表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/513

巻ノ九 歌う巫女さん の巻

 大作はスタンドアローンで使える地図アプリを起動して国土地理院発行の電子地形図二万五千分の一を表示する。

 二人が目指す湯島天神は現在地点から北北東に約二キロにあるようだ。昨日通った奥州道から岩槻道まで戻ると二キロ以上の遠回りになる。そう考えた大作は原野をショートカットすることにした。

 昨日も原野を通ったがお園は全く平気そうだったので大丈夫だろう。

 太陽の位置で方位を確認して北東へ向かう。すぐに傾斜が強くなり二人は転ばないよう手をつないで注意して上る。

 台地を登り切ると昨日も通った湯島郷が見える。岩槻道を北に一キロほど進むと右に湯島天神が見えてきた。


「僧侶が女連れで神社に行くと目立つかな?」

「なにか理由があると思うんじゃないかしら。ベタベタしてなければきっと大丈夫よ」


 もともと日本には神仏習合という考え方があって神社とお寺は仲が悪いわけではない。

 たとえば弁才天はもともとヒンドゥー教の女神だったサラスヴァティーが仏教に取り込まれたものだ。それが神仏習合によってに神道にまで取り込まれてしまった。

 神社のご神体が曼荼羅だとか、仏教寺院境内に神社が建ってるなんて珍しくも無い。


 そういう訳で大作は神社に行くことにそれほど戸惑いを感じていない。

 ただお園の方は少し躊躇(ちゅうちょ)しているようだ。神田明神で何か嫌な思いでもしたのだろうか。


 二人は参道の端を通って鳥居をくぐると本殿へ向かう。

 社伝によると雄略天皇二年(458)建立とされているが流石に伝説だろう。

 実際に創建されたのは室町時代初期。その後、荒廃していたものを太田道灌が再興したとのことだ。


 大作は神職と思しき人に声を掛けた。精一杯の時代劇っぽい言葉使いをする。


「頼もう。拙僧は大佐と申します。宮司様にお目通り願いたい」

「宮司は私でございます」


 大作は宮司だと名乗った男が若いことに驚いた。まあ自分も高校生なのだが。

 こちらがお願いごとをする立場なのだからとりあえず下手に出た方が良いだろう。


「宮司様の麗しき御尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じ奉りまする」


 大作は深々と頭を下げる。お園もそれを見て真似をする。

 大作は頭を下げたまま『面を上げよ』と言われるのを待つ。


「お顔をお上げ下され、大佐殿。本日は何かお困りごとですかな?」


 宮司は少し戸惑っているようだ。とりあえず迷惑そうな顔はされていない。


「こなた女性(にょしょう)は甲斐の歩き巫女にてござります。先日、白衣と緋袴を洗濯いたす折り、(にわか)に吹いた強風に飛ばされてしまい難儀しておるとのこと。なんとか古着を手に入れましたが白衣と緋袴が無くてはこの先、歩き巫女を続けること叶いませぬ」


 宮司は呆気に取られて二の句が継げないようだ。


「ご無理を言って申し訳ありませんが、古着でも何でもかまいませぬ。どうかこの者に譲ってやってもらえませんでしょうか? 僅かにござりますが心ばかりのお礼です、とっておいて下され」


 大作はさりげなく大佐っぽいセリフを紛れ込ませながら四十三匁の銀を差し出した。

 これで物乞いの類では無いことをアピールできる。

 それに金さえチラつかせれば大抵のことはなんとかなると大作は思っていた。

 宮司は予想外の成り行きに目を丸くしている。大作に肘で脇腹を小突かれたお園も慌てて言う。


「お願い申し上げます。白衣と緋袴が無ければ国に帰ることも叶わずここで野垂れ死にです。後生ですからお助け下さい」


 お園は深く頭を下げた後、上目遣いで目をうるうるさせている。なかなかの名演技だ。もしかして女優の才能があるんじゃないかと大作は思った。


「分かりました。お約束はできませんが巫女に聞いてみましょう。その間、こちらにてお休み下さい」


 宮司は二人を本殿の脇にある社務所みたいな建物に案内する。


「うまく行くと良いわね」

「最悪でも赤い布が欲しいな。針と糸を借りれば仕立てられる」


 待つこと暫し、宮司が満面の笑みを浮かべて白衣と緋袴と塗笠(ぬりがさ)を手に戻ってくる。


「お待たせしました。多少傷んでおりますがこちらで宜しければお譲りいたします」

「かたじけない。お礼の言葉もござりませぬ」

「ご恩は生涯忘れません」


 大作はたかが古着に大金を払った上になんでここまでと思いながらも深く頭を下げて礼を言う。

 お園もそれに合わせて上目遣いの涙目で精一杯の感謝の意を表す。

 宮司は少し引いているがまんざらでもないといった顔をしていた。






 社務所の片隅を借りてお園が着替えている。

 宮司が興味津々という表情で大作に聞いてきた。


「大佐殿はあの巫女とどのような御関係なのでございましょうや?」


『やっぱりそこは気になるよね~』と大作は思った。せっかく上手く行ってるのに小さな嘘で台無しにしたくない。


「昨日知り合ったばかりにございます。川辺で難儀しておりましたのでお助け致しました」

「それはそれは良いことをなされましたな。この後はどちらへ?」

「東海道を西へ向かおうかと思っております。大事(だいじ)ないでしょうか?」

「昨年は松平の殿様が討たれたり今川様の西三河攻めなどで騒がしかったようですな。今はそういった話は聞きません」


 大作はそんなネットで分かるような話はどうでも良かった。治安状況とか農民が飢えていないかといった現場の生の情報を知りたかったのだ。とは言えテレビも新聞も無かった時代に片田舎の宮司がそんなことを知ってるわけも無い。


「おまたせいたしました」


 お園が白衣と緋袴に着替えて現れた。髪も長いポニーテールにして紙で束ねている。大作は思わず見とれてしまった。


『本物みたい!』


 大作は喉まで出かかった言葉をやっとの思いでのみ込む。


(ゆき)身丈(みたけ)も丁度良いようですね。お似合いですよ」


 宮司が声を掛けながら何だか正体の分からない雑穀と紐に一文銭を沢山束ねた物を二人に差し出す。


「荷物にならなければ、ぜひお持ち下さい」


 銭緡(ぜにさし)って言って九十六枚の銭をひとまとめにした物らしい。何本もあるので一キロ以上ある。

 古着と銀四十三匁では釣り合わないのでお釣りということなのか? 荷物が増えるのは気が滅入るが食糧も銭も貴重だ。


 ちなみに平安中期以降は国内では公式な貨幣の鋳造をやっていない。明銭の輸入も十六世紀前半に滞ったためマネーサプライが減少してデフレ状態なんだっけ? それでもこんだけ銭が出てくるとは宗教法人は金を持ってるものだと大作は感心した。


「これはありがたきことにございます。遠慮なく頂戴いたします」

「ありがとうございます」


 二人は宮司に改めて礼を言って深々と頭を下げると湯島天神を後にした。

 神社が見えないくらい離れたところでお園は口を開いた。


「大佐はなんであんなに頭を下げてたの?」

「お辞儀も笑顔もタダだろ。使わないと勿体無いよ」


 お園は驚いてるのか感心してるのか神妙な顔をしている。とりあえずは納得しているようだった。






 江戸城を右手に見ながら托鉢僧と歩き巫女が並んで歩く。多少は好奇の目で見られるが二日目ということもあって大作はすっかり慣れてしまった。腕時計を見ると十四時を少し過ぎている。


「今日は多摩川の河原で野宿かな」

「たまわが?」

「昨日のよりずっと大きな川だよ。渡し船があるはずだから安心して」

「どんな川かしら。楽しみだわ」


 甲州道への分岐を通り過ぎて小さな川を越えると霞が関が見えて来た。地形が変わり過ぎてどのあたりなのかさっぱり分からない。江戸城からの距離と方位からして名前の通り霞ヶ関の辺りなんだろうと大作は納得した。

 二人並んで行って妙な詮索をされると厄介だ。お園が先行して少し距離を取って歩く。


 関所を越えるなんて人生初めての経験なので大作は大いに緊張する。手荷物検査とかあったら厄介だなと思ったら手に汗が出てきた。

 そんな大作をよそにお園は実に堂々とした足取りで関所に近づくと役人に軽く会釈して素通りする。

 お園を先にやって良かった。お園が無事に通過する様子を見て大作も落ち着きを取り戻した。

 大作は役人に手を合わせて軽く会釈して通りすぎる。役人も軽く会釈したようだ。僧侶は世俗には無縁の者という話は本当だった。


 関所が見えなくなった辺りでお園と合流する。距離的に見て東京タワーの辺りだろうか。左手に小高い丘が見えるがもしかして芝丸山古墳なのかも知れない。


 目黒川と思われる小さな川を越える。河口の砂洲に品川湊らしい港町があった。

 この辺りは遠浅なため大型船が沖合に停泊している。喫水の低い小型船に荷を積み替えて方々に行く様子が見える。


 右の高台と左の砂州に挟まれた街道を進む。陸路はあまり使わてれいないらしい。港から少し離れると急に人気がなくなった。

 二人で黙って歩いていると何とも間が持たない。何か話題は無いだろうか。


「お園は何を着ても似合うな。とっても可愛いよ」

「ありがとう。でもまだ着慣れていないからちょっと変な感じだわ」

「昨日、お園はご祈祷くらいはあげられるって言ってたけど竈拂ひ(かまどはらひ)は出来るのかな?」

「何度も見たことあるから真似事くらいはできるわよ」


 とりあえずそれくらい出来れば大丈夫だろうと大作は安心する。梓弓(あずさゆみ)を鳴らせとか口寄せしろなんてことは早々は無いだろう。

 歌ったり踊ったりは出来るのだろうか。出来なくても困らないけど二人で歌えたら楽しそうだ。


「お園は何か歌えるのかな」

謡い物(うたいもの)のこと? 『何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ』とか?」

「もっと明るい歌はないの」

「明るい歌? どんなのが明るいのかな。『よしや頼まじ 行く水の 早くも変る人の心』はどう?」


 なんだこりゃ? 歌は上手いんだけど選曲が地味すぎるぞ。

 大作は内心の動揺を務めて顔に出さないよう努力した。


「お園は歌も上手いんだな~ 良かったら俺の国の歌も覚えて貰えないかな?」

「大佐の国の歌! 聴きたい! 聴きたい! 教えて! 教えて!」


 凄い食いつきが良い。これは期待できそうだ。

 大作はスマホを起動して『著作権の切れている音楽リスト』を表示した。

 いきなりジャズやクラシックは引くだろうから童謡が良いだろう。

 だが童謡だけでも数百曲はありそうだ。大作は適当に目に付いた曲を選ぶ。


 作詞 青木存義(あおきながよし)(1935年没) 作曲 梁田貞(やなだただし)(1959年没)


「どんぐりころころって歌だ。簡単だからすぐ覚えられるぞ」

「なにそれ。かわいい歌ね」


 どんぐりころころ どんぶりこ

 お池にはまって さあ大変

 どじょうが出て来て 今日は

 ぼっちゃん一緒に 遊びましょう


 どんぐりころころ よろこんで

 しばらく一緒に 遊んだが

 やっぱりお山が 恋しいと

 泣いてはどじょうを 困らせた


『どんぐりこ』じゃなくて『どんぶりこ』なので要注意だ。お園は神妙な顔をして聴いていたが大作が歌い終わると鋭い質問を浴びせる。


「どんぐりが泣いたままお終いなの? かわいそうだわ」


 そこに気付くとは鋭いなと大作は思った。

 だが大作は少しも慌てない。大事なことはすぐ忘れるがどうでも良いことを覚えているのが大作なのだ。

 スマホを操作して三番の歌詞を探すと歌いだした。


 どんぐりころころ 泣いてたら

 仲良しこりすが とんできて

 落ち葉にくるんで おんぶして

 急いでお山に 連れてった


 これは岩河三郎が1986年に三部合唱曲用に本作品を編曲した際に付け足したものだ。

 彼は権利の届出をしなかったため、作者不詳扱いで著作権フリーになっている。


「よかった。お山に帰れたのね」

「ちなみにこの歌は作詞が青木存義で作曲は梁田貞だ。あと三番の歌詞は岩河三郎だぞ」


 著作権法第六十条では『その著作物の著作者が存しなくなった後においても、著作者が存しているとしたならばその著作者人格権の侵害となるべき行為をしてはならない』と記されている。

 著作者のクレジットはきちんとしておいた方が良いだろう。自分でも不思議だが、なぜか大作は突然そう思った。


 それにしてもお園に現代の曲を歌って欲しいという気持ちが全く湧いてこない。

 まるでJASRACに音楽著作権使用料が発生する曲を歌えないよう心理的プロテクトが掛けられているようだ。

 そもそも何でこんなリストや歌の情報をスマホに保存したんだ。もしかしてこれも二人の行動を視聴している宇宙人か未来人のせいなのか?

 そうだとすると自分は何年も前から行動や心理を管理されてたのではないか。そこまで考えて大作は戦慄を覚えた。

 だが今さらじたばたしても始まらない。例によって大作は考えるのを止めた。


「お園、もう一回最初から歌おう」

「うん、大佐」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] カスラックは創作活動を阻害するw 戦国時代にも取り立てに行きかねないしね
[気になる点] 小説に訳わからんカスラックの事情挟んで醒めるわ。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ