第1話
「敵、発砲しました」
「減速、逆進。障壁展開」
小さなコンサートホールを思わせるその空間へ、オペレーターの報告に続いて若い男の声が響いた。
「出力はまだ安定していませんが?」
「とりあえず正面だけでいい」
別のオペレーターが判断を問うと、再び男は即答する。
機能的でありながら座り心地も良さそうな椅子に腰掛けたまま、男は琥珀色の前髪を乱暴にかき上げ、遠目にスクリーンを見る。
幅二十五メートルの大型スクリーンには敵味方の艦隊がブロック状の立体モデルとなって表示されていた。
名もない赤色矮星の傍らで開かれた戦端は、間もなく膨大なエネルギーのぶつかり合いで彩られるだろう。
戦闘の直前に鼻腔を突く独特の匂いが男の意識をより鋭敏にさせる。
秒単位でスクリーンに映し出された情報が更新され、敵艦隊から発せられた線が自分たちに向けて真っ直ぐと伸びてくる。
敵の第一射を表す線だ。
「続いて質量弾による攻撃を確認」
敵味方の立体モデル間に横たわる何もないスペースへ、唐突にもう一本線が増える。
最初の線とは違う色で示されたその線は、古代から人類を戦場で数多く刈り取ってきた実弾兵器の現代版である。
遠方からの観測が難しい質量弾は、後から発射されたエネルギー弾よりも発見が遅くなってしまう。
「着弾偏差は?」
「五・一六秒です」
男の問いに必要最低限の答えが返ってきた。
通常、エネルギー兵器と実弾兵器を同時に使って一斉射撃を行う場合は弾速の遅い質量弾を先に放ち、目標への着弾時間を逆算してエネルギー弾の発射タイミングを見計らう。
無論その計算はコンピューターによって行われるため、停止した目標相手であれば着弾偏差が発生することはない。
だが宇宙艦隊同士の戦闘において、相手が動かずに留まっていることなどまずあり得なかった。
目標が動けばそれだけ着弾偏差は大きくなる。
その不確定要素を踏まえた上で射撃のタイミングを見抜くという点において、人間はコンピューターをしばしば出し抜くことがある。
「それだけあれば切り替えても十分間に合う。エネルギー弾の攻撃終了とあわせて回避行動開始。質量弾の攻撃をしのいだ後は前進し、距離が縮まり次第、こちらからも反撃を行う。準備はしておけ」
どうやら今回敵はずいぶんと読みを外したようだ。
候補生養成所の基準で言えば、着弾偏差四・九九秒以内というのが最低限の合格ラインである。
敵指揮官がエリューセラの士官候補生なら間違いなく赤点を食らっていたことだろう。
指示を出し終えた男の斜め前から、失笑する声に続いてコントラバスの音を思わせる低い声が響く。
「相手が間抜けなのは助かりますね」
声の主は琥珀髪の男に肩をすくめてみせる。
左目の上下にひと続きとなる傷跡を持ったその男は、自らに周囲の視線が集まった事を確認した上でニヤリと笑う。
その体は淡く発光し、時折わずかに揺らいでいる。
この場で見えているのが本人の肉体ではなく、ホログラムによって再現された影に過ぎないことを示していた。
椅子に座った格好のホログラムは、二等辺三角形の形をしたテーブルの等辺に座っている。
その両側には彼と同じようにホログラムによって投影された複数の男女が座り、もう一方の等辺にも同じように数名の士官と思われる人間が並んでいた。
幾人かは実体を持った人間であるが、比率で言うと七割方がホログラムである。
「軽口叩いている暇はあるのか? そっちはそろそろ着弾するだろう?」
テーブルの底辺にあたる位置へ座っていた琥珀髪の男が呆れたように問いかけた。
前衛部隊の指揮をとる傷の男は最初に敵の攻撃にさらされることになる。
いくら着弾まで少々の時間的余裕があるとはいえ、敵の発砲が確認できた以上、即座に中座して部隊の指揮へ戻ってもおかしくはない。
「はっはっは。ご心配なく。ちゃんと回避行動は取っていますよ。それに多少苦戦する様子を敵に見せた方が都合もいいでしょう?」
「心配はしていない」
相手に対する信頼か、そっけなく琥珀髪の男が答える。
こうして会話しながらも、麾下の部隊を造作もなく操るだけの技量がある男だと知っているからだ。
「そいつはどうも」
ホログラムの男が笑いながら軽薄な返事をすると、幾人かの士官が眉を寄せた。
麻くず色の髪を持つ女性士官が不快な表情と共に口を開こうとした時、オペレーターからの報告がそれを遮る。
「前衛部隊、交戦を開始しました」
座っている全員の目がテーブルの頂角方向にある大型スクリーンへと向けられる。
敵艦隊から放たれた二本の線はすでに一方が味方の前衛部隊に達していた。
間もなくもう一本の線も到達するだろう。
「タクマ。そっちはどうだ?」
琥珀髪の男がホログラムのひとりに向けて問いかける。
「順調です。今のところ敵観測機には接触していません。ただ、そろそろ通信が乱れはじめるかもしれませんが」
「ずいぶんお転婆みたいだからな、この恒星は」
スクリーン上で赤色矮星を示す立体モデルに目をやりながら口を挟む傷の男だったが、すぐさま居住まいを正して琥珀髪の男へ告げる。
「――っと、そろそろ余裕がなくなってきたんで失礼しますよ」
さすがに戦いながら無駄口を叩ける状況ではなくなったのだろう。
敬礼と共に傷の男のホログラムが消え去った。
軽く頷いてそれを見送った琥珀髪の男は、タクマという名で呼ばれたホログラムの士官へ目を向ける。
「タクマは作戦通りに。万が一通信を遮断された場合は作戦の中断と撤退も許可する」
その士官は温厚そうな顔を微笑寸前の形でとどめ、上官からの指示にハツラツとした口調で応じる。
「はっ。ですがその心配は全くしておりません。補督の電子防壁が敵に破られるとはとても思えませんので」
電子防壁の強靱さに全幅の信頼を寄せていると語るタクマから視線を外し、琥珀髪の男は自分の横に座る女性へと話を振った。
「だ、そうだ」
「高い評価をありがとう、ミンスター少佐」
話を振られた黒髪の女はタクマのホログラムに微笑みを送り、その評価を素直に受け取る。
タクマは女性士官たちの間で『眼福』との定評がある笑顔を返事代わりに浮かべると、瞬時に職業軍人の顔に戻り琥珀髪の男へ敬礼と共に申告した。
「それでは小官もこれで失礼します」
「提督、我々も迎撃に専念しますのでこれで」
タクマが消えるのにあわせて他のホログラムたちも次々にこの場を去っていく。
すでに戦闘は開始されていると言ってもいい。
琥珀髪の男たちがいる指揮所は、強固な壁によって完全に密閉された艦内でも最も堅牢な安全地帯であると同時に、外界から断絶された場所でもある。
艦外および艦内からの情報は全て計器上の数値やスクリーン上の立体モデルとして表され、これらが途絶するとただ何もない壁面が四方を遮るだけの大きな部屋でしかない。
どれだけ艦外で激しくエネルギー弾が飛び交い、味方の艦が傷つこうとも、それを直接見聞きすることはできないのだ。
「敵初弾、九十九・九八パーセントを防御。損害は軽微です」
艦外の状況を伝えるのは観測パネルを通して伝わってくる数値と、それを報告するオペレーターの声だけである。
琥珀髪の男がオペレーターへ問いかける。
「距離は?」
「前衛部隊があと二十秒で最適射程距離に入ります」
本来そうであるべき戦闘開始時刻を直前にしながらも、琥珀髪の男は余裕を崩さない。
「大して被害がないとはいえ、一方的に撃たれるのは気分の悪いもんだな」
ホログラムの消えたあと、なおもこの場に残っていた数名の士官が上官の軽口に苦笑で答える。
「我々がただ黙って打ち据えられるだけの子猫ではないということを、そろそろ教えてやるとしよう。全艦砲撃準備――」
砲撃がその威力を発揮する最適射程距離への突入にあわせて、琥珀髪の男が麾下の全艦に令を下す。
「――撃て!」
彼らが鋭い牙を持つ獰猛な獅子であることを、敵に思い知らせるため。
補督は造語です。