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巻ノ六拾六 サックス吹きの休日 の巻

 気が付くと例の真っ白い部屋だった。大作にだって学習能力はある。萌との面会イベント発生だな。どうせ後ろから急に声が掛かるんだろう。

 せいぜい派手なリアクションで驚いてやるか。とりあえず後ろを振り返らずに萌を探す振りだ。


「もえ~! もえ~!」


 返事が無い。さあ、後ろから声を掛けろ。何してんだよ、早くしろよ。こっちから振り向いても良いのかよ。


「もえ~! もえ~!」


 やっぱり返事が無い。もう付き合ってられん。大作が振り返ると床に膝を抱えて座っている萌がいた。額を膝に押し付けるように俯いている。何だこいつ?


「どした? 腹でも痛いのか?」

「……」


 こいつ本物か? こんな萌は見たこと無いぞ。とは言え『お前本物か?』なんて聞きにくいな。大作は精一杯の優しい声を掛ける。


「何かあったのか? 黙ってちゃ分かんないぞ」

「油田開発に集めた資金を持ち逃げされた。無一文どころか借金作っちゃったわ。どうすりゃ良いのよ」


 前に萌と会ったのって菱刈金山に着いた時だから二週間前だっけ。俺がまだ一グラムの金も採れていないのに凄いペースだなと大作は感心する。いや、すっかり忘れてたけど俺も堺で金を借りたんだっけ。


「ドンマイドンマイ。俺なんて何回失敗したか分からんぞ。諦めて日本大使館にでも駆け込んだらどうだ。退く勇気も必要だぞ」

「ドイツなんて大嫌い! ケチで貧乏で偉そうで嘘つきで。こいつらに原爆作ってやるなんて真っ平だわ。私も戦国時代に行きたい~~~!」


 普段は勝気な萌が駄々っ子みたいになっている。これは不味い状況だな。真面目に相手してやった方が良さそうだ。


「俺に言われてもな。宇宙人か未来人に企画書を書いてみたらどうだ。それが面白いと認めてもらえれば何とかなるんじゃね?」

「何よそれ。説明しなさいよ」


 急に萌の表情が期待でぱっと明るくなる。そんなに喜ばれても困るんだけど。大作はちょっと申し訳ない気がした。


「いや、俺の想像に過ぎないんだけどな。この状況は自然現象だとは思えないだろ。きっと魔法と区別が付かないような高度に発達した科学による物だ。そいつらが娯楽として俺たちの行動を観察してるに違いない」

「なんだ、あんたの想像か。とは言え、一理あるわね」


 萌は一瞬だけ考え込む。そして、空を見上げるとにっこり微笑んで爽やかな美少女を気取った。


「聞いて下さい。私は戦国時代が大好きな歴女です。大作なんかより私の方がよっぽど世界を乱し、面白くすることが出来ます。私にそれを証明する機会を与えて下さい。お願いします」

「ちょっと待ってくれよ。俺の立場はどうなるんだよ。お園をほったらかしには出来んだろう」


 その瞬間、目の前の風景が一変した。




 大作の眼前には立派な石畳が広がっていた。広い通りの両側には石造りの五階建てくらいの建物が並んでいる。看板に書かれている文字は分かるのだが単語の意味が分からない。

 ドイツ語かフランス語だろうか? 人々のファッションから大作はここが二十世紀初頭だと見当を付けた。

 もしかして1920年のミュンヘンだろうか。萌とトレードされたってこと? ここで原爆を作れってか?

 道行く人々が遠巻きに訝し気な視線を送って来る。大作は自分が遊行僧の装束を纏っていることを思い出した。目立ちすぎるだろ!


「お前は何者だ? ここで何をしている?」


 大作が振り返ると警官らしい男が恐い顔をして睨んでいた。

 宇宙人か未来人の言語変換サービスはドイツ語にも対応しているらしい。だが、この危機的状況を打開するにはあまり役に立ちそうもなかった。




 一時間後、大作はミュンヘンの日本総領事館にいた。警官も正直言って持て余したのだろう。大作が日本人だと主張すると迷わず領事館に直行した。

 勢いよく扉が開くと丸眼鏡を掛けた神経質そうな男が部屋に入って来る。


「お待たせしました生須賀さん。事務官の渡辺と申します」


 迷惑そうな表情を隠そうともしていない。まあ、愛想良くしろという方が無理な注文だろうか。


「お世話をお掛けして申し訳ありません。さっきまで九州にいたはずなんですが、気が付いたら急に周りの景色が変わっていたんです。わけが分かりません」


 嘘は言っていない。三百七十年前から来たとか、その前は百年後だったとかは黙っておこう。聞かれていないんだから。


「信じ難い話ではありますが調べようがありませんな。運が良ければ日本に強制送還、最悪の場合はこちらの刑務所に入れられるかもしれません。まあ、領事館としてやれるだけのことはやります。それまでは領事館の敷地から出ないようお願いします」

「ご迷惑をお掛けします」


 大作は深々と頭を下げた。




 待っている間は暇なので大作は領事館内を探検することにした。領事館から出るな=領事館内ならどこへ行ってもOKってことだろう。大作は勝手な拡大解釈で適当に歩き回る。

 程なくして音楽室みたいな部屋を発見した。それほど広く無いが幾つか楽器が置いてある。鍵も掛けずに放置してあるんだから触っても良いんだろう。大作はまたもや勝手に解釈して手を出した。

 まずはヴァイオリンを手に取ってみる。もの凄く繊細そうな楽器だ。手荒に扱って壊れたら困る。大作は恐くなってそっと元の場所に戻した。

 フルートもある。でもこれは昔に吹いたことがあるのでスルーだ。鳴らすだけでも随分と苦労した記憶がある。


 その隣にはアルトサックスがあった。これこそ俺の求めていた近代的で合理的な楽器だ。とりあえず騒音を出すだけなら素人でもすぐに吹ける。

 実は大作は音楽の授業でサックスを吹かされたことがあった。なので騒音より少しはマシな演奏ができるはずだ。

 マウスピースを咥えようとした大作は躊躇する。これを吹いてたのはどんな奴なんだろう。脂ぎったおっさんだったら嫌だな。

 大作は僧衣の裾でマウスピースをしっかりと拭う。そして息を強く吹き込む。途轍もなく大きな音が部屋に響き渡った。


「私のサックスを勝手に吹いたのは誰!」


 廊下から女性の大声が聞こえる。やばい! 逃げなきゃ。でも入口は一つしか無いぞ。窓から逃げるにもここは三階だ。

 荒々しく扉を開けて入って来た女性を見て大作は目を見張った。その顔はお園と見分けが付かないほど似ている。

 マウスピースを拭かなくても良かったな。そう思った瞬間、唐突に視界が変わった。




 月が出ていないので辺りは真っ暗だった。僅かに残った夕焼けの明かりで何とか辺りが見える。目の前に投石器の残骸が見えた。


「戻ってこれた~!」


 大作は思わず安堵の声を上げる。ぐるりと周囲を見回すが誰の姿も無い。向こうでの時間経過が反映されているようだ。

 とりあえず屋敷に行ってみるしか無いだろう。完全に真っ暗になる前に急いだ方が良さそうだ。

 記憶を辿りながら屋敷の方向に向かうと前方が騒がしい。急に眩しい光に照らされて大作は目が眩んだ。


「無事だったのね、大佐!」


 LEDライトで足元を照らしながらお園が駆け寄って来る。何か面白いこと言ってボケなきゃ。大作は必死に頭をフル回転させるが何も思い付かない。


「戯れなら要らないわよ。大佐の頭は親方の拳骨より硬いんでしょ。急に消えちゃうからずいぶんと探したのよ。とっても心細かったわ」

「ごめんな。心配かけて」

「私こそごめんね。庇ってくれたんでしょ」


 お園が大作に勢い良く抱き着く。大作も優しく抱きしめ返す。ここで熱い口付けの一つでも交わせば丸く収まるか。大作はお園の頬に手を添えて唇を寄せる。


「ん…… んっんん!!」


 背後で大きな咳払いがしたので大作は我に返る。慌てて振り向くと重朝や千手丸を中心にギャラリーが半円を作っていた。

 重朝が心配そうに声を掛ける。


「大佐殿。頭の方は大事無いか?」

「ご心配をお掛けして申し訳ござりませぬ。殿にお試し頂かなくて幸いでした。やはり投石器は危険にござりますな」


 大作は無茶な理屈で投石器をDISった。今頃になって鉄砲プロジェクトの件が心配になって来たのだ。


「歩くのに障りは無いようじゃな? まずは屋敷に戻ろう。夕餉を取りなが話をしようぞ」


 そう言えば夕飯がまだだっけ。大作は物凄く腹が減っていたことに気付いた。




「あの女が萌だったのね。とっても綺麗だけどちょっと怖かったわ」


 お園が興奮気味に話す。やはり大作と入れ替わりで萌がこちらに来ていたらしい。


「はじめは殿と楽しそうに語らっていたのよ。でも、何かの拍子に言い争いになったの。殿がお怒りになられて刀を振り回したら萌が手で受け止めたわ。それで天井に向かって何か言ったかと思ったら急に姿が消えてしまったの。あれが神隠しなのかしら」

「あの女子(おなご)、儂の刀を素手で受け止めて奪い取りおったぞ。まるで剣豪のようじゃった」


 重朝も呆れるのを通り越して感心しているらしい。まあ、誰も怪我しなかったのが不幸中の幸いだ。

 それにしても萌に振り回されただけなのか。まったく何の意味も無いイベントだったな。大作は激しい脱力感に襲われた。


「大佐、手に持ってる物は何なの?」


 これってアルトサックス? 持って来ちゃったのかよ! テルマエ○マエじゃあるまいし。

 夢だけど! 夢じゃ無かった! ってことなのか?

 って言うか、二十世紀から物を持って帰れたんならもっとマシな物があったのに。大作は激しく後悔するが後の祭りだ。大作は考えるのを止めた。


「これはアルトサックスって吹き物(ふきもの)だぞ。夕餉の後に吹いてやるから楽しみにしとけ」


 ヴァイオリンやフルートを取らなかっただけマシだ。サックスなら最低限の演奏が可能だ。大作は胸を撫で下ろした。




 大作とお園が夕飯にただならぬ期待を抱いていたことは重朝や千手丸にも伝わっていたらしい。

 田舎料理ではあるがその内容は十分に豪華だった。山奥だから魚は無理だと思っていたが塩焼きにした(なまず)が出て来た。

 川魚は寄生虫が心配だ。しかし、十分に加熱調理してあるようなので大丈夫だろう。


「さっぱりとして癖も臭みも無い、それでいてコクのある上品な味ね。長靴一杯食べたいわ」

「ながぐつ?」


 お園のコメントに重朝が不思議そうな顔をしている。満足して貰えた様子なので大作は一安心した。




 食事の後、大作はチャーリー・パーカーのナウズ・ザ・タイムを吹いた。

 演奏レベルは初心者も良いところだ。幼稚園児の発表会みたいだと大作は自嘲する。

 ジャズファンが聴いたら耳を塞ぎたくなるような酷い演奏だろう。そもそも素人が気軽に手を出して良い曲では無かったのだ。

 だが幸いなことに、ここにジャズを理解している人間は一人もいない。

 全員が生まれて初めて聴く不思議な音色に耳を傾けていた。


「あるとさっくすと申したか。不思議な音色じゃな」

「銅に亜鉛という物を混ぜた物を真鍮と申します。それを薄く伸ばし、筒にして作りし吹き物にござります」


 重朝はサックスに興味津々みたいだ。大作はもう少し話をすることにした。


「殿は戦において最も大事なる物は何だと思われますか?」

「禅問答か? 兵の数、といった当たり前の答えでは無いのじゃろうな。孫子曰く『彼を知り己を知れば百戦殆うからず』と申すな。敵と己を知ることか?」


 重朝は真面目に考えてくれたようだ。そんな真剣な話じゃ無いんだけど。ふざけた答えを返そうとしている大作は少し申し訳ない気持ちになる。


「それも大事なることにございますな。ですが拙僧の考える答えは異なります。戦において最も大事なる物。それは処刑用BGMにございます」


 大作は精一杯のドヤ顔を作って宣言する。


「しょけいようび~じ~えむ?」


 重朝が鸚鵡返しする。


「これさえ流れれば勝利が確定するという曲にございます。もはや、戦ではなく処刑。一方的な虐殺と言えましょう」


 海上自衛隊のイージス艦が第二次大戦中にタイムスリップするジパ○グというアニメがある。

 この作品の戦闘シーンBGM『みらい』が大作の一押しだ。百二十七ミリ速射砲とシースパローで米海軍雷撃隊を一方的に殲滅するシーンが大好きなのだ。


 大作は精一杯の努力をしながらも素人丸だしの拙い演奏を披露する。

 例によってコード進行はそのままだが著作権に触れないギリギリの線を攻める。

 とても勇壮だが、どこか物悲しげな旋律だ。数年後、業火に包まれる加治木城を想像しながら処刑用BGMを奏でる大作であった。


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