巻ノ五百拾参 進め!山ヶ野機動隊 の巻
波乱に満ちた大本営政府連絡会議からあっという間に一夜が開けた。
普段のように寝坊した大作は布団を畳んで寝間着を着替え、顔を洗って歯を磨く。
「ちょっと急いで頂戴な、大佐。私、お腹が空いて空いてしょうがないんだから」
「だったら先に行ってくれても良いんだぞ、お園」
「あら、まあ、大佐ったら。もしかして拗ねてるの? 私はいつまでも待ってるわよ。いつまでも、いつまでも……」
「いや、あの、その…… そんなには待たせないよ。って言うか、もう済んだ。おまたせ。そんじゃあ食堂へレッツラゴー!」
二人は仲良く並んで寝室を出ようとする。出ようとしたのだが…… 突如として傍らから声が掛けられた。
「漸くお目覚めになられましたか、大佐。組対六課の山吹と申します。お忙しいとは存じますが火急の要件にて暫しの間、お話を聞いては頂けませぬでしょうか?」
「ああ、悪いけど朝飯の後でも良いかな? 腹が減っては戦はできぬっていうじゃろ?」
「誠に畏れ多きことなれど火急の要件にて緩々と飯など食らうておる暇はございませぬ。重ねてお願い申し上げ奉りまする」
山吹と名乗った少女は口調こそ丁寧だが言葉の端々から有無を言わせぬ強制力が伝わってくる。
これは逆らわぬのが吉なんだろうか。大作は小さく肩を竦めると助けを求めるようにお園の顔色を伺う。
だが、腹ペコお園の空腹感はとっくの昔に限界を越えていたようだ。
まるで絶対零度の液体ヘリウムみたいに冷たい口調で言い放った。
「だったら食べながら話を聞くとしましょうか。付いてらっしゃいな、山吹」
「畏まりましてございます」
言われたことには黙って従う。それが山吹の処世術なんだろうか。それっきり彼女は黙り込んでしまった。
食堂に向かって歩くこと暫し。まるでお通夜のように沈黙のみが一同を支配している。
蛙が飛び込みそうな静けさに耐えかねた大作が口を開いた。
「な、なあ、山吹さんよ。火急の話ってどんな要件なんだ? 良かったら話の触りだけでも聞かせてはもらえんもんじゃろか?」
「話の触り? 其は如何なる物にござりましょうや? 話に触る事など如何にすれば叶うものなのやら。皆目見当も付きませぬが?」
「いやいや、話の触りって言うのはだな…… Wait a minute. いま調べるからちょっとだけ待って
くれ。えぇ~っと…… 『話の触り』っていうのは話の中心、要するに要点とか一番興味を引く所を言うんだな。勘違いしてる人も多いけど話の頭や最初を指す訳じゃないんだな。
「ほほぉ~う。然れども何故に触ると申すのでありましょうや? 先程も伺いましたが話に触る事など出来ようはずもございませぬ」
さぱ~り分からんといった顔の山吹は小首を傾げる。
これはもう駄目かも分からんな。早くも諦めの境地に達した大作からやる気がモリモリと抜けて行く。
「触りっていうのは元を正せば浄瑠璃の義太夫節で他の旋律に触れる所ってことらしい。要するに一番の聞いて欲しい所のことだ。それが転じて話の中の一番面白い所や大事な所を指すようになったんだとさ。どっとはらい」
大作はゆっくりスマホの画面から視線を上げると山吹の顔色を伺う。だが、能面の様な無表情からは一切の感情が伝わってこない。
「もしかして説明が難しかったかな? もうちょっと分かりやすく言い直すと……」
「そも、浄瑠璃の義太夫節とやらを存じませぬ。義太夫様とは何処の何方様にござりましょう?」
「竹本義太夫さんをご存じない? まあ、俺も会ったことはないんだけどな。江戸時代前期に…… って、そりゃあ知らなくても無理はないか。でも、浄瑠璃は知ってるだろ? 平曲とか謡曲に琵琶や扇拍子の音曲を付けた語り物だな。あと、三味線とか使った奴もあるよな?」
「しゃみせん?」
「三味線っていうの永禄年間(1558-1570)に琉球から渡来した三線が三味線に発達して…… って、これもアウトかよ! うぅ~ん…… でも、浄瑠璃は聞いたことあるじゃろ? 少なくとも享禄四年(1531)の宗長日記の中に浄瑠璃が存在したという記述があるんだからな。どうだ?」
大作はスマホ画面を山吹に向けて賛同を得ようとする。得ようとしたのだが……
「山吹さん? アレ? 山吹さ~ん? なあ、お園。あいつ、何処に行っちまったんだ?」
「さ、さあ? 私は山吹の管理人じゃないんだから知らんわよ。もしかして先に食堂に行ったんじゃないかしら?」
「そ、そうか…… まあ、用があったのはあっちだから無理に探さんでも良いか」
大作は頭の中から山吹と浄瑠璃を追い払うと食堂へと急いだ。
朝食の時間を少し過ぎていたからなのだろうか。既に幹部食堂は閑散としていた。
がら~んとした座敷の最奥で傅く
「此方へどうぞ、大佐」
「ああ、山吹。やっぱり先に来てたんだな。急にいなくなったから心配したぞ」
「時が惜しいかと思い、差し出がましいかとは存じましたが先回りしてお食事のご用意をば致しておりました。ささ、料理が冷める前にお召し上がり下さりませ。お園様も此方へどうぞ」
「サンキュー、サンキュー」
「骨折り大義でありました、山吹」
二人は簡単に礼を述べると素早く席に着く。手早くお祈りを捧げると御椀の蓋を取った。
「今朝のメニューは…… 山鳥の汁物か? 伊達政宗が母親に毒殺されかかった時の奴みたいでとっても美味そうだな。ふぅ~、ふぅ~。ハムッ ハフハフ、ハフッ!!」
「では、大佐。火急の要件をお話して宜しゅうござりましょうや?」
「う、うぅ~ん。もし、飯が不味くなるような話なら食事が終わるまで待ってもらっても良いかな? 物を食べる時はな。誰にも邪魔されず自由で、何というか救われてなきゃあ駄目なんじゃよ。独りで静かで豊かで……」
「ならばお聞き下さりませ。昨日の評定で決まりました大隅、肥後、土佐攻めと村上海賊討伐の件、軍部に代わりまして我ら組織犯罪対策部が担当することとなりました。また、シビル汗国への軍事援助に関しては国際犯罪対策課が担当いたします。こちらの書類に大佐とお園様のご署名をお願い致します」
山吹は着物の懐から四つに畳まれた紙切れを取り出すと広げて眼前に翳した。
大作は文面に目をやるが例に寄って例の如くミミズが這ったような文字は判別不能だ。
「んん~っ? さっきから気になってたんだけど聞いても良いかな? そもそも、何でこのヤマに組対が出張ってくるんだ? 意味が分からんのですれど? 道理が通らんじゃろ」
「道理が通らぬのは軍部の方にございましょう。大佐は以前、申された事をお忘れにございましょうや? ここ、日の本の国の正当なる統治者は民主的な選挙によって選ばれた我らであると。それならば大隅や肥後、土佐を不法占拠する大名どもを逮捕検挙するのは国内における警察活動と申せましょう。本件は何が何でも我々、刑事警察が担当をば致します。よもや、ご依存はございませぬでしょうな?」
怖いくらい真剣な目をした山吹が有無を言わせぬ勢いで詰め寄ってくる。余りの迫力に思わず大作は仰け反るように距離を取った。
「ちょ、おま…… 結果さえ出してくれるんなら軍だろうが警察だろうが俺は別にどっちでも構わんぞ。ただ……」
「ただ? ただ、何にございましょうや?」
「相手はチンケな国人衆じゃなくてそれなりの大名だぞ。刑事警察の持つ装備や人員で何とかなるのかな?」
「第一から第九まで機動隊の総員を投入いたします。新型騎兵銃や無反動砲も充足しておりますれば後は弾薬の確保さえ叶えば何の憂いもございませぬ。其れに関しては既に軍部と調整が進んでおりますればご安堵をば下さりませ」
山吹は次から次へと紙切れを取り出しては食卓へと並べて行く。その都度、豊満だった胸元が萎んでしまう。
このままだと所謂、ツルペタになっちまうんじゃなかろうな。大作は嫌な予感がしてしょうがない。
その時、歴史が動いた! 食堂入口の戸板が勢い良く開かれると数人の美少女が飛び込んで来る。
「ちょっと待って頂戴な、大佐! 今回の作戦は暴動鎮圧や治安維持活動とは次元が異なる大作戦。それも四箇所同時の加重攻撃。刑事警察には荷が重いわ。こんな時こそ突撃隊の出番じゃないかしら?」
「何を言ってるのよ、サツキ。今作戦は大佐の本願。だったら大佐直属の実働部隊である武装親衛隊こそお役目を賜るのが道理だわ」
「いいえ、メイ。国防婦人会と女子挺身隊が動くのが筋というものよ。でしょう、大佐?」
「愛は黙っていなさいな。此れは国家の存亡を賭けた大事なる大戦なんですからね。あんたたちみたいな二線級部隊の出る幕じゃないわ」
「今のは無礼が過ぎるわよ、ほのか! 国防婦人会と女子挺身隊はお園様の直轄部隊なんですからね。其れを悪く言うのは天に唾するが如しよ」
「だったら、だったらもう……」
この話題の着地点はいったい何処にあるんだろう。もしかしてトイレに行くふりをして脱出するのが吉かも知れんな。大作はそっと腰を浮かすと抜き足差し脚忍び足で食堂を後にした。




