巻ノ七拾九 髪は長い友達 の巻
大作は何を吹くか迷った末に『星に願いを』を原型を留めないくらいアレンジして吹いた。
作曲者のレイ・ハーラインは1969年亡だ。しかし、戦時加算というのがあって2030年まで著作権保護されているのだ。
ドイツやイタリアだって敗戦国なのに日本だけがこのような不平等条約を結ばされている。
大作が第二次大戦の結果を書き換えられれば2019年までになるかも知れない。
でも、そこまで歴史改変したらそもそもレイ・ハーラインも生まれてこないんじゃね?
いや待てよ。著作権という概念その物に干渉するという手もあるぞ。世界最初の著作権法は1545年のヴェネツィアに遡るそうだ。
だが、現代の著作権の考え方に繋がるイギリスのアン法が1710年制定。そして今日でも有効なベルヌ条約は1887年発効だ。
まずは積極的な文化輸出を行って世界のエンターテインメント市場に置ける日本文化の存在感を高める。それをバックに国際的な著作権管理システム構築に際して日本の発言力を高めるのだ。夢が広がりんぐ!
まあ、どうでも良いか。四百年も先のことなんて知ったこっちゃ無い。大作は考えるのを止めた。
重経は興味深そうな目をして静かに聞き入っていた。曲を吹き終わると待ちかねたように口を開く。
「不可思議な音色の吹き物じゃな。煌めいておるが金で作られておるのか?」
「いえいえ、銅に亜鉛を混ぜた真鍮と申す物にございます」
「南蛮人は吹き物を作らせても傾いておるな。心ことなる調べじゃった。折あらばまた聴かせてくれ」
「御意」
大作は一度使ってみたかったセリフを使う。何故だか知らないが、ほのかがニヤニヤしていた。
大作たちは前に使った客間を宛がわれる。畳と夜着が三枚ずつ用意されていた。
ほのかは前にも泊まったことがある。だが、愛は初めて見るらしい畳や夜着に目を丸くして驚いているようだ。
「愛。さっきのアドリブは見事だったぞ。いきなり若殿の前であれだけ話せるなんてただ者じゃ無いな」
「大佐様のお役に立たねばと、ただただ一心にございました」
「たぶんメイには真似できないわね」
ほのかも愛のトークスキルに関心したようだ。本心から褒めているのが大作にも感じられた。
「身寄りの無い子らには床下の土を煮詰めさせることになったのね」
「そうだな。人数さえ集めれば女子供でもできる簡単な仕事だ。硝石なんて硫黄や木炭と混ぜなければ危なくも何とも無い。ハムに色を着けるのに使ったりするくらいだ。桶や鍋、薪、明礬、布も入用になるな。明日にも工藤様にお願いしよう。忙しくなるぞ」
「大佐様の御恩に報いるため、気張って勤めまする」
石粉や水銀なんかを扱わせるよりはよっぽどマシなはず。後は細かい段取りだが明日に決めれば良いだろう。
そうなると明日はなにすれば良いんだ? 材木が配達されるから……
「しまった~! 馬借の手配を忘れてた~!」
大作が突然絶叫したので、ほのかと愛がびくっとした。ほのかがあきれた顔をする。
「大きな声を出すから驚いたじゃない。そんな大したことじゃ無いわよ。明日の朝一番に私めが馬借に走るわ」
「食器はどうしよう」
「それくらい手分けして持てば良いわよ」
「愛は食器を持って帰るのを覚えていてくれよ。食器を取りにもう一往復なんて勘弁して欲しいぞ」
大作は自分の記憶力に全然自信が無くなってきた。仕方が無いので情けない顔で愛に懇願する。こうしておけば万一、忘れた場合でも二人の連帯責任だ。
「愛は畳で寝たことあるか?」
「神社にも畳はございました。然れども寝たことはございません」
「三枚くっつけて一緒に寝ましょう。大佐が真ん中ね」
ほのかが勝手に仕切る。まあ、狭い小屋で肩を寄せ合って寝ているのと大差ないか。大作は好きにさせる。とは言え、変なフラグが立たないように釘を刺すのを忘れない。
「言っとくけどここは若殿の屋敷だ。何にもしないぞ。絶対に何にもしない。絶対にだ!」
「何にもって何を?」
ほのかがにっこり笑いながら定番の返しをした。愛は不思議そうな顔をしている。だが、空気を読んで何も言わなかった。
翌朝、大作は日が昇る前に目が覚めてしまった。若殿の屋敷だと思うとリラックス出来なかったのだ。ほのかや愛たちも同じだったらしい。
「大佐、器を持って帰るのを忘れないでね。私めは馬借の荷運びを手伝ってそのまま山ヶ野に戻るわ」
「朝飯を食べないでお腹空かないか?」
「糒を持ってるわ」
お園ほど食に対する拘りが無いんだろうか。ほのかは朝食もとらずに馬借へと風のように走り去る。
大作と愛は朝餉への陪席を許された。しかし、愛は遠慮して隣の部屋の隅に小さくなっている。
「遠慮は無用じゃ。も少し近う寄れ」
若殿に言われて愛が少しだけ這い進む。
「遠慮は無用と申しておる。和尚の隣まで参れ」
別に遠慮してるんじゃ無くて近くに寄りたく無いんじゃね? 大作は心の中で思ったが口には出さなかった。
「身寄りの無い子らのため、ひとかたならぬお骨折りを賜りました。感謝の言葉もございません」
大作は頭を深々と下げる。と見せかけて一瞬タイミングをずらす。時間差お辞儀だ。しかし、愛はフェイントに引っ掛からず大作の動きにぴったりと追従する。
何か知らんけど凄い才能だな。ちょっと意地悪してみよう。大作の悪戯心に火が着く。頭を上げる。と見せかけて戻す。と見せかけて上げる。
大作が顔を上げると若殿が珍しい物を見たといった顔をしていた。恥ずかし~ と思ったが必死にポーカーフェイスを作る。
「深い感謝の念をお辞儀パフォーマンスで表現させて頂きました」
「左様か。困りごとがあらば遠慮せずに申すが良い。鉄砲も楽しみにしておるぞ」
「お任せ下され。然らばこれにて失礼仕りまする」
この小僧、結構良い奴だよな。三年後に死なせるのが少し可哀相な気がしてきたぞ。まあ、最終判断は直前にすれば良いか。大作は考えるのを止めた。
大作は愛を連れて弥十郎の屋敷に向かう。水銀と煙硝作りに関して詳細を詰めなければ。こんなことになるならお園を連れてくれば良かった。反省するが後悔先に立たずだ。
適当に言ったけど雷酸水銀なんてどうやって作れば良いんだろう。大作はスマホでチェックする。
硝酸水銀(Ⅱ)の硝酸溶液とエタノールを反応させれば良いって書いてある。硝酸水銀(Ⅱ)は熱した濃硝酸と水銀を反応させて作る。硝酸は硫酸と硝石を混合して蒸留しろだと。硫酸は熱した硫黄と硝石から作れるらしい。
物凄く大変な手間だぞ。とてもじゃ無いけど女の子にやらせるような作業では無いな。この件は藤吉郎や伊賀から忍びが来てから考えよう。
大作がスマホから視線を上げると愛が興味深げな表情でスマホを見詰めていた。しかし、空気を読んで何も聞いてこない。
これまでにも散々珍しい物を見せたはずだ。でも、こちらから説明しない限り決して自分から質問するつもりは無いようだ。
どちて坊やは困る。けれど全然関心を持って貰えないのも寂しい。大作はとっても我儘な奴なのだ。
「スマホが気になるか?」
「いえ、そのようなことはございません」
「どうでも良いか?」
大作はわざとちょっと意地の悪い言い方をする。
「いえ、そのようなことはございません」
「どっちだよ!」
大作は笑いながら愛の頭をグリグリと撫でまわす。だが、何だかべっとりした嫌な感触がして手を引っ込める。何とも言えない妙な手触りだぞ。
そう言えば、どこかのサイトで読んだ気がする。戦国時代以前は髪を洗うのは上流階級でも年に一度ほど。米の研ぎ汁なんかを使ったらしい。悪臭を誤魔化すため枕に香を入れていたんだとか。
さっきまでの楽しい気分が台無しだ。シャンプーやリンスは無理でも石鹸くらい作った方が良いんだろうか。って言うか、水で良いから頭くらい洗えよ! 自分がスキンヘッドなので気にしたこともなかったぞ。
石鹸を作るには苛性ソーダが要るんだっけ? 消石灰と炭酸ナトリウムの複分解反応で作れるそうだ。炭酸ナトリウムはどうやって作るんだ? 読んでるだけで面倒臭いぞ。
サイカチとか大豆を使った方が早いんじゃね? もうどうでも良いや。大作は考えるのを止めた。
「大佐様。申し訳ございません。気にはなっておりましたがご迷惑かと遠慮しておりました。お許し下さいませ」
大作が我に返ると愛が半泣き顔になっていた。黙って考え込んでいたのを気を悪くしたと勘違いしたようだ。
「ごめんごめん。でも遠慮なんて要らないぞ。俺たちはファミリーだからな。チームのメンバーは対等なパートナーだぞ。一つ釜の飯を食い、枕を並べて眠るんだ」
「大佐様のお言葉は良く分かりませぬ。然れどもこれよりは思うたことは素直にお尋ねいたします」
愛が嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。それに反して大作の心は沈み込む。ヤバイぞ。フラグが立っちまったんじゃ無かろうか。
とりあえずキスだけは絶対死守だ。絶対キスしない。絶対にだ!
大作は固く心に誓う。だが、この決意は無駄なんじゃなかろうか。そんなふうに他人事みたいに思っていた。
弥十郎の屋敷は近所なのですぐに着いた。家人によると重経の屋敷に行ったとのことだ。どういうことだ。最短ルートを通ってきたのにすれ違わなかったぞ。
わざわざ遠回りして行ったんだろうか。ついさっきお暇した重経のところにすぐに顔を出すのも間抜けだな。とは言え、寄り道して行き違いになるのもアレだぞ。
しょうがない。もう一回、重経のところに顔を出すしか無いか。ようやく諦めが付いた大作は重経の屋敷へ向かう。
これで行き違いになったらどうしよう。もう諦めて山ヶ野に帰るか。そんなことを考えながら歩いていると道の向こうから弥十郎がやってくる。
「おお、大佐殿。どうなされた」
お前を探して往復してたんだよ! 大作は心の中で絶叫する。だが、顔には全く出さない。
「水銀や煙硝作りについてご相談させて頂きたく思い、工藤様をお探ししておりました」
「それは相済まぬことをしたな。水銀や煙硝の手配りをいたしておったのじゃ。儂の屋敷に戻って話をしようぞ」
このおっさん、フラフラうろついてたんじゃ無かったんだ。朝早くから走り回ってくれていたとは。大作は心の中で頭を下げた。なぜだか愛も心の中で頭を下げているような気がした。
弥十郎の屋敷のいつもの座敷に通される。愛は遠慮して廊下にいる。
「愛、隣に来い。他人事みたい思ってるんなら困るぞ。ちゃんと話を聞いて覚えてくれ」
「相済みませぬ」
愛が大作の隣まで這い進む。大作はバックパックからタカラ○ミーの『せん○い』を取り出して絵を描いた。
「水銀ですがしっかりと蓋のできる鉄瓶に入れるようお願いいたします。割れたり零れると大事にございます」
「心得た。それより煙硝作りじゃな。どのような手筈で進めれば良いかのう」
弥十郎が眉間に皺を寄せて考え込む。過去に類例の無い作業だ。若殿から正式の命を受けた。だが、何の説明も無しにいきなり床下の土を供出せよなどと言えば住民から無用の反発を受ける危険がある。
それに床下の土から煙硝を採る方法その物もなるべく秘密にしたい。何でも良いからもっともらしい理由が必要だ。
「竈祓の要領で床下祓いと言う新サービスを開始しては如何でしょう。娘たちに巫女の格好をさせます。床下の土が変な色になるのは穢れが溜まっている、とか何とか。桶で水洗いして上澄みを鉄鍋で煮ると毒が結晶すると説いて聞かせます。神社で清めると言って持ち帰れば怪しまれることはありません」
「それしきで誤魔化せるじゃろうか?」
弥十郎が不安げな顔をしている。そんなこと今から心配してどうすんだよ。大作は心の中で突っ込む。
天才詐欺師、愛のトークスキルがあれば無知蒙昧の徒など簡単に騙せる。
「家々で火薬まで作るわけではございませぬ。白い結晶を作るだけにございます。何を作っておるか誰にも分かりませぬでしょう。桶、鍋、薪、布、木灰、明礬などが大層入り用ですな。馬が無いととても運べませぬ。巫女装束も十着ほどお願いできますかな」
大作はサラッと無茶な要求を紛れ込ませる。弥十郎はそれに気付いたようだ。しかし多目に見てくれたらしい。悪戯っぽくニヤリと笑った。
「十着で足りるのか? 孤児院の話は城下でもすっかり評判になっておったぞ」
「二十着お願いしても宜しゅうございますか?」
「遠慮するな。若殿もそう申しておったぞ」
このおっさん、本当に良い奴だな。大作は重経の抹殺計画を凍結することにした。




