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16:30……水やりの時間です
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「お水、汲んだよ~」
『ヒナちゃん』が、コプコプと水を零しながら、満タンに水を入れたじょうろをヨチヨチと運んでくる。
『ナツミさん』の花壇。「やる!」と言い張る彼女のために、ユキの仕事は専ら、水やり作業をする『ヒナちゃん』の補助になっている。
盛大に水を零しながらの水やりの後、アゲハチョウを追いかけるのに夢中になった『ヒナちゃん』を置いて、ユキはじょうろを片付けに……。
「あっ! UFOだぁ!!」
『ヒナちゃん』の大声と、
ガシャッ!! ボンッ!!
尋常ならざる音に、ユキは踵を急転回させた。
「花壇にUFOが落ちたぁ!!」
『ヒナちゃん』の指さす方向には花壇。真ん中から灰色の煙が上っている。
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煙を探知しました。火災です!
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演算装置が警告する。
落ちた『UFO』は、燃料にでも引火したのか、オレンジ色の炎をあげて、薔薇を燃やしている。
「燃えてる! お水!」
◆◆◆
窓から見えた煙に、碧人は慌てて庭に走り出た。
「どうした?!」
ヒナちゃんが「燃えてる!」と叫びながら、ホースを持つユキの周りを走り回っている。視界に、煙に包まれる花壇が映った。見れば、円盤状の何かが燃えている。
碧人が走り回るヒナちゃんを確保し、ホースの水が迸る。
けれど……。
花壇は全体が黒く煤けてしまった。
◆◆◆
花壇に墜落していたのは、ドローンだった。誰が飛ばしたのか、なぜあそこまで激しく燃えたのかはわからない。
『碧さん見て見て! 私の薔薇園!』
ここに引っ越してすぐ、妻は今まで鉢植えで育てていた薔薇を、庭に植え替えた。露地植えの方が、木を大きくできるから、と。
植え替えて初めての夏、色とりどりの花を背に、妻は嬉しそうにじょうろ片手にクルクルと踊っていたっけ……。
(ごめんな……)
謝罪は、口から零れることなく消える。
花壇――亡き妻を強く思い出す場所。故人の部屋を生前のままに整えるように、花壇もまた……。
低い白バラの繁み。きっともうダメだろう。
(ごめん……)
外は暗闇。碧人の心の内のようだった。
◆◆◆
(どうしよう……)
カメラが捉えるのは、無惨に焼け焦げた薔薇。
『ナツミさん』の花壇。『ハカセ』は、ここの維持――枯らさず、変えず――を最優先タスクに設定している。
『ハカセ』の大切な大切な『ナツミさん』の薔薇……。
タスクに失敗した。
『ハカセ』はこの薔薇を見て、とても悲しそうな顔をしていた。
無意味に瞳が右に左に微動する。
不具合でもないのに、両の手が震える。
(どうしたら、いいノ……)
キュッと両手を握りしめた。
頼りの演算装置は……?
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根元が焦げた薔薇は再生しません
残骸を片付けましょう
各薔薇の状況を分析中…………完了
下記の品種は再生可能性があります
シンデレラ:85%
プリンセス・オブ・ウェールズ:78%
アプローズ:72%
ピース:66%
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半数以下だ。
それでも。
演算装置の指示に従い、ドローンが倒した花を起こし、支柱を立てて補強し。根元が焼けた株を引き抜き……。
地にしがみつこうとする根を引き抜く――モーターが唸る度に、回路が熱を帯びる。
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最優先タスク:薔薇の維持に失敗。至急報告が必要です
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演算装置が警告する度に、ボディが熱を貯めてゆく。
焼け落ちた木っ端をかき集めて、抜いた株と一箇所にまとめ、土を均して……。
『ゴミ』の山。ふと、足許に『ヒナちゃん』が花冠を作った雑草の花を見つけた。
ピピ……ピピピ……
演算装置に問う。
再利用の可否は?
◆◆◆
「『ハカセ』、あの……」
ユキがやってきた。
ヒナちゃんは、疲れて寝てしまった。
「今日の夕飯はナシにしてくれ。食べる気がしな」
言いながら振り返った碧人の眼が大きく見開かれた。
赤 黄 白 青 橙……
大輪の薔薇が、視界いっぱいに……。
「『ナツミさん』から、『ハカセ』に……プレゼントです」
「え……?」
目を瞬く。プレゼント?
薔薇のブーケが少しだけ離れた。その向こうにはユキがいる。彼女は俯いて、
「ごめんなさい……。嘘、ついたノ」
蚊の鳴くような声で、ポツリと言った。
(……嘘?)
碧人を元気づけようと? そのために花を集めてきたのなら……。
(これは……!)
そこで気づいた。ブーケの薔薇の一本一本の長さに、ずいぶんばらつきがあることに。花屋で売られているようなしっかりしたものもあれば、剪定された脇芽のような細くて短い枝もある。その中に、あの丈の低い白薔薇も混じっていることに気づく。まさか……。
「もしかして、ダメになった薔薇の花を……全部?」
ブーケの根元を握るユキの手は、泥と煤ですっかり汚れていた。
「捨てたく、なかったノ」
揺れる瞳に、不安げな表情。
命など……『心』などないはずのそれに、胸を摑まれた心地がした。
フッと息を吐き出して。旧式アンドロイドに、くしゃりと笑いかけた途端、溜まった涙が頬に筋を作った。薔薇の甘い香りが鼻腔をくすぐる。
ほら、しっかり!
思い出すのは、菜摘の明るい声。
とてもできた妻だった。
彼女に、前を向け、と言われた気がした。
ポタポタと足許に小さな水たまりをつくる碧人の前で、手近な花瓶に大輪の薔薇を咲かせると、ユキは部屋を出ていった。
「……ありがとう」
さあ、前を向かなくては。