新菜理子の想い
「聞いてくれてありがとう」
黙ったままでいた私達ですが、平津先輩はそう言ってゆっくりと、私の手から自分の手を離しました。
急に私の手に冷たさが戻ってきます。
「ごめんねこんな話。重いよね」
「そんなことありません。私、聞けてよかったって思います。平津先輩のこと知れて、私は嬉しいです」
「あはは。新菜さんは優しいね」
「そんなこと」
「ううん。優しいよ。俺なんかより全然」
平津先輩は少しだけ自嘲気味に笑います。
「平津先輩も優しいですよ」
「それはないよ」
「……お母さんの影を追っているからですか?」
「……正解。それもみっちゃんから?」
「はい」
「そっか。気づかれてたんだ」
「美世先生だけじゃありません。香奈先輩や石井先輩も気づいています。優里奈ちゃんでさえも、平津先輩のこと優しすぎるって言ってました」
「そうなんだ。もしかして新菜さんも?」
「私は……私は優里奈ちゃんに言われるまで気づきませんでした。だけど、言われてすぐ変だなって思ったことがあったんです」
「変……?」
「はい。前に本屋からの帰り道、道に迷ってるおばあちゃんを助けたことってありますよね」
「あー。あったねそんなこと」
「その時、私、実は平津先輩の後をつけてたんです」
「……知らなかった」
「ごめんなさい。でも、少し前に優里奈ちゃんに言われたとこが気になって、知りたいと思ったんです。そして、おばあちゃんを無事ご家族の下へと送った後、先輩の見せた横顔を見て、初めて気づきました」
「俺が喜んでないって?」
「はい」
平津先輩はあの時辛そうな顔をしました。
人助けしたのになんでってその時は思いましたけど、今思えばあの表情は自分を責めている表情だったように思えます。
いつまでも母親の影を追っているなんてバカバカしいと、そう自分に言っていたのではないでしょうか。
「自分ではもう乗り越えたつもりでいたんだ。だけど、困っている人を見るとどうしても助けないとって思ってしまう。そうすれば母ちゃんに会えるような気がして……」
平津先輩は項垂れます。
「死んだ人に会えるわけないのにね。バカだなって思うと同時に、助けた人に対して申し訳なくなる。バカだと思うだろ?新菜さんも」
そう問いかけてくる平津先輩に私は力強く首を横に振ります。
「そんなこと思いません。バカだなんて思うわけありませんよ。だって私はあなたに助けられた人ですよ」
「違うよ。それだって俺の自己満足だ。人助けなんて、そんな素晴らしいものじゃ」
「素晴らしいものです!」
私は強く抗議したい気持ちで立ち上がります。
平津先輩はやっぱり分かってなかったようです。自分のしていることがどれだけ人の心を温かくしてくれているのか。どれだけ私が嬉しかったか、この人はまるで分っていません。
自分を責めることに目が行き過ぎて、相手のことまで理解が及んでないのです。
「平津先輩がどういった動機で動いていたのであれ、困っている人に手を差し伸べるのはいいことなんですよ。実際、私が困っている時、平津先輩に声をかけられて助かりました。風邪をひくこともなかったですし、平津先輩の優しさが身に染みて嬉しかった!こんな人いるんだって思って私の心は温かくなったんです!」
「新菜さん……?」
「それから、香奈先輩や石井先輩とも知り合えて、お泊り会なんかもして。それでそれで」
「お、落ち着いて新菜さん。大人しそうなキャラが崩れ始めてる」
「いいんですそんなの!とにかく、平津先輩は優しいです。誇ってもいいんです。この世界にあなたほど優しい人、私は見たことありません!だから、だから」
私は溢れ出る想いを止めることが出来ません。
「もう自分を責めるのはやめてください。辛いときは誰かに頼ればいいんです。泣きたいときは泣いて笑いたいときは笑って下さい。いいことをしたのなら素直に自分を褒めてあげてください」
「……」
「じゃないと、平津先輩を心配しているみんながかわいそうです」
私はついに泣き出してしまいました。
涙でしか視界が歪む中、私はそのままの勢いで平津先輩に詰め寄ります。
「平津先輩は知らないかも知れませんが、お泊り会の日、リビングで泣いているあなたを、石井先輩はずっと見守っていたんですよ!ずっとずっと、平津先輩が泣き止むまで、誰の邪魔も入らなように!!」
「智弘が……」
「美世先生だって言ってました!もっと自分の頼ってほしい。もっと自分の前で泣いてほしい。一緒に泣きたい抱きしめてあげたいって。だけど、平津先輩はそれをしてくれないって悔しそうでした」
「……」
「香奈先輩だってそうです。平津先輩が無理しているの知ってって、今までずっと騙されたふりして、陰から見守っていたんです。いつか平津先輩が本当の気持ち話してくれるまで、ずっと待とうって石井先輩と約束して。だけど、心の中ではずっと後悔していました。最初にしっかりと言ってあげるべきだったって」
平津先輩は声を失ったかのように私の言葉に聞き入っていました。
「みんなみんな、平津先輩が頼ってくれるのを待ってます。本当の気持ちを言ってくれるのを待ってるんですよ」
「……知らなかった。全く」
「今からでも遅くありません。頼ってみてはどうですか。あなたと同じ優しい優しい幼馴染の人達を」
私は平津先輩に手を差し伸べます。
しかし、平津先輩は手を伸ばすのをためらっていました。
「だけど、今更どうしていいか。俺は今まで自分ばっかでいろんな人の想いに気づかなかった。そんな俺がみんなを頼っても」
平津先輩は迷っているようです。
今まで何も気づかなかった自分が、簡単に頼っていいのかと思っているようです。
そんな平津先輩に私は言葉をぶつけます。
「いいんですよ!みんな待ってます!平津先輩が頼ってくるのを!大丈夫です!」
「……新菜さん」
「勇気が出ないなら、私が一緒に行ってあげます!だから、さあ!」
私は平津先輩の手を取り、無理やりに立ち上がらせました。
今、平津先輩は動き出そうとしている。1人で背負い続けていた重たい荷物を、少しだけ分けようとしています。今を逃せば、もう平津先輩がこう思うことなんてないかもしれません。
そう感じた私は、まずはその平津先輩の抱えているものを、受け取ります。
「私が隣にいる間は、平津先輩は1人じゃありません。少なくとも、私が平津先輩の支えになります」
平津先輩は目を見開きます。
「……それとも、私では心細いですか?後輩の私じゃあ、幼馴染じゃない私だったら平津先輩の支えにはなりませんか?」
私は自分の気持ちをさらけ出し、平津先輩にぶつけました。
すると平津先輩はゆっくりと首を横に振り言葉を返してくれました。
「そんなことないよ。新菜さんがいてくれるだけで勇気が持てた。少しだけ楽になったような気がする」
平津先輩が笑います。その笑い顔は、今まで見たのよりも、明らかに違っていて、とても素敵でした。
平津先輩の抱えているものが、ほんの少しだけ私の移った瞬間です。
「行きましょうか」
「でも、どこに」
「学校です。そこにまだみんないますから」
「……分かった」
私と平津先輩は歩き出します。
平津先輩のお母さんとお父さんが眠っているお墓から、平津先輩を心配し続けている人がいる、学校へと向かって。
墓地を出るとき、私は不思議と誰かに見送られる錯覚にとらわれます。優しく温かな視線が、私の背中に確かに注がれていました。
平津先輩は一度振り返ると、静かな笑みを浮かべるます。
「行ってきます」
平津先輩は小さくそう言うと墓地の階段を降りてきました。