動き出す想い
「ただいま~」
私が空を見て物思いにふけっている間に、美世先生が図書室に帰ってきました。
鞄を司書室に置きに行き、そのまま、私の隣の椅子に座り込みます。
「理子ちゃん」
「はい?」
美世先生は座ったまますぐに私に向き合い話し始めます。
「幸ちゃんの家の場所って覚えてる?」
「平津先輩の家ですか……はい。だいたいの道は」
「そっか。よかった」
美世先生が安堵したようなため息を出します。
私は話の内容が理解できずに、首をかしげていました。
平津先輩の家というのは、前にお泊り会と称したものをやったあの家のことでしょう。しかし、それがいまなぜこの場に出てくるのか分かりません。もう1度泊まるにしても、平津先輩の家はあの週の土曜日に取り壊しになったはずです。
「理子ちゃん。今から、そこの近くにあるお墓に行ってほしいの」
美世先生は真剣な目で私のそう言ってきました。
この言葉に私の中でなにかがつながったように感じます。美世先生の服装がどうして今日だけ黒を基調としたものなのか。ふわっとしたいつもの服ではなくスレンダーな服であるのも、その意味を確信づける材料となります。
「お墓参りに行ってきたんですね……」
私の呟きに美世先生はゆっくりと首を縦に振りました。
「そう。実はね、今日は幸ちゃんのお母さんに命日なのよ」
「……そうなんですか」
「でも、さすがに学校に喪服を着てくるわけにもいかないから、喪服っぽい服にしたってわけ」
私の思った通りの言葉が美世先生の口から発せられます。
「本当は、お墓参りって理由で仕事を放り出して行くことなんてできないけど、今日は校長に無理言って許可してもらった」
「なんでそこまでして……」
「お父さんの命日には行けなかったから。やっぱりこういったことってちゃんとしないといけないかなって思って。せめてお母さんの時だけはってずっと思ってたから。校長もそこら辺の事情は理解してくれてて、すぐに許可が下りたわ。本当によかった……」
「平津先輩も一緒に?」
「うんそう。まぁ、本人は今週に法事やるからいいなんて言ってたけど、最初から行くつもりだったのよ。だって、お父さんの時にも私に隠して1人で行ってたんだから」
平津先輩らしいというか、あえて言わないことで美世先生に心配かけないようにしているのが伝わってきます。
「香奈先輩達は一緒じゃなかったんですか?」
「いっちゃんは部活だから来れないって言ってて、香奈ちゃんはいっちゃんと一緒に行くって言ってたよ。だから、まだ学校の中にいるんじゃないかな」
そういえば、愛花ちゃんが朝言ってました。今日は、屋内を野球部が使う番だって。そのことを思い出し、納得します。
香奈先輩も石井先輩1人で行かせるのは忍びないのでしょう。
「そこに、私が行くんですか?」
私は美世先生に尋ねます。
「うん。たぶん、まだ幸ちゃんいると思うから」
「帰ってないんですか……?」
「私が戻るときにちゃんと帰るって言ったけど、たぶん帰ってない。今頃、私がいなくなったから1人で泣いてるんじゃないかな……」
美世先生は悔しそうに眉をよせました。
「バカだよね。家に帰るには学校を通るって言うのに、学校に戻る私に先帰っててっていうなんて」
普通であれば一緒に来たなら一緒に帰るはずです。学校に帰る美世先生と一緒に帰ったとしても、帰る道は変わらないのですから。
それでも、美世先生を先に帰らせた理由は1つしかありません。
1人になりたかったから。
私にもすぐに分かりました。
美世先生はどんな思いでそんな平津先輩を置いて帰ってきたのでしょう。
美世先生を想うと私も胸が痛みます。
「心配で堪らないのよ。今日は雨だし。こんな暗い空じゃ、気分まで暗くなっちゃう。そんな時幸ちゃんがなにを思うか私は心配で」
「美世先生……」
「でも、私は仕事があるから戻れない。だからお願い理子ちゃん。私の代わりに幸ちゃんを見てきてくれない?変なことしないか、見ててほしいの」
美世先生は懇願するように私に言ってきます。
命日にあたる今日。平津先輩は雨空の下、1人でお墓の前で泣いている。
それを想像しただけで、私の心はざわつきました。
私は、美世先生に頷き返すと、簡単な地図を渡され、図書室から出ていきます。
平津先輩のところに行くため。鞄を持っていくことも忘れたまま。
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傘を差しながら、私は美世先生にもらった地図を頼りに住宅街を歩いていました。
すると、目の前に見知った建物が1つ見えてきます。
美世先生の実家でした。その横には、取り壊し中の家が一軒建っていました。もう私達が泊まった時の面影など1つもなく、慎重に慎重に重機によって取り壊されていっています。
ここを通ったとき平津先輩や美世先生はなにを思ったのでしょうか、分かりません。ですがきっと、工事現場を見守る目には複雑な感情があったと思います。2人とも態度には出していなかったでしょうけど。
私はその横を通り抜け、すぐの曲がり角を左に曲がったところで、目的地である墓地へとたどり着きました。
見えてすぐ、私は一度深呼吸をし、墓地へとつながる階段を一歩一歩上って行きます。
傘をさしているならすぐに分かると思っていた私ですが、階段を上り切った私の目には傘の一本も映り込んでは来ません。
休憩スペースなのか屋根や椅子がある場所もありましたが、そこには誰一人としていませんでした。
帰ってしまったのか。
そう思った時です。
見渡す私の目に、人影が映ったように感じました。
すぐにその方向を向き、見慣れた制服を見た時、私の目はその人に釘付けになってしまいます。
そこには、平津家と書かれた墓標の前に跪き、傘も差さずに体を震わせる1人の高校生がいました。
平津先輩です。
私は静かに平津先輩に近づくと、嗚咽が雨の音に混ざって聞こえてきました。
そうして平津先輩の近くに来たとき、私はそっと、平津先輩の上に傘を掲げました。
「……にいな……さん……?」
突然、雨が体に当たる衝撃がなくなったことに平津先輩は気づくと、顔を上げ、雨と涙で濡らした顔を私に向けてきます。
「平津先輩。傘、差さないと風邪ひいちゃいますよ」
「どうして……」
「美世先生に頼まれました。きっと、平津先輩はここにいるだろうからって」
「……」
平津先輩は状況を飲み込めないのか、私の言葉をただただ黙って聞いています。
私は視線を平津先輩からお墓へと向けると、自然と口から言葉が滑り出してきました。
「ここが、平津先輩のお父さんとお母さんが眠る場所なんですね」
平津先輩が驚きで目を見開く様子が横目で見えます。
どうして知っているんだと問うてきているように感じ、私は真実を口にします。
「ごめんなさい平津先輩。見ちゃったんです私。お泊り会の日、平津先輩がリビングで泣いているのを。それで全部聞きました。美世先生から」
「貝苅先生から……?」
「はい。平津先輩が1年前にご両親を亡くしたこと。毎日無理していること。あの空き家が本当は平津先輩の家だったこと。全部です」
平津先輩は真っ赤な瞳を大きく開けて私の言葉を聞いています。
「なので、私のことは気にせず泣いてください。傘は私が差しています」
「……」
「泣けるときに泣いた方がいいですよ」
私がそう言うと、平津先輩は諦めたように笑い、また泣き出しました。
雨の降り続く中、私の耳には平津先輩の泣き声がずっと届いてきました。