序章
ゴォォッと勢いよく滝が流れている。滝壺からは霧状になった水が虹を作っていた。そこから川下へ行くと、何匹か魚が泳いでいる。
流れに向かって泳ぐ魚の習性を利用し、先を窄めてあるものと、出口がない籠を重ねているものを仕掛けておいた。蔓で編んでいるから適度に隙間が空いていて、そこから水は流れていく。だから魚も不審がらずに、激流を和らげるような籠へ入る。しかし習性があるために背後には戻れない。
「今日は五匹か。いい感じ」
川に映る緑の横髪を耳にかけた少女は、川底の小石で止めていた籠ごと持ち上げて、森の中にある自宅へ向かう。ぽたぽたと滴を落としながら向かった先は、祖母と暮らす手作りの家。
土に枯れ草を混ぜ、強度を上げた土壁と、水を弾く大きな葉をまとめて屋根にしてある。家の基礎となっている骨組みの木も、蔓で縛ってあった。家の作り方を知っていると、壁の土が欠けてもすぐに補強できる。
本日の昼食を準備するため、魚の口から背びれの下辺りまで尖った枝を刺す。収穫分全ての作業が終わる頃、コツコツと音を鳴らして、太めの木で作った杖をつきながら、祖母がやってきた。
「あっ、おばば! 今日は五匹だよ。三匹もらっていい?」
「イリゼや。お前は、いくつになったかね」
「ん? 十歳ぐらいじゃないの? わたしよりおばばの方が詳しいでしょ。お母さんの代わりに育ててくれているんだから」
「あの子が遊牧という名の旅に出てから、もうそんなに経つんだね」
「どうしたの、おばば。今日はやけにしんみりとしてるね」
祖母、ウルチーモが切り株の上に腰を下ろした。魚の準備ができ、イリゼは火起こし作業をしながら聞く。
「お母さんがいなくて寂しくなったの?」
「イリゼもレオナールもいるからね、寂しくはないさ」
「じゃあどうしたの」
小さな弓の弦を火起こし用の硬い木にかけ、その木の上に滑りを良くするための石を当てた。火起こし棒を動かしやすいように弦を一度ねじる。平たく柔らかい板を棒の下に当てた。板に窪みをつけている部分で弓を左右に動かす。高速で棒を回転させ、木を削る。
そうして出てきた木くずから煙が出始めた。そうなるとすぐにその木くずを火口へ移す。燃えやすいように集めておいた枯れ草に、火が移る。息を吹き込みさらに燃やして、薪の上に置いた。
「よしっ。これであとは、この魚を刺した枝を火の側においてっと」
祖母に教えられ、今では戸惑うことなく火も起こせるようになった。そんなイリゼに、ウルチーモは先を案じるかのような眼差しをを向ける。
「イリゼ。お前はまだ子供だ。老い先短いわたしよりも、長く生きる」
「まあ、そうだよね。それがどうかしたの」
「このまま森で暮らすのは、お前のためにならないと思ってね」
「そんなことないよ。山菜もあるし、魚も取れるし。困ることなんてないもん」
「確かに、一人だって暮らせるだろうけどね。人は、一人じゃ生きられないもんだ」
「おっかしーの。一人で暮らせるのに、一人では生きられないって。どういうこと? まわりくどく言わないでズバッと教えてよ」
「つまりだ。お前にもいずれ伴侶ができるだろうということさ」
「はんりょ? なにそれ」
「生涯をともに過ごす相手さ。そしていずれ子を産み、育てる」
「えー、やだよ。面倒そう」
「まあ、まだ十のお前には早いかもしれないが、森以外のことを知っておくべきだ。また川へ籠を仕掛けに行くだろう? そうしたらその魚を街にいるオネットへ持って行きなさい」
「お父さんのところに? んー、だったらまだ楽そうでいいかな」
ウルチーモと話している間に魚に火が通り、二つを祖母へ渡す。そしてイリゼは三つ食べた。
翌日。
祖母の言いつけの通り街へ向かう。街の入口に一番近い川下の籠を水から上げた。今日の収穫は七匹。籠を抱き上げて門へ向かう。過去最高の重さに、さすがに足下がふらつく。籠から落ちる滴に服も足も濡れてしまうが、素足だからしっかりと踏みしめることができる。
ようやく門をくぐろうという距離まで来たとき、中から髪を剃り上げている男が出てきた。左目には、大きな傷がある。イリゼに気がついた様子の男は、にっこりと微笑みながら近づいてきた。そしてイリゼに視線を合わせるように腰をかがめる。
「よう、お嬢ちゃん。街へ行くのか」
「そうだよ。魚を渡すの」
「渡す? 売るってことか」
「わかんない。お父さんに持って行くの」
「そうか。頼まれたんだな」
「ちがうよ。おばばに行けって言われただけ」
「おばば? はっはーん、なるほどね。お嬢ちゃんに社会勉強をさせようってことだな。お父さんっていうのは、どっかの店を開いてんのか」
「たぶん。時々色々なものを持ってきてくれる」
「ふぅーん、そうか。たぶんそのおばばの考えは、お嬢ちゃんに金を使う練習をさせようってことだな。だったらわざわざ中まで入らなくてもいいんじゃねぇか。おれが代わりをしてやるよ」
「代わり?」
質問すると、男は腰に下げていた布袋から数枚の硬貨を取り出した。そして地べたに並べる。
「いいか、お嬢ちゃん。これは街で使える金だ。種類はいくつかあって、使える価値ごとに絵柄が違う。国がのびのびと成長するようにと願いを込められた若木が、一番低い。一モネだ。国でよく取れる小麦が描いてある硬貨の価値は五モネ、みたいにな」
「すごい! おじさん何でも知ってるんだ」
「よく知らない土地へ行くことが多いんだ。そのときに、その地域の硬貨を記念に持ち帰る。それを集めるのが好きで、そのついでにその地域の歴史を調べるんだ」
「おじさん、旅人なの? お母さんと同じだ」
「なんだ、母親は旅してんのか? だからおばばに育てられてるんだな」
「そう。わたしは別に今のままでいいのに、森での生活以外も知っておけって。面倒くさいよね」
「まあ、親心ならぬ婆心ってやつなんだろ。で、お嬢ちゃんは何を売ろうとしていたんだ」
「魚だよ」
先が窄まっている籠を取り、中身を見せる。少し時間が経ってしまったせいで、元気がない。時折跳ねる程度になっている。
「魚か。こいつは新鮮さが重要だな。どれ、おれが見てやろう」
男が籠を覗き、一匹取り上げる。こりゃ駄目だと言うように、左手を額に当てた。
「相当時間が経ってるな。これだと、せいぜい十モネぐらいか」
「全部で七匹いるよ」
「じゃあ、七十モネだな」
「すごい! そんなにもらえるんだ!」
言われた金額に興奮していると、男が布袋から十と描かれた硬貨を取り出す。
「これはすごいんだぞ? ほら、この硬貨に描かれている絵を見て見ろよ」
言われるまま、十モネの絵を見る。男はイリゼによくわかるように、街を背後に硬貨を持つ。
「あっ! 街が描かれている!」
「そうだ。ほら、他の硬貨と比べてみろ。果実だったり花だったりするよりも立派に見えるだろ」
「うん!」
「お嬢ちゃんにとって初めての金だ。大事にするんだぞ」
「ありがとう! 籠はまた作れるから、そのまま持って行っていいよ」
「悪いな」
男から十モネ硬貨を七枚受け取る。それを胸元で抱きしめ、ウルチーモのところへ戻った。
「ねえ、聞いて! おばば!」
戻ってから無事にやり遂げた報告と、男から聞いた情報を自慢げに話した。すると、褒めてくれると思った祖母は盛大なため息をこぼす。
「いくら少し時間が経っているって言ったって、まだ生きている魚が一匹十モネなわけあるかい。お前はその男に騙されたんだよ」
「えー、そんなことないよー」
「……まあ、今回の目的は、物がお金になると知ることだから、これはこれでいいのかね」
「なんでおばばが落ち込んでるの」
何もわかっていないイリゼを見て、ウルチーモはまた大きなため息をついた。




