巻ノ六拾七 凧と烏賊 の巻
翌朝、目を覚ますと重朝の使いが現れて朝餉に陪席するようにと告げた。
もう二度と会うことも無いだろう。おふざけは昨日に散々やったので満足だ。
最後くらい真面目にやって評価を稼いでおこうと大作は意気込む。
羹には鯰が入っていた。味噌を付けて焼いた鯰の切り身も並んでいた。
魚は鯰しか無いのかよ! あるいは重朝は鯰が大好物なのか? まあ、朝食が済んだらお暇するんだからどうでも良いか。
油断していた大作は重朝の言葉に愕然とする。
「飯が済んだら船の話を聞かせて貰えるか。船大工を呼んでおるゆえ大佐殿から知恵を授けてやってくれ」
なんで水軍の話なんてしちゃったんだろう。大作は激しく後悔するが後の祭りだ。
とは言え、いずれは船を作らねばならない。海に面していない入来院じゃ作れない。
ここか東郷しか無いけど東郷がどんなところか分からん。保険を掛けておくに越したことは無い。大作は考えるのを止めた。
お膳が片付けられると入れ替わりに四人の男が入って来た。一人は年配の侍、残り三人は中年の職人のようだ。こいつらが船大工なのだろうか
重朝って四万石の殿様だよな。それにしてはやけにフットワークが軽い。
下々の人と普通に接している様子にも大作は感心させられた。
ルイ十六世は錠前作りが趣味だったそうだ。重朝もテクニカルなことに興味があるのかも知れない。
年配の侍がメンバーを紹介してくれたが大作は聞き流した。こんなモブキャラをいちいち覚えていられん。
「大佐殿は昨日、船の作りを改むると申しておったな。考えを聞かせて貰おうか」
殿はともかく船の専門家たちなら話に着いてこれるだろう。大作は精一杯の真面目な顔を作り、タカラ○ミーのせ○せいに絵を描く。
「殿には既に申し上げましたが帆を木綿で作ります。そしてバミューダ帆装という縦帆を張ります。船の後ろの方にもミズンマストという帆柱を立てます。船首にバウスプリットという長い棒を付けてメインマストから斜めにロープを引き、そこにジブという三角形の帆を張ります」
「縦に帆を張ると何か良いことがあるのでござりますか?」
船大工チームのリーダー格っぽい男が無表情で尋ねる。
船という物は結構高価な代物だ。それに多額の商品や人の命も乗せている。必然的に設計は保守的にならざるを得ない。
ロシアは四十年以上も昔に基本設計されたソユーズを使い続けている。それは技術的に枯れている方が信頼性が高いからだ。
正体不明の若い僧侶が聞いたこともない改善提案をしても素直に受け入れられるはずが無い。
とは言え、大作としては説明を続けるのみだ。
「風の吹く方に向かって斜めにジグザグに進むことが叶います。横帆でも出来ぬことはござりません。ですが、縦帆の方が遥かに容易うございます」
「じぐざぐ?」
zigzagって英語だっけ? たしか、zagはフランス語で歯だ。繰り返すと鋸の歯って意味だったような。大作はジャスチャーを交えながら説明する。
「蜿蜿長蛇? タッキングと言って右左右左と向きを変えるのでございます」
「何故ゆえに風に向かって船が進めるのじゃ? 道理が叶わぬぞ」
重朝が疑わし気な目をして話に割り込む。言葉だけで信じろと言う方が無理だろう。簡単な実験でもやるか?
盥に笹船を浮かべて息を吹き掛けるとか。いや、殿の目は実証試験を期待しているな。こうなったら優雅に舟遊びでもするか。
「実証試験機にて証明致しましょう。二人ばかり乗れるくらいの小舟を用意して頂けますか。一間ほどの丈夫な棒、板、縄、布。それと鋸や鐫や釘などもお願い致します。この辺りの池と言えば藺牟田池が宜しかろう」
「藺牟田と言えば祁答院の領内じゃな。相、分かった。千手丸、話を通せ。皆の者、支度を急げ」
千手丸が申し訳なさそうに大作へアイコンタクトを取る。大作も心の中で千手丸に頭を下げた。
あっと言う間に部屋から人気が無くなる。出遅れたら大変だ。大作はお園の手を取ると立ち上がった。
「殿は自由人だな。俺もあんな風に行き当たりばったりに生きてみたいよ」
「大佐くらい好き勝手な人はいないと思うわよ」
お園が心底から呆れたように言う。まあ、目が笑っているので怒っているわけでは無さそうだ。
「他者の自由を認めない者は、自分も自由を得る権利が無い。エイブラハム・リンカーンの名言だ。俺の好き勝手を許してくれるお園も中々の者だぞ」
「誉めたって何にも出ないわよ」
二人はひとしきり笑うと急いで重朝たちの後を追いかけた。
藺牟田池は屋敷から西北西に三キロほどだ。
川を渡った瞬間に大作は激しい後悔に襲われた。五百メートルほどは平地なのだが、その先に高い山が見える。
慌てて地図を確認すると標高四百メートル以上の山道を通るらしい。藺牟田池も標高三百メートルの高地だ。
今さら止めようとも言い出しがたい雰囲気だ。大作はせめてもの罪滅ぼしに船を運ばされている馬の横で荷物を支える。
馬に乗った重朝を先頭に細い山道をゾロゾロと集団が並んで歩く。
直線距離は三キロだが曲がりくねった山道を六キロほど歩くので二時間は掛かりそうだ。
例によって死ぬほど退屈だが重朝や家来衆までいるので歌うのも憚られる。
大作は退屈凌ぎに蘊蓄でも傾けて時間を潰すことにした。
「この辺り一帯は三、四十万年前は全部溶岩だったんだ。そんで真ん中が陥没して水が溜まったのが藺牟田池だ。藺草が採れるらしいな。絶滅危惧種のベッコウトンボが生息してるぞ。ラムサール条約湿地に登録されてるんだ」
「そんなことより大佐。これから作る船の話を聞きたいわ。どうやったら風に向かって船が進むの?」
お園が大きな瞳をキラキラさせている。殿や船大工も急に聞き耳を立てているのが大作にも分かった。
実物を見せた方が早いかと思ったけど、先に説明しておけば作るのも楽だろうか。
「凧はどうして揚がるか知っているか?」
「蛸ってあがるの?」
お園が不思議そうな顔をしている。凧って平安時代からあったんじゃなかったっけ?
大作は明治四十三年(1910)に『尋常小学読本唱歌』で発表された文部省唱歌『凧の歌』を歌う。
「たこたこあがれ 風よくうけて 雲まであがれ 天まであがれ」
全員が狐につままれたような顔をしている。大作は急に自信が無くなってきた。
凧がタコなのは関東方言で、昔はイカと呼ばれていたのだ。大作はそんなことを知るよしもない。
イカ揚げ禁止令が出たときに『これはタコだ』って屁理屈を言った奴がいたとのことだ。
「竹籤を四角に組んで紙を貼って糸で引っ張る奴だよ。正月の定番だろ。甲斐には無かったのか?」
「それは紙鳶のことではないのか?」
重朝が話に割って入った。タコじゃなくてイカ? 冗談のつもりか。笑った方が良いんだろうか。大作は真剣に悩む。
「紙鳶なら知ってるわ。大佐の国ではあれをタコって呼ぶのね」
マジかよ。俺の方が少数派、って言うか俺だけかよ。大作は少し悲しくなった。
まあ、そんなことはどうでも良いか。今は揚力の説明だ。
「例えば扇を傾けて持って素早く横に動かすと上向きの力が働くだろう?」
「そんなことやったこと無いから分からないわ」
そりゃそうだ。我ながらアホなことを聞いたと大作は反省する。
「どなたか扇をお持ちにござりませんかな?」
「傾けて横に動かすのじゃな」
重朝が懐から扇を取り出すやいなや馬の上で素早く振り回す。
白い扇に丸に十字の家紋が入っているようだ。十字のそれぞれの先端が二つに別れて丸まっている。
「真じゃ。上に行こうとするぞ」
「作用反作用の法則なの?」
お園が首を傾げている。相変わらず鋭いなと大作は感心した。
「流体の流れを物体が変更したことによる反作用という解釈は正しいな。同時に扇の上面では流速が早くなって気圧が低くなる。コアンダ効果とかベルヌーイの定理とかいろいろあるんだけど、その話は置いとこう。ともかく風を受けると斜め向きに揚力と言う力が起こるんだ」
お園が軽く頷く。重朝も実験で納得したのだろうか目線で先を促している。
「帆の向きを加減してやれば風に斜めに向かった船に対し、斜め後ろ向きの力を起こすことが出来ます」
「それだと船は斜め後ろに進むわね」
お園が間髪を入れずに相槌を打った。既にお園は正解を理解したんじゃないかと大作は思う。
「風に対しては斜め後ろだけれど船の舳先を斜め前に向ければ船から見れば斜め前に力が働く。船は前後には容易く進むけど左右には動きにくい。だから前向きの力が勝つんだ。風に向かって斜めに進める。大事なのは風と帆と船の向きだな」
重朝は池に着くまで扇を振り回しながら何事か真剣に考えている様子だった。
ようやく藺牟田池に辿り着いた。時刻は十時を過ぎている。暗くなる前に帰ろうと思ったら使える時間は六時間ほどだ。
大作はタカラ○ミーのせ○せいにセーリング・ディンギーの絵を描いた。
マスト一本に三角帆を揚げるキャット・リグという小さなヨットにしておこう。
船大工たちは大作の描いた適当な絵からやりたいことを読み取ってくれた。
船の前の方に穴を開けた板を渡してマストを立てる。マストの下にブームを取り付けて三角に帆を張る。
フィンキールが無いので横に流されるのを防ぐため船の左右に縦方向に板を固定する。見た目はかなりアレだが無いよりはマシだろう。
実作業は船大工が行うので大作は簡単な指示を出すだけで良かった。
待っている間に大作は船の名前を考える。立派な名前にしなければ。なんせZ艦隊の栄光の歴史はこの船から始まるのだ。
宮○駿作品で船と言えば名探偵じゃ無い方のコナンに出てきたバラクーダ号だろうか。母を訪ねて三千里も旅しちゃう少年に出てきたフォルゴーレ号も捨てがたい。タイガーモス号とか飛行船・自由の冒険号なんてのもいたな。ゴリアテとかギガントも悪くない。
いっぱいあり過ぎて迷うぞ。あえて宮○駿作品は外すか。
バウンティ号なんてどうだろう。反乱が起こりそうで格好良いぞ。
大作が妄想世界に逃避しているうちに船が完成した。小一時間といったところだろうか。
大作は船大工たちの手際の良さに舌を巻いた。こいつらならZ艦隊再建計画を任せても良さそうだ。
だが、そのためにはこの実験を成功させて信頼を得なければ。大作は気合いを入れる。
「ぽ~ん。みなさまのなかで船に乗ってみたい方はいらっしゃいませんか?」
「儂じゃ! 儂が乗るぞ!」
重朝が我先にと名乗り出るが全員がそれを黙殺した。って言うか他に乗りたい奴はいないのかよ! 大作は頭を抱えたくなった。
池の水深はそれほど深くは見えない。だが、背が立つほど浅いとも思えない。お園を危険に曝すのは避けたい。
重朝を無視しておきながら千手丸を乗せたら二人の人間関係が悪化しそうだ。
でも一人じゃ厳しいぞ。険しい顔をして考え込む大作に重朝が声を掛ける。
「どうせ安全性とやらを確かめんと儂は乗れんのじゃろう。千手丸、手伝うて参れ」
「御意」
なんだよおっさん。意外と聞き分けが良いじゃないか。大作は重朝を少しだけ見直した。
それにしても、まさか本当に船を操る羽目になるとは。実を言うと大作はヨットに乗るなんて初めてだった。
一時期、大航海時代を舞台にしたゲームに嵌まってたことがある。その時にネットで帆船に関して散々に読み漁った。それが大作の帆船に関する知識の全てだ。
大作は濡れては困る物を全てお園に預ける。念のために空のペットボトルを紐で手首に繋いで懐に忍ばせるのも忘れない。
大作は千手丸の目を見て声を掛ける。
「丁度良い具合に向かい風が吹いておりますな。艪を操って船を風に向かって四十五度、じゃ無かった、半分ほど斜めに向けて下さいませ」
「お任せ下され」
本当に大丈夫だろうか。こんな山の中に住んでる奴だから船なんて初めてだろうに。まあ、お園に頼むよりはなんぼかマシだ。大作は考えるのを止めた。
千手丸が艪を漕ぐと船が岸からゆっくりと離れる。風を受けた帆が風下に向いた。大作はブームに繋いだ縄を引っ張って浅い角度で風を受けるように調節する。
船が風下側に大きく傾く。youtubeとかで良く見る映像だ。大作は縄を掴んだまま反対側に体を乗り出す。そろりそろりと船が進み出す。
「風に向かって進んでおるぞ! あっぱれじゃ、大佐殿」
「気を抜かないで、大佐!」
だが、そんな声は大作の耳には届いていない。船を操ることで一杯一杯なのだ。
って言うか、手が滑ったら船から落ちるんじゃね? 命綱を付けた方がよかったんだろうか。いやいや、そんなことしたら船がひっくり返ったらお陀仏だぞ。
せめてライフジャケットがあれば良かったのに。この時代の素材で何か作れないんだろうか。
生きて帰れたら絶対に作ろう。大作は心の中のto do list、じゃ無かった、予定表に書き込む。期限は一ヶ月以内だ。
それより今は生き延びることに集中だ。船の速度は歩くより早いくらいだろうか。既に岸から五十メートルは離れてしまった。もし転覆したら死ぬかも知れない。
安全策を取るなら現状維持で向こう岸まで行くのがベストな選択だ。
けれど、それでは実証試験の意味が半減してしまう。危険を承知でタッキングに挑戦するしか無いだろう。
「千手丸殿! 合図したら船の向きを変えて下され。風に対して今と正反対でございます」
「承知しました!」
良い返事だが本当に分かってるんだろうか。陸の上でもうちょっと真面目にブリーフィングをやれば良かったと後悔するが後の祭りだ。
「三、二、一、ゼロ!」
大作は素早く帆を動かしながら船の反対側へ移動した。
「ぜろ?」
千手丸が素っ頓狂な声を上げる。まさかの反乱か? 大作が呆気に取られた瞬間、船が凄い勢いで引っ繰り返った。
バウンティ号の初航海は出港から一分で終わった。




