友井優里奈は決意する
その日私は1人で帰り支度をしていた。
いつもなら友達の理子と一緒に帰るところだけど、今日は委員会の仕事があるというので断られてしまった。
もう一人の友達の愛花は放課後になると、所属しているテニス部に行ってしまうために、一緒に帰ることは数えるくらいしかない。
1人で帰ること自体はなんら寂しいという気持ちはない。
今日もいつも通り、図書館に行く理子と教室で別れて、下駄箱に向かうために階段を降りていた。
私は、ふと前を向くと中庭にある自動販売機が目に入った。
街のいたるところで見る自動販売機と何ら変わらないもの。違うところは値段ぐらいだろう。高校にあるものだからか、街にあるものよりも値段が低くなっている。
横には、紙パックの自販機もある。これは、学校の外では見たことがない。
(何か買っていこうかな……)
私はなんとなく下駄箱に向かう足を、中庭へと変える。
中庭へは階段から見て、左側にある扉から出ることができるようになっている。ちなみに、下駄箱は階段の右側にある。
その扉を出ると、まっすぐに行く道と、左に行く道の二手に分かれている。左に行けば体育館に行け、まっすぐ行けば、理子のいる図書館がある別棟に行くことができるようになっている。
私はまっすぐに歩を進めて、途中の自動販売機の前で止まった。
見上げる。炭酸飲料や紅茶、コーヒー、お茶、水など、どれも変わったものはない。
しかし、次の日にならないと飲料の補充をしないためか、人気のものは放課後には売り切れになっていることが多い。特に、水系統は軒並みに売り切れだ。部活の人たちが練習前に買ったり、体育の帰りに買ったりするためだ。
私は、小銭を入れてミルクティーを買うことにした。
ガタンと音がして、ミルクティーのペットボトルが落ちてくる。
私はミルクティーを取って、ふたを開けた。ふと、別棟の3階にある図書館に目をやる。
今頃、理子は何してるのかな……
図書館を利用したことは、入学して一度もない。本を読まない私には縁遠い場所だ。今後自分から行くことはないのかもしれない。
そんな私とおとなしい理子が友達になったことは、誰も、私自身も想像していなかったと思う。
私は基本的に他人に感心がない。友達はいなくても十分だと思っていた。
女性が集まるとろくなことがない。仲良く話していた子がいても、その子がいないところでその子の悪口を言うことなんてしょっちゅうだった。もし、授業で何人かで班を作ることになったとする。その人数がいつもいるグループよりも少なかった場合、誰を抜けさせるかで一悶着が起きるのは避けられない。そこから陰湿な嫌がらせに発展することも少なくなかった。
私はそれを見て、面倒になった。こんなことになるなら、別にいいかなと思ったのだ。
だから、理子のことは最初は何も思ってなかった。美術の授業で隣同士にならなかったら話もしてなかったと思う。授業では隣の人の似顔絵を描くなどと、何かと隣の人と協力してやる機会があったために、自然とよく話すようになった。
理子は初め、私に対して少し怖がっている様子だった。
私はこの性格もあってか、受け答えが雑になることがある。顔も、目が少しツリ目になっていて、背も女子としては高い方。きつい性格の子と思われても仕方ないかもしれない。
まぁ、別に何を思われても構わない。
そう思って接していた。それがいけななったのかも。
でも、理子は美術の授業になると、だんだんと話しかけてくるようになった。そんな理子に影響されてか、私も気づいたら普通に話していた。
そこで分かったことだが、理子は今まで私が見てきた女子とは違っていた。誰かの悪口は言わないし、相手を気遣うことのできる子だった。正直、裏の顔があるんじゃないかと疑っていたのは事実だ。これだけ純粋ないい子がいるわけがないと心の奥底で思っていたから。
美術でなくても話すようになって、それが出るんじゃないかと思っていたが、それは私の歪んだ感情だったことがすぐに分かった。私と話しているときとそのままだったからだ。別の子と理子が話していて、その子が去っていった後に私と話すと、今までのパターンだと、去った子の悪口が出ることがあった。でも理子は、私に向かって笑顔であの子良い子なんだって言ったから。
だから、この子は安心していいと思った。だからこそ私もだんだんと心を開いていって、今のような関係になれた。
自分の中で大切な友達になっていた。
(だからこそ、少し心配になることもあるけどね……)
理子は純粋すぎるところがある。変なのに騙されないだろうかと。
そんな理子が、好きな人が出来たと聞いたときは素直に嬉しかった。
愛花と一緒に、恋に消極的な理子のために応援しようと決めたのだ。
理子が好きになった相手は、1つ上の先輩だった。曰く、理子が困っているところに、優しく手を差し伸べてきたのが始まりだとかで。
この前、理子と愛花と参加した地域ボランティアで、偶然にも一緒に行動することになった。そこで思ったのは、先輩が理子の言っていた通り優しい人だった。竹箒を持って他の人を手伝いに行くと言い出した時に、頑なに一人で行くと言っていたのには、気遣いすぎだと思ったけど。
いい機会だから、理子の背中を押して先輩と2人にすることができたのはラッキーだった。
その後、愛花に冷やかされたけどね。
その愛花とはいつの間にか仲良くなっていた感じだった。人の懐に入るのが上手い子なのか、クラス以外にも友達が多い。人見知りしない性格で、少し子供っぽいところがある。だからか嫌な印象は与えない。
不思議だったのが、そんな愛花がどこかの仲良しグループには属していなかったことだ。言い方は悪いが、広く浅い付き合いをしているように私の目には映っていた。
理子と愛花は席が近かったこともあって、よく話していた、そこに私が加わるような形になった。それから、よく3人でいるようになったのだ。
グラウンドの方から部活動の声が聞こえてきた。
(今頃、二人とも何してるんだろう……)
二人の事を想い私らしくもなくぼーっとしてしまった。
こんなことを思うぐらいなら、私も何か始めようかと思い始める。だからといって、やりたいことなんてないわけで、結局今日もいつものように帰ろうかと思い、自動販売機の前を後にしようとしたときだった。
「待たせてごめん」
自動販売機の後ろの方から、男の人の声が聞こえてきた。
私は気にせずに、そのまま帰ればよかったのに。この時聞こえた声が、どこか聞き覚えのある声だったので、足が止まってしまう。
「ううん。大丈夫だから……」
どうやら、待たせていたのは女の人のようだ。
私はなるべく自動販売機を楯にして、目だけを声のする方に出した。
中庭には、自動販売機のほかに、中央に小さい池と、くつろぐためだろうかベンチが設置されている。
ちなみに、そのベンチを使っている生徒を私はこれまで見たことがない。
2人は丁度ベンチの前に向かい合わせに立っていた。
女の人の方は後ろ姿しか見えなかったから分からないが、髪は肩のところで切りそろえられていて、背が低い。顔がそうか分からないが、後ろ姿を見ただけでも可愛らしいと思える子だった。
まぁ、それまでは問題なかった。
私が驚いたのは、相手の男の方。
なんと、理子の思い人、平津幸也先輩だったのだ。
聞き覚えがあるはずだ。なにせ、廊下ですれ違うたびに理子と話しているのを聞いている。
私は、これでここから離れられなくなってしまった。
他人の会話を盗み聞くのは良くないと分かっていても、これは気になる。
私は息をするのにも気をつけて、目だけで平津先輩達を見る。
平津先輩は女性の方を見ていて、こちらを気にする様子はない。
「平津君!…突然呼び出しちゃって…ごめんね」
女性は緊張した様子で、言葉が安定していない。
肩も少し震えているんじゃないかな。
「驚いたよ。丸山さん」
平津先輩が女性の名前を呼んだおかげで、女性が丸山さんということが分かった。
「…だよね。私なんかに呼び出されて迷惑だったよね……」
丸山さんの肩が少し落ちたような気がする。
「迷惑だなんて思わないよ」
平津先輩が丸山さんに微笑みかける。
(なるほど……あれで理子はやられたのか)
私は1人で納得していた。
丸山さんも平津先輩を見たまま固まってしまっているじゃん。
丸山さんの反応で私は今後の展開が読めてしまった。
つまり、丸山さんは今、人生で最大の勇気を振り絞って、平津先輩に告白していようとしている。
私はここに残ったことに後悔した。
今、中庭にはあの2人と私しかいない。部活の音はなぜか、丁度静かになっていた。これじゃあ、動こうにも物音がしてしまう。
丸山さんの勇気に水を差すのは私としても気が引ける。
私が1人葛藤している中でも、2人は会話を続ける。
覗かなくても会話だけは聞こえてくる。
「えっとね……平津君は覚えてないかもしれないけど…1年生の時に、私が体育委員になっちゃって、ある体育の授業で、体育委員が片付けしなくちゃいけなくて……」
丸山さんは詰まりながらだが、はっきりとした声で話していた。
「私、運動苦手だし、重い物持つのに苦労してたの……みんな、着替えもあるから次の授業に行っちゃったしで、焦ってたの。男子と女子って分かれてるから、私の状況を男子の委員の子が気づくこともなくて……」
高校の体育は男女で分けられている。男子は男子で授業するし、女子は女子で授業する。体育の授業で使った用具は、だいたい授業の最後の方でみんなで片付けるのだが、使った用具が少ないと、時々体育委員の子に任せるときもある。まぁ、それ自体まれなことだ。
女子の授業といえど、先生は男の人のこともある。先生の感覚でこれぐらいなら1人で片付けができるだろうと思って、体育委員の子に任せることもあるため、運が悪いと女子では1人で持てないことも片付けるように言われることがある。。
丸山さんの口ぶりだと、それに運悪く当たってしまったのだろう。
「それで、私が困っていたら……平津君が手伝ってくれたの。わざわざ戻ってきてくれて」
丸山さんはその時のことを思い出しているのか言葉のテンションが上がったように感じた。
「私、嬉しかった!おかげで片付けも時間内に終わって、すごく助かったの。それから、平津君とよく話すようにもなったよね」
「そんなこともあったね~」
平津先輩の方はのんきにそんなことを言っている。
丸山さんの想いに気づく様子はない。
「鈍感……」
私の口からつい漏れてしまう。
鈍感すぎるのにも程がある。あれだけ丸山さんが嬉しそうに語っているのになんで分からないのか。
「それからその私……」
いよいよ丸山さんが告げようとする。
平津先輩も丸山さんの雰囲気が変わったのは気づいたらしく、表情に真剣さが出てくる。
「私…私…」
(がんばれ)
つい、心の中で応援してしまう。
理子の恋敵でもあるはずなのに、やはり同じ女子としては応援しないという選択肢はとれない。
私が複雑な思いで見守っているとついにその時がきた
「私、平津君のことが好きです!!付き合ってくれませんか?」
丸山さんがはっきりと平津先輩に向けて想いをぶつけた。
長い沈黙が流れる。
今頃丸山さんの胸中は計り知れないものがあるだろう。心臓はバクバクと激しい鼓動が全身に感じていることであろう。
私の心臓も脈が速くなっている。
すると、平津先輩は口を開いた。
「その…丸山さんがそう思ってくれていたとは思ってなかった。正直、驚いてるし嬉しい気持ちもある」
平津先輩の方も丸山さんにきちんと伝わるように、ゆっくりと話す。
「でも、丸山さんのことは友達だと思ってる……ごめん……」
平津先輩は深く頭を下げた。
「……」
丸山さんはしばらく黙っていた。
そしてゆっくりと話し始める。
「ううん。ありがとう。頭を上げて平津君」
丸山さんは未だに頭を下げ続けている平津先輩に対して優しく声をかける。
「ごめん」
平津先輩は頭を上げるも、謝ることはやめない。
「いいの」
丸山さんは首を振る。
髪がそれに合わせて左右に揺れた。
「正直な気持ちを話してくれて嬉しい。私こそ…急なこと言ってごめん…ね……」
必死に抑えていた気持ちが漏れ出てきたのか、丸山さん声は途切れ途切れになる。
平津先輩はそれを見て、丸山さんに手を差し伸べようとする。
しかし、その手を丸山さんが止める。
「大丈夫だから…気にしないで……今優しくされたら…諦められなく…なっちゃうよ……」
それは丸山さんの精一杯のお願いだった。
平津先輩も何もできずにただ立っていることしか出来ない。
「ごめんね…もう大丈夫」
そう言って丸山さんが前を向く。
「おこがましいお願いだけど、これからも私と友達でいてくれる?」
「それは、もちろん」
「うん。ありがとう」
二人は互いに見つめあった。
「じゃあ、私帰るね。今日はごめん。ありがとう」
「こっちこそありがとう」
手を振ると、丸山さんは私のいる方へ歩いてきた。
私は慌てて、自動販売機の陰に隠れる。
丸山さんは私に気づくこともなく、私の前を過ぎていった。
口を手で押さえ、なんとか声が漏れることのないようにしていた。目は真っ赤に腫れていて、頬には涙が伝っていたのが私には見えてしまった。
丸山さんの姿が見えなくなるのを確認すると、私は身体を出し、つい自動販売機から平津先輩の様子を見ようと覗き込んだ。
「あっ……」
平津先輩は、うなだれる様にベンチに座っていたのだ。
そして、丸山さんが歩いて行った方に視線を向けていたために、覗き込んだ私とちょうど目が合ってしまった。
私から声が漏れる。
平津先輩も私の存在に気づいてしまい、ぎこちない笑みを浮かべる。
流石に、ここで立ち去ることも出来ず、私は平津先輩のところまで歩いて行った。
「先輩、ごめんなさい」
とりあえず謝らないといけなかった。
その場から離れるタイミングを失ったとはいえ、人の告白現場を盗み見てしまったのだ。
「離れられなくなっちゃって……」
「それなら仕方ないよ」
平津先輩の声はどこか沈んでいる。
無理もない。告白はする方も大変だけど、返事する方だって辛いものがある。仲が良ければ特に、そのダメージは強いだろう。
私も、この学校に入ってから、1回だけ告白を受けて断っている。断る側の気持ちは分からなくもない。
まぁ、私とは状況が違うけど。
今は、この状況を丸山さんが見ないことを祈るばかりだ。
告白してすぐに、女子と話しているのを見られるのは、平津先輩にも良くない。
今後の関係性に関わってくるかもしれないからだ。
しかし、こんな先輩を放っていくわけにもいかないし。
「まさか、丸山さんが俺に好意を寄せていただなんて……」
平津先輩は呟くように言った。
「気づかなかったんですか?」
丸山さんの様子を見る限り、分かりやすい人だと私には見えたけど。
「うーん。そう思ってもらえてるなんて考えてなかった。よく話しかけてくれるなっとは思っていたけど、ずっと友達だと思ってたから……」
平津先輩は後悔したように俯く。
理子のアタックにも気づかないほどに鈍感な平津先輩には、丸山さんの態度にも気づかないのも無理はないのか。
「俺、どうしたらよかったのかな……」
「私に言われても」
私としても何か言わないといけないと思ったが、簡単な言葉をかけることも出来ない。
私が困っていると、平津先輩はポツリと語り始めた。
「俺がOKしていればよかったのかな……そうすれば丸山さんも傷つかずにすんだのに……」
「そんなの優しさでも何でもないですよ!」
平津先輩の呟きに溜まらず声を上げてしまった。
「そんなことをしても一時の感情に過ぎません。今日は丸山さんが傷つかずに済んだかもしれませんけど、のちにさらに丸山さんの心を傷つけることになるかもしれないんですよ」
私としては珍しく声が抑えられない。
丸山さんの姿に、つい理子の姿を重ねてしまったのだ。
理子もいずれこの時が来るかもしれない。そんなとき、今日の影響で、平津先輩が真剣に向き合ってくれなかったらと思うと、どうしても気持ちが抑えられない。
「優しいのはいいことですが、優しさの意味を履き違えないでください。もし、今後、先輩に思いを寄せる人が現れたときは、さっきみたいに真剣に自分の気持ちを伝えてください。結果として、その子を傷つけたとしても、しっかりとその子と向き合うのが、本当の優しさだと思います」
私は一気に捲し立てた。理子のためにも、平津先輩にはここで間違ってほしくない。
私様子に呆気にとられた感じで、目を見開いている平津先輩。
「そうだね……俺が間違ってたのかもしれない。これじゃあ、真剣な丸山さんに対して失礼だ」
平津先輩の声が元に戻ってきた。
「ありがと…でも、友井さんがここまで言う子だとは思わなかったよ。クールなイメージだったから」
「私も自分に驚いています」
私も自分の事はドライな性格だと思っていただけに、まさかここまで自分の中に熱くなる感情があるとは思ってもみなかった。
それほどまでに、私の中で理子の存在が大きくなっているということだ。
「でも、おかげで助かったよ」
平津先輩はそう言って、ベンチから立ち上がった。
「俺は帰るよ。少し気持ちの整理つけたいしね」
「はい。それでは」
私は歩いて行く平津先輩後ろ姿を目で追ったあと、今度は私がベンチに座ることになる。
今日の事はさておいても、平津先輩は確かに優しい。理子が好きになるのも分かるかもしれない。
「だけど、私には……」
ボランティアのときに思ったことが一つだけある。
私の勘違いかもしれないが、平津先輩の優しさはどこか無理をしているように映ってしまったのだ。
優しくしないといけない。そんな感情が伝わってくるような気がする。今日だって、下手したら丸山さんの事を思って、後から『いいよ』と言ってしまいかねない様子だった。
その危ういとも思える優しさを、平津先輩が持っていることに理子は気づく様子はない。
もちろん愛花は気づいていないだろう。そういうのには無頓着なところがある。
香奈先輩や石井先輩、美世ちゃん先生は、もしかしたら気づいているのかもしれない。
だったら、黙っているのには理由があるはずである。
私は、向かいの校舎の3階を見る。理子が今いる図書館だ。
理子には後悔してほしくない。たとえどんな結果になろうとも。
だからこそ、私は大切な友人として言わなければならない。
『もっと平津先輩をよく見たほうがいい』と
恋は盲目だという。付き合ったら相手を嫌いになったなんてよくある話だ。
理子にはそうなってほしくない。
応援すると言った反面、気が重い。
でも、これは私が言おう。
私はそう決意した。