好きということ
平津先輩の過去を知った私は、ここ数日、そのことについて考えていました。
天涯孤独となってしまった平津先輩。1年前に両親を失い、心を壊してしまった。
そのことが頭の中でグルグル回り、まとまることなどありません。どうしても私には人を失った時の悲しみというのが想像できませんでした。
ひどく現実感がなく、まるで物語の世界かのように感じてしまいます。ですが、これは空想上の物ではなく、現実で起こった出来事です。困っている人は確かに存在しています。今でも漠然とした不安と悲しみに戦っていることでしょう。
そう思うと、早く助けてあげたいという気持ちが強くなってきます。
ですが、どうすることも出来ません。どうしたらいいのか分かっていないのです。歩み寄るのが正解なのでしょうか。それとも、何も聞かず、黙ったままでいるのが正解なのでしょうか。
支えたいという想いは変わらずあります。でも、どうやって支えていいのか分かりません。第一、平津先輩は本当に支えを必要としているのかも分からないのです。こんな状況で、私はずっともやもやしたままはっきりとした答えが出ないまま、数日を過ごしていました。
学校から帰ってきてもずっと平津先輩の震えていた背中が脳裏をよぎります。
腫れた瞼が私の頭から離れてくれません。
家族との夕飯時もそのことばかり考えていました。
今もぼーっとしたままご飯を食べています。
「理子」
お父さんがそんな私を気にして声をかけてくれます。
しかし、考えに夢中で私の耳に届いていません。
「りーこー!」
ほとんど反応を示さない私に、ついにお父さんは大きな声を出してきました。
さすがの私もこれには気づき、慌てたようにお父さんを見ます。
「やっと気づいたか」
「ご、ごめん。なんだった?」
「最近ぼーっとしてることが増えただろ。何かあったんじゃないかって思ってな」
隣の座るお母さんも私のことを心配そうに見つめてきます。
「なにかあったんならお母さんたちに話してよ」
「そうだぞ理子。どんなことでも遠慮することはない」
優しいお父さんとお母さんの言葉に、私は嬉しくなったと同時に、困ってしまいました。
平津先輩のことはお母さんには話していますが、お父さんには話したことがありません。
遠慮することはないと言ってくれるのは嬉しいのですが、こんなこと2人の聞いていいか分からなかったのです。
でも、このまま隠しておくわけにもいきません。お父さんとお母さんは私のことを心配して聞いてくれています。なんでもないと言って簡単に納得はしないでしょう。
私は、しばらく悩んだ後、平津先輩の名前を伏せ、事情だけを説明することにしました。
「お父さんお母さん」
私が話す体勢になったことで、2人も聞く体勢をとります。
「もしね、もし、高校生で天涯孤独になったら、その人ってどうなるかな……?」
私の言ったことは、2人の予想をはるかに超えていたのでしょう。
言葉を理解するまで少しの時間を有しましたが、ゆっくりと私の言葉に答えてくれます。
「それは、相当辛いだろうな」
「ええそうね。高校生なんてまだ子供。家族を失うには、早過ぎるわ」
「そうだよね……」
「友達の誰かがそうなのか?」
お父さんが恐る恐るというふうに聞いてきます。
それに私は迷った末に、頷きました。
「先輩なんだけどね。去年、両親を両方とも失ったって」
「そうか……1年でとはまた」
お父さんが目を伏せます。
「寂しいでしょうねその先輩。きっと、今でも苦しんでるんじゃないかしら」
「ああそうだろうな。簡単に立ち直れるものじゃない」
「私にはどうしていいか分からなくて……近しい人が亡くなるのなんて経験ないから」
お葬式には今まで何回か出席したとこはあります。ですが、全て私とはあまり関わって来なかった親戚などで、小さかったこともあり、いまいち記憶に残っていないのです。
「人が亡くなることはどうしようもないことだ。いずれは誰だって死ぬ。そうは分かっていても、受け入れられないもんだ。どれだけ年齢を重ねてもな」
お父さんの言葉には重みがありました。
「会社の先輩の家族がな1人亡くなったことがあって。やっぱりこれだけ歳を重ねてくると、そう言った話はよく聞く。その先輩は母親だったそうなんだが、相当歳もいってて本人も母親の死に納得しているようだった。むしろ長生きだって言ってたよ。俺は会社関係者として出席したんだが。会社でそう言っていた先輩が、棺に向かって号泣していたのを見て、俺は何も言えなくなった。いくら、歳をとっても、身内の死は辛いもんだ。先輩も、随分と引きずっていたようなんだがな」
「その会社の先輩は今も……?」
「いや、今は受け入れてるよ。奥さんと子供の存在があったからだけどな。けど、理子の先輩はまだ高校生。支えてくれる人がいないのは、想像できないぐらい辛く寂しいだろうな。きっと、こんな言葉では表せられないぐらい」
お父さんは私の目を見ます。
「その先輩に恋人はいないのか?愛している人がいればまだ違うと思うが……いや、期待するのは酷か。相手も高校生だからな。支えるのには両方とも若過ぎる」
「でも、幼馴染が3人いるよ。1人は先生として学校にいるんだけど」
「幼馴染か……」
お父さんの声には少しだけ苦みがありました。
「ダメなの?」
「ダメというほどじゃないが、支えるには難しいだろうな」
「確かにね。幼馴染といっても友達の域から出ることは難しいもの。やっぱり限界はあるわ」
お父さんとお母さんははっきりとそう言います。
やはり、美世先生達だけでは難しいのは確かのようです。
「それで、理子はどうしたいの?」
お母さんにそう言われ私は少しだけ戸惑います。
「その先輩って前に言ってた理子が好きになったていう平津先輩のことでしょ」
「え、えっと……」
私はお母さんの言葉にお父さんを見て、焦ります。
「大丈夫よ。お父さんにはもう話してあるから。理子が恋をしたって」
お母さんの発言にお父さんが静かに頷きます。
「そう…なの?」
「そうよ。まぁ、言ったときは信じないってうるさかったけど」
「お、おい」
お父さんが少しだけ困ったようにお母さんを止めようとします。
「だけど、最終的には私と同じように理子を応援するってさ」
「まぁ、な。理子に好きな人が出来るなんて考えたこともなかったが、理子だって高校生だしな……そういう時期なのだろう」
お父さんは頷きながら、少しだけ声を沈ませながらそう言いました。
「それで、これは平津先輩とやらのことなのか?」
「う、うん」
「そうか……それはまた」
お父さんが腕を組んでなにか考え事をしているのか黙ってしまいました。
「……私どうしていいか分からなくて。事実を知れたのはよかったけど、それからどうしていいか」
「幼馴染っていう子達はなんて言ってるの?」
「私達は間違えてしまったって」
「間違えた?」
「うん。平津先輩を想うあまり踏み込むことが出来なかったって悔しそうに言ってた」
「そうね……でしょうね。仕方ないことのように思うわ。だって、友達ですもの」
「ああ。俺だって親友がそんな状況だったら、へたになにか言うことは出来ないだろうな。傷ついてるのは分かってるから」
「じゃあ、私も無理なのかな……」
私は美世先生に抱きしめられてことを思い出します。
美世先生も香奈先輩も、石井先輩だって、自分達には平津先輩を本当の意味で救うことはできなくなってしまった。そして私に頼ってくれている。
それにプレッシャーのようなものは感じない。もし無理でも、誰も私を責めることがないのは分かっている。
支えたいと思う気持ちは本当です。だけど、今言ったお父さんの言葉に私は自信が無くなってしまいます。傷ついているのは分かっている。そんな相手に、好意を向けているだけの私が踏み込むなんて、本当にしていいのでしょうか。
「理子。そんなことはないぞ」
私の思考がお父さんの言葉によってかき消されます。
「そうよ。理子は平津先輩のことが好き。恋人になりたいと本気で思っている。だったら、踏み込むことだって可能なのよ」
「え……なんで?」
「だって、恋人って相手のことを好いていて、互いが互いの心に踏み込むことを許したってことでしょ?」
「そして、その延長線上が身内。つまりは家族というものだ」
「それに本気でなりたいのなら。本気で平津先輩のことが好きなら。理子は平津先輩の心に踏み込む必要があるのよ」
「お母さん……お父さん……」
「幼馴染の子達が話してくれたってことは、理子に踏み込んでもいいって思ってくれたから。違う?」
私はお母さんの言葉に、美世先生の言っていた言葉を思い出しました。
『きっと、幸ちゃんも無意識で大丈夫だって思ったんじゃないかな』
そんなことを思って、私達に平津先輩のことを話してくれました。
「あとは、理子の勇気と、平津先輩が許してくれるかどうか」
「うん」
お母さんとお父さんに話してよかったと心から思いました。
「あーそうだ」
「なにお父さん」
「上手くいったら、その平津先輩という人を家に呼びなさい」
「……えっとなんで」
「一緒にご飯を食べよう。母さんに手作り料理を味わってもらうんだ」
「あら。それはいいわね。お母さんはりきっちゃお」
「はりきらなくてもいい」
「ええー!」
「いつの様に作ってくれればそれでいいんだ」
「……仕方ないわね。じゃあ、理子。頼んだわよ」
「うん。頑張ってみるね」