巻ノ六拾伍 まず石をなげうて の巻
「すいぐんとやらを作るには如何程の銭を要するのじゃ?」
妄想世界に逃避していた大作は不意に掛けられた重朝の声で我に返る。すいぐん? 何の話だっけ。自分から振って置きながらすっかり忘れていた大作であった。
「木綿の帆に金が掛かりますが水密甲板や舵の改良はさほどコストアップの要因にはなりません。一隻当たり銭数百貫文にございましょう。海軍ドクトリンは千石(百五十トン)ほどの主力艦が八隻、中型の補助艦艇が八隻から編成される八八艦隊再建計画、通称『Z計画』を基本とします。戦術ドクトリンの上昇は実戦経験に比例するので弱い相手に戦を吹っ掛けて鍛えましょう」
なぜ再建計画なのかは大作にもさっぱり分からない。
どうせ本気じゃ無いんだろう。大作は口から出まかせの適当な答えを返す。
「木綿で帆を作るじゃと? 贅沢な話じゃな」
「筵より長持ちするのでランニングコストを考えれば割高とは言えません。それに性能が段違いにございます。今後、木綿の需要が急増するのは間違いございません。いっそ入来院にて綿花を育ててみてはいかがですか? それはともかく、船が揃えば練習航海を兼ねて荷を運ぶのも宜しゅうございましょう。船の建造費が回収できます」
「商人の真似をせよと申すのか?」
重朝の声に緊張感が含まれているのを大作は敏感に感じ取った。もしかして怒ってるのか? 何でも良いから誤魔化さなきゃ。
「物資輸送は水軍の重要な任務にございますぞ。『輜重輸卒が兵隊ならば、蝶々トンボも鳥のうち』などと申しますが、如何に勇猛な兵も飯を喰わねば動けませぬ。ロジスティクスを軽視した結果がガダルカナルの悲劇を招いたのです」
大作は精一杯の真面目な顔を作った。だが、重朝はさっぱり分からんって顔をしている。
もう良いや。こいつとは反りが合わん。さっさとお暇しよう。しかし、大作の目算はまたもや無残に打ち砕かれる。
「ここでは茶も出せん。屋敷で夕餉を取りながらゆっくりと話をしようぞ」
重朝は立ち上がると手で後に続くように促す。お暇は無理なようだ。まあ、タダ飯が食えるんなら我慢するか。ポジティブシンキングで行こう。大作は自分で自分を慰めた。
一同は連れ立って小屋を後にした。大作は重朝が足袋を履いていることに気が付く。黒っぽい布に細かい模様が入っているようだ。
祁答院の殿は足袋なんて履いてたっけ? 田舎の小大名と馬鹿にしてたけどやっぱ殿様は庶民とは違うんだ。大作は少しだけ入来院の評価を上方修正した。
細い坂道を三十メートルも登ったり降りたりを繰り返す。運動不足解消にはもってこいだけど、移動が不便すぎるな。下り坂だけでも滑って降りられたら便利なのに。それと、伝声管の実用化を急いだ方が良いな。コストは知れているが効果が高い。例によって大作はとりとめの無い考えごとに現実逃避していた。
「大佐殿がこの城を攻めるならどのように攻める? 鉄砲とやらで城は落とせるのか?」
唐突に重朝が声を掛けてきた。どう答えるのが正解だ? 揮発油は極秘事項だ。生物・化学兵器、インフラ破壊もNGだな。兵糧攻めなんて定番中の定番な答えじゃ阿呆だと思われる。適当に誤魔化そう。
「応仁の乱の折、発石木という絡繰りにて石を飛ばして敵陣を壊したそうにございますな。拙僧ならば大きな投石器を作って一時に何十の石礫を飛ばします。三町くらいは飛ばせましょう。これを昼も夜も休みなく続ければ如何なる兵とて根を上げましょう」
戦国時代の日本では攻城用の大型投石器が使用された記録は見当たらない。本当に無かったのかどうかは分からない。だが、ほとんど使われていなかったのは間違い無さそうだ。
理由はいろいろ考えられる。投石器の主目的は城壁の破壊だ。だが、戦国時代の山城には元々そんな物は存在しない。
攻城塔や破城槌が無かったのも同じ理由だろう。そもそも必要無かったのだ。
これが播磨攻めの頃になると平城も増えて攻城櫓などが使われたらしい。
それに投石器は大きくて重い。山道や川の多い日本では運搬が大変だ。高い山城には届かない。大きな石を運んで来るのも手間になる。
そして、ある意味最大の理由とも言えるのが小規模な国人領主の連合体という組織の抱える問題だ。数人、数十人の小規模集団が緩やかに結びついた組織では、ああいう大規模兵器の導入や運用に誰が責任を持つのか。手柄の分配でも揉めそうだ。
だが、大作は投石器を城壁破壊ではなく対人殺傷と心理効果を狙って運用することを考えていた。それならずっとコンパクトな物で十分だ。
風が強い所では銃より原始的な兵器、投石器なんかの方が遥かに有効な時もある。バスター・キートンみたいな人が教えてくれたような気もする。
「三町先からいつ石礫が飛んで来るか分からんとは恐ろしい話じゃな。おちおち寝てもおられん。じゃが、とうせききとやらは如何程の銭を要するのじゃ?」
重朝の質問が続く。こいつ、商人を馬鹿にしたようなことを言ってた割に金の話ばっかりだな。大作は内心で舌打ちしながらも顔色一つ変えない。タダ飯の分くらいは付き合ってやろう。
以前、YouTubeで見たトレビュシェットの動画を大作は思い出す。イギリスのウォリック城にある復元品だ。
約三百個の部品で構成され、高さ十八メートル、重さ二十二トンもある。五トンの重りを使って十五キロの石を三百メートルも飛ばせるらしい。
城壁破壊が目的じゃ無いので投射重量は下げても問題無いな。射程はそのままで五分の一くらいにスケールを落とすか。個々のパーツは人馬で運搬可能な重さにする。馬四十頭もあれば運搬可能だろう。重りは現地の土とか使えば良い。
「長くて丈夫な柱や板が千貫目ほど入用にございます。これらを用うれば梃や遠心力により人の力だけで石を飛ばせます。鉄砲と違うて火薬は要りませぬ」
「人の力のみにて石を三町飛ばすなど俄かには信じがた話じゃな。嘘偽りではあるまいな?」
何が信じがたいだ。トレビュシェットなんて四百年も前からあるんだぞ。大作は心の中で嘲り笑うが決して顔には出さない。
「よろしければ実証試験機を作ってご覧に入れましょう。十分の一スケールくらいなら容易く作れますぞ」
お園が恐い顔をして睨んでいる。考えてみれば本来の目的を完全に逸脱しているな。原理だけ教えて後は勝手に作ってもらおう。
大作はお園の耳元に口を寄せて小声で囁く。
「ごめんごめん。でも、捕まっちゃったんだから仕方ないだろ。明日の朝飯まで厄介になろう。きっと豪華な食事だぞ」
お園の表情が目に見えて和らぐ。やっぱこいつ食いしん坊キャラだな。大作は吹き出しそうになるのを必死に我慢した。
例の狭い切通しを通り抜けて城門を潜る。来る時にも見たが城の東には武家屋敷っぽい物が建ち並んでいた。
城から出て真正面にそれなりに立派な屋敷が建っている。他の屋敷には無い、まあまあ立派な茅葺の門があった。
どうやらあれが重朝の屋敷で間違い無さそうだ。歩き疲れていた大作は安堵の吐息を漏らした。
屋敷に入ると水の入った桶を持った男が出て来る。足を洗えということらしい。もしかして重朝って不潔恐怖症なのか? まあ、不潔な奴よりはナンボかマシだ。大作は気合を入れて足を洗った。
部屋に入ると一息つく間も無く重朝が声を掛ける。茶くらい出るんじゃなかったのかよ。
「必要な柱や板の大きさはどれくらいじゃ? すぐに集めさせよう」
「え~~~!」
今から作る気かよ! 完成しないと夕飯抜きってか? 大作は目の前が真っ暗になった。
何で投石器の話なんてしちゃったんだろう。激しく後悔するが後の祭りだ。お園の冷たい視線が痛い。
「柱になるような棒を二十本ばかり。それと丈夫な縄を百間ほどご用意下され。場所は河原が宜しかろう」
「聞いての通りじゃ。掛かれ!」
重朝が小姓に指示を出す。こりゃあ失敗したら夕飯抜きだな。大作は慌ててスマホでトレビュシェットの作り方を探す。
「とうせききって容易く作れる作れる物なの?」
お園が背中越しにスマホを覗き込みながら大作に声を掛ける。何だか不安そうな顔だ。そんなに夕飯が心配なのかよ。
「まかせろ。豪華な夕飯を期待しておけよ」
ネックになるのはトリガーだな。ホームセンターがあれば代用品なんていくらでも探せるんだが。
そうだ! バラストに人間の体重を使おう。縄で吊った板に飛び乗るんだ。トリガーは要らないしバラストを引っ張り上げる必要も無い。
後は石をリリースする仕掛けだ。単純な構造なんだけど設計図も無しにアドリブで作るのは難しい。棒の先っぽに木片でも釘で打ち付けて縄を引っ掛けよう。
今回は梃と遠心力で人力より遠くに石を飛ばせることを証明する実証試験機だ。実用化に向けた改良は後でのんびりやれば良い。
河原に行くと柱や縄が揃いつつあった。異常なくらい行動が早いな。トップダウンの素早い決断力って奴か?
もしかして鉄砲開発プロジェクトもここでやれば半年で何とかなったのだろうか。大作の脳裏に串木野金山が浮かぶ。
資材を運ぶ人足に指示を出していた少年が大作に声を掛けて来た。良く見たらさっきの小姓だ。
「某は有島千手丸と申します。大佐殿をお手伝いするよう殿に申し付かりました」
「これはこれは、お手数をお掛けして申し訳ありませぬ。拙僧が詰まらぬことを申したばかりに大変なお手間をお掛けいたします」
内心では『迷惑掛けられてるのはこっちだよ!』と思いながらも大作は思い切り下手に出た。このガキだけでも手懐けておこう。
「大佐様のせいでとんだ骨折りにございますね。妾からもお詫び申し上げます」
お園も大作の意図を察したらしい。千手丸と名乗った小姓の両手を優しく握り、取って置きのビジネススマイルを浮かべる。
「こちらこそお許し下され。ここだけの話にございますが、殿の我儘には皆ほとほと困り果てております」
千手丸がニヤリと笑いながら声を潜めて囁いた。やっぱあのおっさん、皆からウザいと思われてたんだ。大作は小姓に同情した。
「そんじゃあ、夕餉までにちゃっちゃと片付けちゃいましょう。こんなのを作ります。ただし、この重りのところは縄で板を吊るして人が飛び乗ります」
大作はお園と千手丸にスマホを見せる。ただの絵だと思われたのだろうか。千手丸はスマホにまったく関心を払わなかった。
まずは台座を井桁に組んで固定する。その上の左右に逆V字型の本体を組み付ける。適当に斜め方向に筋交いを入れる。発射の瞬間に崩壊して怪我するのは嫌だ。必要以上に頑丈に作っておこう。
軸受けのところはどうしよう。逆V字型の上を伸ばし、X字型の上に乗っけることにした。
本当なら軸受けの摩擦を減らすための工夫も必要だろう。だが、使えそうな物が一つも見当たらない。今日のところは諦めよう。
揺すったりぶら下がったりして強度に問題無いことを確認する。ギシギシ音がするが壊れる心配は無さそうだ。
長くて頑丈な棒を横棒の上に乗せて綱で縛り付ける。棒の短い側に綱で板をぶら下げた。
一時間も掛かって無いけど大丈夫か? 何か重大なことを忘れていないだろうか。大作は少し不安になる。
とりあえず石をセットせずに動作テストだ。大作は用意してもらった脚立に登って勢い良く板に飛び乗る。長い棒が風を切って立ち上がった。
問題無さそうだ。後は石のリリースタイミングの調整だけだ。たぶんこれが最大のネックになる。最悪、リリースに失敗したら、ぐるんと回って射手を直撃なんてことになりかねない。
大作は足半と呼ばれる爪先から土踏まずしか無い短い草履を流用した。これを石のホルダーにする。
長い棒に振り回された縄が頂点に達した辺りでリリースされるよう角度を調整した角材を釘で打ち付けた。
「できた~!」
「これで出来上がりなの? ずいぶんと容易いのね」
お園が半信半疑の表情で問いかける。鉄砲を作るのに一年掛かるのと比べたら凄い違いだ。
もしかして小型トレビュシェットを量産した方が良かったのか? いやいやいや、そんなはずは無い。大体こんな物、移動が不便すぎる。
とは言え、数百グラムの小型火炎瓶なら投射可能だな。一時間に二、三百発くらいは投射出来るぞ。意外と使えるかも知れん。
もう何でも良いや。とりあえず発射テストだ。重朝を納得させられれば夕飯にありつける。こんな物、大作にとっては夕飯代に過ぎないのだ。
大作は万一、石がリリースされずに振り回されても射手を直撃しないことを何度も確かめた。
足半に適当に拾った握り拳くらいの石をセットする。射線は川の上流に向かっている。念のために人がいないことを再度確認した。
「FDC、こちらFO、修正射撃要求、目標位置は座標123-456、標高50、観目方位角5600ミル、目標は河原」
「大佐、何を言ってるの?」
「雰囲気を出してるだけだよ。この方が気分が盛り上がるだろ」
お園はそれで納得したようだ。大作は脚立に登る。
「よ~い、撃て!」
掛け声と共に板に飛び乗ると凄い勢いで棒が旋回する。綱が大きく振り回されて頂点付近で石がリリースされた。
大作、お園、千手丸がぽか~んと口を開けて石を目で追う。
「だんちゃ~く…… いま!」
石が川に落ちる瞬間を狙って大作が大声を出す。どれくらい飛んだんだろう。川の中に落ちたから調べようが無いな。
まあ良いや。どう考えても手で投げるより遥かに遠くまで飛んだ。あとは重朝を呼んで来てもう一回やれば夕飯にありつける。
油断しきった大作は急に背後から声を掛けられて死ぬほど驚いた。
「見事なり大佐殿! 和尚は英雄じゃ! 大層な功じゃ!」
重朝が興奮気味にどっかの将軍みたいなことを言っている。
「儂にもやらせてくれ。その板に飛び乗れば良いのじゃな? 千手丸、早う石を仕掛けよ」
お前は子供かよ! 大作は心の中で突っ込む。それにまだテスト中だ。万一にも壊れて怪我されたら厄介だ。
「恐れながら岩見守様。この投石器は今だ安全性が確認されておりません。なにとぞ今しばらくご辛抱下さりませ」
「左様にござります。恐れながら、まずは某が殿に代わって試させて頂きます」
「大佐、私もやってみたいわ。女にも出来るの?」
重朝は自分もやってみたくて堪らないという顔をしている。だが、他の家来まで総出で止められてはどうすることも出来ない。
恨めしそうな視線を敢えて無視して三人は日が傾くまで無心に石を飛ばし続けた。
「日も傾いて来たし、そろそろ切り上げるか? 最後に一発、思い切りデカいのを吹っ飛ばそう」
大作はお園と千手丸を脚立の上に並ばせる。そして掛け声と同時に三人で一緒に板に飛び乗った。
それまでとは比べ物にならない物凄い勢いで棒が回る。石が目にも止まらない速さで飛んで行く。
だが、それと同時に不気味な音を発てて投石器が崩壊した。
生命の危機に直面すると時間が圧縮されるんだっけ。大作は眼前に迫る長い棒を他人事みたいに眺めていた。
いやいや、お園を庇わなきゃ。大作は体を捻って盾になろうとするがスローモーションみたいにゆっくりとしか動けない。
これってトラックの時と同じじゃね? もしかして、これで意識を失って目を覚ましたら病院で寝ていたっていう夢オチ?
お園とそっくりな女の子が隣のベッドにいるとかありがちだな。その場合、萌はどうしてるんだろう。
きっと反対側のベッドだな。大作は考えるのを止めた。
大作の眼前にゆっくりと棒が迫る。
人間の毛髪は頭部を物理的な衝撃から保護し、太陽光線や冷気を遮るためにあるらしい。
だが、今の大作にはそれが無い。こんな危険な作業をするんなら保護帽くらい被れば良かった。後悔するが後の祭りだ。
大作はヘルメットの製作を心の中のto do listに書き込んだ。
次の瞬間、大作の意識は唐突に途切れた。




