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巻ノ九拾四 飛べ!シャボン玉 の巻

「皆の者、入れ」


 謎の美女改め、桜が呟くように告げた。音も無く引き戸が開いてゾロゾロと女たちが入って来る。訓練された無駄の無い動きだ。絶対に只者では無い。大作はカリオストロのカゲを連想した。

 あっと言う間に狭い家の中が一杯になる。桜を含めて十人の全員が若い美女だ。大作は何となく予感していたのでショックは受けなかった。

 どうせ、この先ずっとこの繰り返しなんだろう。下手に逆らうより流れに乗っかろう。

 みんな揃ってニコニコしているが、その笑顔からは感情が読み取れない。多分こちらに警戒感を抱かせないための作り笑顔なんだろう。


「桜殿、こちらの皆様方は?」

「私の連れにございます。(あかね)牡丹(ぼたん)雛菊(ひなぎく)(かえで)紅葉(もみじ)椿(つばき)菖蒲(あやめ)(すみれ)茉莉花(まりか)と申します。お見知りおきを」


 花シリーズかよ。とてもじゃ無いが覚えきれん。大作は華麗にスルーした。

 お園が手早く用意した雑炊を全員で食べる。食器は孤児院のために用意した物があったので何とかなった。


「さて、腹も膨れたところで、これからのことを考えましょう。おそ…… じゃ無かった、大佐様。今日は如何なさいましょう?」

「お坊様は大尉で、ほのかはほのかのままなのね?」


 お園が大作にだけ聞こえるように耳元で囁く。大作は余りの面倒臭さに早くも嫌気が差して来た。

 何か良い手は無いだろうか。そうだ、閃いた!


「大佐様、いつもの呼び名に戻しましょう。桜殿。実は拙僧は普段、大佐様の影武者を務めております。そして大佐様はお園と名乗っておるのでございます。桜殿が大佐様をお坊様だと思われておったのもそれ故にございましょう」

「それで合点が行き申した。されど、先程お聞きしたお話によれば世の中には数多(あまた)の大佐様がおられるとのこと。我らのお探しする大佐様がこちらの巫女様かどうか。今暫く見定めさせて頂きとうございます。何卒、お許し下さいませ」


 桜はそう言うと深々と頭を下げた。九人の女が一斉にシンクロする。この統率力は只者では無さそうだ。大作は再び警戒レベルを引き上げた。

 わけも分からんうちにこいつらの飯の世話までしてしまった。このまま居候されたら食費も馬鹿にならんぞ。

 伊賀から忍びさえ来てくれれば一気に戦力は逆転可能だ。あと何日掛かるか分からんけど今は我慢の時だな。


 せめてメイを呼べれば良いのだが。四対十でも劣勢に変わりは無いけど今よりはマシだ。

 とは言え、こいつらに金山を知られるわけにはいかん。馬借に荷物運びを頼むついでに手紙を届けて貰おう。大作は素早く考えを纏めた。


「そんじゃあ、桜殿には我らの普段通りの生活を見て頂こう。お園、今日は何をしようかな」

「じえちるえ~てるを作るんじゃなかったかしら」


 お園が気軽に言ってのけた。いずれ作らなきゃならないのは分かってる。だけどアレはかなり厄介だ。大作はスマホで中世の物価を調べる。


「まずはエタノールを作るところから始めなくちゃらなんな。酒って幾らくらいするんだっけ? 一升が十文くらいか。高いのか安いのか分からんな。どこの地域のデータか知らんけど天文十九年の米一石は銭五百文くらいって書いてある。だけど、これって籾米だろ。精米するとどれくらいになるんだろ?」


 お園とほのかが顔を見合わせた。桜たち美女軍団も首を傾げている。全員が不思議そうな顔をしているが空気を読んで話には入って来ない。

 お客様の中にお百姓さんはおられませんか? おられません。こりゃまた失礼いたしました。


 大作はスマホの中を探し回ってそれっぽい資料を探す。籾米一石二斗を脱穀すると玄米六斗くらいになるらしい。精白の程度にもよるが白米にすると五斗くらいだろうか。

 白米一升から酒は一升七合ほど作れるそうだ。ってことは籾米一石から作れる酒は七斗ってことになる。一升が銭十文で換算すると銭七百文。安すぎないか? いや、江戸時代には酒を三倍くらいに薄めて売ってたって話を読んだ気がする。きっと、この時代でも薄めて売ってるんだろう。

 だったら焼酎を探した方が良いかも知れん。この時代の九州では、すでに焼酎が飲まれていたはずだ。傷んだ清酒をリサイクルしたり、酒粕を肥料にするため蒸留してアルコールを抽出したとか何とか。


「籾米から一月掛けて酒造りなんてやってられんな。焼酎を探して一石ほど買おう。それを蒸留塔で濃縮するんだ」

「じょうりゅうとう?」

「焼酎があるんだからあるはずだ。蘭引(らんびき)とか言う陶器で出来た三段重ねの蒸留器を見たことあるぞ。窯元に頼んで作ってもらおう」


 耐火煉瓦で四苦八苦してるところに割り込みの仕事なんて入れたら嫌な顔するだろうか。まあ、金塊を渡せば喜んでやってくれるだろう。

 それともポットスチルみたいに銅板で作った方が良いんだろうか。よく分からん。でも、板金屋の知り合いなんていない。とりあえず陶器で作って貰おう。

 youtubeで空き缶リサイクルの蒸留塔を見たことがある。呆れるほど簡単な作りだ。何とでもなるだろう。


「問題は硫酸だな。水蒸気を通しながら硫黄と硝石を燃やすと三酸化硫黄と水が化合して硫酸になるんだっけ? ここでやったら周辺住民から苦情殺到だろうな。それはともかく、硫酸さえ作れれば塩と反応させて塩酸や硫酸ナトリウムも作れる」

「ふぅ~ん。どれくらい作るの?」


 どれくらい要るんだっけ? エタノールを脱水した結果、濃硫酸が希硫酸になったら反応は止まってしまう。ってことは結構な量が必要なんだろう。

 大作はスマホの中を探し回ってエタノールの脱水に関する情報を探す。

 エタノールが十に対して濃硫酸が六だと! エタノールが一リットルだと濃硫酸は六百ミリリットルも必要ってことだ。

 まあ、希硫酸は煮詰めれば濃硫酸にリサイクル可能だ。とは言え、とんでもなく恐ろしい作業だな。絶対、人にやらせよう。


 大作はジエチルエーテルの生成に関する資料に目を通すが急激にやる気が失われて行くのが実感できた。


 エタノールを濃硫酸と混ぜるだけで反応熱が発生する。ジエチルエーテルが生成する温度は百三十度から百四十度。それ以下では反応が起こらずエタノールが蒸発してしまう。百六十度を超えるとエチレンが生成してしまう。温度管理が重要だ。

 それ以前の問題として沸点三十五度、引火点マイナス四十五度なんて代物に素人が迂闊に手を出して大丈夫なんだろうか。いやいや、大丈夫なはずが無い。消防法で第四類危険物に指定された特殊引火物なのだ。

 ジエチルエーテル蒸気は空気より重いので床に滞留し易いうえに燃焼範囲も広い。こんな物を作ってたら命が幾つあっても足りんな。

 とは言え、そんな物騒な代物だから兵器として効果的なんだ。一つだけ救いがあるとすれば、これだけ難易度が高いと敵に簡単にコピーされる心配は無さそうだ。


「ジエチルエーテル作りは秋が来て涼しくなってからにしよう。それよりグリセリンを作ってみないか?」

「ぐりせりん?」

「ニトログリセリンとか作るのに必要だろ。甘いけど虫歯になりにくいから砂糖の代わりにもなるぞ」

「ふぅ~ん」


 何とも気の無い返事に大作の心は折れそうになる。まあ、そうだよな。まだ硝酸も無いのにグリセリンだけ作っても何の意味も無い。


「そんじゃあ、石鹸を作ってみないか」

「せっけん?」

「浮遊選鉱の時に教えただろ。髪や体を洗ったり洗濯に使えるぞ。どうせ暇なんだし、やってみようよ。Let's try!」


 異世界転生物では定番中の定番イベントとも言える石鹸作りだ。消化するなら暇をもて余している今が丁度良いタイミングだろう。

 ネットの情報では石鹸生産の副産物でグリセリンも大量に作られるとか何とか。大作は強引に話を進める。


「桜殿とお伴の方々もお手伝い頂けますかな。竈の灰を鍋に入れて煮詰めて下され。お園は油を一升買って来てくれるか。それと、馬借に頼んで米を二俵、巫女軍団の所に届けて貰ってくれ。ついでに、この文をメイに渡すように頼んで欲しい」

「分かったわ」


 曇り空の下をお園が駆けて行った。それを見送った大作は石鹸作りの情報を探す。だが、マトモな情報が全く見当たらない。

 普通のレシピは苛性ソーダを使うのだ。木灰から作るなんて原始人みたいな真似をする物好きはそうそういないのだろう。

 散々探し回った末に五千年前のシュメール人のレシピを見つける。彼らの残した粘土板には油脂1部と木灰5.5部で作るって楔型文字で書いてあったそうな。こんなんで大丈夫なんだろうか。

 まあ良いや。どうせ木灰で作った石鹸なんて上手く行っても軟石鹸だ。中途半端に固まるだけでも何ヵ月も掛かるんだろう。オカヒジキとやらが手に入らないとどうにもならん。大作はやる前から諦めモードに入った。


 灰を浸した鍋がグラグラと沸き立つころ、お園が油の入った壺を抱えて帰って来る。

「油って高いのね。銭百文もしたわよ」


 お園が憮然とした表情で報告する。人足の日当だと五日分か。昔は油が高かったとは聞いていたが酒の十倍とは。

 もっと安価な油って無いんだろうか。石油の大量消費時代が始まる以前は鯨油が主力だったらしい。ペリーが日本に開国を迫ったのも捕鯨船の補給地が欲しかったとか何とか。

 照明用に関しては石炭ガスを使ったガス灯って手もあるけど、石油ランプの完全な代替にはならんな。

 カーバイドを使ったアセチレンランプはどうじゃろう。いやいや、あれこそ莫大な電力が必要だ。そんな物が用意できるなら電球を作った方が早い。どうすれバインダー!

 まあ、良いか。俺が心配することじゃ無いや。大作は考えるのを止めた。


「灰汁が冷めたら布で濾しとってくれるか。そっちの鍋では油を沸かして。火傷しないよう気をつけろ」

「大佐こそ用心してね。とっても熱いわよ」

「そっちに座って指図だけしてくれたら良いわ」


 遠回しに戦力外通告されたようだ。まあ良いや。俺は指揮官タイプなんだ。それも、有能な怠け者タイプのな。大作は考えるのを止めた。




 日が傾くころ、土間には何だか得体の知れない液体を満たした器が並んでいた。

 油と灰汁の混合比が分からないので適当に十パターンほど作ったのだ。最適解が分かれば後から油や灰汁を足して調整することも可能だろう。

 銭百文と十三人の丸一日をドブに捨てたような気がしないでも無い。とは言え、ここはエジソン流のポジティブシンキングで行こう。上手く行かない方法を十パターンほど見つけることができたんだ。


「桜殿とお連れの方々のご協力を賜り、見事な石鹸を作ることが叶いました。あなた方は人に誉められる立派な事をなされました。胸を張って宜しかろう」


 大作は強引にミ○トさんっぽい台詞を紛れ込ませた。しかし、桜たち美女軍団はぽか~んと呆けている。

 呆れ果てた顔をしているお園&ほのかコンビとは対照的だ。


「これはいったい何なの? もしかして仕損じたんじゃ無いかしら」

「銭百文の油を随分と勿体無いことしたわね」


 遠慮も無しに言いたいことを言ってくれる。だが、これくらいのことは大作にとって想定内だ。


「まあ見てな。こいつはこうやって使うんだ」


 大作は一本の藁で三角形を作ると、それを一番泡立っている器に浸した。そっと持ち上げると輪の中に膜が張っている。

 丸いと枠の上側の液が真下に垂れてしまうのだ。だが、三角形なら左右の枠に沿って流れるので均一な膜になり易い。すいえ○さーで確かそんなことを言ってた気がする。

 輪の中に息を吹き込むと、輪に張った膜が膨らんで球形になってふわりと飛んで行った。


「なにこれ~!」

「なんで油が玉になるの?」


 良かった。受けてるみたいだ。大作はほっと胸を撫で下ろす。


「これはシャボン玉だ。シャボンって言うのはポルトガル語で石鹸のことだぞ。界面活性剤の分子には親水基と疎水基がある。玉になった水は表面張力で縮もうとするんだけど内側と外側に界面活性剤の膜が出来て縮むことができないんだ。厚さ三ナノメートルの極薄空間を内向きのA・Tフィールドで支えている第十二使徒レリ○ルみたいだろ。その内部は『ディラックの海』と呼ばれる虚数空間で、恐らく別の宇宙に繋がってたりはしないんだけどな」

「私めにもやらせて」

「外に出てみんなで飛ばしましょうよ」


 幸いなことに雨は降っておらず、風も強くは無い。みんなで外に出て無心にシャボン玉を飛ばす。

 こんな時にぴったりの歌があるぞ。大作はお園にニヤリと笑い掛けると大きな声で歌い始めた。


「夕焼小焼の 赤とんぼ 負われて見たのは いつの日か…… 違う! これじゃなかった。take two」


 シャボン玉  作詞 野口雨情(1945年没) 作曲 中山晋平(1952年没)


「シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで こわれて消えた

 シャボン玉消えた 飛ばずに消えた 産まれてすぐに こわれて消えた

 風、風、吹くな シャボン玉飛ばそ」

「しゃぼんだまの歌なんてあるのね!」


 お園が目を輝かせて食いついて来る。嬉しくなった大作は得意になって蘊蓄を傾ける。


「この歌詞は生まれて七日で亡くなった野口雨情の長女『みどり』のことを歌っているって説があるな。そう思って聴くと、とっても悲しい歌だろ」


 お園の表情が途端に曇った。ほのかに至っては涙目になっている。

 なんでこんな話をしちゃったんだろう。さっきまでの楽しい雰囲気が台無しだ。大作は必死になって話題逸らしを試みる。


「いやいや、そういう説もあるって話だ。確たる根拠は全く無いんだ。そもそも『みどり』ってのは名前じゃなくて三歳くらいまでの幼児を現す緑児のことだって説もあるぞ。それに、亡くなったのは生後七十日目で六、七ヵ月の早産だったったらしいな」

「なんにしろ、そんな小さな赤子が亡くなるなんてとっても可哀想よ」


 目をうるうるさせたお園が胸の奥から絞り出すように呟く。フォローしたつもりだったのに、むしろ悪化してるぞ。なんとか流れを変えなきゃ。大作は素早く方針転換を図る。


「俺たちが歴史改変すれば野口雨情の娘だって死なずに済むかも知れんだろ。石鹸やエタノールは公衆衛生を飛躍的に改善するぞ。乳幼児死亡率を劇的に下げられるはずだ。ジエチルエーテルは麻酔にも使えるしな。let's positive thinking!」

「そうかしら?」

「野口雨情は楠木正成の弟、楠木正季(まさすえ)の子孫なんだぞ。きっと、みどりだって七たび人間に生まれ変わって朝敵を滅ぼしてるんじゃね?」

「そう、良かったわね」


 生後七日の女の子に滅ぼされる朝敵ってどんなんだろう。大作は想像して吹き出しそうになったが空気を読んで我慢した。


 お園の表情が僅かにほころぶ。ほのかも目に見えて機嫌が良くなったようだ。こいつらの価値観はいまだに良く分からん。

 って言うか、新田・楠木軍は二対一の劣勢で水軍もいなかった。この絶望的な状況から華麗に逆転するならともかく、勝ち目が無いと分かったうえで後醍醐天皇に忠義を尽くして死ぬのが美談だなんて笑わせる。

 そもそも、新田義貞みたいなマヌケと組んだのが運の尽きだ。真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方である。ナポレオンの言葉だっけ?

 それに、神輿は軽くて馬鹿が良いんだ。俺が楠木正成なら後醍醐天皇なんてとっとと……


「大佐、大佐ったら!」


 例によって妄想世界に逃避していた大作はお園の声で現実に引き戻される。


「え? なんだって?」

「みんなで歌いたいわ。さっくすを吹いてくれる?」

「Sure!」


 大作の奏でるサックスのメロディーにお園の歌声が重なる。全員で唱和しながら飛ばすシャボン玉が夕焼け空に煌めいてとても綺麗だ。

 謎の美女軍団にも和やかな笑顔が広がる。大作は何の根拠も無いけどこの笑顔は本物みたいな気がした。


 ちなみに、この曲はアナ・P・ウォーナー(1822-1915)作曲の『主われを愛す』(Jesus Loves Me,This I Know)にインスパイアされた物だとの説もある。言われてみれば『こわれて消えた』のところがそっくりだ。

 でも、ヨナ抜きの五音階で音符七つってことは組み合わせは七万八千百二十五しか無いんだ。そんなん、どうやっても過去に作られた曲と一致するんじゃね?

 まあ、俺が心配することじゃ無いか。大作は考えるのを止めた。


「そのうちグリセリンや増粘剤が手に入ったら人がすっぽり入れるような大きなシャボン玉を作ってやるぞ。約束だ。Trust me!」

「当てにしてるわよ」


 どうやらすっかり機嫌は直ったらしい。満面の笑みを浮かべるお園を見て大作は胸を撫で下ろした。


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