巻ノ伍拾九 コンドルは飛んで行く の巻
妄想世界に現実逃避していた大作はメイの鳴らす篠笛の音で現実に引き戻された。
五分と掛かっていないじゃ無いか。フルートを鳴らすのに凄い苦労をした大作はちょっと悔しくなる。
とは言え、それを顔に出すのはプライドが許さない。大作はにっこりほほ笑む。
「メイは器用だな。教え甲斐があるぞ」
「ありがとう大佐。何か吹いてみたいわ。教えてくれる?」
そりゃそうだ。音が鳴らせたら次は曲が吹きたくなるのは当たり前だ。何で予想して無かったんだろう。
笛で吹く名曲っていったらあれだな。大作はスマホで『コンドルは飛んで行く』を調べる。
ダニエル・アロミア・ロブレスが作曲したと主張しているらしいけど2003年5月23日をもって著作権は消滅している。
サイモン&ガーファンクルの詩は関係無いので大丈夫だ。
ケーナという縦笛で吹くのが普通だが篠笛で吹けるのか? かなり難しい曲みたいだぞ。なんせ音域が高い。三オクターブ目のソまで使うみたいだ。
篠笛も三オクターブ出るんだけど高音域は難しいのだ。
まあ良いか。俺が吹くんじゃ無いし。大作は最初の二小節を口笛で吹く。
「吹いてみ」
「え~~~!」
「冗談だよ」
大作は笛を受け取ると穴を全部押えて一番低い音を出す。そして端から一つずつ穴を開きながら音を出す。
穴を三つ開いた音の次は何だっけ? 一番端を押えてその手前三つを開くんだったかな?
どうでも良いか。そもそも西洋音階に調律されていないのでドレミに対応しているわけですらないんだ。
一オクターブ目と二オクターブ目はほぼ同じ運指で息の強さや角度で対応する。
三オクターブ目は運指が全く違う。さっぱり分からないけど勘と試行錯誤でそれっぽく吹く。
こりゃあ大変だ。やはり西洋音階に対応した楽器が必要だ。
離れた穴も一度に押さえられるキーやレバーが付いたサックスみたいな近代的なのが良いな。
余裕が出来たら作ろう。あれなら簡単に吹けそうだと大作は思った。
サックスにはキーが二十三も付いていること。そもそも六百もの部品で構成される超複雑な楽器だということには目を瞑る。
どうせ俺が作るんじゃ無い。どこまでも人任せな大作であった。
「まずはどの穴を押さえたらどんな音が出るか試して覚えるんだ。曲を吹くのはその後だな。退屈だけど基礎をちゃんとやらないとかえって面倒だ」
「分かったわ。ちゃんと吹けてるか聞いててね」
メイは音楽に天賦の才でもあったんだろうか。一時間もしないうちに出したい音が自由に出せるようになった。
だが、これで終わりでは無い。篠笛の場合は音を上げる場合は顎を出して、音を下げる場合は顎を引いて吹く必要がある。
あるいは、穴を軽く押さえるとか指を横にずらさないといけないのだ。
流石のメイもこれには苦労する。町に着くまで悪戦苦闘していたがマスターするには至らなかった。
「窯元はどこにあるんだっけ?」
「しっかりしてよ大佐。私はあなたのお母さんじゃないわよ」
メイが心底から楽しそうに笑う。
こいつどこでそんなセリフを覚えたんだ。もしかして俺の無茶振りに対応しようと一生懸命頑張ってくれてたんだろうか。大作はちょっと感動した。
それはそうと、ここはいったい何処なんだ。
近道になると思って適当に山道をショートカットしたのが仇になった。
大作は途方に暮れる。やっぱりほのかを連れてくるべきだったのか。
工藤様の屋敷まで行けば何とかなるんだろうか。最初に訪ねた陶器屋を探すのですら至難の技だ。
遠くに何本かの煙が見える。
「煙だ! そりゃあ、窯元なんだから煙くらい上がってるよな。ラピュタへの道が開けた、来い!!」
「何を言っているの? 大佐」
何本かの煙の中からそれっぽい方向の物を選んで進む。
昼前に大作たちは目的の窯元に無事たどり着いた。
運が良かったな。でも、こんなところで運を使ったのは勿体無かったかも。
とことん貧乏性な大作はやっぱりほのかを連れてくれば良かったと後悔する。
「頼もう! 大佐にございます。先日お願いした焼き物を受け取りに参りました」
「申し訳ございません、お坊様。焼き上がってはおりますがまだ熱うございます。日暮れまでお待ち下さいませ」
そんな気がしてたんだ。幸運はそんなには続かないよな。大作は覚悟してたのでショックは少なかった。
夕方に受け取っても仕方無いので明朝に再度訪問することにする。
「夕飯と朝飯やテントは持って来ているから安心しろ。青左衛門のところにでも行ってみようか。運が良ければ夕飯ぐらい奢って貰えるかも…… いやいや、こんなところで運を使ったら勿体無いぞ」
「運って使ったら減る物なの? 確率の話をした時に言ってたわよね。十回続けて表が出ても十一回目に表が出る確率は二分の一のままで変わらないんだって」
が~んだな。お園ならともかくメイに指摘されるとは屈辱の極みだ。
もう良いや。とりあえず青左衛門のところに行こう。大作は考えるのを止めた。
必死に笛を吹いて半音の練習をするメイと並んで町を歩く。
行き交う人々の好奇の視線が痛い。何だか知らんけど子供が行列を作って付いてくる。
ハーメルンの笛吹きかよ。って言うか、もしクラリネットだったらチンドン屋だな。
もうやけくそだ。大作は開き直ってチタン製クッカーを取り出して托鉢のように差し出す。
何だか知らないがみんな半笑いで食料を恵んでくれた。
青左衛門の鍛冶屋はすぐに見付かった。
アポ無し訪問なので大作は精一杯の下手に出る。
「近くで所用がありましたので、ご挨拶に寄らせて頂きました。お忙しいようでしたらすぐ失礼いたします」
「これはこれは大佐様。わざわざ足をお運び頂きありがとうございます。まだ評定から四日ですので何も出来ておりません。宜しければ是非ともお知恵をお借りしたいことがございます」
とりあえず門前払いを免れたので大作は安堵する。
あとは何とか夕飯まで粘れば追い返されないだろう。そのまま居座って泊めて貰おう。
そのためにはお知恵とやらを貸さなければ。大作は気合いを入れる。
青左衛門の相談事は完全に平らな台を作りたいとか、直角の精度を高めたいとかいった話だった。
先日の工作精度の重要性について正しく理解してくれていることに大作は感心する。
さすがは俺の見込んだ男だ。機嫌を良くした大作は分かることは即答し、分からないこともスマホで調べて何とか答えを出した。
メイは横に座って神妙な顔で聞いていた。こいつ話を理解しているんだろうか。まあ、メイは鉄砲製造には関係無いのでどうでも良いか。
大作は考えるのを止めた。
夕飯は質素な物だったがタダ飯に贅沢は言えない。大作は何度もお礼を言った後に正信偈を唱えた。
黍や麦なんかと芋を捏ねて餅団子みたいにして焼いたようだ。ちょっとでも腹持ちを良くしようと言う生活の知恵らしい。
味噌汁は大豆ではなく糠味噌らしい。得体の知れない野菜が浮かんでいた。
「不思議な味のする味噌汁にございますな。長靴一杯に仕る」
「いと美味しいと申されております」
不思議そうな顔をしている青左衛門にメイがすかさずフォローを入れた。
食事の後も鉄砲談義に花が咲いた。青左衛門が何ごとか思い出したような顔をする。
「先日見せて頂いた絵図面の鉄砲には筒に螺旋の溝が切ってございましたな。あれは如何なる工夫にございますか?」
そんなの見せたっけ? あんまり先走られるのは困るぞ。大作は焦る。
「そのような物がございましたかな? 思い違いにはござりませぬか?」
「いやいや、確かに目に致しましたぞ。某はその時に思いました。弓矢が羽で回りながら飛んで行くが如く、鉄砲玉も回りながら飛んで行けば遠くまで真っ直ぐに飛ぶのではございませぬか?」
「それは無理にございます。筒と玉には隙間がございます。隙間が無くば玉を込めること叶いませぬ」
大作は内心ではドキドキだが何とか必死にポーカーフェイスを作る。
だが、続く青左衛門の言葉に大作は失禁するかと思うほどの衝撃を受けた。
「玉を椎の実のように先を尖らせ、尻を傘のようにすれば上手く行きませぬでしょうか? 火薬に押されて尻が広がり、筒との隙間を埋めまする」
大作は焦る。調子に乗って写真をたくさん見せ過ぎたのが敗因か?
そう言えば.45APCとかNATO弾の写真もあったような気がする。でも、それだけで鉄砲を見て四日しか経ってない奴がミニエー弾を思い付くか?
一気に三百年も技術が進んでしまうぞ。
大作としても時期を見てプリチェット弾、後装式ライフル、薬莢式と段階的に開発するつもりではある。とは言え、これは明らかに急ぎすぎだ。
こんな単純なアイディアは実戦で使用すればあっと言う間に敵にコピーされるに決まってる。
戦国時代にライフリング加工は無理だって? そんなことは無い。銃身内を整えるのに錐でグリグリと加工してる絵を見たことある。
思い付いた奴が少なかっただけで技術自体はあったはずだ。八板金兵衛は数ヵ月で鉄砲をコピーした。ミニエー銃だって敵に知られれば数ヵ月でコピーされて一年後には日本中に広まってるはずだ。
これは絶対に不味い。最低でも九州統一くらいまでは極秘にせねば。
「青左衛門殿、申し訳ございませぬ」
大作は床板に額を擦り付けるようにして謝る。即座にメイもシンクロした。
顔を伏せたままでも青左衛門があたふたしているのが伝わって来る。
「い、如何なされました大佐様。お顔をお上げ下されませ」
「すいません、わたくし嘘をついておりました。椎の実型の弾丸はミニエー弾とかプリチェット弾と申します。拙僧は知っておりながら知らぬ振りをしておりました。何卒お許し下さいませ」
大作は土下座を崩さない。気分は明石家さ○まだ。
「そのようなことを気になされておいででしたか。大佐殿の持つお知恵は某などには遠く理解の及ばぬことは疾うに存じておりました。後生ですからお顔をお上げ下され」
「お許し頂けるのでございますか」
嘘を付いていた手前、大作は目一杯の下手に出る。こういう時は謝り倒した方が勝ちなのだ。ただし日本人同士の場合に限る。
世界には中国人やインド人みたいに死んでも謝らない人たちも一杯いるので要注意だ。
「無論にございます。ですが、何故に隠されておられたのかお聞きしても宜しいでしょうか?」
「敵が真似をするのを案ずるからにございます。螺旋の溝も、椎の実型の弾も敵の目に止まればいずれは真似をされます。特許権も実用新案権もございませぬ故、真似をされればお仕舞い。ギリギリまで隠し通さねばなりませぬ」
「なるほど合点が行きました。これよりは何か思い付いても真っ先に大佐様にご相談させて頂きます」
太平洋戦争中のハミルトン式定速可変ピッチプロペラの特許使用料の話は有名だ。八七式自走高射機関砲のレーダーの取り付け位置もゲパルトの特許に触れないようにあんなところに付いてるらしい。
だが、今は戦国時代だ。大人しく特許使用料を払う奴がいるはずもない。って言うか特許庁が存在しないのた。
何だか良く分からないが丸く治まったので大作は心から安堵する。
その後は一転して和やかな空気になった。時折会話が途切れても大作は泊めてもらって当然だという顔をして居座り続ける。
根負けしたのだろうか。青左衛門は寝室を用意してくれた。
期待していなかったが、やはり畳すら無い。筵が敷いてあるのみだ。
これだったらテントで寝た方が良かったんじゃね? でも、メイと二人でテントで寝たら変なイベントが発生しそうで怖い。
って言うか、もし後でお園にバレたらどうすれバインダー。
やっぱテントは駄目だ。大作は考えるのを止めた。
「大佐と一緒に寝るのは久しぶりね。とっても嬉しいわ」
「ここは青左衛門殿のお屋敷だ。一緒に寝るだけだぞ。それ以上のことは何もしないぞ」
メイが妖艶な微笑み浮かべる。
「するって何を?」
「何にもだよ!」
やっぱテントで寝ないで良かったと大作は胸を撫で下ろした。
翌朝の食事も簡素な物だった。もしかして物凄く迷惑だったのか?
いやいや、この時代の庶民の食事なんてこんな物だったんだろう。
「図々しくも泊めて頂き、ありがとうございます。次の評定は三日後にございますな。楽しみにしておりますぞ」
「こちらこそ数々のご助言を頂き真に有り難き幸せにございます。ご期待に沿えるよう思い励みまする」
大作とメイは何度も頭を下げて礼を言って青左衛門の家を後にした。
こりゃあ、あんまり度々は使えないな。こっちにも生活拠点を確保した方が良いんだろうか。
まあ、金さえ貯まれば中古住宅くら買えるだろう。大作は考えるのを止めた。
窯元に行ってパイプを受け取る。
注文したのは二本だったが焼きや冷ましの過程で破損する可能性がある。
それを考えて窯元は四本作ったが全て無事に出来ていたそうだ。
追加料金は要らないとのことなので何度もお礼を言ってありがたく頂いておく。
山道を山ヶ野に向かって二人で歩く。
パイプ四本は大作が持つ。代わりにメイにバックパックを背負って貰う。
これならメイは両手がフリーなので笛の練習が出来るのだ。
「大佐、重く無い? やっぱり私も持った方が良いんじゃない」
「平気だぞ。メイこそ重かったら言えよ。笛の練習も無理しなくて良いぞ」
他にすることも無い。大作が口笛で『コンドルは飛んで行く』を一小節ずつ吹いてメイがそれを笛で真似する。
メイは絶対音感でもあるのだろうか。難なく曲を覚えて行く。
昼前、掘っ立て小屋が見えて来たころには一曲通して吹けるようになってしまった。
天才あらわるだな。もう俺に教えることは何も無い。大作は感動すら覚えていた。
「ただいま~ パイプが手に入ったぞ」
「遅かったわね。心配したわよ」
お園が石臼を回す手を止めてにっこり微笑む。
ほのかも鉱石を砕くのを止めて金槌を置く。
だが、次の瞬間ほのかの表情が急に曇る。
何か地雷を踏んだっけ? 大作はドキっとする。
「その笛はどうしたの?」
ほのかが絞り出すような声で呟く。目尻には涙が浮かんでいる。
「どうしたんだ、ほのか? お前も笛が欲しいのか?」
「私に笛を吹けって言ったのは大佐よ。忘れたの……」
そうだっけ? そうだった!
そりゃあ怒るよな。って言うか悲しんでるって感じだ。
こういう時は怒鳴られたり怒られたりした方がよっぽどマシだ。
メソメソされてもどう対応したら良いんだかサッパリ分からん。
大作はどうやって事態を収拾するか頭をフル回転させる。
お園は目を合わそうともしてくれない。肝心の笛を吹いてるメイに助けを求めると反って火に油を注ぐだけだろう。
利根川流の逆ギレも止めた方が良さげだ。ここは謝るしか無いか。大作は馬鹿にしていると思われない程度の笑顔を作った。
「ごめんな。ほのかがそんなに悲しむとは思ってなかったんだ。あの時、みんなで音楽をやったら楽しいって言っただろ? ほのかにもちゃんと笛を買うから機嫌を直してくれよ。一番じゃなきゃダメですか? 二位じゃダメなんでしょうか?」
大作は両膝を付いてほとんど土下座のような格好になる。
そのまましばらく頭を下げて待つが返事が無い。
恐る恐る顔を上げると、ほのかが肩を震わせて声を殺して泣いていた。
お前、本当にくノ一なのか? メンタル弱すぎだろ!
もう嫌だ、こんな展開。宇宙人だか未来人だかもきっと飽き飽きしてるぞ。
このまま一生、三人娘のご機嫌を伺い続けて生きるなんてまっぴら御免だ。
「泣くな! 女が泣いて良いのは産まれた時と親が亡くなった時だけだ! 先に笛を貰ったとか、化粧したとか、添い寝したとか。そんなんで毎度毎度、焼き餅を焼かれたんじゃチームプレイは成り立たんぞ。俺がチームのメンバーは平等だって言ったのが信じられないのか? だったら勝手に出て行け。去る者は追わずだ」
いやいや、ほのかは津田様の借金の付け馬なんだから俺が追い払うのは筋違いだろう。大作は自分で自分に突っ込む。
まあ良いや。あとはほのかが自分で決めることだ。
大作は敢えてほのかを無視して金の製錬を進めることにした。




