横顔に見えるもう1つの顔
目の前には横断歩道が広がっています。
私は赤信号だったので、隣を歩く美世先生と共に、横断歩道に差し掛かったところで止まりました。そういして青信号になるのを待ちました。
すると、反対側の歩道に、何やら紙を持ち歩き辺りを見回している一人のおばあちゃんが立ち止まります。
そのおばあちゃんが横断歩道に近づいたときに、タイミングよく青信号に変わりました。
私と美世先生は歩き出します。
後ろから平津先輩もついてきました。
おばあちゃんとすれ違います。
おばあちゃんの足取りはあまりしっかりしているとは思えませんでした。ずっと、辺りを確認するように見てから、紙と見比べているようです。
すると、ある程度歩いたところで、美世先生が唐突に足を止めました。
そのまま振り返ると、小さく私に対して呟きます。
「理子ちゃん。先に帰っていいよ」
美世先生の言葉に私はすぐに反応しました。
「えっと、どうしてですか?」
「うん?待ってないといけないから」
そう言って美世先生はそこにいるであろう平津先輩を指さしました。
私もそれに合わせて平津先輩を見ました。
「おばあさん。どうかされましたか?」
平津先輩は私達にはついて来ず、横断歩道の向こう側で先ほどのおばあちゃんに声をかけていました。
「……ああ…その、ここに行きたいのよ」
おばあちゃんは話しかけた平津先輩に驚いたような顔を向けていましたが、すぐに手に持っている紙を渡し、そう言いました。
「ああ~ここですね。分かりました。僕が案内しますよ」
「いいんですか?」
「はい。ここ地元なんで」
「ありがとうございますね~」
おばあちゃんははそう言って平津先輩に微笑みます。
すると、平津先輩は私達の方にくるっと向くと声を上げました。
「ちょっと行ってくる!」
「はいはーい」
叫ぶ平津先輩に対して、美世先生は慣れたように軽く答えました。
そして、美世先生の言葉を聞いた後、平津先輩はおばあちゃんと一緒に、私達の渡った横断歩道のとは違う、大きな道を横切る横断歩道を渡っていきます。
それを見送ってから、私は美世先生に聞きます。
「美世先生はついて行かないんですか?」
「幸ちゃんはこういった時1人でやっちゃうから。一緒に行くよって言っても、大丈夫って断るの知ってるから何も言えないのよ」
「そうなんですね」
私はボランティア活動の時を思い出しました。
確かその時も、私達には先に学校に戻ってと言っていました。自分は箒を他の生徒のところに持ってくからと。結局その時は、愛花ちゃんと優里奈ちゃんの気遣いによって私がついていったのですが、終始平津先輩は私の付き添いを断っていました。
美世先生はそれが分かっているから、平津先輩を見送ったということでした。
「だから理子ちゃんは帰っていいわよ」
「美世先生は……」
「私はどこかで待ってるから」
美世先生はまるで当たり前だというように、そう言いました。
その表情は、手のかかる子供を持つお母さんのようです。
「あの……」
私はそんな美世先生にある提案をします。
「あの、平津先輩の後をつけませんか?」
「え?」
私の言葉に美世先生は驚いた顔をします。
この時の私の頭には、優里奈ちゃんに言われた言葉でいっぱいでした。
『表面的な優しさに惑わされないでほしい』
優里奈ちゃんが私に向けて言ってくれた言葉。
それを確かめるにはいい機会だと思えましたから。
もしかしたら、平津先輩の違う顔が見れるかもしれません。
「ダメ、ですかね」
「……ううん。いいわよ」
「はい」
そうして私達は平津先輩とおばあちゃんの後をばれない程度の距離を保ちながらついていきました。
平津先輩とおばあちゃんは、近くの駅のところで止まりました。
私と美世先生はそれを少し離れた場所で見守っていました。ここまで、平津先輩はおばあちゃんと何か話しながら歩いていて、私達に気づくことはありません。
そうして歩いて行った駅のところで、1人の男の子がおばあちゃんに向かって走ってきました。
おばあちゃんのお孫さんでしょうか。
おばあちゃんは男の子に手を引かれるように歩いて行きます。
すると、男の子が指している先には若い夫婦がいました。
おばあちゃんのことを笑顔で迎えていて、平津先輩に気づくと感謝の気持ちを表すように、お辞儀をしました。
「ありがとうございます」
平津先輩におばあちゃんがそう言って深々と頭を下げます。
「いいんですよ。それでは」
「ああ待ってくださいな!」
おばあちゃんが立ち去ろうとする平津先輩を止めました。
「何かお礼を……」
「いや、気にしないでください」
「そういうわけにはいきませんよ。何か何か」
おばあちゃんが鞄をごそごそと探っています。
「いいですからほんと」
平津先輩はそう言うも、鞄の中を必死で探しているおばあちゃんの前から立ち去るわけにはいかず、困り果てていました。
すると、お孫さんであろう男の子が平津先輩のもとへと駆けていきます。
「お兄ちゃん!!おばあちゃんを連れてきてくれてありがとう」
ニコニコと笑う男の子に、平津先輩はしゃがむと、男の子の目線の高さに合わせます。
「どういたしまして」
「これ!あげる」
「これって……」
男の子がそう言ってポケットから棒付きの飴を取り出して平津先輩に渡してきます。
「もらっていいの?」
「うん!」
「ありがとう」
そうして男の子は元気よくおばあちゃんのところまで戻っていきました。
平津先輩が立ち上がると、おばあちゃんにもらった飴を見せて口を開きます。
「おばあさん。お礼はもう貰いました」
そういってニッコリと微笑みかけました。
「そうですね。本当にありがとうございました」
「いえ、気にしないでください。優しいお孫さんですね」
「ええ。ほんとに」
おばあちゃんがお孫さんを優しく見つめます。
そうして、4人が共に平津先輩に頭を下げると、背を向け歩いて行きました。
平津先輩もしばらくおばあちゃん家族を見送った後、元の道を戻るためか私達のいる方へと歩きだしました。
「―――!」
そして、身体の向きを変えている平津先輩の一瞬見えた横顔を見て、私の体は止まってしまいました。
「……どうしたの理子ちゃん」
平津先輩の見せた表情を見た私は、得も言われぬ気持ちになって美世先生の服を掴みました。そんな私の行動に、美世先生は不思議な顔をして聞いてきます。
ですが私の耳には美世先生の声は聞こえてきませんでした。
さっき一瞬ですが、平津先輩の横顔が見えました。そして、その顔は笑ってはいなかったのです。
おばあちゃんを助けていいことしているはずなのに、平津先輩の表情に笑みは見えませんでした。
なんででしょうか。私には平津先輩のその表情がどこか、寂しそうだったと感じました。何を思っているのか、何を求めているのか。本当の気持ちは平津先輩にしか分かりません。
ただ、私が言えることは、平津先輩は人助けをいいことだとは思っていないような気がします。もちろん、手を差し伸べたのだって平津先輩から出る優しさであるのは変わりません。ですが、それに対して平津先輩はどうやら心から喜んでいないように、一瞬見えた表情で感じました。
なんでと思って美世先生に聞こうと美世先生を見て、何も言えなくなります。
私が気づいたのであれば、美世先生だって知っているはず。なのに、服を掴む私に対して、黙ったまま見てきています。何かを言う様子は見られません。
そこで私は何かを悟りました。美世先生はあえて何も言わなんじゃないかと思ったのです。
そうなったら、美世先生に聞いても何も言ってくれないでしょう。
私は黙ったまま考え続けます。そして、1つだけ私の心に確かな感情があるのを自覚しました。
私はそんな平津先輩が見せた寂しくて苦しそうな表情を見て―――何故か愛おしく守ってあげたいという気持ちになりました。
平津先輩を私はもっと近くで、こんなにも離れた場所でなく、近くで支えたいと思っていたのです。
それには平津先輩が抱えている、ひた隠しにしていることを知らなければなりません。
「美世先生」
「うん」
私は平津先輩から目をそらさずに口だけ動かして美世先生に私の想いをぶつけました。
「私、平津先輩が好きです」
「知ってるよ」
「だから、私しっかりと平津先輩を見ます。先輩の本当の姿を、気持ちを受け止めたいんです」
「……」
私そう言って平津先輩に向けていた視線を美世先生に移し、美世先生の目を見て言いました。
美世先生はそんな私を見て、目を見開きます。
「理子ちゃん……」
「安心してください。私、平津先輩のことどうしても好きみたいなんです」
「そっか」
私と美世先生の視線が交錯します。
すると、美世先生は私の言葉に穏やかな笑みを浮かべました。
この時、初めての意味で私は『恋』というものを自覚したのかもしれません。
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「あれ2人ともなんでここに」
私と美世先生は戻ってきた平津先輩とばったり出会ってしまいました。
「あ、あのえっと」
戸惑ってうまく言葉が出ない私に代わって、美世先生が口を開きます。
「おばあさん。なんだったの?」
「ああ。なんかここら辺に住んでる娘夫婦に会いに来たんだってさ」
「へぇ。そうだったんだ」
「だけど途中で道に迷ってたみたい」
「さすが幸ちゃん。優しいわねぇ」
美世先生が平津先輩をからかうように調子よくそう言います。
「別に普通だよ」
そう言う平津先輩の表情は笑っていました。
さっき見せた顔が嘘だったかのように、平津先輩の笑顔は自然なものです。
「それじゃあ帰ろっか」
「はい」
美世先生の合図で私たちはまた歩き出します。
「新菜さんごめんね。付き合わせちゃったかたちになって」
「いえ、大丈夫ですよ」
私はそう言って平津先輩の隣を歩きます。
駅前は歩道ではありませんから。少し先までは3人並んで歩けます。
私を真ん中にして、3人他愛ない話を繰り返して駅前から自宅方面へと仲良く並んで進んで行きました。