真実
「理子……」
「理子っち……」
私の隣の愛花ちゃんと優里奈ちゃんが、私の体に手を触れ心配げな声を上げます。
対面に座った美世先生と香奈先輩は私が何か言うまで黙ったまま待っていてくれました。
私は混乱する頭を少しだけ整理すると、つまりつまり声を出していきます。
「美世先生……」
「うん」
「平津先輩は…泣いていました。肩を震わせて、暗く寂しいリビングで1人。私はどうしていいか分からずに、声をかけることはできませんでした」
「うん」
「平津先輩はどうして泣いていたんですか。何を見て、泣いていたんでしょう。なんで石井先輩や香奈先輩、美世先生はそれを分かっていて、リビングに一歩も入っていかなかったんですか?教えてください。なにがあったんですか」
私の必死に訴えが、寝室にひどくはっきりと響き渡りました。
美世先生たちの態度を見る限り、なにかを知っているのは明白です。そしてそれは、平津先輩が時々見せる、悲しそうな横顔と関わりがあるはずなんです。
愛花ちゃんも優里奈ちゃんも、美世先生をじっと見ています。
しばらくすると、美世先生は意を決したように口を開きました。
「あんな幸ちゃんを見られたら、話さないわけにはいかないわね」
美世先生が私達を順々に見ていきます。
「その前に一つだけ約束してほしいな」
「約束?」
「これから話すことは、誰にも言わないこと。いい?」
美世先生の言葉には重みがありました。
いつもの柔らかな雰囲気はどこにもありません。
私は迷わず頷き、そして、2人もゆっくりと頷きました。
それに少しの笑みを見せると、美世先生はゆっくりと話し始めます。
「まずね、3人には謝らないといけないことがあるの」
「謝らないといけないこと…ですか?」
「うん。ここの家はね、知り合いの家なのは確かだけど、その知り合いって言うのが……幸ちゃんのことなの」
美世先生の言った言葉に、私は目を見開きました。
ここが平津先輩の家。その事実が、なにを意味しているのか、私には理解できません。ただ、1つだけ言えるのは、今平津先輩はここに住んでいないこと。
「平津先輩の家ってそれってどういうことですか」
「だって、取り壊すって」
愛花ちゃんも優里奈ちゃんも驚きを隠せてはいませんでした。
「幸ちゃんは、もうここに住んでないのよ。一年前からこの家は空き家。今日までずっと私の両親が幸ちゃんのために毎日毎日掃除をして、必死に保ってきた。いつか、幸ちゃんの意思でこの家を手放す時が来るのを待ってね」
「それが、今週の土曜日ってことです……?」
「そう。だから、最後に私達で使おうって話になったのよ。理子ちゃん達を呼ぼうって言ったのは、香奈ちゃんじゃなくて幸ちゃん」
「平津先輩が」
「幸くんは、理子ちゃん達とあんまり連絡を取り合ってなかったから、代わりに私がみんなにメッセージを送ったってわけ」
「でもなんで私達を」
「たぶん、多くの人に来てもらいたかったんじゃないかな。自分の気持ちを紛らわすために」
美世先生の顔は沈んだままです。今にも泣きだしてしまうんじゃないかと思えるほどでした。
「ちょっと待ってください」
すると優里奈ちゃんが美世先生に言います。
「取り壊すっていうのは平津先輩が決めたんですか?」
「ええ。そうよ」
「それっておかしいじゃないですか。そう言うのは親が決めることであって、子供が決めるなんて聞いたことがありません。それに、どうしてこの家を維持し続けるために、美世ちゃん先生の両親が関わっているんです。それこそ、平津先輩家族がやるべきことなんじゃ」
優里奈ちゃんの意見はもっともです。
家の維持に、他の家族が関わってくるなど考えられません。いくら幼馴染でも、おかしな話です。
しかし、優里奈ちゃんの言葉に美世先生は首を横に振りました。
「無理なのよ」
「無理ってどういう」
「……幸ちゃんにはもう、家族がいないから」
寝室の空気が一気に変わります。
美世先生の発した言葉を理解するために、少しだけの時間が必要でした。
「家族がいないって……」
愛花ちゃんの口から思わずと言ったような言葉がもれます。
「うん。幸ちゃんはね、今から1年前にね、両親を2人とも病気で亡くしてるのよ」
美世先生の声が、はっきりと私の中まで届いてきました。
両親が亡くなっている。しかも、1年の内に2人も……それを想像するだけで、私の体が得も言われぬ恐怖で震えます。
「元々幸ちゃんは両親との3人暮らし。その両親も親を両方なくしていて、親戚との交流もなかった幸ちゃんは、気づけば天涯孤独となってしまったの」
そして、美世先生が話くてくれました。
これまでもこと、平津先輩の身に何があったのかを
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
幸ちゃんはごくごく普通の家庭に生まれた男の子だった。
私は家が隣だったことから、幸ちゃんのことは赤ちゃんの時から知ってたけど、それはもう可愛かったわ。優しいお母さんとお父さんに囲まれて、幸ちゃんは優しい男の子に育っていった。
まぁ、大切にされ過ぎてすこし人見知りの激しい性格になってしまったけど、そんなこと気にならないくらい、幸ちゃんは幸せそうだった。
香奈ちゃんやいっちゃんという友達が出来て、毎日楽しそうにしていたの。
お父さんはとても活発な人でね。幼馴染の私達をいろんな所へ連れてってくれた。それが、私達の中では1つの遊びとなっていたのよ。
だけど、そんな幸せな家庭がある日を境に崩れ出したの。
それが、幸ちゃんが中学3年生のときだった。私は当時、教師の仕事で忙しかったから詳しいことは分からないけど、ある日私の携帯に、私のお母さんから電話が入ってたの。
折り返して聞いた事実に私は衝撃を隠せなかった。
お母さんが電話口で言ってくれたわ。震えた声で。
幸ちゃんのお父さんが入院したって。
病名は癌だった。
それから、幸ちゃんの家庭は、お父さんが亡くなるまでの半年程の間、ずっと漠然とした不安を戦っていたのよ。
気づけば暦は春になり、幸ちゃんはそんな苦しい中、病魔と闘うお父さんの言葉で、高校に受験をし、今の高校に合格した。でも、お父さんは幸ちゃんの入学を前にして、癌で亡くなったわ。
私が詳しくそのことを聞いたのは、幸ちゃんのお父さんの葬儀の後だった。
辛かったね。苦しかったねって幸ちゃんを強く抱きしめたの。
幸ちゃんは私の胸で泣いていたわ。
香奈ちゃんもいっちゃんも葬儀には参加したけど、2人にも幸ちゃんは何も言ってなかったそうなの。驚いた顔をして、幸ちゃんと同じように泣いていたわね。
それから幸ちゃんはお母さんとこの家で2人で暮らし始めた。
幸ちゃんも問題なく、高校に通い始めたの。
教師としてそんな幸ちゃんの姿を見ているだけで、私はほっと胸をなで下ろした。
これで、終わりだと思った。お父さんが亡くなったのは辛いことだったけど、これで幸ちゃん家族は辛い病魔との闘いが終わったって。
だけど、現実は非情なものでね。状況はさらに悪化したの。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
「まだあるんですか?」
私は耐え切れずに言葉を挟んでしまいました。
「うん。今度はお母さんの方がよくなくなっていった」
「そんな……」
「でも、幸ちゃんはそんなこといっさい顔に出すことなく、当たり前のように毎日学校に来てたわ」
「同じクラスだった私や智弘も分かんなかった」
悲しそうな声で、香奈先輩が言います。
「私がその事実を知ったのは、幸ちゃんのお母さんの葬儀の知らせを受けてからだった」
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
初めは信じられなかったわ。
なんで、どうしてって思ったけど、とにかく葬儀の日、私は喪服に身を包んで、会場に向かった。
そして、その会場にははっきりと幸ちゃんのお母さんの名前が刻まれていた。
会場で私は、自分の両親に迎えられたわ。
幸ちゃんは椅子に座ってじっと、お母さんの入った棺を見ているだけだった。
葬儀は小さく行われた。段取りは全て私の両親がしていたわ。後で聞いた話だけど、亡くなるまで、幸ちゃんと一緒に幸ちゃん達を支えてたみたいなの。
幸ちゃんが隠したがっていたから、話さなかったと言っていたわ。結局近しい人間だけを呼んで葬儀が終わったのよね。香奈ちゃんといっちゃんは呼ばれてなかった。
葬儀が終わって、私は幸ちゃんを抱きしめたの。強く強くね。
だけど、幸ちゃんの様子がおかしかった。お父さんの時はあんなにも泣いていたというのに、今度は涙一つ見せることはなかった。
ただただ、泣いている私に幸ちゃんは笑いかけてくれた。そこで、私は察したわ。幸ちゃんの心が壊れてしまっているって。
両親を失ったことで行き場のない幸ちゃんを、私の両親が引き取るって話になっていた。空き家となった幸ちゃんの家は、取り壊す予定だったけど、それを私の両親が反対したの。
いつか幸ちゃんが自分から壊すというまで自分達が守るって言ってね。
だけど、ずっと、家族との思い出が詰まった家のすぐ隣で生活するのなんて、辛いだけだと思った。だから私は、1人暮らしをしている私の家に幸ちゃんを連れていくと言ったわ。そこだったら、高校からも近いし、家とも逆だから思い出すことがないんじゃないかってね。ちょうど部屋が1個空いてたし、お金は蓄えがあった。
渋る両親を説得して、私は幸ちゃんを自分の家に連れて行ったの。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
「じゃあ、今平津先輩が住んでいるのって」
「そう。私の家」
「だから……」
だから、本屋で会った美世先生は肉料理本ばかりを呼んでいたのだ。一緒に住む平津先輩のために。
「だけどね、それからが大変だったの」
美世先生は思い出すように天を仰ぎます。
「心の壊れた幸ちゃんは、涙をいっさい見せることなく、毎日を今までと変わらないように過ごしていた。笑う顔を見るたびに私は辛くなったわ。だって、無理してるのが分かっちゃうから」
そうして美世先生は自分の腕を強く握りしめました。
「私は幸ちゃんに甘えてほしかった。泣いてほしかったの。辛いって寂しいって言ってほしかった。抱きしめてあげたかった。でも……無理だった」
ついには美世先生の目から涙がこぼれだしました。
香奈先輩が美世先生の手を優しく触ります。
「幸ちゃんが私の前で涙を見せることは無くなった。でも、私知ってたのよ。毎日毎日、家族写真を見て1人で泣いてるの。さっきみたいにね」
そして、美世先生は力なく笑います。
「いつだったか理子ちゃん言ってたわね。私が幸ちゃんのお母さんみたいって」
「…はい…」
「それ、間違ってないのよ。私は今日まで幸ちゃんのお母さんになってあげたかった。でも、結局幸ちゃんにとって私は歳の離れた幼馴染でしかなかったの。それが分かったのは幸ちゃんが私の家で暮らすようになってからしばらく経ってからだった」
そこで、美世先生はいったん言葉を切ると、また話し始めます。
「幸ちゃんが唐突にバイトをしたいって言いだしたの」
「なんでです……?」
「理由は簡単。自分の生活費は自分で出すってさ」
平津先輩の言葉は美世先生に頼ってばかりではダメだという気持ちからだったのでしょう。美世先生に自分の存在が迷惑になるから。でも、その優しさはお母さん代わりになりたがっていた美世先生の心を突き刺したのでしょう。
「悲しかったな。私に対して気を使う幸ちゃんを見たのは初めてだった」
幼馴染にまで気を遣うようになってしまっていた。それがもう美世先生のとこを甘えてもいい対象とは見ていないという証拠にもなってしまいます。
「でも、高校は生徒のバイトを禁止してる。だから、お金のことなんて気にしないでって無理矢理納得させて、バイトは諦めさせた。その代り、幸ちゃんは私が仕事で帰りが遅くなってくると、家事の全てをやってくれていた。掃除や洗濯、そして料理まで」
平津先輩が料理が出来るのもそれが理由なのでしょう。
「そして気づいたら、幸ちゃんは自分が無理をしてでも、困っている人を助けちゃうようになってた。まるで、幸ちゃんのお母さんのようだったわ」
両親を失った悲しみを、そうすることによって平津先輩は満たしていたのでしょう。
「人助けをし過ぎるのも、その横顔が笑っていないのも、つまりは」
「そう。幸ちゃんは助けたいって言う純粋な想いで手を差し伸べていないからなんじゃないかな。たぶん、お母さんの影をずっと追い求めているのよ。人助けという行為の中にね」
これで、平津先輩が優しすぎるのも、その横顔に影が差すことも説明がつきました。
すべては亡くなった両親の影響でした。そして、誰にもそのことについて頼らない平津先輩を見ていたからこそ、この話は幼馴染の間では触れてはいけないタブーとなったのです。