巻ノ九拾壱 空飛ぶスパゲッティ の巻
長い長い沈黙の後、大殿が苦虫を噛み潰したような顔で問いかけた。
「大佐殿はこの鉄砲一丁にいかほどの値を付けるつもりじゃ?」
え~! 俺に振るのかよ。って言うか、何で青左衛門はここにいないんだ。まさか、あのまま帰ったのか? 俺が勝手に決めて良い話じゃ無いぞ。大作は面倒臭そうな気配を感じて逃げに入る。
「せ、拙僧は鉄砲の作り方を鍛冶屋の皆さま方にお教えしたのみにございます。価格交渉は鍛冶屋と直接お願い致します」
「しかし、おおよその値は分かるじゃろう。安く作ると申しておったが、一丁が銭三貫文としても千丁で銭三千貫文じゃぞ。弾や火薬も用意せねばならん。土から作れば安うなると申しておったが幾らかは掛かるはずじゃ。やはり何千貫文かになるじゃろう。どこからそんな金を出すつもりなのじゃ?」
大殿が鋭い目付きで若殿と大作を交互に見つめる。怒っているわけじゃ無さそうだ。多分、呆れているんだろう。冷静さを取り戻した大作にもだんだん話が見えてきた。
今日は西暦で六月一日。旧暦だと五月十六日だ。今年度の予算なんてとっくに決まっている。祁答院の会計年度が何月始まりかは知らんけど、今から急にこんな巨額の補正予算なんて組めるわけが無い。
本来なら一年掛けて試作品を完成。さらに一年掛けてテスト。大量生産は再来年度のはずだったのだ。
そう言えば量産化の前には徹底的なテストが必要だって散々に力説したようなしなかったような。良く覚えていないけど言ってたとしても不思議は無い。
思いもかけず、たった一月で試作品ができた。知らず知らずのうちに舞い上がっていたようだ。大作は冷静さを取り戻す。
「大佐殿は鉄砲四丁を組にして寄り合うておったな。まずは四十丁ばかり作らせよ。来年には二百丁、再来年には八百丁じゃ。入来院や東郷だけでなく菱刈や蒲生にも売るが良いぞ」
「御意。島津は鉄砲作りで我らの先を行っておるつもりにございましょう。なれど、我らの鉄砲は遥かに低コストで高性能にございます。まずは『あなた○暮らし』のように国友、堺、根来の鉄砲を取り寄せて商品試験を行いましょう。ペプシチャレンジみたいに鉄砲を撃ち比べて貰うのも面白そうですな」
「細かいことは大佐殿に任せる。良きに計らえ」
大殿はこの件に深入りする気は毛頭無さそうだ。きっと面倒臭いんだろう。大作の心にほんの少しだけ親近感が沸いた。
「ところで大殿、鉄砲を作るには鉄や鉛が大層と入り用になりまする。有馬様が南蛮貿易を始められたそうな。紹介状を書いて頂きとうございます」
「相、分かった。手土産に鉄砲を持って行くが良かろう」
大殿は上機嫌の様子だ。何もしていない奴が偉そうに。大作は心の中で毒づくが決して顔には出さない。
今回、こいつの家来になることは回避できた。とは言え、このままでは便利に使われるだけだ。早めに立場を逆転させねば。
大殿の視線がおもむろに慎之介に移る。興味の対象が変わったことに大作は思わず安堵のため息を漏らす。部屋の隅で小さくなっていた若侍がびくっとした。
「其の方は日高の倅じゃな。いつの間に鉄砲など撃てるようになったのじゃ」
「し、慎之介にござります。た、た、大佐殿から教えを賜りました…… まだまだ拙き腕なれど…… お、大殿のお役に立ちたい一心にて…… ひ、ひ、日々励んでおりますれば……」
相変わらずガチガチに緊張しているようだ。フォローしといてやるか。大作は話に割り込む。
「拙僧もこれほど鉄砲の上達が早い方は初めてお目に掛かりました。本日も降りしきる雨を物ともせず、三十間も離れた胴丸を一発も外しませんでしたぞ。正に天賦の才と言えましょう」
本当は何発か外れていたことを大作は華麗にスルーする。それに、どう考えてもメイやほのかよりは上手い。他に鉄砲を撃った奴なんて見たことないんだから嘘は言っていない。大作は鉄砲関連の厄介ごとを慎之介に全部押し付けるつもりで褒めちぎった。
大殿はその言葉を真に受けたらしい。笑顔を浮かべると慎之介に手招きする。
「で、あるか。日高慎之介、近う寄れ。その方を鉄砲大将に任ずる。頼りにしておるぞ」
「ははぁ~!」
慎之介が飛び跳ねるようにして深々と頭を下げる。ジャンピング土下座? 何て派手なリアクションだろう。大袈裟な奴だと大作は呆れた。
そもそも四万石の国人領主ってそんなに偉いんだろうか。どうせ家臣は数百人かそこらの中小企業だろう。もちろん中小企業が悪いなんて言うつもりは毛頭無い。日本経済を縁の下で支える大事な存在だ。
だけど、雇用関係というのはギブアンドテイクなのだ。非正規雇用が四割を超えた二十一世紀の日本から来た大作には戦国時代の主従関係が全く理解できない。
ちなみにフランスでは正規雇用が九割らしい。同一労働・同一賃金が法律で保障されているというのは重要だ。金山経営でもその辺りはきっちりさせよう。大作は心の中の予定表に書き込んだ。
「さて、大佐殿。望みは決まったか? 大佐殿?」
「大佐殿、如何なされた?」
弥十郎が大作の肩を揺さぶる。妄想世界に逃避していた大作の意識が急速に現実に引き戻された。何だって? まだこの話題を引っ張る気かよ!
もしかして我慢の限界を試されているんだろうか。だったら粘るだけ無駄だな。逆にこっちから揺さぶりを掛けてみるか。大作は切り札を使う。
「時に大殿、三の姫様のお姿が見えませんでしたな。あれほど鉄砲がお好きなお方が如何なされました?」
大作は果敢に際どいコースを攻める。その瞬間に部屋の気温が一挙に下がった気がした。部屋にいる全員の視線が一斉に大作に向かう。
もしかして地雷を踏んだのか? そうは言っても、さすがに三の姫と結婚しろなんて超展開は無いだろう。ここは攻めの一手だ。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ!
「拙僧は一月前に初めてお会いした日より姫様が只者では無いと思うておりました。鉄砲にもかなりお詳しいご様子。是非とも忌憚のないご意見を賜りとうございます」
沈黙が支配する部屋で大殿の視線が宙を泳ぐ。三の姫が大殿のウィークポイントなのは間違い無いようだ。さらに攻めるべきだろうか?
大作は大いに悩む。追い詰めすぎるのは危険だ。窮鼠猫を噛むとも言うぞ。まるで西部劇の決闘シーンのように空気が緊迫する。誰も動くことができないまま時間だけが流れて行った。
だが、突如として現れた小姓らしき若侍が沈黙をぶち壊す。
「大殿、お園と申す巫女が大佐殿に届け物を持って参りました。通して宜しゅうございますか?」
「お、おぅ…… 通すが良い」
大殿がほっとした様子で返事をする。助かった~! 大作も胸を撫で下ろした。
「大佐様、木浦の村にて採りし煙硝をお持ち致しました。およそ二貫目ほどになります」
お園が廊下で深々と頭を下げながら壺を差し出す。ほのかも隣で平伏している。金山には巫女軍団しか残していないのかよ。大作は心の中で舌打ちした。
「お園、ほのか。雨の中、遠路大儀であった」
煙硝の出来は見た感じは普通のようだ。って言うか、煙硝の良し悪しなんて分からん。大作はそのまま若殿にスルーパスした。
「大殿、若殿、ご覧くださいませ。素晴らしい出来にございますぞ。これで三千発ほどの火薬を作ることが叶いまする。もし、銭で買えば何貫文にもなりまする。これを入来院や東郷に売れば金などあっと言う間に溜まりますな」
「どこから煙硝を手に入れたのか怪しまれぬかのう?」
大殿が口を挟む。その疑問はもっともだ。でも、解決するのは簡単だ。
「まずは適当な量の煙硝を堺から買いまする。祁答院にて火薬に調合してから他所に売る。これで宜しかろう」
「ほほう、それは良い考えじゃ。早速、手配りいたせ。これで金を工面する心配も無うなったな。真にあっぱれじゃ。褒美を取らすぞ。望みは何じゃ?」
大作は盛大にズッコケそうになるのを必死に我慢した。もう、残された手はバ○ス発動しか無いのか。今ならメイとほのかがいるから十分に可能だ。良重と重経の首を手土産に島津に鞍替えするのも悪く無いかも知れん。
いやいや、せっかく金山開発と鉄砲量産化の目途が付いたのに勿体無いぞ。それに、巫女軍団はどうすんだよ。大作は自分で自分に突っ込む。
まあ良いや。最悪の場合はこいつらを皆殺しにして逃げる。やけくそ気味の覚悟を決めた大作は奥の手を使う。
「大殿、三の姫様を拙僧の嫁に貰い受けとうございます。伏してお願い申し上げます」
「え~~~!」
お園、メイ、ほのかが絶叫する。大作は慌てて三人娘に目配せするが全然意味が通じていないようだ。
「いや、それは……」
さすがの大殿もこれは予想外の一撃だったようだ。いくら何でもこれは飲めないだろう。
あとは向こうから譲歩案を出してくるのを待つのみだ。あれだけしつこく望みを聞いておいて、言った途端にそれは聞けないなんて我儘を許す気は無い。
大作は余裕の笑みを浮かべながら大殿の顔を真っ直ぐに見詰める。その勝ち誇ったような表情は自信に満ち溢れていた。
だが次の瞬間、背中から掛けられた声に大作は肝を冷やす。
「大佐殿が妾に懸想しておったとは思いもよらなんだぞ」
大作がギギギっと擬音が出そうなほどぎこちなく後ろを振り返ると仁王立ちする三の姫の姿があった。見た目は小学校高学年のくせに妙な貫禄がある。
「げぇ!」
「なんじゃ? 妾に会えたのがそれほど嬉しいのかえ? 父上様、大佐殿との婚儀。なにとぞお許し下さいませ」
なんだ、この超展開。宇宙人だか未来人だかは、ちょっとでも隙を見せるとガンガン攻めてきやがるな。大作は深いため息をつく。
「申し訳ござりませぬ、大殿。今のお話しは無かったことにして頂きとうございます。うっかりしておりましたが、拙僧は戒律により女性に触れることを禁じられておりますれば」
「何を申しておるのじゃ。大佐殿はお園殿と夫婦じゃと申しておらなんだか? 不可知論は肉食妻帯を許されておるのじゃろう」
弥十郎が怪訝な顔で突っ込みを入れる。だが、大作は余裕の笑みを浮かべた。戦いは二手三手先を読んで行う物だ。
「それは先月までのこと。拙僧は超党派の宗教団体に所属しておりますゆえ、月替わりで宗旨替えしております。今月は空飛ぶスパゲッティ・モンスター教にございます」
海賊衣装に身を包み、湯切りざるを頭に被った変な人たちだ。大作は相手の無知に付け込んで平然と嘘を付く。たしか、パスタ婚とか言う結婚式をやっていたのをネットで見た気がする。
「何じゃと。妾を嫁に欲しいと申したのは空言か? 和尚は妾を騙したのかえ?」
三の姫が眉間に皺を寄せて大作に詰め寄る。対応を間違えると即修羅場だ。だが、大作は少しも慌てない。
「騙したなどと人聞きの悪いことを申されますな。書面によらない贈与契約は民法第五百五十条により、物を渡していなければいつでも取り消すことができまする。ようするに約束していないのと同じにございます。お詫びと言っては何ですが、この鉄砲を姫様に差し上げます」
「そは、真か! 妾の鉄砲じゃと!」
最終兵器の投入により、さっきまで顰めっ面をしていた姫の顔がぱっとほころぶ。やっぱりだな。こいつのコントロールは簡単だ。
大作の視界の端で大殿が頭を抱え込み苦悩の表情をしている。お前がさっさとギブアップしなかったのが悪いんだぞ。大作は心の中で呟く。
「これで的でも撃ってストレス解消して下さいませ。日高様、姫様に撃ち方をご指導のほど宜しくお願い致します」
慎之介もこの世の終わりのような顔をしている。まあ、バ○ス発動で死ぬよりはマシだろう。
長居は無用だ。さっさとお暇しよう。大作は板の間に額を擦り付けるように平伏する。
「それでは、拙僧は鍛冶屋の皆さまとの評定がございますれば、これにて失礼仕りまする」
素早く言い切ると飛び跳ねるように廊下へ飛び出す。ムーンウォークで後ずさりしながら手をひらひらさせた。
「See you later.」
大作は少しでも英語ネイティブっぽく聞こえるよう『シー ャ レイラー』と発音する。だが、誰もそれどころではないようだ。
出来たらもう会いたく無いけどな。呆気に取られる一同を置き去りにして大作たちは城を後にした。
大作たち四人は小雨の中を足早に進む。城門を出た辺りでお園が怖い顔をしながら口を開いた。
「大佐、何で三の姫様を嫁に欲しいなんて言ったの?」
「しょうが無いだろ。お前らが来る前にもいろいろあったんだぞ。ああでも言わなきゃ殺し合いになってたんだ。それに大殿は嫁さんに切り殺されるようなバカ殿だろ。もしかしたら三の姫が撃ち殺してくれるかも知れんぞ」
「ふぅ~ん。そんなに上手く行くのかしら」
大作が本気じゃ無いのはお園にも良く分かっていたらしい。おかげで追及は簡単に終わった。そうだ、丁度良いタイミングだ。大作は寄り道して銀細工屋を訪ねる。
「お待ちしておりましたぞ、大佐様。ご覧下さいませ。手間賃に金を四分ほど頂きました」
初対面の時は頑固一徹の職人みたいだった爺さんがニコニコ顔で出迎えた。欲望に正直な奴は信用できる。
金四匁二分で銭二貫九百五十文だっけ? そうすると銭二百八十文くらいだろうか。職人の日当で三日分にもなるぞ。高くね? 大作はスマホの電卓で計算して渋い顔をした。
そうしている間に銀細工職人の爺さんが小さな台の上に指輪を並べる。二十個くらいあるようだ。細かな模様が入った物、捩じったような物、筋状の模様が入った物、綺麗に磨かれた物。それぞれ二つずつ作ってある。この爺さん、ちゃんと趣旨を理解してやがる。大作は感心した。
これだけの量を爺さん一人で作ったとは思えん。そう考えるとぼったくりでは無いのだろう。大作は少しだけ安心する。
「素晴らしい出来にございますな。かたじけのうございます。お園、どれでも好きなのを選んで良いぞ」
「この輪っかは何をする物なの?」
「結婚指輪だ。夫婦が左手薬指に嵌めるんだぞ」
お園は迷うことなく何の模様も入っていない指輪を選んだ。
「偉大なる芸術家れおなるど・だ・びんちは申されたのよね。しんぷるこそ究極の洗練である」
大作はお園の左手を取ると薬指に指輪を嵌めた。大きさも問題無いようだ。大作も同じデザインの指輪を嵌める。
「メイとほのかも好きなのを選んで良いぞ。遠慮すんな」
「私めも大佐と同じのが欲しいわ」
「私だって大佐と同じ物が良いわ」
「無茶言うなよ。ペアリングなんだからしょうが無いだろ。これなんてどうだ? 出て来いシャザーンの指輪みたいだぞ」
膨れっ面する二人を宥め賺して大作は似ても似つかない指輪を適当に薦める。どうせこいつらには分からんだろう。だが、お園が怪訝な顔をする。
「しゃざ~んの指輪はこんなのじゃ無いわよ」
「え~~~!」
お園の鋭い突っ込みに大作は思わず悲鳴を零す。何でお前が知ってるんだ? 頭が真っ白で何も言い訳が出てこない。
「やっぱり嘘だったのね!」
「ひどいわ、騙そうとするなんて!」
「大佐はもっとめんたるを鍛えた方が良いわよ」
お園が呆れたように言い放つ。完全敗北だ。お園はペアリングに何の思い入れも無いらしい。結局、銀細工職人に追加注文することになった。
「そんじゃあメイは山ヶ野に戻って貰えるか」
「え~~~! 私だけ~?」
メイが大袈裟に驚く。不服そうに頬を膨らませ、口を尖らせている。
「しょうが無いだろ。巫女軍団だけだと心配すぎるぞ。伊賀から忍びが来るまでの辛抱だ。埋め合わせはちゃんとするから」
「本当でしょうね? 当てにしてるわよ」
メイは意味深な笑みを浮かべると小雨の中を颯爽と走り去る。それを見送った三人は弥十郎の屋敷に向かった。




