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一人走り出したイリゼは、未だに方々からの視線を感じて身を潜める場所を捜す。手頃な場所を見つけて隠れては視線を感じ、どこへ行こうと心が安まらない。
もう堂々と歩いた方がいいだろうと思い、一度深呼吸をしてから姿勢を正す。すると、ちょうど空腹感を刺激するような香りが鼻に届いた。その香りに従い歩を進めると、一つの商店にたどり着く。扉がついていないから、近づくとさらに香りが強くなる。美味しそうな匂いに誘われて、中へ入った。
「いらっしゃい! おや、珍しい子が来たね」
「み、緑髪だ! おいお前ら! 今のうちに注文を済ませるんだ! 食うものがなくなるぞ!」
小太りの女将に迎えられ、食事をしていた男性達が焦った様子で料理を頼む。そんな客を見ながら、女将がイリゼに近づいてきた。
「全く、あいつらは何を言っているんだか。気分を悪くしなかったかい」
「い、いえ、それは別に……あの、緑髪だと言って焦っているのは、なぜなのでしょう」
「ああ、それはね、昔あんたと同じ髪色の人がここへ来たんだよ。あたしが子供の頃だったかね。その人が、細身の体に似合わない量を食べる人だったんだ。そのとき用意していた食材は、全て使い果たしたらしいんだけど、それでもその人は満足していなかったみたいだよ」
「……おばば、また言われてる……」
「おばば、ってことは、お前さんはその人の孫かい? 見たところ大食いには見えないけど……」
「大食いじゃないと思います。普段は、魚とか山菜とかしか食べないので」
「なんだ、そうなのかい。てっきりあの人みたいにたくさん食べるのかと思ったよ。ここに来たってことは、何か食べていくんだろ? 何が食べたい?」
「あ、えーっと……」
--お金、持ってないんだよなぁ。ここでは、外でされていたような注目じゃない。だったら、お父さんに払ってもらったらいいかな。
「女将さんの料理は美味しいと聞きました。一押しをお願いします」
「嬉しいことを言ってくれるね。ああ、いいとも。腕によりをかけて作ろうじゃないか。空いている椅子に座って待ってておくれ。すぐに用意するよ」
「お願いします」
入口から近い椅子に座り、料理が出されるのを待つ。店内の客は男性が多い。幾人かいる女性は、イリゼを見ながら何か話している。
--んー……ここもあまり長くはいられないかな。
外と比べれば心が落ちつくものの、さっさと食べて城へ行こうと決める。
「ああ、イリゼ。ここにいたんだな」
サフィールが入ってきた瞬間、店内がざわついた。
--いっそのこと、この雰囲気を楽しんじゃう方がいいかなー……。
給仕をしていた女性も全て、サフィールを見ている。
「女将さんに、一押しを頼んだの」
「そうか。楽しみだな」
サフィールが微笑み、女性が熱を上げたように叫ぶ。するとそんな空気をものともしない女将が、できたての料理を運んできた。
「あいよ、お待ちって、サフィールじゃないか。一緒に食べるかい?」
「ああ、そうさせてもらう。今日の料理は?」
「鴨の蒸し焼きだね。あたしはそのまま食べる方が好きだけど、何か味を変えるもの持ってくるかい」
「いや、ひとまずこのまま食べてもらう。何か必要そうだったらまた注文する」
「そういえば、その子は魚とか山菜とかしか食べていないって言ってたね。鴨は初めてかい」
「はい。動物は初めてです」
「そうかいそうかい。魚とはちょっと歯ごたえは違うかもしれないけど、あたしが作る肉料理はどれでも絶品だよ」
「サフィールに、そう聞きました」
「おや、それを言ってくれたのはサフィールだったのかい。みんな! 聞いたかい! この店の料理は第二王子推薦だよ。さあ、もっと注文しておくれ!」
あっはっは、と豪快な笑い方をしながら女将が奥へ行く。
「鴨……昨日の、あれが……」
「イリゼ、よく見てみろ。これが昨日の鴨に見えるか?」
目の前に置かれた鴨は、周囲にこんがりと焼き色がついている。皮はどこかわかるものの、足も顔もない。手のひらほどの大きさに切られているから、鴨には見えなかった。
「た、食べてみる」
「ああ。食べて……あ、そうだ。手で直接食べず、このカトラリーを使うんだぞ」
「わかった」
サフィールに渡されたものを握り、鴨肉を刺す。硬いと思ったが意外にもそれほどではなく、力を入れなくても刺せた。それなのにカトラリーにぶら下がる肉は弾力があるらしく、重さに負けても少し曲がる程度。これはどんな食感になるのかと、目を閉じて噛みつく。
--見た目と全然違う! こんなに柔らかいんだ!
口に入れてみると、魚の脂とは違う旨味が溶け出してくる。肉汁がじゅわっと溢れてきた。蒸されているためか身はもっちりとしている。それなのに噛むとすぐに解れて、少し香ばしい匂いが鼻を抜けていく。表面を焼いてある皮は、カリッとして歯触りが良い。
一口食べると続きが食べたくなり、一枚終わるとすぐに次を取りたくなる。調味料の味がついていないおかげで、素材本来の味を感じられた。
手が止まらない状態のイリゼを、サフィールが愛おしげに見る。
「な、なに?」
「もしかしたら食べられないかと思っていたんだが、その様子だと心配はいらなかったみたいだな」
「だ、だって、美味しいし……」
「ああ、そうだな。よく食べた」
微笑みながら、髪をクシャっとされる。店にいた女性から悲鳴が上がった。
「俺も食べるかな」
当のサフィールは、自分が何をしたのか自覚していない。
--わ、笑いながら髪っ……あ、頭っ……。
鴨の蒸し焼きを食べ始めたサフィールを見ながら、頭に残る感触を再確認するために自分の手を乗せた。
--サフィールの手、大きかったな。火起こしのときにわたしとは違うって思っていたけど、あんなに大きいんだ。それに、温かかった。
「どうした? 食べないのか」
「た、食べる!」
美味しさを知り、肉を食べる前には戻れなくなってしまった。サフィールに見られていることを忘れようと、次々と口に運ぶ。そんなイリゼを、彼はまた愛おしそうに見る。そんな状態で目が合ってしまい、急激に体が熱くなった。
--なに、その顔! い、今なら女の人達の気持ちがわかるかも……。
鴨の蒸し焼きが載った皿を空にした。続けて運ばれてきた炒め物も煮込んだ物も、次々と平らげる。
「イリゼは食べっぷりがいいな」
「そ、そう? まだまだいけるけど」
「そうか。満足するまで食べるといい。支払は、全て俺が持つから」
ではお言葉に甘えて、と普段食べることのない料理をどんどん胃に入れる。ようやく満腹になる頃には、やっぱり魔女と呼ばれる人の孫なんだねぇと女将に気に入られた。
酒場を出て、サフィールに連れられて城を目指す。腹が満たされると、不思議と周囲の視線は気にならなくなった。




