運命の日
今日は朝からずっと雨が降っていました。
私は、家から出るときに傘をしっかりと持ち出し、高校までの道のりを歩いて行きます。
高校に着くと、すでに教室には優里奈ちゃんの姿がありました。
私は優里奈ちゃんにおはようというと、自分の席に座り、鞄を机の横にかけます。
「愛花ちゃんは部活かな?」
私は優里奈ちゃんにそう話しかけます。
すると、優里奈ちゃんは外の雨を指さし、なんでもないことの様に呟きました。
「違うんじゃないかな」
「そっか。雨だもんね」
愛花ちゃんはテニス部です。いつもならこの時間、外のテニスコートで部活動に専念しているのですが、雨のためテニス部の姿はどこにも見当たりません。
外で活動する運動部には、雨の場合、屋内を使っていい順番というものがあるらしく、それは放課後だけだそうです。
朝練のときまであるかどうかははっきりと分かりません。
すると、そんな会話をしていたとき、愛花ちゃんが勢いよく教室の扉を開け、自分の席に移動してきました。
「おっはよー」
周りのみんなにそう言いながら愛花ちゃんは自分の席に座りました。
「おはよう」
「おはよ」
私と優里奈ちゃんもそれに返しました。
「朝練はなかったの?」
「こんな雨の日にあるわけないよー。テニスコート使えないもん」
どうやら考えていた通りのようです。
優里奈ちゃんに反応を返す愛花ちゃんからは当たり前だというような雰囲気が感じられます。
「放課後もないの?」
「うん。そうだよー。今日は野球部が使うことになってるから」
「そうなんだ」
「だから、久しぶりに3人で一緒に帰らない?」
愛花ちゃんがそう言って、私と優里奈ちゃんにキラキラした目を向けてきます。
優里奈ちゃんは頷きましたが、私は残念ながら頷くことはできませんでした。
なぜなら、今日は図書当番の日です。
放課後は図書室に行かなければなりません。
「なんだーそっかー……」
「ごめんね」
私がそのことを話すと、愛花ちゃんはとても残念そうに眉根を下げました。
「仕方ないでしょ」
「うー……せっかく3人で帰れるかと思ったのに」
「ごめんね愛花ちゃん」
「……いいよ。仕方ない」
すぐに愛花ちゃんは気持ちを切り替え私に笑いかけてくれます。
愛花ちゃんのこういった表情はよく見ますが、さすがに今日は少しだけ申し訳なく思っていたために、私はホッと胸をなで下ろしました。
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「じゃあね理子っち」
放課後。先に帰る愛花ちゃんと優里奈ちゃんと教室で別れた私は、図書室へと向かって歩いて行きます。
外の雨は止むことを知らず、朝からずっと振り続けていました。
曇った空ばかりを見てしまうと心なしか、気持ちまで沈んでしまうようです。
しかし、このままではいきません。
私は無理矢理に気持ちを切り替えると、図書室の扉を開けます。
「失礼します」
図書室の扉を開け、私が最初に目にしたのは、受付の椅子に座る美世先生の姿です。
目が合い、小さく会釈します。
「理子ちゃん。ちょうどよかった」
美世先生は私を笑顔で迎えてくれた後、おもむろに椅子から立ち上がりました。
今日の美世先生はいつもとなんだか少しだけ雰囲気が違います。いつもなら明るい色のふわっとした印象を与える服を着ているのに、今日は黒を基調としたスレンダーな出で立ちです。
これには、美世先生の授業を受けた人のほとんどが気にしていました。
私は立ち上がった美世先生の近くまで歩いていきます。
「なにかあるんですか?」
「そうなのよ~。ちょっと、理子ちゃんに図書室を任せたくってね」
「どこか行かれるんです?」
手に持っている小さな鞄を見て、私は美世先生に聞きます。
「うん。ちょっとね」
そう言った美世先生の表情に一瞬だけ陰りが見えたように感じました。
いつもとは違う黒を基調とした服。そして、持っている鞄も黒色をしていました。私はそれになんだか違和感を感じましたが、詳しく聞くことが出来ませんでした。
「すぐに帰ってくるつもりだから。私がいない間はよろしくね」
「はい。分かりました」
美世先生を見送り、私は1人受付の椅子に腰を下ろすと、暇を持て余すかのように、じっと曇天の空を眺めていました。
この空を見ていると、なんだか平津先輩と初めて会った時のことを思い出します。
今日の様に図書当番の帰りでした。放課後になって振り出した雨に私は折り畳み傘があるとふんで、学校から出たのでした。
しかし、案の定その日、私は折り畳み傘を忘れ、雨に濡れて帰ることにしました。途中までは良かったのですが、公園に差し掛かったぐらいで雨の勢いが強くなり、やむなく公園で雨宿りをすることにしました。そんな時、雨に濡れた私に手を差し伸べてくれたのが平津先輩でした。
自分のタオルを渡してくれたり、身体の冷えた私のために温かい飲み物を買ってきてくれたりと、初対面なのに優しく接してくれました。今でもはっきりと思い出せます。
私の迎えがくるまで、話し相手にもなってくれました。人見知りだとは思えないぐらい私と会話してくれて。所々不器用な一面もみたりと、とても楽しい時間でした。
ですが、今思えばあれも、平津先輩にとっては『いいこと』の部類には入っていなかったのでしょう。
亡くなった両親の姿を追い求めるがために私に声をかけてくれた。きっと、そうなのでしょう。
本来の平津先輩であれば、名前も知らない女子高生に話しかけるなどきっとしません。たぶんですが、限定的な優しさというのはそういうものでしょう。
だとしても、困っている人にとってはその優しさが心の支えになります。冷め切った私の体を平津先輩が温めてくれたことに変わりはありません。
きっとこのことを言っても平津先輩は喜ばないでしょう。優しくなんてない。それはただ、自分がしたかったからやっただけだと言うかもしれません。
それでも、私は嬉しかった。平津先輩のしたことは、たとえその動機が純粋でなかったとしても、こんなにも優しい人がいるんだと思えました。
平津先輩のおかげで初めての『恋』というものに触れられたことは、やっぱり私にとっては貴重な経験であり、かけがえのないものになっています。
図書室の静寂と雨音が私の思考をさらにクリアにしてくれました。