巻ノ伍拾弐 おたのしみ の巻
夕餉までまだ一時ほどある。大作たちは客間を宛がわれて寛ぐように言われた。
大作はこの時間を利用して作戦会議を行ったら良いんじゃないかと考える。
「いよいよ津田様と伊賀に手紙を書くタイミングだな。みんなの意見を聞きたい。まずは俺の考えたプランを聞いてくれるか?」
三人娘は黙って目で先を促す。大作は身振りで小さく円陣を作るよう指示して小声で話し始める。
「これから作って行く組織の中核となる人材が必要だ。伊賀から十人ほど来てもらおう。そんでもって、一日に金鉱石を一トン、三百貫目ほど処理する。十グラム、三匁くらいの金が採れるはずだ。実験プラントを稼働させて作業行程や人員配置の最適解を探る。徐々に規模を拡大しながら一ヶ月でイニシャルコストを回収する」
「いにしゃるこすと?」
お園が怪訝な顔で鸚鵡返しする。
「初期投資のことだ。工具類やレトルト炉、桶、小屋、なんだかんだで最初にいろいろと用意する物があるだろ。目標通りなら一月目で金が八十匁ほど採れる。銭四十貫文くらいかな。一人に一貫文ほど払っても三十貫文くらいは粗利があるはずだ」
「取らぬ狸の皮算用にならなければ良いけど」
お園が他人事みたいにそっけなく言う。何か怒らせるようなこと言ったっけ。大作は少し不安になる。
「初期投資さえ回収できれば津田様からの借金も返せる。代わりに藤吉郎とサツキもこっちに呼ぼう」
「やっと二人に会えるのね。とっても楽しみだわ」
ほのかが嬉しそうに相槌を打つ。そう言えばほのかは二人とはほとんど面識が無かったっけ。
「近在から人を集めて一月後には百人体制で日産百グラム、三十匁ほどの本格操業を開始。利益を再投資して毎月百人ずつ規模を拡大して行く。一年後には千人体制で日産一キロ、三百匁くらいだから銭百貫文ほどの粗利だ。初年度の目標は金二百キロ、五十貫目くらいだから銭二万貫文の粗利だ」
「ふぅ~ん」
お園の視線が冷たい。何を怒ってるんだ? 聞いた方が良いんだろうか。さっぱり分からん。
「金山の拡大と並行して鉄砲と火薬の研究ラインをスタートする。半年で試作品を完成。半年間のフィールドテストを経て問題点を改修。一年後には量産開始だ」
「……」
みんな真剣な表情だが、さっぱり分からんって顔をしている。鉄砲の現物すらまだ見たこと無いんだから無理は無いと大作は思う。
まあ、明日には見せてもらえるはずだ。とりあえず説明だけ進めておこう。
「鉄砲は画期的なコストダウンを図りたい。だが、原料の鉄を輸入に頼るしか無いのが辛いところだな。三年後に千丁を揃えようと思ったら早期に日産二丁の製造ラインを稼働させる必要がある。俺は十分に達成可能だと考えている」
「大佐がそう思うんならそうなんでしょう。大佐の中ではね」
お園が嫌なことを言う。メイとほのかも訝しげな視線をお園に送っている。やっぱりお園の様子は変だと大作は確信する。
「鉄砲一丁が一貫目とすると千丁作るには千貫目、四トンくらいの鉄が必要になる。威力や射程を落としてでも軽量化を優先した方が良いかも知れんな。そもそも鉄っていくらくらいするんだ? 水銀が銀の十分の一以下。銅はさらに一桁安い。鉄はその半額くらいかな? とりあえず鉄四貫目が銭一貫文だとすると鉄砲一丁の材料費だけで二百五十文も掛かる。本気でコストダウンしたければ製鉄や製鋼から手を付けるしかないな」
「何でもかんでも手を広げれば良いって物じゃないわよ」
お園がさらに不機嫌そうに言う。駄目だこりゃ。爆発する前に何とかしないと。大作は腫れ物に触るように極力優しく言う。
「何か分かりにくいところでもあったかな? 遠慮せず聞いてくれ」
「全部よ! 大佐ったらみんなで相談しようって言ったのに、分からない言葉ばっかり使うんだもん!」
が~んだな…… 出鼻をくじかれた。俺の言葉なんて一ヶ月前から同じだろ。大作は頭を抱えたくなった。
もしかして宇宙人か未来人の翻訳サービスのトラブルか? だったら厄介だぞ。
「ごめんごめん。でも、そういう時は溜め込まずにその都度言ってくれ」
「すぐに言わなかった私が悪かったわ。もう一月も一緒にいるのに、未だに大佐の言葉が良く分からない自分が情け無かったのよ」
お園がちょっと寂しそうに笑う。大作は何だか物凄い罪悪感に苛まれて堪らない気分になる。これはフォローが必要だ。
「男と女っていうのは永遠に分かり合えない存在なんだ。でも、だからこそお互いを大切に思い合うことができるんじゃないかな?」
大作はどっかで聞いたような聞かなかったような適当なセリフを並べる。
あとはお園を抱き締めて口付けでもすればミッションコンプリートだ。ちょろいもんだぜ。
だが、メイとほのかの食い入るような視線に気が付いて寸でのところで口付けを留まった。
メイとほのかがわざとらしく視線をそらす。大作は照れ隠しに咳払いして続ける。
「さて、気を取り直して続きだ。煙硝を作るために硝石丘というのを作って行く。ネットに書いてあるのが本当なら一反から五年で五千貫目くらいの煙硝が採れるはずだ。毎年毎年一反ずつ増やして行く。でも最初に作ったのが採れるまで五年も掛かる。だから、それまでは並行して古土法も行う」
「床下の土から溶かして鍋で煮るのね」
メイが嬉しそうに言う。あの作業のどこがそんなに楽しかったのだろう。大作は火薬調合が怖かったという感想しか無い。
「射撃訓練のことも考えると鉄砲一丁当たり千発として弾薬は百万発程度は必要になる。試作鉄砲のテストを考えると日産二千発の製造ラインを半年以内に稼働させる必要がある。三匁五分弾だと鉛が十三トンと硝石四トンくらい必要だ。将来的には青銅で大砲を作るために銅や錫も要る。真鍮を作るためには亜鉛も欲しい」
「あえん?」
この時代には亜鉛って名前は無いのか? 大作はスマホで調べる。亜鉛という名前の初出は正徳三年(1713)らしい。そりゃあ分からんわけだ。天平年間には真鍮のことを鍮石と言ったそうだ。それが文禄年間に真鍮へ変化した。十六世紀末、亜鉛は中国名で倭鉛と呼ばれ、ポルトガルではツタンナガ(Tutanaga)、日本ではトタン(吐丹)と呼ばれていたらしい。
ようするにどういうこと? この時代には国内では入手不可。中国でも生産が始まるどうか。インドからなら輸入できるかも知れないってことか。
大作は余裕が出来たらブラスバンドでも作ろうかと思っていたのだが一気にハードルが上がった気がした。ちなみにブラスというのは真鍮のことだ。
っていうか薬莢とか作ろうと思ったら真鍮は是非とも欲しい。銅の薬莢は発砲時、過度に膨張するので薬室に張り付くってWikipediaに書いてある。
リトルビッグホーンの戦いの第七騎兵隊全滅みたいな目に遭うのは真っ平御免だ。
まあ、大戦末期のドイツでは軟鉄を使ったらしい。東欧圏では今でも普通に軟鉄を使ってるんだっけ。ラッカーを塗るとか銅でメッキすれば何とかなるって書いてあるぞ。自動小銃や機関銃を作る訳じゃ無し。もしかしてどうでも良いのか?
「日本海側の鉱山で採掘される黒鉱を石炭と一緒に加熱して蒸留精錬すれば良いらしいぞ」
「にほんかいがわ?」
「越後国の辺りかな。まあ、亜鉛はどうでも良いや」
あったら良いけど無くても死にはしない。そもそもインドから輸入できれば何の問題も無い。大作は考えるのを止めた。
「とりあえず鉄と鉛が最優先だ。長篠合戦では武田も鉄砲を持ってたけど弾薬の入手で苦労してたって片岡愛○助が言ってた気がする。硝石は五年あれば量産可能だが鉄や鉛は輸入に頼るしか無い。西南戦争の田原坂では十七日間の戦闘で一日平均四十万発の弾薬が消費された。弾が不足した薩摩軍は木や石を弾の代わりに使ったなんて涙ぐましい話も読んだ気がするぞ。そんな目に遭いたくなかったら、あらゆる手段を駆使して備蓄しておくに限る」
「堺が味方に着いているのは大きいわね」
ほのかが心底から嬉しそうに相槌を打つ。入来院や東郷との同盟関係さえ維持できれば西海岸からの貿易に支障は無さそうだ。だが、入手経路を複数確保しておくことは重要だ。第二次大戦シミュレーションでも資源の確保は死活問題なのだ。
「さっきの計画だと二年目には金が百貫目は採れる。純利益が三割だとしても銭一万五千貫文が手元に残る。人足を雇う時、戦時には足軽として戦ってもらうと雇用契約書に明記しておく。千人の兵を銭十貫文で雇ったら銭一万貫文。鉄砲一丁が銭二貫文として銭二千貫文。鉛や鉄で銭千貫文。土から煙硝を採って火薬にしたり、鉛を弾にするのに銭二千貫文。全部適当な数字だが、まあそんなとこだろう」
フェルミ推定にすらなっていない適当な願望だ。でも、とりあえずの目安が無いと予定と実績の比較も出来ない。
三人とも難しい顔をして黙っている。ほのかが少し考えてから口を開いた。
「今晩中に文を書いてもらえる? 二日で日向まで走って行くわ。堺に行く船はたくさんあるから半月くらいで着くはずよ。そこからサツキが伊賀まで一日で走る。帰りも同じくらい掛かるだろうから人が来てくれるとしたら一月半くらい掛かるかしら」
「レトルト炉を作るのに必要な陶器のパイプは五日で用意できる。一月も遊んでるのは勿体無いけど四人では人手が足りんな。鉄砲作りに注力するか、何人か雇って金の製錬を開始するか。迷うところだな」
大作は『何かアイディアだせよ』という目をして三人娘の顔を交互に見つめる。三人とも考えてくれているようだ。
しばらくして意を決したようにメイが口を開く。
「小屋を作ったり食べ物を運んだりでも結構な手間よ。近在の百姓から手伝いを雇って雨風が凌げる程度の家を作るだけでもやっとかないと」
「屋根だけでも作っておかないと雨が降ったら作業どころじゃ無いわね。家を作るだけの板っていくらくらいするのかしら。丸太小屋なら安く上げられるかも」
お園も同じ意見のようだ。この時代のことは良く分からんがテント生活にも飽きてきたところだ。この意見に乗っかろう。
「そうだな。金山開発を焦り過ぎて生活環境の改善を忘れていたかも知れん。今後の活動拠点になるんだからそれなりの物を作ろう。並行して鉄砲開発と金の製錬を行おう。将来的には水銀や人足も必要になるからコネ、じゃなかった伝手が必要だな。こっちは弥十郎様にお願いしよう」
そろそろ夕食の時間らしい。大作は会議の結論を出した。
重経との夕餉には弥十郎も陪席した。普段は一人で寂しい食事をしているらしい。せいぜい楽しい話で盛り上げてやろうと大作は意気込む。
「重経様は白い鴉を見たことがございますか?」
「なんじゃ大佐殿。禅問答か? そのような鴉は見たこと無いぞ」
僧侶からこんな話をされたら禅問答だと思うのが普通だろうか。まあ、話には乗ってくれるらしい。
「では世の中に白い鴉はいないと証明するにはどうすれば良いと思われますか?」
「全ての鴉を片端から調べて白い鴉がいないことを示すしか無いじゃろうな」
重経が即答する。まあ、それがあたりまえの回答だ。大作は期待通りの反応を返してくれた重経に感謝する。
「ドイツの哲学者、カール・ヘンペルは帰納法に関して次のように説いておられます。『全ての鴉は黒い』の対偶は『全ての黒くないものは鴉では無い』であると。つまり、世の中の黒く無い物を全て調べ、その中に鴉が含まれていなければ良いのです。こうすれば鴉を一羽も調べずとも白い鴉がいないことが証明できます」
重経がぽか~んと口を開けている。
この表情を見られただけで大作はもう思い残すことは無い。
なので後始末を三人娘に押し付けるともっぱら話の聞き役に回った。
お園が天文学に付いて熱く語る。重経は知識欲が旺盛なのだろうか。真剣に話を聞いて積極的に質問していた。
「夜も更けた。部屋を用意させるので泊まって行くが良い」
重経が大作たちに勧める。大作は今晩中に手紙を書いて、朝食の後でほのかに走ってもらうことに決めた。
それに一泊させるんなら朝食も付くだろう。一食浮くのは助かる。
「有り難き幸せ。遠慮なく泊まらせて頂きます」
大作は深々と頭を下げた。
それなりの広さの部屋に四人は案内された。
大作は早速、津田宗達に宛てた手紙の内容を考える。
祁答院の領内で金が一万貫目は採れる金山を発見した。
祁答院に取り入ることに成功した。
今後数年間に鉄、鉛、水銀が大量に必要になる。
途中で誰に見られるか分からないので暗号化する。
復号化の手順と乱数表は藤吉郎に預けたカロリーメイトフルーツ味の箱の中に入れておいたのだ。
合わせて金鉱石のサンプルを添える。
それとは別に百地丹波に宛てた手紙も用意する。
信用できる忍びを十人ほど寄越して欲しい。
内訳はマスターを一名、ベテランを二名、ノービスを七名が希望。
一年後には百人単位で忍びが必要になる予定。
忍者が上忍、中忍、下忍に分かれているなんていうのはフィクションの設定らしいが何らかのランク付けはあるだろう。
ちなみにイエズス会が十七世紀に編纂した日葡辞書にはXinobiという項目があるそうだ。なので、忍びという言葉は一般的だったようだ。
メイが伊賀忍者に伝わる暗号化を施した。
そんなこんなで思ったより遅くなってしまう。用意された部屋には人数分の畳が用意してあった。
二週間ぶりに畳の上で眠れることに全員が大喜びだ。
「やっぱり畳は良いな。余裕が出来たら是非とも手に入れよう」
「私も一緒の畳で寝たいわ。私たちは夫婦なのよ」
お園が大作の夜着に潜り込んで来る。
「だったら私も一緒に寝るわ」
「私めだけ仲間外れは悲しいわ」
メイとほのかまでが夜着に潜り込もうとするが流石に無理だ。
畳を動かして連結させる。夜着は横向きにして適当に被った。
「騒ぐなよ。重経様の御家来衆に聞かれたら恥ずかしいだろ!」
久々の畳と夜着の寝心地は最高だ。大作たちはぐっすりと安眠することができた。




