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巻ノ七拾壱 千の歯になって の巻

 翌日の朝食も鰻のブツ切りだった。まさか昨晩の残り物じゃないだろうな? 大作は少し不安になる。

 この時代に冷蔵庫なんて無い。まだ涼しい季節とはいえ痛んでいないかとても心配だ。においを嗅いでみるが良く分からない。

 まあ、重治が食べてる物と同じみたいなので心配はいらんだろう。諦めて口に入れる。


 食事が終わりお膳が片づけられた。大作は居住まいを正して重治に恐る恐る声を掛ける。


「大和守様。拙僧はこれにてお暇させて頂きます。ところで、鉄砲開発プロジェクト…… 図りごと? 三日後に祁答院の若殿の守役を務める工藤弥十郎と申す者の屋敷にて評定が開かれます。東郷様からも鍛冶屋を何人か寄越して頂きとうございます」

「相分かった。余一郎、手配りいたせ」

「御意」


 こういう秘書みたいな手下は必要だな。早く藤吉郎を呼び寄せよう。大作は心の中の予定表に書き込む。期限は産金が軌道に乗るタイミングだ。

 ミッションコンプリート。山ヶ野まで四十キロを歩いて帰るのに十時間は掛かる。二人は挨拶もそこそこに鶴ヶ岡城を後にした。




 川口川にぶつかるまで南に進み、川に沿って東に向かう。しばらく進むと小舟が通り掛かった。二人は頼み込んで乗せてもらう。

 速度は歩くのと変わりないが楽が出来るのでとても助かる。余裕が出来たら自前の船と漕ぎ手を用意するのも悪くない。


 船は川をのんびりと遡る。虎居城まで三、四時間は手持ち無沙汰だ。

 大作は船頭に聞こえないよう小声でお園に話し掛けた。


「まあまあ面白い旅だったな。入来院や東郷に顔を覚えて貰えたのも大きい。月一くらいのペースで訪ねてみよう」

「水軍はともかく『むせん』なんて作れるのかしら?」

「ダメならダメで良いんだ。エジソンじゃ無いけど何処で躓いたのか正しく分析すればそれも貴重な情報だ。まあ、気長に様子見だな」


 大作の答えにお園は納得したようだ。軽くうなずいている。


「上手く行くかは微妙だけど祁答院で鉄砲、火炎瓶、投石器を作る。入来院では帆船、東郷では無線だ。技術指導の名目で足繁く通ってコア技術を吸い上げる。金山の莫大な資金で集めたマンパワーを使って先に物を完成させる。船や船員に関しては山の中じゃ無理だけど堺のコネがあれば何とかなるんじゃね?」

「揮発油はどうするの。大佐が行くの?」

「そんなはずは無いだろ。誰か使いっ走りで十分だ。また殿に紹介状を書いて貰おう。贈り物なんかもこっちで用意しなきゃならんな。予備計画として並行でエタノールを脱水縮合してジエチルエーテルを作ろう。そのためには硫酸も要るのか」


 戦国時代にはすでに焼酎が作られていたらしい。アルコールを蒸留する技術はあったってことだ。温度計も持ってきている。一キロリットル作るくらいならマンパワーさえ掛ければ可能だろう。

 問題はジエチルエーテルの沸点が摂氏三十五度くらいと非常に低いことだ。冬場に作って密閉容器で保管せねば。


 もしかして相良油田なんて無用の長物なのか? いやいや、戦国時代にタイムスリップしてあれを使わないなんて勿体無さすぎるだろ。百キロリットル単位にもなれば油田から採掘した方が絶対にコストパフォーマンスが良いはず。

 数万の敵や大都市を焼き払おうと思ったら油田は絶対に必要だ。でも、万一にも油田が敵の手に落ちて同じ手を食らったら最悪だな。やっぱ、緒戦では相良油田は封印した方が良いかも知れん。

 よし、油田は一旦保留にしよう。大作は心の中の予定表に書き込んだ。伊賀から忍びが来た時点で再検討だ。


「次の評定まで三日もあるから山ヶ野に戻るしか無いかな? 材木売や青左衛門に泊めてもらったりテント泊で乗り切る手もあるけど。でもメイとほのかが仲良くやってるか心配だな」

「ぱ~との人たちが『さぼって』ないかしら」


 山ヶ野を出る時に教えた言葉をお園が得意気な顔をしながら使う。


「連中も今日で七日目だな。仕事に慣れると手抜きを覚えたりするかも知れん。やっぱ戻って監督した方が良いな。見かけの処理量だけ増えても回収率が低いと意味が無い。当初に説明した作業手順が正しく行われているかチェックしよう」

「メイとほのかもきっと寂しがってるわよ。早く帰った方が良いわね」


 あいつらが寂しがってるところなんて想像し難いぞ。むしろ殺し合いしてるんじゃ無かろうか。大作は内心不安だったが口に出すのは止めておいた。




 太陽が真上に来る少し前に祁答院の本城、虎居城が見えて来た。二人は船頭に何度も礼を言って船を降りる。

 寄り道しなければ夕方には帰れる。逆に言えば二時間くらいは寄り道が可能だ。


 大作は弥十郎の屋敷を訪ねたが生憎と留守だった。考えてみると、普段あの人がどんな仕事をしているのかさっぱり分からん。

 応対に出た家人に入来院と東郷への訪問が上首尾に終わったことを伝えて頂くようお願いする。


「まだまだ時間があるな。時間潰しに青左衛門でも訪ねてみるか」

「そうね。忙しそうなら直ぐにお暇すれば迷惑は掛からないでしょうし」


 そこまで気を使う相手でも無いので大作は気軽に青左衛門の家に寄ってみる。

 死ぬほど忙しそうに働いている青左衛門を見て大作は声を掛けるのを迷った。

 だが、こちらに気付いた青左衛門が満面の笑みを浮かべたので大作は声を掛けることにする。


「お忙しいところ申し訳ございません青左衛門殿。入来院様と東郷様を訪ねた帰りにございます。ご両家とも心良く合力をお引き受け下されました。三日後の評定に人を寄越して頂けます」

「それは宜しゅうございました。鉄砲作りにも弾みが付きましょう」


 時間潰しのつもりだったのに一瞬で用が済んでしまったぞ。焦った大作は何か他に用事が無かったかと頭をフル回転させる。

 そうだ! あれで行こう。


「ところで青左衛門青殿は足踏み式脱穀機をご存じでしょうか?」

「あしぶみしきだっこくき?」


 知ってたらびっくりだよと大作は内心で呟く。あれは明治に発明されて大正に普及するんだ。

 大作はスマホに画像を表示させる。


「簡単な絡繰りにて千歯扱きより遥かに脱穀作業の効率を上げることが叶います。大方の部分は木で出来ておりますので材木売に作ってもらいましょう。青左衛門殿はこのV字型に曲げた鉄の棒を作って下されば良いのです。鉄砲作りの手隙の折で結構にございます」

「申し訳ござりません大佐殿。某には何が何やらさっぱり分かりませぬ」


 青左衛門が困った顔をしている。今ここで、もっと具体的に仕様を決めろってか? そこまで急ぐ話でも無いんだけど。

 とは言え、脱穀機一台に必要な金具は百本以上だ。早目に仕様を確定したいという気持ちは理解できる。


「では太さは二分で高さは四寸でお願いできますかな? 脱穀機を百台作ろうと思ったら一万本ほど入用になります」

「恐れながら大佐様、それは『のかじ』に頼まれた方が宜しいのではありませぬか?」


 のかじ? 何だそりゃ? 大作は内心でパニックになりながらも必死にポーカーフェイスを装う。


「これは失礼を致しました。生憎と『のかじ』を存じ上げません。宜しければご紹介頂けませんか?」

「いや、某も知り合いと言うほど親しい者はおりません。ですが道順くらいはお教えさせて頂きましょう」

「あ、ありがとうございます」


 やんわりと断られたのだろうか? 大作は真剣に悩む。これはボロを出す前に撤退した方が良さそうだ。

 とりあえず『のかじ』とやらへの道順を教えて貰った大作は礼を言って青左衛門の家を後にした。




 青左衛門の家が見えなくなった辺りでお園が口を開く。


「せんばこきって何?」


 千歯扱きを知らないとは、やはりお園は百姓娘じゃないらしい。大作はスマホに画像を表示する。


「稲穂から籾を外す作業を脱穀って言う。稲扱きとも言うな。俺のいた国ではコンバインって絡繰りが稲刈りと同時にやっちゃうんだけどな」

「稲扱きくらい知ってるわ。それで、これがせんばこきなの?」


 脱穀その物を知らないわけじゃ無さそうだ。


「鉄で出来た大きな櫛だな。これが発明されるまでは竹を箸みたいにした扱箸(こきはし)を使ってたらしいぞ。一日に男で十二束、女で九束ほど扱いたそうだ。穂稲十二束が玄米六斗とすると一石を脱穀するのに二日掛かるな。四万石の脱穀に八万人日も掛かる計算だ。ところが千歯扱きを使えば一時間で四十五把、八時間労働として三百六十把も脱穀できたそうだ」

「十把が一束だから三十六束よね。三倍にしかなってないわ。大したこと無いわね」

「いやいや、これが足踏脱穀機になると一時間で二百五十把から三百把にもなる。一日に二百束から二百四十束だから二十倍の効率アップだぞ。八万人日が四千人日になる計算だ。足踏み式脱穀機をタダで提供する代わりに浮いた七万六千人日=約二千五百人月のマンパワーを金山に投入するわけだ」

「そんなに上手く行くのかしら」


 お園は思いっきり疑わし気な顔をしている。教えて貰った道を進むと掘っ立て小屋が建っていた。


「のかじって野鍛冶のことだったのかよ!」

「何だと思ってたの?」


 お園が呆れた顔をしている。そんなの知るわけないだろ! 大作は心の中で絶叫したが顔には出さない。


「頼もう。拙僧は大佐と申します」

「へい、儂は孫二郎にございます。これはこれは、お坊様と巫女さんとは妙な取り合わせにございますな。どのような御用にございますか?」


 親方らしき年配の野鍛冶が愛想よく返事をする。奥では弟子らしい若い男が道具のメンテナンス作業をしているようだ。

 大作はスマホに画像を表示させて野鍛冶に見せる。


「秋までに足踏み式脱穀機を百台ほど作りたいのです。太さ二分ほどの針金を高さ四寸ほどのV字型にした物を一万個ほど作って頂きたい」

「あしぶみしきだっこくき? ぶいじがた?」


 こいつにも千歯扱きから説明しなきゃならんのかよ。大作は心の中で毒づく。


「元禄年間に発明された千歯扱きを改良して脱穀作業を画期的に効率化しようと考えておるのです」


 あれ? 元禄年間? それって百五十年も先じゃね? しまった~! またやってしまったぞ。まあ、そんなのはどうでも良いか。


「高さ四寸のV字型だと全長は九寸くらいでしょうか。直径二分だと重さは……」


 大作はスマホの電卓で計算する。六十グラム、十六匁くらいだ。脱穀機一台に百本として鉄が六キロ必要だ。百台作ると六百キロにもなる。

 鉄四貫目が銭一貫文で仮定すると銭四十貫文。いや、費用は何とでもなる。それより鉄砲製造に必要な鉄を大量に取られるのは痛いな。


「鉄が百六十貫目ほど入用にございますな。いかほどにてお引き受け頂けましょうや?」

「三月で一万ですと? 他の仕事もございますれば儂らだけではとても無理にございます」

「五千個ならいかがでしょうか? これは百姓の生活改善に関わる重要な絡繰にございます。なにとぞお力をお貸し下さいませ」


 大作は深々と頭を下げる。お園もシンクロする。長い沈黙に堪えかねた野鍛冶が口を開く。


「分かりました。儂らの仕事も百姓あってのもの。お手伝いさせて頂きます。一つ当たり銭五文で宜しいか?」


 さっきの概算だと原料費だけで四文くらいじゃね? 俺の見積もりが高過ぎたんだろうか。まあ、ぼったくりでは無さそうだ。

 大作は残り少なくなった銀塊を差し出す。


「宜しくお願い致します。これは手付金にございます。お納め下され。ところで、残り五千個を作って頂けるような野鍛冶をご紹介頂けませんでしょうか?」


 野鍛冶の親方は内心どう思っているのか表情が読めない。だが、快くいくつかの野鍛冶を紹介してくれた。




「思ったより時間を取られたわね。今日中に山ヶ野に戻るのは無理かも知れないわよ」

「その時は久々のテント泊だな。いや、ダメ元で材木売のところに行ってみるか」

「私はてんとの方が良いわ。次に二人っきりになれるのは何時のことか分からないんだもの」


 そんな話をしながら孫二郎に紹介してもらった野鍛冶を訪ねて金具の製造を頼み込む。

 孫二郎が一個当たり銭五文で五千個を引き受けてくれた話を最初にしたせいなのか、同一条件で引き受けて貰えた。

 大作は本当に残り少なくなった銀塊を差し出した。




「後は木で出来た本体部分だな。材木売は板を売ってるだけで加工は専門外だから大工でも訪ねた方が良いのかな?」

「轆轤とか滑車とか機織り機みたいな木で出来た絡繰りを作ってる職人を探せば良いんじゃないかしら」

「それって具体的には誰だ?」


 お園が首を傾げる。青左衛門のところにもう一回行ったら嫌な顔をされるだろうか。

 木に関しては材木売の方が専門だろう。材木売を訪ねると思った通り忙しそうにしている。だが、妙に愛想良く轆轤師とか言う職人を紹介してくれた。


 何でこんなに行き当たりばったりに行動してるんだろう。大作の熱意が急激に冷めてくる。物凄く面倒臭いぞ。早く帰りたいな。

 そうは言っても既に金具を発注してしまった。今さら後には退けない。尽き果てようとしている気力を振り絞って轆轤師を訪ねる。


 材木売の紹介であることを告げると轆轤師も愛想良く話を聞いてくれた。この辺りで大作の集中力の限界が切れた。

 見かねたお園がタカラ○ミーの『せん○い』に絵を描いて足踏み式脱穀機の説明をする。


 もうどうでも良いや。どうせ俺は注意欠陥・多動性障害だよ。退屈な物は退屈なんだからしょうがない。

 大作は天下統一が完成した後の世界征服計画を想像して時間を潰す。

 一時間ほどでお園と轆轤師の話が終わった。大作はここぞとばかりに口を開く。


「一台当たり銭一貫文。簡単に分解して馬で運べること。故障しても簡単に修理できるよう単純な構造を心がけて下され」


 大作は途中の話を全然聞いていなかった。その癖、最後の最後にさも重要そうな顔をして話を締めくくった。




「もうくたびれ果てたぞ。河原にテント張って夕飯にしよう」

「もう、大佐ったら。途中から全部私にまかせて何にもしてなかったじゃない」


 悔しいが本当のことなので何も言い返せない。早く藤吉郎を呼んで有能な秘書として働いて貰おう。

 どこまで行っても他力本願な大作であった。


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