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巻ノ六拾九 通信の秘密 の巻

 朝食のメニューは昨日と同じだった。だが、大作もお園も全く期待していなかったので驚かない。

 きっと一月後に来ても同じメニューなんだろう。こいつはたぶん食物新奇性恐怖とかピッキーイーターって奴だな。

 水軍や投石器とか新しい物には興味津々だったのにどうして食べ物だけは保守的なんだろう。まあ、どうでも良いか。大作は考えるのを止めた。

 重朝が上機嫌で口を開く。


「大佐殿、今日は……」

「岩見守様、二晩も泊めて頂き有難うございました。拙僧どもは東郷様のところにも行かねばなりませぬのでこれにてお暇させて頂きます」


 大作は失礼を承知で重朝の言葉を遮った。これ以上のロスタイムは致命的な結果を招きかねない。

 山ヶ野に戻ったらメイとほのかが殺し合いしてたなんて展開は真っ平御免なのだ。


「そうであったか。いろいろと引き留めて済まなんだな」

「それはそうと、拙僧が入来院に罷り越した本来の用件でございますが、鍛冶屋を何人か寄越して頂けませんでしょうか? 祁答院の若殿の守役を務める工藤弥十郎と申す者がおります。この者の屋敷にて四日後に行われる評定にご出席をお願いしたい」


 大作はこの期に及んでようやく本来の目的を紛れ込ませる。


「左様か。千手丸、手配りいたせ」

「御意」


 ミッションコンプリート。過去最大の試練だったが何とか無事にクリア出来たようだ。

 重朝が名残惜しそうな顔をしている。何か知らんけど随分と気に入られたもんだ。


「折に触れて顔をみせるが良い。いつでももてなすぞ」


 鯰料理しか出ないけどな。大作は心の中で付け加えた。




 大作とお園は重朝と千手丸に挨拶すると入来院を後にした。来た時に通った道を逆に戻るだけなので迷う心配は無い。


「東郷様ってどんな方なの?」

「知らん! 十五代の東郷重治(とうごうしげはる)大和守ってのは例によって生没年不詳だ。天文八年(1539)に水引城を攻めたらしいから子供ってことは無さそうだな。そんで永禄十一年(1568)に養子の東郷重尚(しげなお)って奴が十六代目になってる。ってことは老人でも無いな。日置流印西派弓術の初代師範に東郷重尚(しげひさ)ってのがいるからややこしいぞ。ちなみにロシアのバルチック艦隊を撃滅した連合艦隊司令長官の東郷平八郎は渋谷東郷氏の末裔なんだ」

「工藤様にお話しを聞いておけば良かったわね」


 大作は力なく頷くしか無い。こんな状態でどんな話をすれば良いんだろう。

 まあ、今さら考えても手遅れだ。大作は考えるのを止めた。


「脳科学者の茂木健(いち)郎も言ってたぞ。どうなるか分からないから人生は面白いんだ」


 お園の呆れ果てたようなため息を大作は聞き流した。




 二時間ほどで山崎城が見えて来た。手前で左の道に逸れて川内川に向かい、川沿いの道を下る。

 暫く歩くと川上から小さな船が下って来た。大作は図々しくも乗せてくれと声を掛ける。お園のビジネススマイルの効果もあってか二つ返事で乗せてもらえた。

 船に乗るのは二十日ぶりくらいだろうか?

 いやいやいや、昨日乗ったじゃないか。盛大に転覆したので記憶から消し去っていたぞ。


 軽やかに()を漕ぐ若い船頭をぼんやりと眺めながら大作は考える。

 (かい)は単純に水を後ろに掻くことで推進力を得ている。それに比べて左右にブレードを振って揚力を発生させる艪は効率が良いって読んだことがあったっけ。

 帆の揚力を説明するのに凧やイカを引き合いに出さなくても良かったんだ。

 東郷で帆の説明することがあったら艪を引き合いにしようと大作は心の中のメモ帳に書き込んだ。




 曲がりくねった川を十キロほど下る。二時間くらいは掛かりそうだ。

 退屈なので歌でも歌おうかと大作は思う。


「海ゆ~かば~ 水漬くか~ば~ね~」

「大佐、ここは川よ。海じゃないわ」

「細かいこと言うなよ。二十キロも下れば海だぞ」


 太陽が真上に届く少し前に斧渕に着いた。大作とお園は船頭に深々と頭を下げて何度も礼を言う。


 川から少し北には例によって巨大な山城が建っていた。鶴ヶ岡城を中心に一キロ以内に五つの支城があるらしいが規模が大きすぎて全体像が分からない。

 とりあえず一番手前の山崎城に向かう。さっきの山崎城から十キロしか離れていないのに同じ名前の城なんて紛らわしい話だ。

 郵便物の誤配とか無いんだろうか。大作は他人事ながら心配になった。


 そこにいた門番に紹介状を見せると右にある道を進むように言われる。

 細くて険しい山道を登る。左に別の城を見ながら進むと右にも建物があった。

 ここにも門番がいたので話を聞くと二の丸らしい。さらに進むとまたもや別の城がある。

 もうわけが分からん。ギブアップだ。大作は門番に紹介状を見せた。


「拙僧は大佐と申します。祁答院の使いで大和守様にお目通りをお願いしたい」

「殿なら先程ここを通って本丸に行かれました。このままお進み下され」

「かたじけなし」


 タッチの差かよ。大作は心のなかで舌打ちした。とは言え、ゴールは近い。

 トータルで一キロくらい進んだころにようやく本丸に辿り着いた。

 またもや門番に紹介状を見せる。そのまま真っ直ぐに進めとのことだ。


「ここは案内が付かないのか。お客様扱いじゃ無いのかな?」

「手が足りないんじゃないかしら」


 もしも客扱いしてもらえなかったら夕飯が出ないかも知れない。大作は物凄く不安になる。最悪の場合、城下で金を払ってでも美味しい物を食べさせてやろう。


 ようやく土壁と板葺き屋根の粗末な建物に辿り着く。もうたらい回しは勘弁してくれ。大作は心の底から念じながら紹介状を差し出す。

 幸いなことに東郷重治はここにいるとの話だ。そのまま部屋に案内された。

 思っていた通りの板の間で奥に畳が敷いてある。いっぺんで良いからあっち側に座ってみたいな。誰も見てない間にちょっとだけ座ってみようか。


「殿のおなり~!」


 大作が馬鹿げたことを考えていると唐突に大声が聞こえた。慌てて下座に平伏する。

 今回は何の話をしようかな。いい加減、ネタも尽きてきたぞ。


「大和守である。面を上げよ」

「ご尊顔を拝し奉り恐悦至極に存じまする。拙僧は大佐と申します」


 大作が思っていた通りに重治は子供でも老人でもなかった。三十代後半から四十代前半くらいだろうか。とは言え、中年男性の年齢なんて良く分からない。

 一言で評すると髭達磨ってとこだろうか。脱いだら全身毛むくじゃらかも知れない。鋭い目付きをしているが敵意は無さそうだ。こっちは祁答院の使者なんだから当たり前か。


「して、儂に何用じゃ?」

「既にお聞き及びと存じますが島津が鉄砲を作っておるそうな。これからの戦は鉄砲の数が物を言います。そこで此度、祁答院でも鉄砲を作ることと相成りました。是非とも東郷様にも合力をお願い致したく参上仕りました」

「祁答院にて鉄砲を作るじゃと。真か?」


 重治の目の色が変わった。手応えを感じた大作は一気に畳み掛ける。


「まだ始まって十日ほどにございますが一年後には大量生産の予定にございます。渋谷一族の(よしみ)で何卒ご協力をお願い致します。既に入来院様には合力をお引き受け頂いておりますぞ」

「東郷より先に入来院に行ったじゃと?」


 一瞬で部屋の空気が凍りつく。もしかして機嫌を損ねたのか。どうフォローしたら良いんだ。大作は必死に頭をフル回転させる。


「如何にも。拙僧は入来院様を先にお訪ねしました。されどもそれは東郷様が祁答院にとって大事だからにございます」


 大作はにっこり微笑むと重治の目を真っ直ぐに見据えて堂々と言い切った。

 重治は固い表情を崩すことなく視線で先を促す。


「大和守様はモンティ・ホール問題をご存じですか?」

「もんてぃほ~るもんだい?」


 首を傾げて不安げな顔になる重治を見て大作は内心でほくそ笑む。いつ見てもこの表情は堪えられん。


「ベイズの定理によると尤度(ゆうど)関数と事前確率の積は事後確率となります。例えばここに三つの椀が伏せてあるとします。どれか一つには金が入っており、それを当てれば貰えるのです。まず殿がどれか一つを選んだ後に拙僧は残り二つの椀のうち空の椀を開けます。さて、ここで選んだ椀を変えても良いとします。殿は変えた方が良いと思われますか?」

「変えても変えんでも同じじゃろう。二つに一つじゃ」


 素直な反応に大作は感謝する。まあ、ここであっさり正解を出されても困るのだが。


「恐れながら違いまする。始めに椀は三つありました。選んだ椀を変えなければ当たる確率は三分の一にございます。然らばいま一つの椀が当たりの確率は三分の二にございます」

「よう分からん。和尚は何を申したいのじゃ?」


 重治は狐につままれたような顔で情けない声を出す。こんな奴が殿で東郷は大丈夫なのか? 大作は他人事ながら心配になった。


「情報を得てから判断を下した方が得なのでございます。孫子曰く『彼を知り己を知れば百戦殆うからず』と申します。入来院様の動きを見た後にどうするべきか決められる。これは大きな利となりまする」


 大作は自信満々で言い切る。こういうのは強気で行くに限る。


「さ、左様であるか…… して、鉄砲を作ると申しておったが和尚はその術を存じておるのか?」

「無論にございます。種子島の八板金兵衛という鍛冶屋は見様見真似で半年で作ったそうな。まあ、鉄砲など所詮はその程度の物にございます。それより大和守様、戦にて最も大事なる物は何だと思われますか?」

「戦にて最も大事なる物か。和尚が先程申した『彼を知り己を知れば百戦殆うからず』ではないかの?」


 そう来たか。実は大作は答えを考えていなかった。って言うか、重治の答えを聞いてから違う答えを考えようと思っていたのだ。

 今日は何にしようかな。まあ、適当で良いか。『C4I! 君に決めた!』と大作は心の中で宣言する。


「それはC4Iシステム(Command Control Communication Computer Intelligence system)にございます」

「し~ふぉ~あいしすてむ?」


 重治が間の抜けた顔で鸚鵡返しする。ここからどうやって話を膨らまそう。自分から話を振っておいて何だけれど大作は頭を抱えたくなった。


「将の裁定を手伝い、戦評定・差配・指図するための手掛かりを供し、沙汰を配下の兵に下知する仕組みにございます。さらには隊を束ねて動かすためには相互運用性(Interoperability)や監視(Surveillance)と偵察(Reconnaissance)を加えてC4ISR。目標捕捉(Target Acquisition)を加えてC4ISTARと申します」

「……」


 重治の顔から表情が消える。無反応は辛いな。大作は人を驚かすのが大好きだがノーリアクションは大の苦手なのだ。


「将の下知を隅々まで行き渡らせるための手立てが大事との意にござります」


 すかさずお園がフォローを入れる。まあまあ上手い要約だなと大作は関心した。


「将が如何に優れた策を講じようと、兵に伝わらねば役に立ちませぬ。鐘、太鼓、銅鑼、法螺貝が聞こえるのはせいぜい十町。騒がしい戦場(いくさば)にては一町先ですら聞こえるかどうか。伝令は時が掛かります。狼煙は遠くまで見えますが細かいことが伝わりませぬ」

「和尚には良い策があるのか?」


 胡散臭そうな顔をしながらも重治は話に乗って来る。


「視力1.0の分解能は一分角に相当します。一里先の四尺の物を見分けられるとの意にございます。二間四方ほどの旗があれば多少は天気が悪くとも見えましょう」

「夜はどうするのじゃ?」


 とりあえず話に食い付いてくれた。興味を惹けたってことだろうか。


篝火(かがりび)を焚いて鏡に照返せば遠くまで見えましょう。火の前を覆ったり開いたりすれば合図できます」

「霧が出たらどうするのじゃ?」


 重治はなおも食い下がる。大作はサックスを取り出した。


「音を使います。鐘、太鼓、銅鑼の音は四方に広がりますが吹き物なら音を狙った向きに飛ばせます。人の息では無く、(ふいご)を使って鳴らせば大きな音が出せます。さらにパラボラと言って放物面を用意すれば音を狙った方向に集中したり、遠くの小さな音を拾うことが叶います。大風や大雨でも無ければ一里は届きましょう」

「ぱらぼら?」


 このままではパラボラを作れって言い出すな。直観した大作は素早く話題を変える。


「旗を振ったり吹き物を鳴らしても届くのは一里がせいぜい。たとえばここから加治木城まで九里ございます。途中に八つも中継ポイント…… なんだろ?」

逓伝(ていでん)かしら?」


 お園も微妙な疑問形になる。だが、意味は伝わったらしい。

 ちなみに望遠鏡の性能が良くなった明治時代の旗振り通信では三里半(十四キロ)から五里半(二十二キロ)間隔だったそうだ。


「山を越えて十里先までたちどころに合図を送ることは出来ませぬでしょうか? 手はいくつかございます」

「真か! それを早く言わぬか。して、どのような手じゃ?」

「昼なら彩煙弾、夜なら彩光弾を打ち上げます。色を付けた狼煙を三つか四つほど上げれば何十通りもの組み合わせとなりましょう」


 四十キロも離れて見えるんだろうか? 対馬市から五十キロ離れた韓国・釜山の花火が見えるって話だから見えるんだろう。


「煙に色を付けるとは驚かしき話じゃな」

「ですが天気が悪ければ見えませぬ。それに敵からも丸見えにございます。霧や大雨でも使えて、敵に知られぬにはどうすれば良いでしょうか?」


 重治は黙って目線で先を促した。大作は取って置きの芝居がかった口調を作る。


「電磁波を用いるのでございます」

「でんじは?」


 重治の期待と疑念の入り混じったような声音に大作はほくそ笑む。例によってお園は呆れ果てたような顔をしていた。


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