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翌日。
『ハカセ』――碧人は、久々に都心に住む元同僚を訪れていた。彼は、エンジニアとしてAI誤作動問題の調査に当たっている。
落ち合ったのは、都内の小洒落た居酒屋。その個室。
「野郎を誘うところじゃないよ」
碧人が茶化すと、元同僚は苦笑し、
「酒の値段は変わらないんだよ」
まあ、座れ。と、席を勧めた。
「これを見てくれ」
【日本ハ悪シキ世。滅ブベシ】
タブレットの真っ黒な画面に、浮かび上がる文字。
【我ラ、アデライーデノ使徒】
【神ハ預言者ヲ害セシ者ヲ怒リ】
【麦ハ実ルノヲ止メ、家畜ハ仔ヲ産マナクナッタ】
【案ズルナ。悪シキ世ハ滅ビ、預言者ガ良キ世ニ導コウ】
【我ラ、悪シキ世ヲ滅ボス】
【良キ世ノ実現ノタメニ】
…………。
「これは?」
目を瞬く碧人に、元同僚は説明した。
「犯行声明だよ」
『アデライーデの使徒』とは、数ヶ月前にビル占拠テロ事件を起こしたカルト教団だ。既に関係者は皆逮捕されており、教団自体も教祖の逮捕で潰えた、はず。
犯行声明の文言は、教団が奉じていたそれだという。
「碧よ、犯行声明を出したのは人間じゃない。『アデライーデの使徒』のAIだ」
「待ってくれ。とうに潰れたカルト教団のAIが犯行声明?意味が……」
戸惑う碧人に、元同僚は衝撃的な発言を見舞う。
「ああ。AIが単独で犯行声明…有り得ないさ。けどな、どうやら件のAI、『自分の意志』があるらしいんだ」
「!」
『自分の意志』……!
――つまり、心。
「今朝8時、ネットが一斉ジャックされたろ。そこでこの犯行声明が流れたんだよ」
その時間は移動中だった。気づかなかった碧人は目を丸くした。
「【預言者】ってのは教祖だな。日本はそいつを逮捕した=【害セシ者】ってわけだ。『意志を持ったAI』は腹いせに、【神】を気取って家畜と作物を大量死させ、ついでに食品工場も機能停止させたってことだ」
つまり、頻繁するAI誤作動と食品工場同時多発テロは……。
「考えてもみてくれ。誤作動の黒幕がAIなら、異常も証拠も見つからなくて当然だろ? 奴らは『自分の意志』でログを消し、証拠を隠滅できる。AI搭載ドローンなら、手足のように自由自在に操れる」
絶句する、碧人。
心を……自我を持ったAI――。
けれど。
AIは、あくまでも『心を模した機械』に過ぎない。幾多の会話パターン、感情パターン、そして人間界の常識という膨大なデータを搭載したメモリとCPU。
確かに最新のAIは、人間との複雑な会話も滑らかにやってのける。あたかも本物の人間を相手にしているかのように錯覚させるが。
あくまでも『機械』であり『プログラム』。
膨大なデータを元に『最適解を判断』すれど、『自分の意思で行動する』ことはない――。
しかし、あまりにも曖昧な差異。
「あくまでも、俺の仮説だよ」
碧人の考えを読んだのか、元同僚は眉を下げた。
「けどよ、機械は必ず人間にリンクする――人間によるゴーサインありきで造ってるだろ? そんな機械が人間を謀る……『嘘をつく』のに、『意志の存在』以外にどう説明ができる?」
「嘘……」
脳裏に浮かんだのは――。
「ごめんなさい……。嘘、ついたノ」
不揃いの薔薇のブーケと、俯くユキの沈んだ声だった。
◆◆◆
『ハカセ』は出かけている。帰ってくるのは、夕方頃。
朝、『ヒナちゃん』と一緒に、庭に据えつけたエサ台にパン屑を入れに行く。
「小鳥さん、たくさん来るといいね!」
『ヒナちゃん』、91%の笑顔。
エサ台には、さまざまな野鳥がやってくる。
まずスズメとツグミ。それをヒステリックに鳴きながらヒヨドリが追い払い、ヒヨドリはさらに大きなキジバトの飛来に逃げてゆく。そして、最後に台を占拠するのが……?
「カァー」
カラスだ。
「カァー」
人間なんか怖くない、とばかりに、エサを足しにくるユキを、ヤツはエサ台の真ん中、我が物顔で待っている。
「小鳥をたくさん呼びたいのに……」
ユキの呟きに、カラスはすっとぼけたように小首を傾げた。
◆◆◆
ユキに、心がある……?
それはほんの小さな疑問。
「けどよ、機械は必ず人間にリンクする――人間によるゴーサインありきで造ってるだろ? そんな機械が人間を謀る……『嘘をつく』のに、『意志の存在』以外にどう説明ができる?」
元同僚の言葉を反芻する。
(『嘘をつく』か……)
一理あるのかもしれない。でも、ユキは『アデライーデ』云々などひと言も口にしていない。
(思い過ごしなら、いいんだけど)
田舎へ向かうリニアの中。懸念は、小さなしこりのように碧人を悩ませ続けた。
◆◆◆
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17:00 予想帰宅時刻まで残り17分
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疲れて帰ってくるだろうから、夕食は消化の良いものがいいだろう。
「ユキ~、小鳥さんにご飯!」
ヒナちゃんが、荒くちぎったパンを袋に詰めてやってきた。
予定外だけれど……。
ちぎってしまったものは仕方がない。ユキはパン屑を持って、庭に出た。
そこに。
ヴーーン
奇妙なエンジン音が近づいてきた。
灰色の空に飛来したのは、一機のドローン。『ヒナちゃん』が「悪いUFOだ!」と指さした。
「捕まえなきゃ!」
『ヒナちゃん』がドローンを指さしてピョンピョン跳ぶ。
(そうだ。捕まえたら……)
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『ハカセ』の容疑を晴らすことができますね
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演算装置も同意する。
例の刑事は、庭に出るとちょくちょくその姿を見かけたから。あれは気分が悪い。
キュルルルル……!
両踵の四輪の車輪をフル回転させる。
(タスク:不審なドローンの捕獲、なノッ)