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「レオン!」
木の上から急いで降りると、後ろ足の辺りから血を流していた。足下には、一本の矢も落ちている。誰がこんなひどいことを、と周囲を見回す。
「っ! お前……」
反らそうとしても視界に入ってくる、鮮やかな青い髪。快晴の空より、夏の空よりも青い。まるで、秋に見るような濃い青空のよう。毎日森で生活しているのに、見たことがない青年だ。
相手もまさかイリゼが木の上から来るなんて思ってもみなかったのだろう。髪と同じ色の瞳を大きく見開いていた。短い髪には枯れ葉が何枚かついており、森の中を長い時間歩いてきたとわかる。
レオンにけがを負わせた責任を取らせようと思ったとき、レオンが苦しげに息をもらした。
「あ、ごめん。痛い? 痛いよね? すぐおばばのところに戻ろう」
青髪の男が追いかけてこないことを横目で確認して、ふらつくレオンを支えながら森を抜ける。いつもは駆けているから、ゆっくり進むと余計に時間がかかっていると感じた。
「レオン。もう少しだからね。頑張るんだよ」
イリゼが声をかけると、レオンはプスッと鼻息で応えた。そうしてようやくサンクラァールに到着。すぐにおばばの元へ連れて行く。
「おばば! レオンが……」
「おや、狩人にでもやられたのかい。どれ、見せてごらん」
ウルチーモがレオンのけがを診る。そして、イリゼに器を二つ用意するように指示してきた。
「二つ? なんで」
「つべこべ言わず、すぐに持ってくるんだ。そして、シアクとアスールの源泉をを一対一の割合で汲んでこの傷にかけなさい」
「わ、わかった」
そういえばそれぞれ効能があったよなと思い出し、詳しい内容はともかく指示の通りにする。レオンの傷が心配で慌ててしまい、途中で二つとも器を落として割ってしまったときは焦った。しかしすぐに小さい器を家から持ってきて、また続ける。
そうして何度か作業をしていると、レオンが気に入っているイストゥスに入っていった。ついさっきのことなんて忘れ、目を細めて気持ち良さそうな顔をしている。
「おばば、もうレオンは大丈夫なの」
「そうだね、こうして浸かっているのだから平気なんだろう」
「そっかー。よかったー」
安心して足の力が抜ける。地べたに座り、イストゥスの中でのんびりと泳いでいるレオンを見ながら、温泉の効能を聞く。
「ねえ、おばば。イストゥスって何がいいんだっけ」
「なんだい、あんなに実体験したのに忘れたのかい。しょうがない子だね、いいかい? イストゥスは神経、皮膚、消化器系に影響を与えるんだ。源泉を飲めば便秘も改善される。だからイリゼはよく食べるのに太らないだろう? まあ、イリゼの場合は、毎日森を駆け回っているから、それもあるだろうね」
「そっかー。確かに、レオンもよく食べるもんなー」
「アルブスは呼吸器系。入浴すると呼吸が楽になる。シアクは血行を良くし、ペイは感情を落ち着かせる効果。アスールは単体だとただの青い湯だが、組み合わせによっては体の快復機能を高めたり、毛むくじゃらになったりする」
「えっ……快復させるのはシアクとの組み合わせとしても、毛むくじゃらって何」
「昔、一度だけなったんだ。どの組み合わせだったかねぇ……」
「待っておばば。そこ、かなり重要だから。毛むくじゃらになったらどうなるの? まさか、口の中まで毛が出てくるなんてことは……」
「お前は相変わらず食べることばかりだね。あれは確か、体毛に反応するんだ。体内に入れても何も問題はないよ」
「なんだ、そっかー。それなら別にいいや」
「……イリゼ。そこは、年頃の女として、誰かに見られたら恥ずかしいなんて思うところじゃないのかね」
「だって、こんな奥まで来る人なんて滅多にいないし、何より三日で効力も切れるじゃん。毛むくじゃらになった三日間の内に誰かに会うって方が難しいよ」
「まあ、それもそうさね」
「でもさ、そんな場所によく来たよね。おばば、遊牧してたんでしょ? そのまま定住しないでいればよかったのに」
「わたしだって若い頃は、自由に動き回れる方が良かったさ。多少天候に左右されても、どうにかなるからね。でも、レオナールに出会って、そんな考えはなくなった」
「レオナール……おじいちゃん、だっけ? 産まれたときからいなかったから、どう呼べばいいかわからないや」
「そう。あの人は病弱でね、遊牧していたとき偶然出会ったんだ。食糧を得るために家畜を渡した後でね。夕焼けに染まるあの人は、そりゃぁもう儚げだったよ」
「ふぅーん……。おばばは、おじいちゃんと出会って、遊牧を止めちゃったの?」
「いや、それからしばらくは続けていたさ。親の反対を押し切ってわたしについてきたレオナールが、病死するまではね」
「おじいちゃん、死んじゃったんだ」
「そう。お前のお母さんがわたしのお腹の中にいるときにね。それはもう、悲しくて悲しくて……そのときにいた、家畜全てにあの人の名前をつけるぐらい悲しかった。姿形は違えども、レオナールと呼んで、反応してくれるあいつらがかわいくてね。傷心を癒やしたもんだ」
「おじいちゃんが死んじゃって、悲しかったから遊牧を止めたの?」
「それが一番の原因だ。でも家畜全てにあの人の名前をつけたもんだから、引き渡す度に胸を引き裂かれるような気持ちになってね……家畜といえどもレオナール。そう思ってしまったら、もう手放せなかった」
「でも、お母さんはたくさん連れて行ったんでしょ? 今残っているのはレオンだけだもん」
「ああ、お前は小さい頃から、レオナールと言えなかったね。家族といえども、自分の考えを押しつける気はない。わたしが勝手に名付けただけだから」
「でもさ、そういうわりには伴侶だ好きな相手だってうるさいじゃん」
「そんな邪険にしないでおくれ。わたしだって言いたかないよ。でもね、お前のお母さんがいない今となっては、サンクラァールを守れるのはイリゼだけなんだ。わかっておくれ」
「そう、それ。別にいいじゃん。ここを守らなくても。どうしてそんなに守りたいの」
「……ここを見つけたのは、本当に偶然だ。あの人が亡くなり、お前の母を一人で育て、疲れていた。そんなときに見つけて、癒やされたんだ。ここの源泉は組み合わせによっては巨万の富を得るだろう。金の価値を知っている人間は金に狂わされる。例え善人が管理をするようになったとしても、それは同じだ」
「まあ、わたしはお金の価値なんてわからないしねー」
「この地で癒やされた。だから守りたい。老人の戯れ言だと思って、付き合っておくれ」
「べ、別にそんな風に思ったことはないけど……でもさ、わたしが守るとしても、その相手は? その人がお金のことを知っているでしょ? 狂っちゃうんじゃないの」
「それはそうだが……わたしは、イリゼが選んだ相手だったら、安心できるような気がするんだ」
「何、その根拠のない自信」
「普段から多くの人間と関わらないからこそ、見た目に騙されることなく、その人自身を見れるだろう?」
「んー……でもさ、やっぱりやだよ。だって久しぶりに会った人間のせいで、レオンがケガをしたんだよ」
「別に、そいつと一緒になれって言っているんじゃない。イリゼが、一緒にいたいと思う相手を選ぶんだ」
ウルチーモの、イリゼの将来を思う気持ちはわかっているつもりだ。母が旅に出ていていないからこそ、余計に心配なのだろう。
父であるオネットも、仕事が忙しいせいで月に数回しか顔を出さない。それも、ウルチーモの懸念材料だ。イリゼだって、安心させたいと思っている。しかし興味もなければ相手もいない状態では、何もできやしない。
「食糧、見つけてくる」
「ああ、気をつけるんだよ」




