表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
72/516

巻ノ七拾弐 空き家と鉛筆 の巻

 日が傾くころに二人は川辺へ移動して久々にテントを張った。

 夕飯はお園が作ってくれた塩味のお粥だった。これって何日ぶりだろう。


「鯰や鰻も悪く無かったけど、やっぱりお園の料理が一番だな」

「誉めたって何にも出ないわよ」

「メイやほのかの料理も不味くは無い。でも、美味しいと言うほどじゃ無いんだ」


 お園がまんざらでも無さそうにニコニコしている。まあ、大作としてもお世辞じゃ無くて心の底から本気なのだ。


「それはそうと、次の鉄砲の評定は明々後日(しあさって)だぞ。明日の朝から山ヶ野に戻っても明後日(あさって)の昼にまたこっちにこないといけないだろ? それって向こうに一泊するためだけに戻るようなものだよな?」

「明後日の晩までこっちで一泊しようって言うの? メイとほのかが心配するんじゃないかしら」


 前回の鉄砲の評定で別れたっきりだもんな。今日で五日目。明々後日の評定を終えてその次の日に帰ったらまるまる八日間も空けてたことになる。

 あちこち回るってメイに伝えてはいるけど八日も帰って来ないとは思っていないだろう。捜索願いとか失踪宣告とか出されてたら大変だ。

 大作は心の底から山ヶ野のことが心配になって来る。でも、こんな時間から帰るわけにも行かない。六日空けるのも八日空けるのも大差無いだろう。自分で自分を納得させるかのように心の中で何度も何度も唱え続けた。


「これと言うのも山ヶ野が遠すぎるのが悪いんだ。こっちに家を見付けて早く引っ越そう。伊賀から人が来たら金山は全部まかせるぞ」

「じゃあ、明日は家を探しましょうよ」

「ナイスアイディア!」


 そうと決まればとっとと寝よう。二人はテントに入って床に就いた。




 別に夜更かしして何かしていたわけでも無いのだが翌朝、二人は少し寝坊した。

 昨日の夕飯の残りを温め直して朝食にする。


「まずは良い不動産屋を探すぞ」

「ふどうさんや?」

「良い物件を探すなんて素人にはハードルが高すぎる。まずは不動産屋を何軒か回ってみよう」


 通りを歩く人に適当に声を掛けて分かったことは、戦国時代にはそんな物は無いということだった。

 江戸時代に人口が都市に集中して賃貸の長屋が作られた。そのせいで不動産業が誕生したって読んだのを大作は思い出す。


 それでも空き家の一つくらいあるだろう。そう思って二人は托鉢しながら歩き回るが。だが、生憎と芳しい情報は入って来ない。

 青左衛門や材木売に聞いてみるか。いやいや、あいつらは便利屋じゃ無いぞ。何でもかんでも頼るわけにもいかん。

 そうだ、轆轤師を訪ねてみよう。足踏み式脱穀機で何か行き詰まってるかも知れん。大作は思い付きで轆轤師の家に向かう。


「頼もう、大佐にございます」

「これはこれは大佐殿。いかがなされました」

「昨日の今日ですが何かお困りのところはございませぬかと思いまして」

「いやいや、まだ昨日に描いて頂いた絵図面を見ておる次第にて」


 轆轤師が困惑の表情を見せる。駄目だ、撤退だ。大作は即決する。


「ところで、この辺りに空き家はございませんか?」

「あきや?」

「放置された空き家が『特定空き家』に指定されると固定資産税の軽減措置を受けられないそうな。宜しければ拙僧が適切に管理させて頂きます。お心当たりがあれば是非ともご紹介下され」


 轆轤師は難しい顔をして考え込んだ末に近所の男を紹介してくれた。


「なんだか(わら)しべ長者みたいになってきたな」

「今昔物語集ね。そのお話で蜜柑のことを読んだのよ。でも、全然違うと思うわ」


 あれって今昔物語集だったんだ。大作は相変わらずのお園の博識ぶりに関心する。轆轤師が紹介してくれた男の家は歩いてすぐだった。


「頼もう、大佐と申します」


 いい加減に自己紹介も面倒臭くなってきたぞ。大作は名刺でも作ろうかなと考える。まあ、名刺があっても挨拶は省略できないけど。


「へい、如何なされましたお坊さま」

「さきほど轆轤師の…… 誰だっけ?」

「安楽様よ」


 お園が咄嗟にフォローする。あいつ名乗ったっけ? 大作は全然記憶に無かった。まあ、良いや。


「安楽様にご紹介頂きました。拙僧は此度、大殿の御用を勤めさせて頂いております。寺は山ヶ野にございますが五里も離れておるゆえ行き来に難儀しております。聞けばこの辺りに空き家があるそうな。もし宜しければお貸し頂けませんでしょうか?」


 男の目線が疑わしげだ。いきなり信じろと言う方が無理があるか? Trust me!とかはやらない方が良さげだ。

 大作はバックパックから若殿の署名の入った紹介状を取り出す。


「ここ数日は入来院様や東郷様をお訪ねしておりました。次は菱刈様や北原様をお訪ねするつもりにございます」


 男の表情が僅かに和らぐ。信用して貰えたんだろうか。

 それはそうと、こいつ何屋なんだ? 大作は辺りを見回す。どうやら墨を作ってるみたいだ。


「ところでご主人。鉛筆という物をご存じですかな?」

「えんぴつ?」


 スイスのコンラート・ゲスナーが鉛筆を発明したのが1565年と言われている。

 ただし今みたいな削って使うような物では無く、先っぽの穴に小さな黒鉛の塊を詰めて使ったらしい。

 それって黒鉛ホルダーって言った方が良いんじゃね? 大作は心の中で突っ込む。

 ちなみに現代みたいな長い芯の入った鉛筆は1616年までには発明されていたらしい。って言うか、家康が使った鉛筆がこのタイプだ。


「まずは炭と粘土を混ぜて細い棒を作ります。これを火で焼いて固め、木を削って挟んでやります。膠か何かで貼り合わせれば宜しいでしょう。後は先っぽを小刀で削って芯を出せば字が書けるという案配にございます」

「そんな物を作って何に使うのでございますか?」


 やっぱり驚いてくれなかったよ。大作は予想していたので慌てなかった。だって墨屋だもん。そりゃあ、自分達の存在を否定するような物は容易には受け入れられないよな。

 でも、そんなんじゃデジカメに呆気なく駆逐されたコダックやポラロイドの轍を踏むぞ。

 ちなみに富士フイルムは液晶ディスプレイの保護フィルムや化粧品なんかに技術転用して頑張っているそうだ。


「字を書くには墨の方が優れているとお考えになるのは道理にございます。ですが野山、戦場、揺れる船の上などでは墨を溢さずにすむので大層に便利…… じゃなかった……」

「重宝にございます」


 お園がすかさずフォローする。墨屋は半信半疑といった顔だがとりあえず納得してくれたようだ。


「別に墨作りを止めて鉛筆だけを作れとは申しません。ですが墨作りの片手間にでも試されてみては如何にございましょう。経営を多角化してみては?」

「左様にございますか……」

「そう遠くないうちに紙の値は大きく下がりましょう。さすれば紙に字を書き付ける機会も増えましょうや。鉛筆は大ヒット間違い無し。積極的な設備投資をお勧めします。して、空き家はどちらにございますかな?」

「は、はぁ……」




 大作の熱心な説得にも関わらず墨屋の食い付きはイマイチだった。

 だが、どうせ空いているのだからタダで使って良いとの許しが得られた。

 お園のビジネススマイルの効果も多分にあったのだろうか。

 現物を見るまで二人はそう思い込んでいた。


「これがその空き家ね」

「空き家って言うより廃墟って奴じゃね?」


 タダで貸すって聞いて一瞬でも喜んだのが馬鹿みたいだ。壁や天井の穴を塞ぐのにどれくらい板が要るんだろう。

 一番怖いのは修理した途端に出て行けって言われる可能性だな。まあ、そこまで悪人には見えなかったけど用心に越したことは無い。言質を取っといた方が良いだろう。


「とりあえず材木売のところで端切れみたいな使い物にならない板や柱を貰ってこよう。それで穴を塞ぐんだ」

「釘も要るわね。野鍛冶の親方にお願いしてみましょう」


 材木売や野鍛冶には既に信用を得ている。大作は大口取引の顧客であるという立場を最大限に利用した。それほど苦労すること無く必要な資材の入手に成功する。ただし持って帰るのは一苦労だった。


「今ごろになって気が付いたけど、こんな雑用は人を雇ってやらせれば良かったじゃね? ここと山ヶ野の連絡係なんかも欲しいな」

「青左衛門様や安楽様に声を掛けてみましょうよ。身寄りの無い子供なら安く雇えるかも知れないわよ」

「いやいや、そういう奴らは家族同然に優しくして信頼関係を作った方が得だぞ。藤吉郎の時と同じ要領だな。とりあえず片端から声を掛けてみよう」


 ボロ小屋に戻った大作は小屋の応急修理をする。お園は板の間を拭き掃除したり、外の雑草を抜く。

 日が暮れるころには何とか居住可能なレベルになったので作業を終了した。




 お園が小屋の(かまど)で作った夕飯は今晩も塩味のお粥だった。

 動物性タンパク質を早く何とかした方が良いな。大作は栄養失調が心配になる。

 ニワトリの卵とかどうだろう。無理だな。品種改良で白色レグホンみたいな一年に三百個も産むようなのが現れない限り効率が悪すぎる。

 当分は二十キロも西の海岸から魚の干物でも運んでくるしか無さそうだ。


「戦国時代にタイムスリップしたら何しようって散々考えてたけど、いざやってみると結構大変だな。もう一月半にもなるのにボロ小屋の修理で一日を潰すことになるなんて思ってもみなかったぞ」

「しょうが無いわよ。山ヶ野に来るだけで一月も掛かってるのよ。そのあとも大層歩いたし。火薬作りや金の製錬には十日も掛けていないわ」

「やはりネックは移動時間か。何とかしないと三年なんてあっと言う間だな」


 そうは言っても解決策は本拠地をこっちに移すくらいしか思いつかん。でも伊賀から忍びが来るのは一ヶ月は先だぞ。


「メイとほのかに金山を任せてお園とこっちに住むか。伊賀から忍びが来るまでなら二人も辛抱してくれるんじゃね?」

「あの二人に金山を任せられるかしら? まだ一匁の金も採れていないのよ」

「やっぱ無理か。せっかく立派な家と二人の寝室も手に入ったのにな。次は畳と布団が欲しいぞ」

「立派かしら? それはそうと明日は畳と蒲団を探すのね」


 い草が肥後で栽培されるようになったのは文亀三年(1503)ごろって書いてある。中世物価データベースを調べると十六世紀の畳の値段は京都で銭二百五十文から銭五百文らしい。地方のデータは見当たらない。そもそも簡単に入手できるんだろうか。

 布団に関しては、まだこの時代には存在すらしない。仕様を伝えて作って貰うしか無さそうだ。お園が言っている蒲団は(がま)の葉で編んだ丸い敷物なのだ。


「どっちも暫くは無理だな。どうせ夏の間は暑いから(むしろ)で我慢しよう。冬までには何とかするよ」

「寒い冬も一緒に寝ればきっと暖かいわよ。それより夏と言えば蚊帳(かや)が欲しいわね。蚊遣(かや)り火は煙たいから嫌いよ」


 大作は物価データベースを調べる。銭一貫文くらいするらしい。アマゾンなら千円くらいなのに凄く高価だぞ。やっぱりお園は百姓や庶民じゃ無いな。


「こんな田舎で手に入るのか? 津田様への手紙に書いておけば良かったな。失敗したぞ。そうだ、水たまりに油を撒くとボウフラが窒息死するらしいな。世界ふ○ぎ発見のパナマ運河の話で見たことある。田んぼに鯨油を撒いて害虫退治するだろう」

「油を撒くなんて随分と勿体無い話ね。そんな話は聞いたこと無いわ」

「本当だ。江戸時代後期って書いてある。今の話は聞かなかったことにしてくれ」


 明日は何をして時間を潰そうか。二人は夜遅くまで話をする。夜も更けたころ、板の間に銀マットやフットプリントを敷いて一緒にエマージェンシーシートに包まって眠りに就いた。




「大佐! こんなところにいたのね!」


 突然の大声に大作は叩き起こされた。まだ薄暗いぞ。いったい何時だと思ってるんだ。

 寝ぼけ眼を擦って声の主を見た大作は驚愕する。枕元で恐い顔をして仁王立ちしていたのは意外な人物だった。


「メイこそ、なんでこんなところにいるんだ?」

「方々探し回ったのよ! ほのかに入来院に行くって言ったんでしょ? 六日も帰って来なかったから大層憂いたわ! 工藤様のお屋敷には一昨日のお昼に顔を出したって聞いたから山ヶ野に戻ってみたけどやっぱり帰っていないし。昨日も青左衛門様に聞いて野鍛冶の孫二郎様を訪ねてみたり、材木売りを訪ねてみたり、山ヶ野に一度戻ってみたり……」


 メイがその場にへたり込むように膝を付く。その体を咄嗟に大作は抱え込んだ。やわらかな巨乳の感触に思わず頬が緩みそうになる。

 だが、お園が恐い顔をして睨んでいるのに気付く。ガラスで出来た仮面を被った人の白目かよ! 久々に見たぞ。急いで誤魔化さなきゃ。


「大丈夫かメイ。お園、手伝ってくれ。丸三日も寝ずに走り回ってたそうだ。そこに寝かせてやるんだ」


 丸三日とは言っていなかったが大作は勝手に話を盛った。その方がインパクトがありそうだ。案の定、お園がとっても心配そうな顔をしている。


「熱は無いようだな。疲れてるんだろう。静かに寝かせてやろう」

「そうね。すぐに朝餉の用意をするわ」


 メイとほのかが殺し合いしているという心配は杞憂に終わった。だが、ほのかが三日間も一人で留守番しているらしい。

 大作は新たな心配ごとに頭を抱えたくなった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ