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巻ノ七拾六 安全第一 の巻

 楽しく語らいながら夕食をとっていると思ったより遅くなってしまった。明日も朝早くから作業だ。疲れ果てた大作たちは寝ることにする。

 だが、その前に重要なことを確認しなければ。


「アイマイミーは寝相は悪くないか? いびきや寝言は大丈夫か?」

「人からそのように言われたことはございません」


 お園やメイの酷い寝相は何だったんだろう。よっぽど精神的なストレスが溜まってたんだろうか。


 全員仲良く小屋で雑魚寝することになった。なったのだが…… この小屋で七人は厳しいぞ!

 しょうがない。大作はお園とテントで寝ることにする。しかし、メイとほのかが恐い顔をして睨んでいることに気付かなかった。

 早急にも増築が必要だな。大作は心の中の予定表に書き込む。


 二人きりのテントの中でお園が嬉しそうに話しかけてくる。


「三人ともとっても素直な良い子みたいね。あんなに上手く行くとは思わなかったわ」

「むしろ話が上手く行き過ぎて心配だぞ。実は島津の間者かも知れん。暫くはわざと隙を作って様子を見よう」

「そんな途方も無いことあるかしら。相変わらず大佐は用心深いわね」

「惚れ直したか? 言っとくけどアイマイミーには手を出したりはしないぞ。絶対に手を出さない。絶対にだ!」


 今のところは焼きもちを焼かれたりしていないようだ。大作は大事なことなので二回宣言する。

 でも、それってメイやほのかに手を出したことを暗に認めているんじゃなかろうか。言ってから激しく後悔するが既に手遅れだ。大作は考えるのを止めた。




 翌朝早く目が覚めた大作は金の製錬状況をチェックする。

 水銀の見た目には特に変わったところは無い。数十グラムの金が溶け込んでいるはずだ。って言うか溶け込んでいないと困る。

 ネットで見かけた情報によると水銀と金が五対一くらいの割合でも水みたいにサラサラらしい。

 今の作業を百日くらい続けても見た目の変化は無いということだ。


 処理済みの粉鉱石も顕微鏡で確認するが見た目では何も分からない。残留した水銀が恐いので息を止めて足早に立ち去る。


 朝食はお園が作った味噌味の雑炊だった。昨日頼んだ米や味噌や魚の干物が午後には届くはず。食生活の劇的な改善が期待できる。

 食器を洗っていると五平どんと三人の老婆が現れた。出勤時間も守られているようだ。


「五平どん。こなた娘はアイマイミーと申します。村に使いに出すこともあるやも知れません。是非ともお見知りおきを」

「また娘子が増えたのでございますか。もしや和尚の寺は男子禁制にございますか?」


 五平が少し意地の悪そうな笑顔を浮かべて突っ込みを入れる。


「いやいや、これは孤児院と申しまして身寄りの無い子を引き取って面倒を見るという社会貢献にございます。孤児を見かけたら是非とも我が寺にお連れ下され。お礼に金一封を差し上げますぞ」


 まるで人買いだな。大作は自分で自分に突っ込んだ。だが、五平は素直に関心しているようだ。


「それは良きことにございますな。回りの村々に声を掛ければ身寄りの無い娘子は大勢集まりましょう。お任せ下され」

「ちょ、ちょっとお待ち下され。娘子は困ります。男子はおりませぬか?」

「男子は働き手になります。余る道理がございません」


 そんな馬鹿な! 大作の首筋に冷や汗が流れる。


「なるようにしかならないわよ」


 青ざめる大作をお園が他人事みたいに気楽に励ました。




 まずはアイマイミーにパート連中の作業を見学してもらう。鉱石を火で焼いて砕き、金の多そうな部分を選別。石臼で粉砕。これを水銀で処理する。

 大作としては若い女性に粉鉱石や水銀を扱う作業をさせるつもりは無い。だが、一連の作業手順は理解してもらう必要がある。


「大佐様。石を粉にして水銀とやらに浸すと何になるのでございますか?」


 愛が当然の疑問を口にする。パート連中が一斉に聞き耳を立てているのが大作にも分かった。答えてやりたいのは山々だが今はまだ早い。


「あと十日で分かるよ。楽しみに待っててくれ。大した物じゃ無いからがっかりされるかも知れないけどな」


 大作は緊張感を悟られないよう、なるべく気楽な調子で誤魔化した。

 よく見ると作業行程の一部が当初の物から変更されているようだ。大作は内心の動揺を押さえつつ聞いてみる。


「メイ。作業行程を変更したのか?」

「大佐様。儂が思い付いてほのか殿にお許しを頂いて変えもうした。お許し下されませ」


 五平が慌てた様子で弁解する。


「いやいや、素晴らしきことにございます。みなも何か思い付いたら気軽に申して下され。良い思い付きには褒美を差し上げます。ただし、一人で勝手に手順を変えないように」


 大作は誉めるところは誉めながらも、しっかりと釘を刺した。




 大作はできるだけ作業に関わりたく無い。何でも良いから遊んでいると思われないよう時間を潰さねば。

 とりあえず小屋の外壁に大きな字で『安全第一』と書いた。


「熱心なキリスト教徒でUSスチール社長のエルバート・ヘンリー・ゲーリーは『安全第一・品質第二・生産第三』と申された。労働災害の削減は結果的に品質の安定や生産性の向上にも繋がる。作業環境において改善の余地があれば何でも提案してくれ」

「あんぜんだいいち? 全く安しってことかしら」


 お園が訝しげに呟く。メイも疑わしげな顔で口を開いた。


「キリシタンは敵じゃ無かったの?」

「敵だろうと正しいことを言っていれば取り入れるのに(やぶさ)かでは無い。心を広く持て」


 みんなさっぱり分からんって顔をしている。どうやら不発だったらしい。




 することが無くなって途方にくれる大作の前に救世主が現れた。馬借が米、味噌、塩、魚の干物を運んできたのだ。

 注文する時に確認していなかったのだが米俵は四斗だった。一俵がこのサイズに統一されたのは明治時代だ。それ以前の一俵は二斗から五斗までバラバラだったらしい。

 これ二つで百二十キロを載せて山道を運んだのか。馬が可哀相だぞ。とは言え、分割発送すると送料が勿体無い。

 六十キロもある米俵なんてとてもじゃ無いけど運べない。大作は無理を言って小屋の中まで運んでもらう。申し訳ないので味噌、塩、魚の干物は自分で運んだ。


 空いた馬の背に筵で作った袋に石英の粉を詰めた物を乗せる。


 馬借がちょっと意地悪な笑顔を見せた。


「随分と娘子が増えておりますな。お寺とやらは尼寺だったのでございますか?」

「いやいや、孤児院と申しまして身寄りの無い子を世話しております。馬借殿も心当たりがあればご紹介下され。金一封を進呈しますぞ」

「それは良きことにござりますな。身寄りの無い女子ならば大勢心当たりがございます。次の機会に連れてまいりましょう」


 大作は思わず頭を抱え込んで唸り声を上げる。馬借は目を丸くして驚いていた。




 あとは何をして時間を潰そう。やらなければならないことは一杯ある。

 模型グライダーの製作。エタノールの蒸留。硫酸の作成。ジエチルテーテルの作成。

 これから暑い季節なのでジエチルエーテルは冬まで待った方が良さげか。


 雷酸水銀も欲しいけど硝酸が必要だ。先に硫酸と硝石が必要になる。

 そう言えば古土法による煙硝作りは進んでるんだろうか。弥十郎がやってると思って放置してたけど心配になってきたぞ。

 鍛冶屋の仕事じゃ無いと思って評定でも全く議題に上げなかった。次にあった時に聞いてみよう。


 鉱石や粉鉱石を運ぶのに猫車が欲しい。でもあんな物を自力で作れるとは思えん。材木売と轆轤師に頼もう。


 あとは肥前国の有馬様を訪ねて南蛮貿易に伝手(つて)を作るくらいか。

 佐世保市の相浦では自然水銀が採れるらしい。行ってみる価値はある。

 でも佐世保まで三百キロくらいだ。歩いて六日ってところだろうか。現地で二泊として丸々二週間。まだ金山も稼働していない。そんなに長い間、留守に出来るはずが無い。


 もしかして出来ることは余り、って言うかほとんど無いのか。


 何かどうでも良くなってきたぞ。不貞腐れた大作はサックスの練習をした。

 職場でBGMを流すと作業効率が上がるって読んだことある。逆に集中力が下がるって話も聞いたことあるけど。

 あのアウシュビッツ強制収容所ですら囚人女性によるオーケストラがあったらしい。ガス室に向かう人たちも死の直前までBGMを聞いてたそうだ。

 そう言えば沈没寸前のタイタニックでも『主よ、御許に近づかん』を演奏していたっけ。


 とりあえずタンギングの練習だ。基礎練習は重要なのだ。

 大作は一心不乱に八十くらいのテンポで十六分音符を吹き続ける。


「大佐。うるさい」


 お園が怖い顔をして睨む。みんな遠慮して何も言わなかったけど凄く迷惑だったらしい。


「こういう単純作業には音楽が効果的なんだ。反復作業のテンポが良くなる。マスキング効果って言って余計な雑音を覆い隠せるぞ。楽しく仕事できるのが一番だろ」

(やかま)しいだけで全く楽しく無いわよ」

「働かないならせめて邪魔しないでくれる」


 お園の抗議に勇気付けらたのだろうか。メイとほのかも遠慮無く言いたいことを口にする。


「申し訳ございません。以後気を付けます」


 多勢に無勢だ。大作はサックスを片付けると石臼挽きを手伝った。




 夕方になりパート連中が村へ帰る。


「今日はアイマイミーが夕飯を作ってくれるか? 分からないことがあればお園に教えてもらえ」

「畏まりました、大佐様」


 大作はこの機会を利用してアイマイミーの家事能力を確認しようと考えた。

 アイマイミーは始めて見るチタン製クッカーやBICライターに目を丸くして驚いている。


「お園様はこのような珍しき道具を何処(いずこ)にて手に入れられたのでございますか?」

「大佐に貰ったのよ」


 アイマイミーの視線が一斉に大作に向く。こいつらまでクレク○タコラかよ! 大作は心の中で絶叫する。


 いや、それよりとんでもないことを思い出したぞ。


「五平どんに食器を頼むのを忘れてた!」


 何で心の中のto do listに書かなかったんだろう。後悔先に立たずだ。


「しょうがないわね~ 一緒に食べましょう。私たち夫婦(めおと)なんだから」


 お園はそう宣言するとチタン製スプーンで雑炊を掬って大作に差し出す。あ~んしろってか? みんなの見てる前で? どんな羞恥プレイだよ。

 もしかして新参者にチーム内の序列をアピールしたいのだろうか。

 恥ずかしくて死にそうだ。でもここでお園と夫婦だって見せ付けた方が良いかも知れない。そうすればアイマイミーと変なフラグが立つ可能性を潰せるかも。


 もう焼け糞だ。大作は諦めてお園と一緒の食器で夕飯を食べた。

 アイマイミーはその様子を不思議そうに見ていたが空気を読んで何も言わない。

 メイとほのかは怖い顔をして睨んでいる。大作はその視線を努めて無視した。


 それはそうと三人の作る料理は予想以上に美味しかった。お園には負けるけど。


 明日こそ人数分の食器を確保しなければ。大作は心の中の予定表に極太明朝体で書き込む。黒地に白い文字だ。

 期限は明日の夕飯にした。食器を絶対に確保する。絶対にだ!


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