで少し彼女に、期待を抱いていてしまっていたようだ。アヤメは、茫然とした。まるで心臓が動く事を止め、全身の血の気が引いてしまったように寒い。体が温かい言葉を求め、小さく震え始めた。いや、この後に来る言葉に怯えてるせいかもしれない。
この後にくる言葉は大体、予測出来ている。相手の意見を尊重しつつ、否定する言葉だ。レイが得意とする。
レイがアヤメを傷つけまいと言葉を選んでる沈黙が、余計にアヤメの心を傷つけた。やはり、迷惑だったのだろう。目線をそらしながらレイは答えた。
「私、ほら、その、す、好きな人がいるし、それに・・・」
もういい、私はフられたんだ。もう、それ以上でも、それ以下でもない。これ以上私を、傷つけないでくれ。
「その・・・私、アヤメちゃんとは、ソンナ関係じゃなくて、その、今のまま、お、お友達の関係でいたいし・・・」
私にとってはすでに友達の関係を越えた、ソンナ関係だと思っていたのに。どうしてそこまでして私を傷つけるの?そこまでして傷つけたいの?
「私、ソッチ側の人じゃないし・・・ね?」
一つ分かった事がある。この女は、私が思っていたよりも、ずっと、ずっと、ずっと、差別的思想の持ち主だったようだ。自分と性の対象が違う相手を、差別し、見下し、忌避する。そんな、彼女から見た私は、まさしく差別の対象であり、別次元の生き物だろう。
「と、とにかく、アヤメちゃんとは付き合えない。君は友達だから」
その時、アヤメの中で、カチッ、と何かが嵌る音がした。突然、アヤメは、自分のした事が、バカらしくて、しかたなくなった。馬鹿らしくて、可笑しかった。
「フフッ」
あまりの可笑しさに、思わず笑いが込み上げてきた。
「フッ、フフ。アハ、アハハハハハ、ハハハ。」
「ア、アヤメちゃん?」
「そうか、そうか、だよね。ごめん、私、色々と勘違いしてたみたい。今日の事は忘れて!それがレイに取っても私にとっても最善の方法だとおもうから。」
「でも、それじゃ・・・」
「なによ」
さっきまでとは、打って変わって今度は、レイの事を、鋭く睨みつけた。
「その・・・」
アヤメの睨みが効いたのか、レイは少したじろぎながら、答えた。
「フッといてなんだけど、アヤメちゃんが可哀想すぎるよ。それに私、友達としては、アヤメちゃんの事、大好きだし。しかも、人生で告白されるなんてそう多くない経験、ましては、女の子からなんてね。こんな事、簡単に忘れられないよ」
レイは涙が溢れないように、ぎこちなく笑ってみせながら答えた。しかし、レイには全くそういった意思は無かったが、アヤメには自分の事を馬鹿にしているようにしか思えなかった。
「なによそれ!あんたに私の気持ちの何がわかるのさ!」
アヤメは受けた屈辱に怒りを露わにして、レイを怒鳴りつけた。
「あ、アヤメちゃん!?」
目の前で涙を浮かべ、怯えるレイに、アヤメは少し自分がきつく当たりすぎたと思った。
「ごめん、ちょっと言い過ぎちゃった。なにも、レイは私を傷つけたくて言ってたんじゃないもんね」
「こっちこそごめん。アヤメちゃんの事一つも分かって無くて」
レイは俯きながら答えた。レイの声には恐怖と軽蔑の色がした。
「と、とりあえず、私は帰るね。それじゃあ」
そう告げると、レイは素早く踵を返し、踏切の先へ向かった。
「ちょっと、ちょっと、待ってよ!私が悪かったから!」
アヤメは、急いでレイを追いかけようと思ったが、もうレイは踏切を越えようとする所まで進んでいた。アヤメは、追いかけるよりも先に、遠くに行ってしまった彼女に向かって叫びかけた。
「お願い待って!今度こそ、ちゃんとレイの意見も聞くし、変な事言わないから」
レイは答えない。
「もう一度振り向いてお願い!」
レイは答えない。
「友達からやり直させて!」
レイは、振り向く事なく踏切を渡ってしまった。
「そんな、待ってよ!」
アヤメの体は、ようやくレイの元へ駈け出していた。急ぎ過ぎるあまり、前のめりになりながら、レイの方へ手を伸ばしていた。焦りから、体を上手く制御する事ができず、走り方もどこかぎこちない。
「はぁ、はぁ」
急に走ったからか、いつもより息がきれる。鼓動が速い。これは、レイにフられたからなのか?アヤメには分からなかった。
「よ、よし、もう、ちょっと」
何とか踏切まで追いついたアヤメだったが、カンカン、けたたましい音を立て遮断機が降りて来た。まるで、レイとアヤメの心を遮断するかのように。
「あ、あぁ」
アヤメは、遮断機によって区切られてしまったレイに、必死に手を伸ばした。しかし、その手がレイの手に触れる事はなかった。更にそんなアヤメに追い打ちを掛けるように目の前を、ガシャン、ドトン、列車が通った。アヤメは、完全に区切られた空間の反対側にいるレイに涙を流し、その場に座り込んだ。
アヤメが、絶望して座り込んでると、ポツリ、ポツリ、とアヤメの涙に答えるように、夕立が降って来た。あっというまに土砂降りになり、アヤメは雨に打たれびしょ濡れになった。その時、アヤメの中で嵌ってあった何かが音を立て回り始めた。
「そうか、きみは友達か」
アヤメの中身が音を立て変わっていった。どんな手を使っても彼女を振り向かせる。アヤメの頭の中はそれで支配されていた。もう、今までのアヤメは、涙として、夕立と共に流れていった。
「絶対振り向かせるからね!」
そう言ったアヤメの顔にはもう、涙は流れておらず、狂気じみた笑みが浮かんでいた。
「アハハハ、楽しみだなぁ!」
本能が狂い始め、本性が暴れ始めた。
第三章 悲劇
その夜、アヤメはある計画を思いついた。その計画は、今日のレイの言葉から、ヒントを貰って閃いたものだった。
「これなら今度こそ、レイを振りむかせられる」
そう呟いたアヤメの顔には、不敵な笑みが浮かんでいた。暗い空に懸った分厚い雲の向こうでは、怪しい光を灯した月が浮かんでいた。
「後悔しても、遅いんだからね」
アヤメは、明日から作戦を実行することにした。
次の日は、アヤメの初めてを嘲笑うような雨が降っていた。
「私の味方はいないのね」
そんなアヤメの問いに答えるように、ますます雨脚が強まった。
アヤメは、いつも通り洗面所に向かい、鏡を覗き込んだ。
すると、鏡には見たことのない様な、酷い顔をした女が立っていた。アヤメは、自分がまだ寝ぼけているのだと思い、目を覚まさせるために手に水をためてから、勢いよく被った。しかし、もう一度鏡を見て、アヤメは愕然とした。
「嘘、これが私・・・?」
そこに映し出しだされた女の顔は、般若の様な鋭い目つきをしており、今までの整った顔のアヤメは存在していなかった。
「フッ、フフフ。アハハハ。これが私?前よりも綺麗になっているじゃない」
もう、彼女は今までの彼女ではなくなった。
その後、アヤメは、彼女の妄想に耽る事なく、手際よく準備を進めた。すばやく朝食の支度を済まし、朝食を平らげると、急ぎ足で学校に向かった。途中、寄り道をして踏切に寄る事などなく、いつもより早いスピードで歩いていた。
学校についても、スピードを落とす事無く教室のドアを開けた。
「今年もそろそろ梅雨入りかー」
先に来ていた三人組が窓の外の雨を見ながら話していた。するとその内の一人が、アヤメに気付いて話しかけてかた。
「お!おはよう、今日はいつもより早いね」
「・・・」
それから、アヤメの隣をみて、不思議そうにアヤメに尋ねた。
「あれ?今日はレイと一緒じゃないの?珍しいね」
「あ、あのさ、それなんだけど・・・」
アヤメは、引き返せるなら引き返したかった。なぜなら、ここから先は渡ってはいけない橋を渡る事になるからである。でも、もう引き返せない。私は向こうに渡るんだ。レイに振り向いてもらうために。
「昨日さ、アイツと喧嘩しちゃてさ、それでもうアイツとは絶交することにしたの」
背徳感が身体を蝕んでいく。アヤメは、(もうすぐ蝕む所もなくなる。それまでの辛抱だ)と思った。
「えぇ!?」
突然のカミングアウトに一同ビックリして、アヤメに聞き返した。
「アヤメがレイと喧嘩した!?」
「あんなに仲がよかったのに!?」
「しかも、それで絶交!?」
「いったい、どんな喧嘩したのさ!」
「え、えっと」
アヤメは、三人の気迫に圧され少したじろいだ。しかし、アヤメは自分がもう引き返せない事を思い出し、前に進み続けた。
「それがさ、アイツ私のカレシを奪おうとしやがって」
「え?!レイってそんな事するようなやつだっけ?そんなイメージないんだけど」
「それな。でも、言われてみればやらないこともないか・・・」
「確かに、転校生だし、ちょっと顔が良いからって、調子のってんのかもね」
アヤメは、(よしよし、やっぱりこいつらは利用できそうね)と思い、ニヤリとその酷い顔をさらに醜く歪ました。
「でさでさ、私、アイツに仕返ししようと思うんだけど、ちょっと手伝ってくれない?」
「いいけどさ、それってヤバい事だったりしない?ソーユー事は手伝えないかな」
「ある程度の事なら手伝えるけど、やりすぎてたりするのはねー。バレた時、ヤバいし」
「私も。アヤメの頼みなら聞いてあげたいけど、あんまし、危ない橋を渡るようなことしたくないかな」
「大丈夫、大丈夫。三人が思ってるほどヤバいもんじゃないから」
「ならどんなのさ?」
「私がレイに仕返しをしていても、黙って見ててほしいの。それぐらい簡単でしょ?」
「なんだ、そんな事か。それなら余裕でできるよ」
「それくらいならまぁ、できなくもないかな」
「それなら危ない橋を渡らなくてもすみそうね」
三人はアヤメのお願いをしぶしぶ受け入れる事にした。アヤメは、(よしよし、やっぱりこれぐらいのお願いならきてくれるよね。本番はもっと頑張って貰うけど)と思った。こうして、アヤメの「レイ振り向かせ計画」の幕が開けた。さぁ役者は出そろった。後は主役が来るだけだ。
この劇には構成がある。初めは無視をし、アヤメの大事さを思い出してもらい次に、机や教科書、上履き等を汚していき、アヤメに助けを求めさせ最後に、プールでのフィナーレとする。アヤメはこの劇のヒロインで、レイは主人公だ。アヤメは、これから始まる劇に心を躍らせた。
暫くアヤメが、主人公が来るまでリハーサルをしていると間も無くして主人公が登場した。アヤメは、早速始めようと、意気込んで定位置についた。
「おはよう、アヤメちゃん。今日は早かったね」
「・・・」
レイの声からは気まずさを感じさせる震えを感じた。
「昨日はごめんね。その、いきなりだったから・・・」
「・・・」(いきなりじゃなかったら、フらなかったのか?違うだろ)
「やっぱりそう簡単に許してくれないよね・・・」
「・・・」(許すも何も、まだ諦めてないからね)
「・・・」
「・・・」(大丈夫、最後にはレイのほうからよってくるから)
「・・・」
さいわい、アヤメの予想通りお互い気まずくなっていたため、無視は簡単だった。なので、アヤメは心を痛める事無く自然にレイを無視し続けた。これから先のフィナーレに向けて。
それからアヤメは、いつもより早く出て、レイよりも先について、レイを無視する。そんな背割を一週間続けた。
本来、レイは、いつもならアヤメと、仲よく喋ったり、二人で喋りながら廊下を歩いたり、お弁当を見せあいっこしながら食べたりしていた。しかし、ここ一週間は、そうはいかなかった。
レイは、一人で過ごし、一人で歩き、誰にもみせる事無く一人で、お弁当を食べた。一人で過ごしているレイの顔は、どこかさびしげな様子だった。アヤメは、そんなレイを見て少し複雑な気持ちになった。アヤメの脳裏には、(本当は、私がいないと、レイはなんにも出来ないんじゃないのか?)とか、(ここまでしなくてもレイはいずれ、振り向いてくれたんじゃないか?)などの思いが湧いてきた。しかし、その度にトイレに向かって鏡を覗きこんだ。鏡に映ったアヤメの顔は、「相変わらず酷い顔ね」をしていた。アヤメは、そんな嫉妬で般若の様になった顔をみて、邪心を消し去っていた。
しかし、そんな生活もやがて終わりを告げた。なぜならばアヤメの悲劇は次のステージに進んでいったからだ。
そして、悲劇が開演してから一週間がたった日、第二幕へと移った。
アヤメは、学校に着くや否や、下駄箱にあるレイの上履きを手に取り、そして、プールに投げ捨てた。
そして、早足で教室に向かい、花瓶を手に取り、レイの机の前にたった。アヤメはスウッと一呼吸おくと、バシャン!と勢いよく花瓶の中身をぶちまけた。アカシアの花が机に横たわった。さいわい、一番初めに来ていたので教室には誰もいなかったので、誰にも見られる事はなかった。アヤメは、水浸しになった机を後にし、そのままアヤメは、レイのロッカーに向かった。そこから、教科書を取り出し、手にもったカッターで切り裂いた。そして、ボロボロになった教科書を水浸しになった机の上に投げ捨てた。
こうして、舞台のセッティングが完了した。さぁ、助けを求めるのだ。
レイは学校に着いてまず、自分の上履きがない事に気がついた。
「あれ?上履きは?」
レイは、辺りを見渡したが何処にも上履きらしき物も、犯人らしき者も見当たらなかった。レイが、下駄箱でうろうろしていると、新しい生徒が登校してきた。レイは、何か知っている事はないかと思って、試しに聞いてみた。
「ね、ねぇ。私の上履き知らない?ちょっと見当たらなくてさ」
すると、その子はビックリしたような表情を浮かべた。
「もしかして、あれって君のやつだったの!?」
「もしかして、知ってるの?」
「知ってるも何も、ついさっき見たところさ」
レイは、嫌な予感がしながら、続きを聞いた。
「どこでみたの?」
「プールに浮いてたよ!ありゃ、ひどいな」
レイの予感は的中した。レイは、急いでプールに向かった。
「う、嘘」
そこには、汚れたプールにレイの上履きが浮かんでいた。
「どうにかして取らないと」
その時、レイはプールサイドに置いてあるデッキブラシが目に入った。
「これなら!」
レイは、デッキブラシを片手に必死に身を乗り出した。小さい身体が、必死に伸びた。
「よ、よし!と、取れた!」
そして、レイの健闘のおかげで、何とか上履きを救い出す事を出来た。しかし、上履きは見るも無残な姿に変貌していた。
「う、取り敢えず、何処かで洗おう」
レイは、変わり果てた上履きを持ってプールを後にした。
プールを後にしたレイは、グラウンドに付いてある水道で上履きを洗っていた。しかし、上履きに染みついた汚れは落ちても、臭いだけは、中々落とせずにいた。
「誰がこんな事を・・・・」
レイは、上履きを擦りながら呟いた。しかし、レイにはある程度の犯人像は掴めていた。その後も、諦める事無く洗っていたが、臭いだけはどうする事もできなかった。
「はぁ。最悪」
レイは結局、ドブの様な臭いがするびしょ濡れの上履きを履いて教室に向かうしかなかった。
レイは、ビチャ、ビチャ、と足音を立てながら教室に向かった。途中、ヒソヒソとレイの悪口を言う声が聴こえたが、レイはより一層足音を立てて歩みを進めた。何で私が?レイの頭はそれで一杯だった。
レイは、ビチャビチャ音と共に、教室に着いた。しかし、教室に着くとドアの前には、不思議な人だかりが出来ていた。レイは、そんな人だかりを見て、嫌な予感がした。
予感が当たって無い事を祈りながらレイは、扉を開けた。しかし、どうやら今日の予感はよく当たるようだ。
「酷い・・・。誰がこんな事を・・・」
そこには、変わり果てた机があった。花瓶がひっくり返され、水浸しになった机。その上には、飾ったアカシアの花と、カッターの様な物で引き裂かれた教科書が置かれていた。
レイは、あまりの所業におもわず吐き気をもよおし、急いでトイレに向かった。
レイは、トイレに着くや否や便器に顔を突っ込んでうずくまった。
「ウゲェ・・・」
口から嘔吐物が出て来た。レイは苦くて、苦しくなった。
「何で?何で?私なの?」
一体自分が何をしたっていうんだ?何故、こんな目に遭わされなくてはいけない?レイは、涙ぐみながら考えた。
その時、涙でぼやけたレイの目にはアヤメの姿が映った。彼女の机を汚し、教科書を捨て、上履きを投げ入れた、アヤメの姿が。しかし、レイはすぐに自分の考えを否定した。まさか、アヤメがそんな事をする訳ない!と。けれども、レイはその考えを否定しきれなかった。確かに、アヤメがレイを無視し始めた時期といじめが始まった時期が、あまりにも一致しすぎている。それに、レイに自身にとって、心当たりはそれぐらいしかなかった。
「まさかね・・・」
レイはアヤメの方を見たが、相変わらずアヤメはそっぽを向いていた。それを見たレイは、
「ないない。やっぱり私の思い違いか」
と、思いこむしか、アヤメとの楽しい時間を傷つけない方法は、なかった。
それから、何日かそういったイジメが、続いていたが、遂にそのイジメも終わりを告げ、いよいよ、「フィナーレ」の時がやって来た。
アヤメはある日、いつも通り学校に早く着き、そして、またあの三人に話しかけた。
「おはよう。今日は手伝って欲しい事があるんだけどいいかな」
三人は、アヤメからのいきなりのお願いに少々、不服そうな表情を浮かべたが、首を縦に振った。
「いいけど、あんまり過激な事はやめといたほうがいいんじゃない?」
「前も言ったけど、危ないのは、手伝えないからね」
「最近、ちょっとやり過ぎなんじゃい?あんなのは手伝えないよ」
アヤメは、そんな三人の態度に少し、苛立ちながらも、三人に話を続けた。
「大丈夫、大丈夫だから、そんな焦らなくても、平気だよ。何も君たちに直接手を掛けろ、なんてお願いする訳ないじゃん」
そのアヤメの言葉に三人は、安心した表情を浮かべた。それを見たアヤメは思った。どうやら、この体は完全に嘘に、蝕まれてしまったと。
「それじゃあ、言うね。レイを今日の放課後、プールに呼び出して欲しい。これぐらい、簡単でしょ?」
それを聞いた三人は、何故?と頭によぎったが次のアヤメの言葉を聞いて、二つ返事で答えた。
「ほら、私が呼び出すと、怪しまれるし、それに、警戒して来ないかもしれないでしょ?」
「なるほどね!なら、手伝わせてもらうわ!」
「そういうことね!アヤメも中々賢いじゃん!」
「まかせて!それぐらいなら、お茶の子さいさいよ!」
アヤメは、そんな三人の返事を聞いてニヤリと口を歪めた。いよいよ、悲劇もフィナーレに向かっていくと思うと、わくわくが止まらなかった。
その日の放課後、レイは、三人の内の一人から呼びとめられた。
「何の用だろう?」
レイは、不思議に思いながらも、その呼びかけに応じた。
「いまからさ、ちょっとプールまで行って来てほしんだけど」
「どうして?」
「いや、なんか伝言を預かっててさ。今日の放課後、レイをプールに連れて来てくださいってな」
「だれから?一体どうして?もう少し詳しく教えてくれないかな?」
「クソッ」
レイは、アヤメが思ったよりも警戒心が強かったようだ。それもそのはず、ここ最近のイジメで、レイの警戒心は研ぎ澄まされていた。
「あぁもう、なら正直にいうよ。アヤメが、アンタを呼んでいる。それで満足か?」
どうやら、この劇には、配役ミスがあったようだ。それは、この三人の頭の悪さを吟味しなかったアヤメのミスだ。
「ありがとう。満足した」
レイは、約束どおり放課後、プールに向かった。
レイは、プールの水面を見ながらアヤメの事を待っていた。そして、レイはアヤメに質問するつもりだった。なぜ、こんな所に呼び出したのか。自分をイジメていたのは、やはりアヤメなのか。まだ、あの時の事をまだ怒っているのか。アヤメには、聞きたい事が沢山あった。
そんな事を考えながら、中々現れないアヤメに痺れを切らしていると、
ドン!
と、言う大きな音と共に、背中に強い衝撃が走った。
「え、?」
レイは、後ろからの衝撃で体が中に舞った。そして、次の瞬間、
バシャン!
と、大きな音を立てて、レイの体は水の中に落ちた。
「ガボッ、ガハ」
レイは急いで顔を出して息を吸おうとした。
「ガブッ、ゴフ」
しかし、六月の暑さで大量の藻が生えており、足を取られ、レイは顔を水面から事が出来なかった。しかも、普通の人よりも小さいレイならなおさら、プールの底に足をつけて立つ事は難しかった。
バシャバシャと悶え苦しむレイ。小さいからを必死に動かし、派手な音を立てている。その姿は、塩素にやられ、沈んでいく虫そのものだった。そんなレイの所にアヤメがにじり寄って来た。
「だ、ガフッ、だ、だれか、ゴブッ、た、たすけて」
レイは、自分に近づいてくる人影に助けを求めた。しかし、レイの小さな肺には、誰かを呼びとめるほどの声を出すための空気は、残っていなかった。
「も、もうむり・・・」
苦しい。一口でいいから酸素が欲しい。体が重い。どんどん沈んでいく。暗い。誰か。助けて。
やがてレイは、力尽きて暴れるのを止めた。彼女の小さな体が沈んでいく。しかし、彼女は最後まで諦める事無く、最後の力を振り絞り、アヤメの方に手を伸ばしていた。アヤメに手をとって貰うために。
しかし、アヤメはレイの伸ばした手を取ろうとしなかった。
「やっぱり、私に手を差し伸べて来たのは、レイの方じゃないか。私は、女の子だからレイを好きになったんじゃなくて、一人の人として好きになったのに」
「・・・」
レイには、もう言葉を発する体力なんて残っていなかった。
「それをなによ。女の子だから好きになったと思いこんで。ほんと、あんたって最悪ね。自分で誘っときながらさ」
「・・・」
「まぁそのまま、手を伸ばし続けて頂戴ね」
そう言うと、溺れていくレイにアヤメは、さらににじり寄った。そして、レイの伸ばした手に、そっと口吻をした。
その後、レイは、アヤメがレイにやりすぎた事をしていないかを見に来た三人の手によって助けられた。
「おい、大丈夫か?!」
「やばい、こいつ息してないよ!」
「早く救急車呼んで!」
レイは、その後救急車に乗せられ、近くの病院に搬送された。
第四章 踏切
あの事件の後、レイは入院していた。これでやっと、彼女に私の気持ちが伝わった、と確かな手ごたえを感じていたアヤメだが、レイが学校に来なくなってその結果を確かめられずにいた。
しかし、あの事件から二週間後の梅雨が明けの快晴の日、レイが学校に来た。入院する前のレイと違って、目は少し暗い色をして、もともと細身な方であったが、さらに少し痩せたようだった。しかし、アヤメそんな事は気にせず、結果を確かめられる事が嬉しくて、レイの方から答えが返ってくるのを待っていた。
暫くしてレイが、フラフラと近づいてきた。そして、アヤメの隣の席に座って、アヤメに話しかけた。
「ねぇ、アヤメちゃん。話があるから一緒に帰らない?」
アヤメは歓喜した。(ついに、レイの方から誘ってきた!やっぱり、あの計画は成功だったんだ!)と、ついに自分の夢が叶う事に、嬉しくてたまらなかった。
「もちろん、良いけど」
アヤメは、目を喜びでキラキラさせながら答えた。その表情もきっと、レイには伝わっていただろう。
しかし、それからレイは、一言も喋る事もなく、自分の席に戻って、顔をふせた。アヤメは、もっとレイと話したかったが、一先ず計画の成功と、今日の放課後の事で頭が一杯だった。しかし、楽しみにしている事は中々訪れないもので、今日の授業は一限、一限が、長く感じた。
長かった授業を終えると、いよいよ放課後がやったってきた。アヤメは、ウキウキでレイから話しかけられるのを待っていた。
「一緒に帰ろう?」
「うん!」
アヤメは、待っていましたとばかりに、ウキウキで答えた。
それから、約一カ月ぶりに二人は、並んで歩いた。アヤメは、あの日以来のドキドキを胸に、秘めながら、レイとの時間をかみしめていた。あぁ、やっぱり、レイは可愛いな等思いながらレイを見つめていたが、レイはこちらにまるで気付いてないかのように、歩き続けた。
そして、レイの口から何も発せられないまま、とうとうあの場所まできてしまった。この、計画が始まったあの場所だ。レイは、この場所に来るとようやく、口を開いた。
「ねぇ。一つ聞いてもいかな」
「な、なに」
アヤメは、遂にこの時が来た!と、思って興奮した。しかし、レイの口から放たれた言葉は、アヤメが予想していた物とは、かけ離れていた。
「アヤメちゃんは、私の友達だよね」
アヤメは、愕然とした。まさか始めに口にする言葉がそれだとは。それは、アヤメが最も嫌いな言葉だった。確かに、レイから見た私は、友達かもしれない。だけど、私から見たレイは、立派な想い人なのだから。
「そうだけど・・・」
アヤメは、不服そうに答えた。
「よかった。だよね。アヤメちゃんは友達だもんね」
「何が言いたいのよ」
アヤメが、また鋭い目つきで睨みつけた。しかし、レイは怯むことなく、話を続けた。
「友達なら、私の事イジメたりしてないよね」
「う、うん」
アヤメは嘘をついた。しかし、嘘をつく事には、なれていた。レイ以外には。
「そっか。安心したよ」
すると次の瞬間、レイは、踏切へ駈け出した。しかし、今回は、踏切の遮断機は降りていた。
「ちょっと、どこいくのよ!」
アヤメは、またしても、レイに追いつくために必死に走った。もちろん、彼女を掴むため、手を伸ばしながら。アヤメの脳裏に最悪の結果がよぎった。まだ彼女を越えさせる訳にはいかない。
しかし、レイは、振り向く事無く、踏切まで走り続けると、遮断機を跨いで、線路の中に入った。そして、レイは遮断機の降りた踏切の中に立ち、そして、最後にアヤメの方を向いた。レイの顔には涙は浮かんでおらず、むしろ天使のような笑顔をしていた。そして、そんな笑顔を向けながら、最後にアヤメにこう言った。
「ありがとう。君は友達」
ガシャン!
と、大きな音を立て、列車が止まった。しかし、その先頭車両の先端は赤色に染まっていた。
「あ、あ、あ、」
アヤメは、音にビックリして、腰を抜かし、その場に座り込んでしまった。いや、自分の予想が当たってしまった事に驚いているのかもしれないが。
アヤメは、目の前で起きている事がよくつかめずにいた。まさか、本当にこんな事になるなんて!レイは一体どこにいったのだ?どうしてこんな事になってしまったのか?アヤメは考えたくもなかった。
「あ、あ、あ、あ」
「う、え?!え、え?う、うそだよね」
「レ、レイ!?レイったら!」
彼女は答えない。
「そ、そんな、ねぇ、レイったら!」
彼女は答えない。
「う、うそでしょ、ほ、ほんとに」
彼女は答えない。
その時アヤメは初めて分かった。レイはもう此の世にいないのだと。そう、悟ったと同時に、アヤメの視界は、涙でぼやけて見えなくなった。
「う、、、わ、わたしが、わたしが、わるかったから」
「・・・」
彼女は無視をした。
「だから、お願い、私をゆるして」
アヤメは彼女に祈るように、手を合わせ地面に頭を擦りつけながら、土下座した。しかし、彼女からの返答はこうだった。
「君は友達」
[え……?」
しかし、それ以上アヤメの耳に彼女の声が届くことはなかった。
そして今回も、レイはアヤメの手を取る事はなかった。一線を越えないために。
こうして、アヤメは彼女に、いや、夏に呪われてしまったのである。
レイの前で泣くアヤメのとうるさく鳴くセミの鳴き声が共鳴して夏空にこだまする。
じりじりと揺れる陽炎。歪んだ世界と視界に、レイの鞄についていた御揃いのキーホルダーが、永久に千切れていった。
他にもシリーズものをいくつか投稿する予定です。頑張ります。