プロローグ
最初に光が見えた。焦点の合わない視界は水中で目を開けたときのように、ゆらゆらと頼りない。必死に目を凝らして、ようやく誰かが自分の顔を覗き込んでいるのだと理解する。
——死にぞこなった……か?
どこからか赤ん坊の泣き声が聴こえる。というより寧ろ、ぐわんぐわんと鳴る耳に今現在入ってくる音らしい音といえば、赤ん坊の泣き声しかない。よほどスプラッタな光景がその眼前に広がっているのか、はたまた社会という重油の底に漬け込まれたフリーターが巻き起こした惨事による人々の混乱に驚いたのか。どちらにせよ、その烈しさはまるで産まれたばかりのようだ。
——おいおい、救急車なんて、呼んでくれるなよ。今おれは金なんて一銭も持っちゃいないんだからさ。
声を出してそう言おうとしたが、声帯をやられたのか声が出ない。まいったな。
——自らの意思で捨てようとした命を救われて、退院したら治療費を捻出するために身を粉にして働くなんて、そんなバカみたいなことヤだよ、おれは。
赤ん坊の声が一際大きくなる。全く、よくもまあ飽きずにギャーギャーギャーギャーと。うるさいもんだな、赤ん坊てのは。そんなことを思っていると、水の膜を張っているようだった視界が、一瞬だけ鮮明さを取り戻す。
そこには会ったことのない金髪の女性の顔があった。こちらを見下ろす顔は、安堵となにやら達成感に似た感情がないまぜになったような表情を浮かべていた。綺麗な人だな。
その整った顔立ちを認めたのを最後に、意識がぷつりと途絶えた。