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話しかけてはいけない男

作者: 及川根緒

初ホラーに挑戦しました。楽しんでいただければ幸いです。


「あっ」


自分が乗る電車を間違えたことに気がついたのは、二駅目を発車してからのことだった。

有休を取って、趣味の博物館巡りのために普段は乗らないローカル鉄道で出かけた帰途。乗換駅にちょうど着いた電車に慌てて乗り込んだのが間違いだった。


俺は次に停まった駅で降り、そしてすぐに自分がバカだったと、発車する電車を見つめながらまた気がついた。

ここは小さな無人駅。もう少し乗り続けて大きな駅で降りれば、折り返しの電車の選択肢も増えたのに。自分のせっかちな性格が恨めしい。


午後三時過ぎ、今は夏。古いプラスチックの四人掛けベンチには屋根もない。

ホーム端の黄色い線もだいぶ薄くなっている。そもそも駅名自体聞いたことがない。この辺の地名か?周りはほぼ山だが。


俺はとりあえずベンチの端に座って、バッグからペットボトルを取り出した。朝買ったお茶が、残り半分。

しめらす程度に口をつけ、とりあえず一息ついた。


降り注ぐ日差しとセミの鳴き声が、小さな無人駅にやけに似合う。ここに座っていると、この世に人間は自分しかいないんじゃないかと錯覚する。

遠くの方で救急車か消防車のサイレンが聞こえる。この近くで火事でもあったのか。


ともかく乗り換えアプリを見ようと、ポケットからスマホを取り出した。


「チッ」


思わず舌打ちが出た。そういえば昨晩から、今月のデータ使用量が限度になって通信制限がかかっていたのだった。どうせ読み込み中のまま固まってしまう。

千円払って1ギガ追加すれば元の速度に戻るのだけど、それをしたら負けのような気がして我慢している。


乗り換えアプリと一緒にブラウザも立ち上げた。忘れた頃に読み込みが終わって時間までの暇つぶしにはなるだろう。


バッグを置いて、時刻表を見に行く。周りがさび付いていて、駅名表示も剥げている。

さっき降りた電車と反対側の欄の時刻を見る。この文字も日焼けで薄い。今は三時十五分。次は……。


「……マジか」


次は五十五分。今からこの炎天下で四十分待つというのか。熱中症で死ぬぞ。


ベンチにとりあえず戻ると、出口付近に機械が見えた。大昔の通信機器のような。見に行くと、


"インターホン ボタンを押して駅員とお話しください"


と書いてある。

とりあえずボタンを押してみる。よく考えたら、反対方向から来た電車に乗ったからといって、確実に元いた駅に戻れるとも限らないのだ。


プー、と気の抜けた電子音が鳴った。


……返事は無い。


もう一度押しても同じ結果になったのを見届けて、僕はベンチに戻ることにした。


「わっ」


人がいる。さっきまで誰もいなかったのに。


ベンチの端っこに座っていたのは、見たところ俺と同じくらいも三十前後の男。

チェックのネルシャツにジーンズ。こんなに熱いのに長袖だ。手にはバッグも何も持っていない。

長い前髪が目にかかっていて顔はよくわからないが、なんとなく冴えないタイプ。人のことは言えないが。


しかしこのせまい無人駅のホームで、人間一人を見落とすなんてことがあるだろうか?自分で思っていた以上に動揺して視野が狭くなっていたのか?

電車を降りた時はだいぶ腹をくくって、ちゃんと周りを見ていたはずだけど。


男は俺の声に反応して、ジロリとこちらに視線を向けた。

妙に落ち着いた、というか冷めた目をした男だ。それに何だろう、この違和感。


「あ、すいません。気づかなかったので、ついびっくりして」


とりあえず言い訳をしてみたけど、失礼だったかな。怒らせたらヤバい人だったらどうしよう。


「……いえ」


ギリギリ聞き取れるかどうかという声で男は答え、再び前を向いた。

俺は男とは反対側の端っこに腰を下ろした。


折り返しの電車が来るまで、まだ三十分以上待たなきゃいけない。いやだな。まだ一人の方がよかった。


もう一度、何気なく男に目をやった。

ちょうど男が右手で前髪に触れる。


……何だ、あのシミ。


男の手の平からヒジにかけて、赤黒いシミのようなものがべったりとついているのが見えた。ほんの一瞬だけど、確かに見た。

あれはもしかして、血?いや、まさか。もしそうなら結構な大ケガの量だ。のんびり電車を待ってる場合じゃない。


いったんシミは棚上げして、とりあえずスマホを取り出した。そろそろトップページくらいは表示されているはずだ。スマホを見ていれば間が持つ。


見ると、期待通りにトップページが読み込まれていた。先頭に"New"の文字が光る、ニュース速報の見出し。



"男性刺殺 犯人逃走中 T市"



殺人事件?T市って、確かちょうどこの辺じゃなかったっけ。


何気なく男を見ると、偶然目が合ってしまった。

あわてて視線をそらし、見出しをタップする。詳細表示までまた時間がかかる。こんなことなら千円払って1ギガ追加しとけばよかった。

……あ、今からでもできるか。


俺はメールフォルダにある、データ使用量のお知らせを開こうとした。


「あの」

「は、はいっ」


急に男が話しかけてきて、スマホを落としそうになった。とりあえずポケットにしまい、男に顔を向ける。


「降りる駅、間違えたんですか?」


意外にも、落ち着いたトーンで男は話した。手についた赤黒いシミがどうしても目に入る。俺はシミを見ないようにして答えた。


「いやあ、降りる駅というよりも、乗る電車自体を間違えちゃって。折り返しで戻ろうとしたんですけど、そういう意味では降りる駅も間違えました」

「そうですか」

「この駅は、普段から使うんですか?」

「いえ、たまたまです」

「あ、そうなんですか」


たまたま?


何となく線路沿いの柵に視線を移す。よく見ると、一部柵が壊れているように見える。侵入し放題じゃないか。もっとも、ここで無賃で乗り込んでも降りる駅で

脱出できなきゃ無意味だけど。


「……僕もね」

「え?あ、はい」


再び男が話し出した。今度は自分の足元を見つめたまま。


「乗る線を、いや、降りる線かな。間違えたんですよ。こんなはずじゃなかったのに、本当は」

「そ、そうなんですか。じゃあ、次の電車に乗れば戻れるんじゃないですか」

「戻れないんです」

「え」


俺が呆然としていると、男は顔を上げて少し笑った。


「大丈夫ですよ。電車は来ますし、多分次ので折り返せば乗り込んだ駅に戻れるはずです」

「はあ……」


いまいちかみ合わない。悪い人じゃなさそうだけど。


そろそろか、とスマホを見る。さっきのニュース速報の詳細が読み込まれていた。




”午後二時半頃、T市内在住の20代男性が包丁のようなもので胸を刺されているという通報があった。目撃情報によると、直前まで一緒にいたと見られる20代男性がS町方面に逃走したという。男は20代、身長165センチから175センチぐらいの長髪で、チェックの長袖シャツにジーンズを履いていた。警察は目撃情報を募るとともに、付近の住民に外出を控えるよう警戒を呼び掛けている。なお、刺された男性は病院へ搬送中に死亡が確認された。"




チェックの長袖シャツ。シーンズ。長髪。右手の赤黒いシミ。壊れた柵。

そういえばさっきサイレンが聞こえてた。消防車か救急車かと思ってたけど。


それに電車を降りた時。男がいたことに気づかなかったんじゃなかったとしたら。

俺がインターホンのところに行っている間に、あの壊れた柵からホームに侵入していたとしたら。


背中を一筋の汗がつたい、のどがカラカラに渇いていることに気づく。

静かに腕時計を見る。電車が来るまでまだしばらくある。


「どうかしました?」


男が言った。


「あ……いえ、気温を見てたんです。36度ですよ。熱中症になっちゃいますよね」


俺は極力動揺を悟られないように、ペットボトルのお茶を飲んだ。手を震わせてはいけない。歯がカチカチ鳴るのもおさえなくては。


「こういうところにいると、どこか遠くへ旅行に行きたくなりませんか?」


男が言った。視線は空をさまよっているように見える。


「ああ……そうですね」


とりあえずあいづちを打つしかない。


「誰も自分のことを知らない、何のしがらみもない世界」

「いいんじゃないですか」


頼む、早く電車よ来い。


遠くからまたサイレンが聞こえてきた。

俺は耐えきれなくなって、


「あー、俺、もういっぺんインターホンで聞いてみますね」


と言って、男の方は見ないでベンチから立ち上がった。

そそくさとインターホンのところへ行き、ボタンを押す。


今度はすぐにつながった。


「はい、どうされましたか?」

「あ、えーと、今……ああああっ」


いつのまにか、男が俺のすぐ近くに顔を近づけて立っていた。

心臓が止まりそうになりながら、俺は男から距離を取る。


「どうされました?大丈夫ですか?」


インターホンの向こうで駅員が呼び掛ける。


「あ、はい、すみません。大丈夫です……もしもし?」


インターホンからは何も聞こえてこなくなった。


「……列車、来ましたよ」

「え?」


男が指さす先から、確かに電車が向かってきている。


「通過列車じゃないですか?」

「通過するなら、もっと速いでしょう」


確かにそうだ。

男に不信感を持ちながらも、俺はもう一度ベンチに戻った。


しばらくして、電車は本当にホームに停まった。あの時刻表が間違っていたのか。

それにしても古臭い列車だ。いつの時代から使ってるんだ。これだからローカル私鉄はイヤなんだ。


とりあえず車両に乗り込もうとした。とにかくこの駅を離れたい。


「あ、あなたも乗るん……」


振り返ると、男の姿はどこにも見当たらなかった。壊れた柵に視線を移したが、人影も無い。まさか観念して飛び込んでないだろうな。

いや、あの人も基本人見知りっぽかったから、実はこの状況にストレスを感じていて別の車両に乗ったのかも。


車内は無人だった。今どき木の床だ。長イスの席にすわり、スマホの画面を見る。


「ん?」


さっきのニュースの続報。逃走していた犯人が捕まったらしい。監視カメラらしき動画のサムネイルがアップされている。



捕まった犯人は、長い髪を後ろでしばり、あごヒゲを生やしている男だった。



何だこりゃ。全然あの男とちがうじゃないか。俺は今まで何をビクついていたんだ。バカバカしい。


列車のドアが閉まる。


「ひいいっ!」


誰もいなかったはずの車内に、さっきの男がいた。俺の目の前の席に座って。


「な……何で……」


手の中のスマホがプツンと切れて、画面が真っ暗になる。

男は黙ってこちらを見ている。


手についていた赤いシミ。同じ色のシミが、ベッタリと男の左胸に広がっている。

さっき見たニュース速報。



"20代男性が包丁のようなもので胸を刺されているという通報があった"

"なお、刺された男性は病院へ搬送中に死亡が確認された。"



「旅は……一人じゃ寂しいですよね」



男は静かに笑った。









おわり

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