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巻ノ九拾伍 夕方の訪問者 の巻

「さて、そろそろ夕飯にしよう。お園、頼めるか?」

「分かったわ。でも、器が足りないわよ」


 お園が石鹸の失敗作を入れた食器を指差す。なんでもっと早く言わないんだよ! 大作は心の中で逆ギレするが決して顔には出さない。


「捨てっちまおう。こいつぁニセモンだよ」


 大作はルパンを気取って脱力気味に呟いてみる。途端にお園の目がつり上がった。


「銭百文もしたのよ! 勿体無いわ。それにとっても重かったわ」

「こんな物、置いといたってしょうがないだろ。こうなったらもうアレだ。鍋から直接食べよう。同じ釜の飯を食うってやつだ」


 床板を捲って石鹸の失敗作が入った食器を片付ける。何ヵ月か放って置いたら固まってるかも知れん。

 それはそうと食料の減りが半端ないな。一人一日五合食べるとして、十三人だと一日十キロも消費することになる。

 早く伊賀から忍びが来てくれたら良いのに。神様にお願いはしないけど考えるだけならタダだ。

 タダより高い物は無いなんて言うけど、タダはタダだろう。


 ちょっと待てよ。謎の美女軍団にタダ飯を奢ってやってるんだ。一宿一飯の恩義って言葉もある。もし、こいつらがプロの刺客だとしても餌付けされれば少しくらいは情が移るはず。俺を殺す時に一瞬でも太刀筋が鈍るかも知れん。

 そうでも思わんとやってられんな。鍋から雑炊をチタン製スプーンで啜りながら大作は自分で自分を慰めた。


「桜殿、お口に合いますかな?」


 大作はなるべく警戒感を抱かれないよう、細心の注意を払いながらさり気なく話しかける。


「大層、美味しゅうございます。この味付けは、どのような味噌にございますか?」

「この辺りではみな、麦の白味噌を食しております。桜殿の郷ではどのような味噌を召し上がっておられるのでしょうか?」

「詳しくは存じませぬが大豆と米に麹を付けるそうな。甘い赤味噌にございます」


 とりあえず地元民で無いことだけは確定だろうか。いやいや、プロの刺客なら素性なんて誤魔化すのが常識だ。これくらいでボロを出すはずも無い。

 人から秘密を聞き出すコツは倒置法と例え話だってネットで読んだ気がする。それと、人は誰しも秘密を話したいという欲求を持っているとも聞いた。

 とにかく当たり障りの無い話題で会話のキャッチボールだ。少しづつ警戒心を解くことから始めよう。


「桜とは素敵なお名前にござりますな。カードをキャプチャーしたり、聖杯を奪いあったり、太正桜に浪漫の嵐が吹いたりされておるのでは?」

「……?」


 桜が言葉に詰まる。さすがにこれはコメントし辛いのだろうか。

 ほのかはともかく、お園なんてアニメキャラは例のパン屋の奥さん以外に見たこともないもんな。

 でも、サクラって名前のキャラは宮○駿やジ○リの作品に一度も出ていない。やっぱ、こいつはファミリーの一員じゃ無いんだろう。

 それはともかく、この話題では広がらないみたいだ。大作は素早く方針転換を図る。


「桜殿、一から九までで好きな数字を思い浮かべて下さいませ」

「すうじ? 数にございますか。何でも宜しゅうございますか?」


 あまりにも急激な話題の転換に桜は目を白黒させている。


「では、その数に一を加えて下され」

「はい、加えました」

「その数を倍にして下され」

「倍に致しました」

「その数に四を加えて下され」

「加えました」

「その数を半分にして下され」

「半分に致しました」

「その数から始めに思うた数を引いて下され」

「引きました」


 大作は精一杯の真剣な表情を作って桜の目を正面から覗き込む。長い睫毛の奥で輝く切れ長の黒い瞳に一瞬、心を奪われそうだ。

 だが、鬼の形相で睨むお園の視線に気付き、咄嗟に距離を取る。そして、たっぷりと勿体を付けて宣言した。


「その数は三にござりますな!」

「違いまする」

「え~~~! そんな馬鹿な~!」

「きっと数え間違えたんだわ。始めにどの数を思っても答えは三よ」


 お園が怪訝な顔をしながら横から口を挟む。


「お前な~~~! 成功する前にネタをバラすなよ!」

「大佐、外に誰かいるわよ!」


 突然、ほのかが耳元で囁く。怖いくらいの真剣な表情に大作の緊張感が一気に高まった。その緊張感が桜たち謎の美女軍団にも一瞬で伝染する。


「一を足して倍にして四を足して半分にするっていうのは、三を足すのと同じだわ。始めの数を引けば、それだけが残るのよ」


 緊張感から一人だけ取り残されたお園が寝ぼけたことを言っているが完全放置だ。それより、目の前の敵に対処せねば。


「敵は何人だ? 分かるか、ほのか」

「戸の右に一人隠れてる。他は分からないわ。気配を消してるのかも」


 家の四方の壁際に桜の連れたちが瞬時に移動する。物音一つ立てていない。

 やっぱ、こいつら只者じゃ無いな。何故だか大作はその様子に頼もしさ感じた。

 数瞬の後、全員が静かに首を振る。それを見た桜が無言で頷く。


「全く気配が掴めませぬ。もし潜んでいるとすれば、かなりの手練れにございましょう」


 どう見ても只者じゃ無い桜から見ても手練れだなんて、どれくらい手強い敵なんだろう。


 二日続けてこんなピンチになるなんて予想もしていなかった。こんなことになるんなら材木屋ハウス(虎居)の防御力を高めておくべきだった。なんでシャボン玉作りなんかに貴重な一日を費やしてしまったんだろう。大作は激しい後悔に襲われるが例によって後の祭りだ。

 要塞レベル10の防衛線なら無敵だったのに。敵の戦死者だけが一方的に増えていく様子には恐怖すら感じるぞ。

 あの有名な本能寺だって普通の寺じゃなかったそうだ。堀や石垣など強固な防御施設を備えた砦みたいな寺だったとか。

 パットン将軍はジークフリート線を評して『固定要塞は人類の愚かさの記念碑だ』なんて言ってるが、交通事故で死んじまうような奴が何を言っても説得力が無い。


 それはそうと、本当に敵なんているんだろうか。もしかして取り越し苦労なんじゃね? 入口にいるって奴だって腹を空かせた孤児かも知れん。

 とは言え、根拠のない楽観論は危険だ。早期講和を夢見て真珠湾を奇襲攻撃するような愚行だけは避けねば。


 まずは正確な敵戦力の分析だろう。楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する。京セラ創業者の稲盛和夫も言ってるぞ。

 いや、それより先に片付けねばならない問題があった。


「桜殿、一時休戦と参りましょう。外の敵を倒すため、合力を願い奉ります」

「きゅうせん? 私は大佐様と争うておるつもりはございませんが?」

「それは拙僧も同じにございます。ならば手を組むのが道理。桜殿に逆心致すことは御仏に誓ってございません」


 とりあえず二正面作戦だけは避けられた。大作は安堵の吐息を漏らす。

 だが、広島原爆投下の二日後に不可侵条約を破って奇襲攻撃して来たソ連みたいな連中だっている。過度の油断は禁物だ。とは言え、外の奴は桜たちと敵対してるって可能性もある。

 何にせよ、先入観に捕らわれるのは危険だ。思考は常にニュートラルにして置かねば。


「外に敵がいるかいないか。戸を開けた途端に波動関数が収束するのよね?」


 ほのかがわけの分からんこと言っているが大作は右から左に聞き流す。

 いや、ちょっと待てよ。戸を開けるまでは無数の世界が重なり合ってるんだ。外に敵が何人いるかなんて分かりっこ無い。大作は考えるのを止めた。


「How many people in your party?」

「……」


 またもや無言かよ! もう辛抱溜まらん。大作は戸口に駆け寄ると勢いよく開く。そこにいたのは唖然とした顔のメイだった。

 なんでメイが裏切るんだ? しかもこのタイミングで。いや、もしかして堺からずっと、一瞬たりとも心を許していなかったんだろうか。さすがはプロのくノ一だ。大作は素直に関心した。

 だが、判断を誤ったな。今の俺には桜と謎の美女軍団が味方に付いてるんだ。大作は自信満々の表情で桜の背後まで下がると背中を軽く押した。


「先生! お願いします」

「……」


 微動だにしない桜の後ろ姿に大作の不安感が爆発する。


「どうした! それでも日本で最も邪悪な一族の末裔か? 薙ぎ払え~!」


 大作は右手を高く掲げて金切声を上げた。しかし、桜はメイの眼前まで進むと足元に跪く。


「あやね様! ご無事にございましたか。ご心配申し上げておりました」

「What?」


 こいつらが仲間だったとは。大作は思わずお園とほのかに救いを求めるような視線を送る。しかし帰って来たのは半笑いのニヤケ顔だった。

 何が起こっているんだ? まさか、こいつら全員がグル? 秋葉原でお園と出会った時から全部が仕組まれていたのか?

 だとしたら無駄に壮大な罠だな。驚くのを通り越して呆れ果てたぞ。って言うか、今の俺に出来る唯一の反撃はアレだな。敢えて驚かずに無反応を貫くことだ。

 素早く方針を決めた大作は不貞腐れたように横になった。殺したいなら勝手に殺せ。頭からすっぽりと筵を被って宣言する。


「食ったから寝る」

「どうしたの大佐。用があったんでしょ。急いで来いって文を貰ったから慌てて駆けてきたのよ」


 メイが少し不満そうな口振りでぼやく。そうだっけ? そうだった!

 ってことはメイは裏切ったわけじゃ無いんだ。だとすると桜は味方なのか?

 敵の敵は味方って言うよな。じゃあ味方の味方は敵? そんなわけ無いだろ!


 なんにせよ敵味方識別装置が必要だな。史上最大の作戦に出てきたクリケットで良いか。Kar98kのボルトをコッキングする音にそっくりの奴だ。大作は心の中のメモ帳に書き込んだ。

 妄想世界に逃げ込んだ大作からお園が勢い良く筵を引っぺがす。その顔には満面の笑みを浮かべていた。


「まだ気付いていないの? あやねってメイの実名よ。忍びを実名で呼ぶのは不味いって言い出したのは大佐だわ」

「大佐ったら私の名前を忘れちゃったの?」


 メイが頬を膨らませて拗ねる。一月も前のことなんて覚えてるわけ無いだろ~! 大作は心の中で突っ込むが顔には出さない。


「そんなわけ無いだろ。桜殿が本当に味方なのか見極めるために知らんふりしてたんだ。遠いところを来てもらって悪かったな。腹は減って無いか? 器が無いから鍋から食え」

「何で器が無いの?」

「シャボン玉を作ったんだ。明日、メイも飛ばすと良いぞ」

「しゃぼんだま?」


 大作は得意の話題反らしで逃げ切りを図る。お園の疑わし気な視線は痛いが完全スルーを貫き通した。




 メイの来訪でただでさえ狭い家がさらに狭くなってしまった。まさか、この家に十四人で寝泊まりする羽目になるとは。しかも自分以外の全員が女だなんて。

 って言うか、結局こいつらは何なんだ? 大作は鍋から雑炊を食べているメイに遠慮がちに声を掛ける。


「ところでメイ。桜殿たちは何しにこちらに参られたんだ?」

「何を言ってるの大佐。伊賀からくノ一を呼べって文に書くように言ったのは大佐よ」


 なん…… だと……? いや、そんなはずは無いぞ。俺は絶対に忍びって書いたはずだ。メイが暗号化した時にミスったのか?

 とは言え、証拠も無く疑うわけにはいかない。まあ、聞くだけならタダだ。


「俺、くノ一なんて言ったっけ? 忍びって言わなかったかな?」

「くノ一って女の忍びよ。同じことだわ」


 駄目だこいつ…… 早くなんとかしないと…… そう言えば、百地丹波に護衛を頼んだ時からして変だった。忍びって言葉の認識にズレがあるのか?

 ワイ○バーグにもそんな話があったっけ? とあるシステムの仕様書に『入力データに制御コードは含まれない』とか何とか書かれていた。その、制御コードとかいう言葉の定義を明確にしておかなかったせいで酷い目に遇ったみたいな。


「俺は忍びって書いた気がするんだけど……」

「大佐がそう思うんならそうなんでしょ。大佐の中ではね」


 メイが雑炊を掻き込みながらチラリと横目でこちらを見る。

 こんなことになるんならコピーを取っておけば良かった。せめてスマホのデジカメで写真を撮っていれば言い返せたのに。


 手紙をコピーするというアイディアは蒸気機関で有名なジェームズ・ワットが1780年ごろ思い付いたらしい。

 それ以前の人たちは複数のペンを棒で連動して動かすという機械的なアプローチを試みていたらしい。一本のペンを動かすだけで同時に多数の文章を書こうというわけだ。だが、アイディア倒れで実用とはほど遠かったようだ。


 これに対してワットは転写という方法を思い付いた。特殊なインクで書いた文書の上に湿らせた半透明な紙を載せてプレスすると文字が写し取れる仕掛けだ。これも簡単には実用化しなかったが、それなりにビジネスとして成功したらしい。


 一方、イギリスのラルフ・ウェッジウッドはカーボン紙を作った。1806年のことだ。

 蝋に煤や油を混ぜて紙に染み込ませるくらいならこの時代でも難しく無い。


 実用性はこちらの方が上だろう。戦場で命令書を書いたり、客先で注文伝票を書いたりする場合、紙を濡らしてプレスするなんて不便でしょうがない。

 ただし、カーボン紙は硬い筆記具が無いと使えないため、毛筆では無理だ。鉛筆かペンの開発も並行させる必要がある。


 ところで、あの発明王エジソンも紙に微細な穴を開けて下に敷いた紙にインクを浸透させる仕掛けを考案したらしい。ガリ板とかプリ○トゴッコの原理だ。

 まあ、これはコピーと言うよりは印刷だろう。


 しかし、もっと簡単なアプローチもある。書画の世界には相剥(あいへ)ぎと言う技があったはず。二層の画仙紙を二枚に剥がすことができるのだ。鑑定団だったか美の壺だったか忘れたけど何かの番組で見た。

 紙を綺麗に剥がすのは非常に難しい作業だ。でも、最初から剥がし易いように薄い紙を弱い糊で貼って置けば簡単だろう。


 明日にも紙漉きに裏写りし易い薄い紙を作って貰おう。

 それと、綺麗に剥がせる粘着力の弱い糊も必要だ。糊って誰が作ってるんだろう。糊職人? そんな職業は聞いたこともないぞ。大作は首を捻って考え込む。


 鍋に残っていた雑炊を綺麗に平らげたメイがお腹を擦りながら口を開いた。


「大佐、さっきから何を考え込んでるの? もしかして忍びとくノ一って違う物だと思ってたのかしら」

「それはもう良いよ。過ぎたことを振り返ってもどうにもならん。それより糊って誰が作ってるのかな?」


 江戸時代には姫糊(ひめのり)とか言う物を老婆が桶に入れて売り歩いていたらしい。洗濯糊なので雨の日には商売にならなかったとか何とか。戦国時代にはそんな奴はいなかったんじゃなかろうか。

 大作が全員の顔をゆっくりと見回すと、お園が軽く小首を傾げた。


「のり? (わらび)の根っこから作る糊のこと?」

「ご飯粒でも蒟蒻(こんにゃく)でも何でも良いぞ。べたべたくっつく糊だ」

「蒟蒻から糊を作るなんて聞いたこと無いわよ」


 何か知らんけど話がどんどんズレてるんような。まあ、食後の雑談には丁度良いか。大作はスマホで蒟蒻に関して調べる。


 薄切りにした蒟蒻芋を乾燥させてから粉末にする方法が発明されたのは安永五年(1776)のことらしい。水戸藩は蒟蒻粉の専売で大儲けしたそうな。


「和紙を蒟蒻糊で貼り合わせた風船爆弾は人類史上初の大陸間攻撃兵器なんだぞ。それに五月二十九日は蒟蒻の日だしな。五、二、九の語呂合わせなんだ」

「それって、あと十一日しか無いわよ。間に合えば良いけど」


 お園が不安そうな顔をして大作の腕にしがみつく。

 間に合うわけが無い。蒟蒻芋はジャガイモやサツマイモと違う。収穫まで二、三年は掛かる。それに、どっちにしろ収穫時期は十一月ごろだ。十二月八日の針供養に間に合わせるのが精一杯だろう。


「大丈夫だ。大船に乗ったつもりで安心しろ。それも、タイタニックや大和くらいの大船だ」


 どっちも沈んだけどな。大作は心の中で小さく呟いた。


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