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今日はやけに朝日が眩しいなと思いながら、イリゼはゆっくりと目を開けた。
--森の中? どうして……。
なぜ自分は寝床で寝ていないのか考え、少し離れた場所にある焚き火後を見て我に返る。
--あ、あ、そうだ。サフィールと魚を食べた後で眠くなっちゃって……そういえば、サフィールは?
まだ残る眠気に、思考が追いつかない。彼のことだからイリゼを一人残して帰りはしないだろうと思い、背後が暖かいとようやく気づいた。そして、自分が置かれている状況に、意識が一気に覚醒する。
--えっ、えっ、なんでっ? なんでサフィールに抱きしめられてるの? えーと、確か昨日は満腹になって寝ちゃって……寝たよね、わたし。あのときはまだ、サフィールが正面にいたような記憶があるんだけど……。
寝てしまった後の記憶なんてわかるわけもなく、ひとまずサフィールを起こそうと試みる。
「サフィール。起きて」
抱きしめられた状態のままでは、腕を軽く叩くくらいしかできない。肩に頭が乗せられていて、暖かい息がかかる。
--い、息がっ。なんか、くすぐったい。早く起こさないといけないと思うのに、わたしが寒くないようにってしてくれたことだと思うと、無理に起こせない。でも、起こさないと。朝帰りしても大丈夫とは言っていたけど、王子だし、たぶん毎日やることがあるよね?
どうにかして起こさなければいけないと思い、腕を叩く頻度を速くしてみる。起きる気配は一向にない。それならば問答無用で体を大きく動かせばどうかと、試してみる。腰をひねるごとにサフィールの腕が解れていく。反転させた頃には、腕は完全に離れていた。
「よしっ。これで……」
イリゼは忘れていた。サフィールが、自分の肩に頭を乗せていたということを。
「えっ……」
イリゼが離れようとした瞬間、ゆっくりとサフィールの体が倒れてきた。
「ちょ、ちょっと待って……っ!」
木に寄りかからせようとしたが、逆に押されてしまった。意識がない体はこれほどまでに重いのだと思っていると、倒れてきたサフィールの顔が近づいてくる。
「あっ、待っ……」
どけば助かる。しかしそうすれば、寝ていて意識のないサフィールに怪我をさせてしまう。そんな葛藤をしている間に、手遅れとなった。
「っ……!」
倒れてきたサフィールの唇が、掠めていった。そして、そのまま押し倒されるかのように、身動きが取れなくなってしまう。
--い、今! ふ、触れたよね? 掠めちゃったよね? ふにってしてた!
自分の身に起きた一大事に、思考回路が崩壊する。
--どうしよう! そ、そうだ。今のできごとを忘れよう。確かお父さんが持ってきてくれていた中に、難しい書物があった気がする。あのときは、初めて見る内容で理解できなかった。あれはなんだっけ。文字が少なくて絵が多いやつだった。そう、そうだ。王子様とお姫様が幸せになる話! あの二人は何をしていたんだっけ……。
唇が触れてしまったという事実を忘れようとしたのに、かつてオネットが持ってきてくれていた絵本の内容を思い出してしまう。
--あっ、そうだよ、王子様とお姫様キ……ち、ちがーう。それじゃない。他のことを考えないと……。
とにもかくにも、体を自由に動かせなければ思考もまともに働かないと判断。倒れたまま起きそうにないサフィールの耳元で呼びかける。
「サフィール! サフィール! 起きて!」
「んっ……」
「起きてってばー!」
サフィールは一度眉間にしわを寄せたものの、一向に起きそうにない。手も使えない状態のため、ひたすら呼びかけるしか現状を打破できなかった。
「サフィール……起きてよ……」
普段の様子から、寝起きもすぐに覚醒するのかと思っていたが、そうではないらしい。これほど寝起きが悪いのかと、勝手に恨む。
「ん……イリゼ……?」
「起きた!?」
早く起きてもらえないかと願い続けたイリゼの思いが、届いた。
サフィールが体を起こそうとして、イリゼの顔のすぐ横に手をつく。しかしまだ完全に覚醒していないらしく、顔に息が届く範囲で止まってしまっている。目の前には、掠めたばかりの、唇。
--は、早く起きてー! この状態じゃ、ちょっとでも動いたらまた当たっちゃうよ!
近すぎる距離に、何もできなくなる。声を出すことすら、躊躇われた。鼻息が当たってしまうのが嫌で、息を止める。
--あ……。だんだん意識が遠のいてきた……。
もういっそのこと意識を失う方がいいのではないかと思えてきて、現実から少しでも逃れようと目を閉じる。
「イリゼ……?」
名前を呼ばれ、瞼を上げる。すると、ぼんやりとしながらも目を開けようとしているサフィールと目が合った。
「サ、サフィール……起きた?」
見つめ合っているかのような状態がしばし続き、それから動かないサフィールに呼び掛けてみる。すると、意識を覚醒させたサフィールが目を見開く。そして、素早く下がった。その拍子に、後ろの木に頭をぶつける。
「サフィールっ!? 大丈夫っ?」
「あ、ああ……問題ない」
頭を擦りながら答えるサフィールを見て、滝が流れる崖へ行こうとする。
「イリゼ? どうした」
「カドネワを採りに!」
「カドネワ? あれは、止血だろう?」
「確か、痛み止めの効果もあったと思うの! サフィールも、擦り傷の痛みが和らいだって言っていたでしょっ?」
「いや、そうだが……まず、落ちつくんだ。薬草に頼るほど痛くない」
「で、でも……」
「イリゼ」
どっしりと構えて名を呼ばれると、冷静になれる。しかし座るようにと促されて従うと、どうしても唇に目が行ってしまう。
「やっぱり、取ってくる!」
「落ち着け」
この場から離れる口実を叫び、移動しようとしたのに、サフィールに腕を掴まれてしまう。途端に、熱がせり上がってくる。
「イリゼ。顔が赤い。風が当たらないように配慮したつもりだったが、風邪を引かせてしまっただろうか」
「ち、違うのっ! これは、そうじゃなくて……」
「では、どうしたというんだ。様子が変だぞ。何かあったのか」
「何かっていうか……」
--あーっ。考えるタイミングがあると、どうしても見ちゃう! でも、あれはサフィールにとって記憶にないことだから、言われても困るだけだよね。でも、不審がられたままなのは嫌っ!
居住まいを正し、どう説明すべきか悩む。ひとまず何か言葉を、と思っていると、サフィールが呟く。
「……夢を、見たんだ」
「夢? どんな?」
「夢の中のイリゼが、俺と……」
目が合い、視線が口元へ動いた気がした。
「ゆ、夢でしょ! 良かったじゃん、夢で!」
「そうか、あれはやはり夢だったか」
「そうだよ! それはもう忘れて、今日の話をしよう。仮婚約に向けて親密さを街の人に知ってもらうんでしょ! 何をする?」
「そうだな。昨日も言ったように、酒場の料理を食べさせたい。後のことはそれから考えよう」
「わかった。じゃあ、後で行くから先に行ってて」
「朝まで一緒にいたんだ。このまま移動してもいいと思うが」
「だ、だめ! わたし、土で汚れているし、こ、婚約者を演じようと思うのなら、それなりに綺麗にしないと」
「……別に、そのままでも問題はないと思うが」
「なっ、あっ、そ、そんなことを真面目な顔で言わないでよ! 勘違いするでしょ!」
「勘違いも何も、間違ったことは言っていない。イリゼはそのままがいいと思うぞ」
「っっっ、だから、そういうの!」
--サフィール、まだ覚醒してなかったんだ! だからこんな恥ずかしいことを言うんだ! 仮の婚約なのに、本当にサフィールに思われているような気になっちゃう。
イリゼの訴えは届かず、サフィールは何かいけないことをしたのかと、きょとんとしている。
--くぅっ……この、天然誘惑男め!
このまま冷静を欠いたままではいけないと思い、深呼吸を繰り返した。
「い、一緒に行っても、いいと思う。その方が朝帰りを強調できるし。でも、待ち合わせて会うっていうのも、それらしく見えるんじゃないかと思うの」
「なるほど。確かに、それは一理あるな。兄上も、恋人の家は知っているのに、あえて外で会うこともある」
「でしょ? ね、ほら、だから、後で街に行くから。サフィールだって、王子ならではのやらなきゃいけない仕事だってあるでしょ?」
「……今は、仮婚約発表のために動いていればいいと思うが……そうだな。何か事態の進展があったかもしれない。先に戻ろう。街の入口まで迎えに行くから、そこで待っていてくれ」
「わかった。じゃあ、また後で」
「ああ。また後で」




