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初めての気持ち

 私には好きな人がいます。

 彼は、同じ学校の一つ上の先輩です。私との接点はほとんどありません。

 名前もはっきりとは知りませんし、今はただ、遠巻きに姿を見つめているだけです。

 あまり目立つ人ではありません。おとなしそうで、見た目は地味ですけど、とてもやさしい笑顔をしています。私はその笑顔が大好きなのです。

 話しかけたい。仲良くなりたい。彼はどんな人なのかな?趣味は何なのかな?知りたくて、知りたくて。。。でも、話しかける勇気は全く出ません。

 いきなり話しかけたら迷惑でしょうし、彼はきっと、私のことを覚えてないと思います。

 そうなんです。彼と私は、一度だけお話をしたことがあります。

 他愛もないことでしたけど、とても落ち着くときだったのを覚えています。初対面、しかも、先輩なのにとても不思議な感覚でした。

 今思えば、その時には私はもう彼に心を許していたのだと思います。はっきり言えば、好きになっていました。

 

 

 あれは今から3か月くらい前のこと。

 その日は、朝から雨が降ったり止んだりと不安定な空模様でした。

 気分も上がらず、早く帰りたかったのですが、残念ながらその日は入っている図書委員の当番だったので帰るわけにはいきません。本は好きなので億劫とは思いませんが、空模様のせいなのか、溜息は出てしまいます。

 今どき、1人1台はスマートフォンを持っていますし、電子書籍も主流になってきているので、わざわざ本を借りようとする子はいません。仕事といえば、時々くる子の対応をするだけ。

 やることもないので、家から持ってきた小説を読んでいると司書の先生がいらっしゃいました。

 「ご苦労様~。退屈だったでしょ」

 「いえ、そんなことは」

 先生はいつもそう言ってふんわりと笑います。

 貝苅美世かいがいみよ先生。とても可愛らしくて優しい先生です。ほとんどの生徒は『美世先生』と呼んでいます。『貝苅先生』というのはイメージに合わないからでしょう。私もそう思います。中には、『美世ちゃん』と呼ぶ子もいるぐらい、生徒との距離が近くて人気の先生です。

 本職は国語教師なのですが、司書の資格があるということで、図書館の管理を任されているんだそうです。

 「職員会議、早く終わったんですね」

 「うん。だから、ここに来るついでに、差し入れ買ってきたよ~」

 そう言って美世先生は、手に待っていた紙パックのジュースをテーブルに置きました。

 カフェオレとイチゴミルクです。

 「どっちがいい?」

 「私はどっちでもいいですけど……ここ、飲食禁止ですよ。いいんですか?」

 「大丈夫よ。今は、私と理子ちゃんしかいないから。でも、ほかの人には内緒ね」

 立てた人差し指を口に当てて、しーーっのポーズをします。

 「それもそうですね。はい。じゃあ……」

 迷います。というのも私、新菜理子にいなりこは自由に選んでいいというのが苦手なんです。つい、他の人は何がほしいのか考えてしまうのです。

 悩んだあげく、いつものようにすることにしました。

 幸いどちらも嫌いなものじゃないので。

 「…美世先生が先に選んでください。先生が買ってきて下さったのですから」

 「そう?じゃあ……イチゴミルクにするね。あはは…」

 美世先生がちょっぴり恥ずかしそうに笑います。子供っぽいところを気にしているみたいです。

 先生には悪いですが、とても似合っていると思ってしまいました。

 「それにしても、いやな天気ね~」

 「はい。気が滅入ります…」

 2人して窓の向こうに視線をやります。

 今にも雨が降り出しそうです。というか、小雨は降っているみたいです。

 「ごめんね~理子ちゃん」

 「え?」

 「こんな天気の日は、早く帰りたいわよね」

 美世先生は、頬に手を当てて申し訳なさそうな顔をしてこちらを向きました。

 「いえ、そんなことは……えっと…」」

 ないと言ったら嘘になりますね。

 言いよどむ私を見て、美世先生がふんわりと笑いました。

 「うふふっ。いいのよ、気にしなくて」

 「はい…」

 「じゃあ、終わる時間まで私とおしゃべりしましょ。今日は職員会議があって部活はみんなお休みだし、たぶん、もう誰か来ることもないと思うのよね」

 「それもそうですね」

 「この機に、何でも聞いてくれていいのよ。人生の先輩だから…なんてね」

 「はい。おねがいします。先輩」

 それから美世先生と他愛もない会話をして時間が過ぎていきました。

 先生がおっしゃったとおり、その間、誰かが来ることはありませんでした。


 「理子ちゃん、気をつけてね~」

 「はい。先生も気をつけてください。また明日~さようなら~」

 「はーい。また明日ね~」

 美世先生に挨拶して、帰宅します。

 まだ外は小雨ですが、いつ本降りになるか分かりません。廊下を走るわけにはいきませんので、気持足早に、下駄箱に向かいます。

 靴に履き替え、傘立てに入れた自分の傘を取ろうとしてあることに気づきました。

 傘立てが空なのです。一本もありません。

 この学校では置き傘は認められていません。ですので、傘立てが空ということは、今学校にいるのは私だけなのでしょう。当番の日は大体この時間なので、見慣れていて気づくのが遅れました。

 (私の傘……)

 取られた…?あまり考えたくはありませんが、可能性としては一番高いでしょう。

 何せ今日は、朝から雨が降ったり止んだり……あっ!そうです。思い出しました。私が朝家を出たとき、雨は降っていなかったので、折り畳み傘にしたのでした。

 鞄をあけて中にある折り畳み傘を探します。

 (…………あれ?ない)

 確かに入れたはずなのに、いくら探しても見当たりません。

 仕方ありません。幸いなことに雨はまだ小雨なので、急いで帰れば本降りになる前には家につけるかもしれません。

 そうとなれば早く帰りましょう。

 私は急いで家路につきました。


 結果だけを言うと、家には間に合いませんでした。

 あのあとすぐに雨の勢いが増してきて、今は学校近くに公園で雨宿りしています。

 まだ大丈夫、まだ大丈夫と思って走っていたので、結構濡れてしまいました。

 羽織っているブレザーのおかげで、下のワイシャツはあまり濡れていないのですが、髪の毛はベタベタです。おでこに引っ付いて気持ち悪いです。タオルは持ってませんし、ハンカチではもう拭ききれません。

 溜息が出ます。

 もう最悪です。このままだと体温も下がって風邪をひいてしまうかもしれません。家族に連絡はしましたが、この時間はまだ誰も帰ってきていないので、傘を持ってきてもらうことは期待できません。

 私が途方に暮れていると

 「あの……」

 後ろから声がしたのですが、雨の音に紛れて私の耳には届きません。

 「あの!すいません…」

 さっきよりも声を張り上げます。最後の方は尻すぼみだったので聞こえませんでしたが、私が気づくのには十分でした。

 びっくりして後ろを振り返ります。

 「えっ…は、はい!わたしですか?」

 そこにいたのは、私と同じ制服を着た男子でした。

 少し安心しました。目の前にいる彼は、初対面でもわかるくらい優しい雰囲気がある人でしたから。

 「あっと…ごめん。びっくりさせるつもりはなかったんだけど。その、1人で雨宿りしてるのが見えたから、もしかして傘なくて困ってるんじゃないかと思って…」

 自分で話しかけたのに、彼はどこか緊張しているようです。

 そのせいか逆に私の方は落ち着きを取り戻していました。

 「はい。朝、鞄に入れたと思っていた折り畳み傘がなかったので」

 「そうなんだ。それは災難だね……って、髪の毛!結構濡れてる!ちょっと待ってね、確か…」

 そう言って彼は自分の鞄を探り出しました。

 「あった!これ使っていいから!」

 私はとっさに彼が渡してくれたものを受け取ります。

 彼が鞄から取り出したのはタオルでした。

 「え…でも…」

 急なことで困惑してしまいました。

 私がタオルを受け取ったまま動かないでいると、彼が何かに気づいて焦りながらしゃべり始めました。

 「だ、大丈夫!それ、今日使ってないやつだから!体育のために持ってきたけど、雨で中止になったんだよね。だから、心配しなくても臭わないと思うんだけど……」

 「……はっ!違います違います!そういうことではなくて。急なことで少し頭が追い付かなかっただけですので」

 「ほんと?よ、よかった~」

 「私の方こそ誤解させるようなことしまって、すみません」

 「ううん。大丈夫。気にしてない。それよりも早く拭いた方がいいよ。風邪ひいちゃう」

 「はい。ありがとうございます」

 髪を拭きながら、私はなんだかあったかい気持ちになりました。

 本当に優しい人なんだなぁ。これまでも優しい人にはたくさん出会ってきましたが、彼の優しさは他の人とは違っていて、どこかぎこちないのに接する人に安心感を与えてくれるような、そんな感じがします。

 さっきまで冷え切っていた私の身体も気持ちも、今は心の芯からあたたかくなっているようで不思議です。

 私は言われたとおり髪を拭きます。タオルからほのかにフローラルな香りがしました。その間、彼は黙って私が拭き終わるのを待っていてくれました。

 「タオル洗って返しますね」

 「別にいいよ。帰るときに渡してくれれば」

 「いえ、そういうわけには」

 「まあまあ、いいからいいから」

 「でも…」

 「そういえばさ!」

 彼はこの話はこれで終わりとばかりに、無理やり話を変えました。

 「…さっきタオル出した時に気づいたんだけど、君に渡そうと思ってた折り畳み傘、鞄に入ってなかった…あははは…ごめん」

 彼は申し訳なさそうに謝りました。

 「謝らないでください。タオル貸していただいただけでも助かりましたし、嬉しいですよ」

 「う~ん…」

 私は素直に今の気持ちを伝えました。雨が止むまで待つしかなかったはずだった私に、手を差し伸べてくれただけでも十分です。

 しかし、彼の顔色はすぐれません。

 「今持ってる俺の傘つかってもらえば…」

 「それはできません!」

 私ははっきりと止めます。

 この傘を使えば私はもう濡れることなく家に着けます。でも、そのあと彼はどうするでしょうか?雨の中を走っていくかもしれません。止むまでずっとここにいるかも。しかも、私に気を使わせないようにうまくごまかして。

 私の勝手な想像ですが、きっとそんな気がします。念のため確認します。

 「私があなたの傘で帰ったあと、あなたはどうするのですか?」

 「えっと…」

 「走って帰るとか考えてはいませんか?自分はぬれても構わないからって」

 「……」

 彼は少し驚いた顔をしています。どうやら私の予想は当たっていたようですね。

 「すみません。今日初めて会ったのにわかったようなこと言ってしまって。でも、自分に対してここまでしてもらった相手を濡らしてしまったらと思うと、つい」

 「ああ、いやこっちこそ。君の気持ち考えてなかった。ごめん」

 「いえ、元々私が傘を忘れなかったらこんなことにはならなかったですし」

 雨の音が大きくなります。

 私も彼もなにも言えずに、静寂がこの場を流れていきます。

 しかし、その静寂は長くは続きませんでした。

 「はは…!」

 「ふふ…!」

 何だかおかしくなってつい声が漏れてしまいました。彼も同じだったようで、2人して見つめあいます。

 「俺たち、会ってから謝ってばっかだね」

 「本当ですね」

 お互いがお互いのことを気遣いすぎてうまくいかない。彼と私は少し似ているのかもしれません。

 「学校から走ってきたの?」

 彼が私に尋ねます。その声にはもう緊張の色はなく、親しみが込められているようでした。

 「はい」

 「よく走ろうと思ったね。俺だったら諦めて学校に居座ると思うわ」

 「私が帰るときには、まだ小雨だったんですよ。それで大丈夫かなと思ったんですけど、間に合いませんでした」

 少し恥ずかしくなって照れ笑いをします。

 「じゃあ、結構ここに来てから時間たってる?」

 「そうですね。もう10分は経ってる気がしますね」

 「そっか。そうだよね」

 彼はそう言って、傘を手にしおもむろに立ち上がりました。

 どこかに行くのでしょうか。少し歩いたところで振り返ります。

 「飲めないものとかってない?」

 「ないですよ」

 「オッケー」

 その質問で彼は近くの自動販売機に向かっていることが分かりました。

 私はただただ彼を目で追っていました。

 自動販売機についた彼は、ポケットから財布を出して迷いなく1本買います。それで戻ってくるかと思ったのですが、またお金を投入しました。次は少し迷いながら買っていました。

 私のところからは少し離れているので、彼が何を買ったのかは分かりません。

 戻ってきた彼の手には、同じ飲み物が2つありました。

 「ほい。あったか~いカフェラテ」

 にっこりと笑って1本を私にくれます。

 受け取った手がほんのりとあったまります。

 「これ私に…?」

 「少し肌寒くなってきたから、買ってきた」

 彼は自分の持っているペットボトルのふたを開けながら、備え付けのベンチに座ります。

 「無難にお茶とかにしようとも思ったんだけど、こういう時は甘いのの方ががいいかなって」

 手に持っているカフェラテを飲みました。

 はぁっと息をはいた後、

 「まぁ、自分が好きなものにしただけなんだけどね。ははは…」

 そう言って笑う彼を見て、かわいいと思ってしまいました。

 まるでイチゴミルクを選んだ時の美世先生のようです。雰囲気といい振る舞いといいなんだか似ています。

 「ありがとうございます」

 私もふたを開けて飲みます。

 あったかいものが喉から身体全体に浸み渡っていきます。カフェラテのミルクの甘さで、疲れた頭もリラックスします。甘いものの方がいいといったのはこういう事だったのでしょう。心と身体が両方落ち着きます。

 2人して何もしゃべらずにいましたが、居心地が悪くなることもなくて、むしろ心地よかったくらいです。のんびりとした空気が流れていて、私はカフェラテのお金を渡すのを忘れていました。

 少したってそのことを思い出した私は、鞄から財布を取り出して、120円を彼に渡します。

 「?」

 彼は私の手を見て首をかしげています。どうやらピンときてないようですね。

 「お金です。カフェラテの」

 「あーなるほど!ぼーっとして何してるのか気づかなかったわ」

 「私もすっかり忘れていました」

 お互いに笑いあいます。

 「いいの?俺が勝手に買ってきたのに」

 「はい。おかげであったまりましたから」

 「それじゃあ遠慮なく」

 彼は快く受け取ってくれました。

 それからはどちらとも何も声を出すことなく、落ち着いた雰囲気がながれていきました。

 

 どれだけの時間が経ったかは分かりません。静かな時が流れていると、不意に私のスマホが音を立てました。

 急いで鞄から取り出します。

 電話に出ていいか彼に目配せします。彼は微笑んで「気にしないで」と声に出さずに言ってくれました。

 「もしもし」

 『もしもし、理子?』

 慌てていたため誰からの着信だったか確認しませんでしたが、声ですぐにお母さんだと分かりました。

 『メール見たよ。無事帰れた?』

 「えっとそれが…」

 お母さんに公園に雨宿りしていることを伝えました。

 『うそー!じゃあまだ公園にいるの?』

 「うん」

 『分かったわ。今仕事終わったところだから、迎えに行ってあげる』

 「ほんと!?ありがとー」

 『まったく、理子は時々やらかすわよねー』

 「ごめん」

 『うふふ。それじゃあ、5分くらいで着くから~』

 「はーい」

 お母さんとの電話を切って鞄に戻します。

 「お母さんからでした。今仕事終わったらしくて、迎えに来てくれるって」

 「まじか!よかったね!」

 「はい!」

 「そっか…お母さんか……」

 私はやっと帰れることが嬉しくて、彼が一瞬見せた寂しそうな表情に気づきませんでした。

 そんなことも知らない私は、話し続けます。

 「5分くらいで着くそうです」

 「いやー、ほんとよかったね」

 その時にはもう、彼は元の表情に戻っていました。

 「はい。雨も止みそうになかったので、助かりました」

 「いいお母さんだね」

 「そうですか?ありがとうございます」

 お母さんを褒められて少しむず痒くなります。

 「両親のこと好き?」

 それはとても優しい声でした。

 「はい。時々ケンカしますけど、お父さんもお母さんも優しくて、私大好きです。恥ずかしくて本人の前では言えませんけど。あの家に生まれてよかったって思います」

 こんなこと人に言ったのは初めてです。

 彼は静かに微笑みます。

 「いいね。幸せそうだ」

 そう言う彼の表情は、同じ高校生とは思えないほど大人びていました。

 私はつい見とれてしまいました。

 ぼーっと彼を見ていたら、ポケットから携帯を取り出して画面を見たと思ったら、すぐにしまいました。

 「じゃあ、俺はそろそろ帰るね」

 彼は鞄と傘を持って立ち上がります。

 「えっ」

 「ばいばーい」

 彼が手を振ってその場から去っていきます。

 私は慌てて手を振り返しました。彼の姿が見えなくなるまで手を振り続けていました。とても不思議な人でした。今日初めて話したのに、前からの友達のように話せました。あの優しい笑顔はきっと忘れられません。

 「…理子ー」

 遠くから聞こえてくるお母さんの声に我に返ります。

 もうあの電話から5分経ってたんですね。だから、彼は帰ったんでしょう。さっきは携帯で時間を確認していたんだと思います。座っていたベンチの上には私の荷物だけが残されています。私が貸してもらったタオルは、彼がしっかりと持って帰っていました。

 (お礼、言い忘れてしまいましたね…)

 私は荷物を片付けつつお母さんがこっちに来るのを待ちます。

 「理子、お待たせ。大丈夫だった?結構濡れたんじゃないの」

 お母さんは服のポケットからハンカチを出して、私の髪を拭いてくれようとします。

 髪をさわったところでハンカチを持った手が止まります。

 「あれ?あんまり濡れてないわね」

 首をかしげながらも、髪についた水分を拭きとってくれます。

 「お母さん実はね!」

 私は小さな子供のようにお母さんに話しました。あの優しい彼のことを。あったかい気持ちになったこと。話し終わるまで、お母さんは静かに聞いました。

 私が一通り話し終わったところでお母さんは口を開きます。

 「へぇー今どき珍しいわね」

 お母さんは私に手を差し伸べてくれた彼に感心したような声を出します。

 私はなんだか嬉しくなりました。

 「よかったね。いい人に助けてもらって」

 「うん」

 「お礼言わないとね。彼の名前、なんていうの?」

 「えっと…」

 そこで初めて私と彼はお互い自己紹介をしていなかったことを知りました。

 初対面という感じがしなかったので、すっかり忘れていましたね。

 「分かんない…」

 「知らずに仲良く、私が来るまで一緒にいたの?よっぽど相性が良かったのね」

 「うん。不思議な人だった。なんていうか、一緒にいると落ち着くような感じで、その…」

 私がうまく説明できないでいると、お母さんはどこか楽しそうにしています。

 「理子がそこまで嬉しそうにしゃべるなんてね。私もうれしいわ」

 私、そんなに嬉しそうにしていたでしょうか。していたかもしれませんね。

 いつまでも私がそこから動かないでいると、

 「とにかく、今日はもう帰りましょ。彼のおかげで多少は大丈夫かもだけど、帰ったらすぐお風呂入らないとね」

 お母さんの傘に入って、家路につきます。

 「明日、その彼にお礼言わないとね。同じ学校なら探せば見つかるわよ」

 歩きながらお母さんが言いました。

 さっきの私の話で、彼が同じ学校の制服を着ていたと話していたので。

 「それで仲良くなったら、お母さんにも紹介してねぇ」

 お母さんは私の顔を見て、ニヤニヤしています。

 「もう、からかわないでよ」

 私の身体がほんのりと熱を帯びます。

 風邪でしょうか。早く帰って寝ないといけませんね。明日はお母さんが言った通り彼を探して、今日のお礼を言わないと。

 

 これが私と彼の出会いでした。

 翌日、風邪をひくこともなく、私は学校に着くなり彼を探しました。

 いくら探しても見つかりませんでしたが、移動教室の帰りにふと、いつもすれ違う上級生のクラスを見ていて、私はその場に動けなくなりました。

 その中にいたのです。見間違えるはずがありません。あの優しい雰囲気と笑顔は紛れもなく、昨日私の声をかけてくれた彼です。

 突然立ち止まった私に、友達が心配してなにか話していますが、彼に目を奪われている私には聞こえません。お礼を言わないといけないのに、なかなか体が動いてくれません。顔も熱くなってきました。心臓の音が大きくてうるさいくらいです。

 結局彼が階段を降りて、見えなくなるまで私はその場から動けませんでした。友達に揺すられて我に返った時には、完全にどこかの教室に入った後でした。

 この日、私は自分が彼に恋をしたことを自覚したのです。

 (先輩だったんだ…)

 それから私は、先輩を目にすると緊張してしまうようになり、3か月たった今でも遠くから眺めているだけの関係でしかありません。

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