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「母上、失礼いたします」
「どうしたの、サフィール」
「母上に、父上との馴れ初めを伺いたいのですが、教えていただけますでしょうか」
「もしかして、まだイリゼちゃんに申し込んでないのかしら?」
「は、はい。不甲斐なくて申し訳ありません」
「いいわ。わたくし達の出会いから教えてあげましょう。わたくしとロワは--」
上機嫌に話しはじめたジュネスは、それから数時間に渡って語った。結論から言うと、狩人だったロワがジュネスに、獲った獣を贈っていたということ。それぐらいなら自分でもできそうだと、早速行動することにした。
王にイリゼと会ってくることを伝え、ノール森林に行く。どこに何の獣がいるか理解しているから、贈るための肉はすぐに手に入れた。
「……ノール森林に住む、とはどこにいるのだろうか。今まで狩りをしてきて、それらしいところはどこにもなかった」
いざイリゼに会おうとして、彼女がどの辺りにいるか知らなかったことに気づく。
「森の中で暮らしているのなら、水源の確保は必須だ。ということならば、川の上流を目指して行けば会えるだろうか」
悩んだままで動かないわけにはいかない。すでに計画が動き始めてから三日も経っている。正確に言えば、サフィールがイリゼに婚約を申し込まないと何も始まらない。無情にも時間は過ぎていく。大きな金の流れを作り出すためには、立ち止まっていられない。
獲った鴨肉を持ちながら、まずは川を目指す。オパルやジュネスから意見を聞いている間に時間は過ぎ、とっくに正午を過ぎている。イリゼに会って帰る頃には夕方になるだろう。
川沿いを歩き、水面から来る冷気に身を震わせる。イリゼはいつも裸足でいるが、体調は崩さないのか。そもそも、防寒対策はしているのか。そんなことばかり考える。
イリゼのことを考えながら歩いていると大分移動していたらしく、いつの間にか川の最上流である滝まで来てしまっていた。
ゴウゴウと唸り声を上げる滝を見上げ、崖の中腹にあるカドネワを発見する。ところどころ手を掛ける部分はあるが、指の先がどうにか引っかかる程度だ。必死だったとはいえ我ながらよく登ったと思っていると、背後から何かがこちらを窺う気配を感じた。
バッと、勢い良く振り向く。
「レオンか」
湾曲した大きな角と、小さい顔。イリゼと一緒にいた動物だ。彼女の元へ案内してもらおうと近づくと、森の奥へ駆けていってしまった。
「あー……唯一の手がかりが……いや、でもちょっと待て。レオンがいたということは、ここから近い場所にイリゼがいるんじゃないか?」
果てなく森の中を彷徨わなくて済みそうだと前向きに考える。ひとまずレオンが走って行った方へ進路を決めて歩き始めた。すると、レオンが誰かを乗せて戻ってくる。こんな森の中でレオンと一緒にいるのは、イリゼ以外はあり得ない。
「サフィール!」
レオンに乗ったイリゼが、サフィールに気がついて名前を呼ぶ。その瞬間、何かが弾けた。
--な、なんだ? この感覚は。嬉しい? 嬉しくない? いや、嬉しい。では何が? イリゼが俺の名前を呼んだこと? イリゼに会えたこと? いや、ようやく計画が動き出すんだ。会えたことが嬉しいのだろう。
レオンに乗ってきたイリゼが降り、頭を二度叩いた。するとレオンは、心得たかのように森の中へ走って行く。移動のために使っていただけで、普段は自由にさせているらしい。
イリゼが、サフィールを見上げてくる。
「どうしたの、森の中に来るなん……それ、何?」
少し弾んでいた声が、急に沈んだ。それどころか、怒気を感じる。イリゼが指さしていた、鴨肉を彼女が見やすいように持ち上げた。
「鴨肉だ。独特な風味は好みがわかれる。だが肉質は、歯ごたえがよくて」
「ひどい! こんなことをするなんて!」
眉を寄せ、サフィールの手から鴨を奪う。矢を射た辺りを、労るように擦っている。
「イリゼ? どうかしたのか」
「どうかしたって? サフィールの方がどうかしてるよ! どうしてこんなひどいことをするの!? レオンのときは、間違えたって言ったじゃん!」
「間違えたというのは、野生の動物だと思ったということで、普段から獣を狩っている。イリゼだって、森の中で過ごしているならそうするだろう?」
「そんなことしない! 動物たちと一緒に遊ぶこともある。友達の命を奪うようなことをするわけない」
「……ちょっと待て、イリゼ。では普段の食事はどうしているんだ。まさか、何も食べていないというわけではないはずだ」
「普段は、山菜とか魚を食べてる。それで十分だよ」
「イリゼは、肉を食べたことがないのか」
「レオンと一緒に暮らしているのに、食べようなんて思うわけない」
「それは、もったいないな」
「はぁっ?」
「肉はいいぞ。焼いてもいいし、煮込んでもいい。獣によって食感も味も違う。素材が生きる料理も変わってくる。色々な楽しみ方があるんだ」
「そんな楽しみ、いらない。そんなことを言うために来たの?」
イリゼの声質が、また一つ下がった。このままでは計画を実行できなくなってしまう。
「イリゼは、食べたことがないからそんな気持ちになるんだ。一度食べてみるといい。酒場で出される料理はどれも絶品だぞ」
生活環境の違いは、どれだけ必死に訴えたところですぐには変えられない。ではせめて、試してみるのはどうかと提案した。
「あっそ」
冷めた声を出して行ってしまうイリゼの腕を引く。
「待ってくれ」
「離して!」
ここで離してしまうと、もう口も聞いてくれないと思い、咄嗟に抱き締めた。イリゼが持っていた鴨が落ちる。腕の中でもがくイリゼの耳元へ、顔を近づけた。




