巻ノ九拾参 深夜の訪問者 の巻
くたびれ果てた大作、お園、ほのかは材木屋ハウス(虎居)に戻って夕食にした。
「今日でお園と出会って丁度二月になるな。1936年1月1日スタートのHOIならケルンでデモが発生してラインラントに進駐してるころか。その後にもスペイン内戦とか防共協定とかイベントがてんこ盛りだよな。俺たちは天文二十三年(1554)の加治木城攻めまで何すりゃ良いのかな?」
「永劫に回るんでしょう?」
「営業な。それにしても、なんで戦国時代に来て営業マンをやらにゃならんのだろう。いやいや、営業職を悪く言うつもりは無いぞ。BtoBビジネスではマーケティングと営業の連携が重要だとかなんとか」
お園が怪訝な顔をしたので大作は慌てて弁解する。
「って言うか、俺たちもナチスドイツのコンドル軍団みたいに新兵器の実験と兵の訓練をやれば良いんじゃね? いずれは伊賀から兵を雇う予定だっただろ。それを繰り上げるんだ。それに兵器ってのは実戦証明が重要だしな。そうは言っても、この近所ではしばらくは戦なんて無いのか」
「遠くならあるの?」
ほのかが小首を傾げる。大作はスマホを起動すると日本の合戦一覧を表示させた。
「今年の九月に信濃国で砥石城の戦いってのがあるな。村上方の兵五百が守る小さな山城を武田方の兵七千が攻めるんだ。でも、八日掛かっても城が落とせずに苦戦する。十月一日には村上義清の援軍二千に挟撃される。武田は千人もの損害を出し、晴信は影武者を囮にして命からがら逃げたらしいぞ」
「九月までだと来月は閏五月だから、あと四月半あるわね。弾や火薬は間に合うのかしら」
ほのかが疑問を口にする。だが、あまり不安そうにはしていない。いざとなったら堺から買えば良いと分かってるんだろう。
「鉄砲百丁に弾三百発ずつだと三万発か。鉛が百貫に煙硝が三十貫。床下を十軒も掘り返せば何とかなるだろう。梅雨が明けてからでも余裕だな」
「武田と村上のどっちに付くの?」
お園が低い声で呟く。その言葉からは感情が全く読み取れない。そう言えば初めて会った時に武田に捕まって売られたとか言ってたような。あれって死に設定じゃ無かったんだ! 大作はちょっと嬉しくなったが顔には出さなかった。
「短期的な歴史改変が目的なら武田に付いて砥石城を落とすってのはありだ。だけど、史実では来年五月に真田幸隆が調略で砥石城を落とす。真田が旧領の奪還に成功したんで佐久とか小県の豪族が揃って武田方につく。三年後には村上は上杉を頼って落ち延びる。だとすると、このタイミングで晴信を殺した方が歴史改変としては面白そうだな」
「おもしろきこともなき世をおもしろく すみなしものは心なりけり、よね」
お園の表情が目に見えてほころんだので大作はほっとした。
「嫡男の義信は元服したばっかの十三歳だ。武田は二十四将がクーデターを起こして信虎を追放するような国だろ。簡単に崩壊はしないだろうけど確実に勢いは鈍る。問題はどうやって砥石城に行くかだな」
スマホに西日本の地図を表示させると二人が覗き込む。
「西回りの船で越後まで行って長尾と村上の領地を通るしか無いのかな。伊賀からそんなことやってたら時間が足りないぞ」
「大佐みたいにお坊様の格好をして歩いて行けば大事無いわよ」
「百人もいたら目立ってしょうがないわ。山伏や旅商人にも化けた方が良いわね」
戦をするのに現地集合ってか? こいつらどこまで本気なんだろう。まあ良いか。伊賀から忍びが来たら相談だ。大作は考えるのを止めた。
「伊勢神宮の正遷宮を行うための勧進聖で良いんじゃね? これなら何処だって邪魔されんだろう。金も溜まって一石二鳥だぞ」
「勧進で集めたお金を掠め取る気なの? 罰が当たるわよ」
「いやいやいや、日本ユニセ○協会みたいに一部を活動費として頂戴するだけだ。残りはちゃんと伊勢神宮に納めるぞ。まあ、細かい比率とかは今決めなくても良いだろ。さっさと寝ようよ」
今朝は雨のせいで早くに叩き起こされたんで眠くてしょうがない。大作は筵に包まって横になった。
コンドル軍団はともかく、明日から何をしよう。戦争はまだ先なので軍備増強より工場を建ててICアップが優先だな。
スライダーは中央計画経済か常備軍へ振る。伊賀から忍びが来たら自国内に潜む敵スパイも排除しなきゃならん。
それより研究ラインとかインフラ整備はどうしよう。やっぱ人手が全然足りん。そんなことを考えているうちに大作は眠りに落ちた。
「起きて大佐、起きてったら」
ほのかの囁くような声で大作は目を覚ました。部屋の中は真っ暗闇で何も見えない。
何時だと思ってんだよ! 大作は声を出そうとしたが口を押えられているらしく何も言えない。
「静かにして。囲まれてるみたいよ」
何だと! 大殿の手の者か? 三の姫が大殿を殺し損ねたんだな。いきなり本能寺の変レベルのピンチ到来かよ。
メイを山ヶ野に帰したのは失敗だった。大作はほのかの手をそっと口からどかして囁く。
「敵はこっちが坊主と女二人だと思って油断してるはずだ。敵の親玉を倒すか人質にすれば何とかなる」
「伊賀の忍びはどこで何をしてるのかしらね」
お園も目を覚ましたらしい。大作の袖にしがみ付き、緊張を含んだ声で小さく呟く。
「お園は死なないぞ。俺が守るからな。これを持ってろ」
大作が催涙ガススプレーをお園に手渡すと、その手は小さく震えていた。スタンガンを握りしめる大作の手にも汗が滲む。
「まずは親玉を誘い込もう。俺がライトで目を眩ませるから、ほのかが取り押さえろ。お園が催涙ガス、俺がスタンガンで無力化する」
「分かったわ」
大作は何と言って敵を誘い込もうかと頭をフル回転させる。だが、緊張して何も思い浮かばない。やっとの思いで無理やり言葉をひねり出す。
「Welcome. Please come in.」
「……」
へんじがない、ただのしかばねなんだろうか? いやいや、ゾンビに囲まれてたら凄く怖いな。って言うか、囲まれてるって本当なのか? 寝ぼけたほのかの勘違いだったりして。大作は吹き出しそうになったが何とか我慢した。
「How many persons, please?」
「……」
やっぱり返事が無い。もしかして耳の不自由な人なんだろうか。そうか! 英語が通じていないんだ。激しい眠気に耐えかねた大作の集中力が急激に低下する。大作は考えるのを止めた。
「野犬か何かじゃね? 危険は無いみたいだし寝ようよ」
「え~~~!」
お園とほのかが大きな声を出したので大作はびっくりした。こいつら何にも分かっていないな。
「お前ら何をビビッてるんだ? 俺はようやく登り始めたばかりなんだぞ。この果てしなく長い歴史改変という坂道を。こんなタイミングで主人公死亡なんて超展開があるわけないよ。普通に考えて作劇法的におかしいだろ」
大作は筵を頭から被ると目を閉じる。だが、家の外から掛けられた声で安眠はすぐに妨害された。
「夜分遅く申訳ござりませぬ。大佐様はこちらにおわしましょうか?」
いるんならさっさと返事しろよ! 大作は心の中で絶叫するが口には出さない。
女の声だ。随分と若そうに聞こえる。もしかして巫女軍団の誰かなんだろうか。山ヶ野で何か起こって緊急の伝令を寄越したとか。
それはそうと深夜って言うよりは、もはや早朝なんだけど。朝まで待てなかったのか? どんだけ重要案件なんだよ。
『特定商取引に関する法律』の第七条では『経済産業省令で定めるもの』として『迷惑を覚えさせるような仕方で勧誘すること』を禁止している。ただし具体的に何時から何時まではNGといった規定は無い。客がセールス電話や訪問を迷惑と感じたらアウトなのだ。
ところで『夜分遅く』って表現は語彙が重複してるんじゃね? いやいや、夜分って単語は夜遅いってことではなく、単に夜の意味だ。全然問題無いはずだ。
大作は眠い目を擦りながら体を起こすと声を落として二人に話しかける。
「さっき話した通りだ。親玉をおびき寄せてそいつを人質に取る」
「もうそんな心配は要らないんじゃないかしら。悪者なら挨拶なんてしないはずよ」
相変わらずお園が緊張感の無いことを言っているが大作は聞く耳を持たない。ここは戦国時代。油断したらいつ死ぬか分からないのだ。
ついさっき死ぬわけないと断言したことをすっかり忘れた大作は警戒レベルを最大限まで引き上げる。
「このような夜更けに、どこのどなたにございましょうか?」
「申し訳ございませぬ。それは大佐様に直にお伝えしとうございます」
う~ん。厄介なことになったぞ。大作は頭を抱え込む。何となく敵では無さそうな感じだけどイマイチ確証が持てない。
囚人のジレンマじゃあるまいし。ナッシュ均衡はパレート最適にならないんだっけ? いや、全く関係無いな。寝ぼけて頭が回らん。もうどうでも良いや。
「とりあえず中にお入り下さいませ」
「失礼仕りまする」
静かに引き戸が開いて若い女が姿を現す。部屋の中は真っ暗だが外は曇の切れ間から満月が姿を覗かせている。その、柔らかい月明りを浴びた女は大作の目には絶世の美女に見えた。お園には負けるけど。
そう言えば、月下美人って花があったな。英語名はA Queen of the Nightだっけ。ちょっと厨二病みたいな名前だぞ。
切れ長の瞳に太眉の和風美人は月明りのせいなのか驚くほど真っ白い肌をしていた。背はメイくらいだろうか。この時代の女性としては長身に見える。
まあ、夜目遠目笠の内って言う通り、薄暗いから綺麗に見えてるのかも知れんけど。
こんな美人が大殿の差し向けた刺客なんてあり得るのか? 可愛いは正義じゃないのかよ。大作は考えるのを止めた。
絶世の美女は土間に入ると片膝を付いた。粗末では無いが華美でも無い、質素な着物を着ている。百姓では無さそうだ。物売りだろうか。
やはり巫女軍団の正式メンバーでは無いようだ。だとするとこいつは誰なんだろう。大作は言葉のジャブを打つ。
「して、大佐様に如何なるご用にございますか?」
「申し訳ございませぬ。それも大佐様に直にお伝えしとうございます」
取り付く島もないとはこのことだろう。向こうはこちらが大作だと確認できない限り何一つ情報を渡すつもりは無いらしい。
大作としても、この女がこちらに危害を加える気が無いという確証が得られない限り正体を明かす気は無い。
完全に手詰まりだ。何か打開策は無いのか? しっぺ返し戦略はどうだろう。いやいや、あれは無期限繰り返しゲームじゃないと意味が無い。
ハンディキャップ理論はどうだ? 肉食獣に追っかけられたガゼルは高く飛び跳ねるらしい。何でわざわざ目立つような真似をするのか。それは、自分が他の個体より元気であることをアピールしているのだ。そうすることでターゲットから外れようとしているそうだ。
全然駄目だな。この女が大殿の差し向けた刺客だった場合、ターゲットは大作だ。ほのかが凄腕のくノ一だからと言ってターゲットが変わるはずが無い。
せめて我々に危害を加える気が無いことだけでも確認できないだろうか。大作は精一杯の真面目な表情を作る。
「あなた様が何処の何方かお教え頂けませぬか? それが分からぬうちは我らとしても大佐様とやらを存じ上げておるかおらぬか。それを明かすわけには参りませぬ。せめて大佐様とやらに害心が無いことを契って頂きとうございます」
「契る! この女にも懸想しているの?」
唐突にお園が怒気を孕んだ声を上げたので大作は震え上がった。暗くて良く見えないが殺気の籠った視線を感じる。
「勘違いすんなよ。夫婦の契りじゃ無いぞ。誓い? 約す? agreement? 昨日、結婚指輪をやっただろ。そもそも今、会ったばっかの女と夫婦の契りを結ぶわけ無いじゃん!」
「お取込みのところ申し訳ござりませぬ。私は大佐様に大事なることを急ぎお伝えせねばなりませぬ。嘗て害すまじきことをお誓い致します」
謎の美女から若干、戸惑いを含んだ声が掛かる。
もういいよな。俺、頑張ったよな。もうゴールしていいよな。大作の気力はほとんど燃え尽きようとしていた。
そうだ! 閃いた。影武者を立てれば良いんじゃね。大作はお園にアイコンタクトを取ろうとしたが真っ暗で良く見えない。まあ良いか。
「分かり申した。そのお言葉を信じましょう。実はこちらにおわす巫女様が大佐様にございます」
「え~~~!」
お園が素っ頓狂な声を上げる。驚いてどうすんだよ。バレるだろ。大作は心の中で突っ込むが決して顔には出さない。大作はお園の手をそっと握った。
「大佐様。此方、女性を信じぬことには話が先に進みませぬ。お園…… じゃ無かった、あなた様が大佐様であることを明かしましょう」
「私が大佐なのね? 大佐、じゃなかった。お坊様は誰になるの?」
お園が大作の耳元で囁く。その設定って必要なのか? まあ適当で良いだろう。大作は軽く頷くと謎の美女の方に向き直る。
「拙僧は大尉と申します。こちらのほのかと共に大佐様の身の回りのお世話を仰せつかっております」
「そは真にございますか? 私は大佐様はお坊様だと伺っておりましたが」
暗くて良く見えないが謎の美女の声音は疑わしげだ。一つ嘘をつくと二十の嘘をつかないといけないんだっけ。大作は面倒臭さそうな予感に早くも気が滅入ってきた。
大作は精一杯の凄みを効かせた視線で謎の美女を睨み付ける。
「これは世を忍ぶ仮の姿。と申しますか、そもそも大佐と言うのは固有名詞ではございません。大佐が大佐だと言ったら大佐なのです。それ以上でもそれ以下でもありませぬ。さて、こちらは名乗りましたぞ。それでは貴女のお名前と大佐へのご用向きをお教え下さりませ」
「お坊様だと思うておりました大佐様が実は巫女様だなどと途方も無いお話。俄には信じがたきことにございます。そちらの巫女様が真の大佐様だという証をお示し願えませぬか」
謎の美女は疑わしさを隠そうともしていない。
何て面倒臭い奴だ。伊賀の忍びさえいてくれたらこんな奴、血祭りにしてやるのに。大作はほのかの耳元に口を寄せて囁く。
「こいつ、倒せるか?」
「相討ち覚悟なら殺れるわ。でも外にも何人かいるわよ」
駄目か。せめてメイがいてくれたら。今、この瞬間に伊賀の忍びが西部劇の騎兵隊みたいに駆け付けてくれたら良いのに。
大作は神様にお願いするべきか迷う。いや、勿体無い。限界ギリギリまでトークスキルで粘ってみよう。
「先程も申し上げましたが大佐とは軍の階級に過ぎませぬ。NATOの階級符号ではOF-5に相当し、陸軍ではColonel、海軍ではCaptainです。ちなみに陸軍でCaptainは大尉ですぞ。カーネル・サンダースの場合はケンタッキー州からケンタッキー・カーネルという称号を授与されたそうですな。野口英世もエクアドルから名誉大佐の称号を授与されております」
「野口英世って千円札の人ね。あの人も大佐だったんだ」
お園が相槌を打つ。例によって変な所に食い付くな。いや、これに乗っかろう。大作はバックパックから財布を取り出して千円札を探す。
「野口英世とはこのお方にございます。黄熱病研究の功績によりエクアドル共和国陸軍から名誉軍医監と名誉大佐の称号を授与されております。このように世の中に大佐は大勢いらっしゃいます。ムハマド・アリやタイガー・ウッズもケンタッキー・カーネルですぞ」
「さ、左様にございますか……」
謎の美女の声音に困惑の色が濃くなる。そろそろ頃合いか。大作は勝負を掛けに行く。
「さて、こちらと致しましては誠心誠意の対応をさせて頂きました。せめてお名前だけでもお教え願えませぬでしょうか?」
いつまでも謎の美女ってのもアレだ。嘘でも良いから名前を決めてくれないと不便でしょうがない。
「私は桜と申します。あやねという女性をご存じありませぬか?」
「あやね?」
大作、お園、ほのかが同時に鸚鵡返しする。
孤児の中にそんな奴いたっけ? 大作は寝ぼけた頭をフル回転させるが何も重い打線。
「外が明るくなってきたわね。朝餉にしましょう。外の方たちの分も作るわ。何人かしら?」
お園が半ば強引に話を話を打ち切った。




