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誤字報告ありがとうございます(*´▽`*)
一度「楽しいこと」を訊かれた『ヒナちゃん』は強かった。なんとかして、楽しいお休みをゲットしようと、ユキを説得にかかったのだ。
「『ヒナ』が楽しいって思うんだよ? 『ハカセ』だって、絶対絶対ぜった~~いに楽しいもん! 笑っちゃうよ?」
これが、決め手となってしまった。
かくして、おやつ・ペット・お出かけ計画は、実行に移されたのである。
①のおやつは、『ヒナちゃん』が早起きして、ユキが作っておいたクッキー生地の型を抜いて焼いた。……完了。
②……。
さすがに『ハカセ』の許可なくペットを飼うわけには……。
「大丈夫! オレンジを半分に切って、お庭の木の枝に刺しておくの。そしたら、小鳥さんが来てくれるって、おじいちゃんが言ってた!」
『ヒナちゃん』にとっては、庭木にやって来る野鳥もペットの範囲内らしい。
とりあえず三つ、オレンジを半割にして枝に刺した。
そして、③のお出かけ。『ヒナちゃん』曰く、お散歩して町の人にご挨拶してお買い物……らしい。何を買うのか聞くと、迷いなく「お洋服!」という答えが返ってきた。
◆◆◆
子供とアンドロイドのわがまま(?)で、でかけることになった。
碧人は滅多に外出しない。買い物は全て宅配便で済ませている。街を歩くのは久しぶりだった。
ヒナちゃんは、行きあう知らない大人に次々と元気に挨拶する。そして、彼女を見習ってかユキも「こんにちは」とペコリ。
「お父さんとおでかけ? どこに行くの?」
ニコニコと老婦人が笑いかけてきた。
そんな風に見えるのだろうか。少し、気恥ずかしい。
そうかと思えば、ヒナちゃんは魚屋さんの前。魚を捌く様子に釘付け。店のおじさんが「この魚はな……」と言いかけて、
「修理屋の兄さんじゃないか!」
と、目を丸くした。
「いやぁ、看板直していただきまして、その節はお世話に」
おじさんが上を指さす。釣られて顔をあげて、碧人はようやく思い出した。
魚・タコ・イカが動く大看板。夜になるとネオン彩るそれを修理したのは……。
「先々代から使ってる年代物でしてね。壊れた時はもうどうしようかと」
呆然と上を見上げる碧人に、店のご主人は陽気に笑う。
確か、タコの足が動かなくなって、ネオンが点かなくなったとかで……。
「その後、問題ありませんか?」
機械の構造を思い出しながら尋ねる碧人に、「絶好調ですよ」と返事が返ってくる。
――思い出した。修理屋を始めて間もない頃の仕事。システム開発出身の自分は、『アナログ』なメカの修理にかなり苦労したっけ。今では当たり前につきあっている業者とも、この看板が縁で……。
しばし談笑した後、お土産までもらってしまった。
「今日はお刺身だね!」
ヒナちゃんがはしゃいだ。
次に訪れたのは、ペットショップ。
ヒナちゃんを預かるときに、それなりの金額を預かってはいるが……。両親の許可なくペットを買うわけにはいかないだろう。
彼女を促して、先へ進もうとしたのだが。
「こんにちは!」
碧人が声をかける前に、彼女は元気よく店員さんを呼び寄せてしまった。
◆◆◆
「ウサギさんが気になるのかな?」
74%の笑顔の店員に、『ヒナちゃん』はふるふると首を横に振る。だけれど、89%の笑顔だ。
「小鳥さんのご飯、ください!」
これは、出かける前にあらかじめ話し合っていた買い物だ。でも、一つ忘れている。
「小鳥のエサ台、売っていますか?」
エサ台を設置すれば、たくさん小鳥がやってくる。
(『ハカセ』、笑顔になってほしいノ……)
今はまだ、12%の笑顔。
◆◆◆
結論から言うと、『エサ台』はなかった。代わりに買ったのは、巣箱。
「ペットショップでこんなものを売ってるんだなぁ……」
ユキと手を繫ぐヒナちゃんははしゃいでいる。さっき、小さな雑貨店で髪ゴムを買ったからだ。ツインテールの根元に、ピンクの星が揺れている。
ふと、ユキの髪に目を向ける。
ユキは、もともと腰までのロングヘアだった。けれど、遺棄されていたときの汚れが落ちず、バッサリと切り落としてしまった。碧人がカットした髪は、長さが少々不揃いだ。
(今度、床屋さんに頼んで整えてもらおうか)
アンドロイドに心などあるはずがない。
けれど。
頬を包む温もり。心配そうな眼差し。
何か――無性に返したいのだ。彼女に。
喜ばせたい――。
「あ! 洋服屋さんだよ!」
ヒナちゃんの声に現実に引き戻される。
スーツを着た男性の等身大の立て看板、独特な匂いの白煙。ヒナちゃんは、クリーニング屋を知らないらしく、あれ? と首を傾げていた。
「あ……」
『平日早朝受付、夕方受取』のロゴの向こう、たくさんのチューブや配線がついたロボットがワイシャツを着ている。
ガシャン、と音を立てて前と後ろから機械がロボットをサンドイッチ。長袖の袖口を平べったいツマミが挟んで左右にピンと引っぱって、プシューッ、と白い蒸気。そうしたらあら不思議。皺一つないお父さんのワイシャツの出来上がり。
(立体ボディ仕上げ機だ……!)
ワイシャツの皺を丸ごと伸ばす旧式の業務用機器は、確かに碧人が修理したものだ。動作確認はしたものの、実際に使われている現場は、今初めて見たかもしれない。
その後も商店街のさまざまなお店を覗いた。
和菓子屋さんのラベル貼り機
ポイントカード印字機
業務用ミシン……
修理した機器を見かける度に立ち止まり、時に店の人間と言葉を交わし。気づけば、『おでかけ』をすっかりリードしている自分がいた。
菜摘が逝ってからずっと。
大切なモノは――生きる喜びは無くなってしまったと思っていた。
彼女の分まで生きること。
生真面目に生真面目に。
只管に仕事をこなして……。
けれど。
この街には確かに、かつて碧人が甦らせたモノが生きていて。今も役に立っていて。出会った笑顔に、妙に胸が熱く、心が震える。
Du, meines Lebens Freude.
このフレーズが好きなの――。
柔らかな声。腕に絡まる細腕と温かな重み。
「私にとって“Du”は、碧さんで、家族で、お客さんで、ご近所さんで、この薔薇たちで……。たくさんあって欲張りかしら。でもみんな、私の人生を彩ってくれる“Freude”なの」
あの時、自分は菜摘に何と返したっけ……。
◆◆◆
17:26 研究所帰着
『ユキ』が夕食準備をしている間に、『ハカセ』は自ら巣箱を設置し、さらに余った資材でエサ台まで作成したらしい。
「エサはパン屑にしようか」
「うん!」
楽しげな会話を背に、キッチンで働くユキの口元がほんのり弧を描いた。