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「~♪~♪」
『ハカセ』は仕事中。
機嫌がいい。いつもの鼻歌が聞こえる。
修理しているのは、旧式の犬型ロボット。メーカーも今は無く、部品もロットアウトしている。
「『ナツミ』は、裁縫が得意だったんだ。古い洋服や着物をリメイクして、また使えるようにする。僕も、修理を通じて誰かの大切なものを甦らせたいんだ」
そんなことを、いつか話していた。
「~♪~♪」
今は……37%の笑顔。
40%以上の笑顔は、記録にない。人間の目には、ふにゃりと笑んでいるような顔。でも、AIは誤魔化せない。
『ハカセ』は平均よりはるかに、笑わない。
「~♪~♪」
鼻歌は、平均23.4秒のゆったりした旋律を繰り返している。
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スイーツを持って行きましょう
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演算装置が提案した。
掃除中断、キッチンへ入る。卵、小麦粉、バター、砂糖、チョコレート…クイックレシピ『ユキ特製♡エクレア』――。
ピピッ
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電波受信……
アップデートプログラムあり。ダウンロード……
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◆◆◆
「『ハカセ』、ユキから差し入れ、ダゾ?」
トレイに湯気の立つコーヒーカップ、そして一口サイズの小さなエクレアが、行儀良く皿に並んでいる。
「ありがとう、ユキ。そこに置いてくれるかい?」
ピピ……
ーーーーーーーーーーー
ダウンロード100%完了
インストール……
……失敗
権限者の許可が必要です
ーーーーーーーーーーー
「ねえ『ハカセ』、アップデート……シテ?」
こてん、と首を傾げてユキが上目遣いに碧人を見つめる。
おや。
ぴくりと眉を上げた後、碧人は柔らかく笑んだ。
「ああ、また今度ね」
ピピ……
微かな電子音と共に、くるりと踵を返した背を見送る。
ユキは、オフライン稼働。アップデート要求は、古いシステムにありがちな無意味な催促。その時はそう捉えた。
呼鈴が鳴る。定期宅配便だ。
◆◆◆
「まいど! おっ『ユキ』ちゃん!」
玄関口。荷物運びは、『ユキ』のタスクの代表的なものだ。
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荷物内容を確認します
伝票を読み取っています……
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食料品に洗剤などの日用品、『ハカセ』の仕事関連の荷物。
「荷物全部オッケー♪ お仕事、お疲れ様っ」
「おう。労ってくれるのは『ユキ』ちゃんくらいさ」
配達員の若者が82%の笑顔で、『ユキ』の肩までの桃色の髪を撫でた。
演算装置の働きで、『ユキ』は目蓋を32%クローズ――目を細める動作をした。
ピピッ
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アップデートプログラムのインストール……失敗
権限者の許可が必要です
音声データを受信中……
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◆◆◆
伝票にサインをしていると、配達員の若者は思い出したように言いだした。
「メールが届いたと思うんですけど、ついにウチもカードが使えなくなっちゃいまして。次回から代金引換になりますんで……」
気まずげに「すんません」と頭を下げる彼に、碧人は首を横に振った。
「仕方ないよ」
今、機械――AI誤作動が急増している。
AI管理の養鶏場で、誤作動による鶏大量死は記憶に新しい。鶏舎が42度という異常な高温に保たれ、絶えず回っているはずの換気扇も停止していたという。
その数日後、今度はカード会社のAIが誤作動を頻発、送金トラブルが相次ぎ、生産から物流まで多大な影響を撒き散らしている。
「あ、そうそう。碧さん、顔色良くなりましたね」
不意に指摘され、碧人は目を瞬く。
「そう、……かな?」
菜摘を亡くして、酒浸りにこそならなかったが、健康に気をつけているわけでもない。
「ユキちゃんが来てから、野菜や果物の注文が増えましたもん。食事って大事ッスからね」
配達員の言葉に、重い段ボール箱を持ち上げる彼女に目をやる。
(そうなんだ。ユキが……)
家事全般――買い物もユキに任せている。菜摘存命時は和食中心だった食事が、洋食中心になってしまったものの――。
配達員を見送り、自宅の1階にある仕事場に戻る。
犬型ロボットのプログラムを最新型のAIに移植。けれど、旧式らしいぎこちない動作はそのままに……。
思い出を活かしつつ、今の時代でも――依頼主の孫に愛されるように……。
ボディの細かな傷を研磨。傷に強い塗装を施し……。
没頭すれば、あっという間に時は過ぎる。
空腹を感じ目をやった、デザートの皿。
添えられた瑞々しい数種のベリーとミント――『メイド』ゆえのチョイスなのかもしれない。けれど――。
フッと笑みを零す。
一粒摘まんで口に入れると、ラズベリーの爽やかな甘味が広がった。
その夜のことだ。
眠っていた碧人を、突然の警報音が叩き起こした。
ビーッ ビーッ ビーッ
「至急アップデートヲシテクダサイ! アップデートガ必要デス! アップデートシテクダサイ!!」
「ユキ?!」
普段とまるで違う強迫的な音声。いったい、どうしたというんだ……?
ビーッ ビーッ ビーッ
警報音が鳴り続ける。
「アップデートシテ! アップデートシテヨ! アップデートシロヨ!!」
「はい?! え?!」
気づけば、背中の電源ボタンを力いっぱい押さえていた。ユキがベッドの上に崩れ落ちる。
ぜいぜいと、肩が上下する。心臓がドコドコと暴れる。
ただ一つわかるのは――。
アップデート要求に応えてはならない。
悪意あるプログラム――ウィルスだろうか。その夜のうちに、碧人はユキを分解してくまなく調べたものの……結局異常は見つからなかった。